スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ファン・ローン&抽象性と具体性

2013-07-19 18:38:46 | 哲学
 『スピノザの生涯と精神』の中で,最も僕の印象に残ったエピソードは,日本語版に付け加えられた,「レンブラントの生涯と時代」の中に含まれています。まずこの著者であるファン・ローンJoanis van Loonについて,主にスピノザとの関係を説明しておきます。
                        
 ファン・ローンは1600年にアムステルダムAmsterdamで産まれた医師。自由思想家で,幅広い交友関係があり,スピノザとはアムステルダムで出会い,破門されたスピノザがレインスブルフRijnsburgというところに住んでいた頃に,訪ねていったこともあったそうです。
 ファン・ローンが最も敬愛していたのが画家のレンブラント。1669年10月に,レンブラントは医師であるファン・ローンに看取られて生涯を終えました。敬愛するレンブラントの死がファン・ローンには大変なショックで,大きな精神上の苦悩をもつことになりました。彼自身,精神病の一歩手前であったと回顧しています。このときスピノザはフォールブルフVoorburgという村に住んでいたのですが,ファン・ローンは気を紛らわすために会いにいきました。スピノザはそのとき,レンブラントとの交友や晩年,葬儀などについて,すべて書くようにアドバイスしました。そうして書き上がったのが「レンブラントの生涯と時代」。なのでこの中にスピノザも登場してくるのです。
 ファン・ローンはスピノザのアドバイスに従った結果,効き目が現れて精神的に回復できたと述べています。これでみればこのときのスピノザは,医師に対して精神分析医の役割を果たしたということになります。『エチカ』の第三部ではスピノザは人間の感情affectusの動きをきわめて明瞭に解明しています。何よりスピノザとフロイトの関係からみても,スピノザにそのようなことができたとして,何も不思議がないといえるでしょう。

 物の意味というのが様態modiのすべてであるとするなら,そこには『エチカ』で示されている様態のすべて,すなわち直接無限様態と間接無限様態という,無限である様態modus infinitusと,有限様態つまり個物のすべてが含まれているということになります。なお,今はふたつの個物であるres particularisとres singularisの概念notioが完全には重なり合わないという場合も想定していますから,この個物というのはres singularisのみを意味すると考えておいてください。したがって,第一部定理二六で決定といわれているのは,これらすべてに対する決定を意味しなければならないと理解します。つまりそこには,res singularisに対する決定というのも,少なくとも含まれていなければならないというように理解するということです。いい換えれば,決定の原因として,res singularisに対して決定の原因たり得るものを探求しなければならないということです。
 なおまた,ここではひとつの注意が必要です。実のところ,res singularisというのは,物というほど抽象的ではないといえますが,やはりひとつの抽象名詞であるということは間違いありません。しかしここでres singularisに対する決定という場合には,そのような抽象名詞としてのres singularisに対する決定というのを意味しているのではありません。これはスピノザの一般性と特殊性に関する考え方からもそうでなければならないといえます。つまりこの意味においてres singularisに対する決定の原因causaであり得るものとして探求しなければならないのは,ごく一般的な意味におけるres singularisへの決定の原因なのではなくて,各々のres singularisに対する決定の原因でなければならないということになります。いい換えれば,res singularisが第二部定理八系の意味において現実的に存在するといわれる場合において,具体的に存在するres singularis,たとえばXに対して決定の原因であり得るものが何であるのかということを考えていかなければならないということになるのです。
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