スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&表象の力

2018-01-29 18:52:43 | 将棋
 出雲文化伝承館で指された昨日の第44期女流名人戦五番勝負第二局。
 里見香奈女流名人の先手でノーマル三間飛車。伊藤沙恵女流二段の左美濃に対して先手が銀を早くに7六に上がって四間飛車に振り直し,6筋から仕掛けていく将棋になりました。
                                     
 先手が6筋から仕掛けて後手が飛車先の歩を突き捨てにいったところ。ところが先手はこれを無視して☗6四歩と取り込みました。中盤の戦いに入ったすぐの局面で飛車先の突き捨てを放置するというのはとても珍しく,並べていて驚いたのですが,後手もびっくりしたのではないかと想像します。
 ☖8七歩成☗同銀☖7七角成☗同桂に☖6七歩と打ちました。先手はこれも☗同飛。これには実戦のように☖8七飛成☗同金☖7八角と両取りを掛ける手が成立するのですが,そこで☗7六角と両方を受け☖6七角成☗同角に☖6九飛と先着されても☗3四角と逃げつつ急所に飛び出し☖9九飛成で一時的に二枚換えの駒損となるものの☗6一飛と打ち返した局面は,先手の大駒二枚がよく働いていて,先手の方がリードを奪えているようです。
                                     
 かなり大胆で鮮やかな捌きが決まった一局でした。あるいは事前に何らかの研究があったのかもしれません。
 里見名人が連勝。第三局は来月4日です。

 第二部定理一七備考でスピノザがいっていることを,現在の考察と関連させつつ詳しく探求します。
 スピノザがいっているのは,もしも人間が現実的には存在しないものを表象するimaginariとき,同時にそれが現実的に存在しないと知っているなら,そうしたものを表象するのは人間にとっての力potentiaであるということです。これは表象の種類でいうと,ものを想起したり想像したりするときに,それが想起memoriaでありあるいは想像であるということを知っているなら,それは人間にとっての力であるという意味です。僕たちが記憶力というのは想起の場合であり,想像力というのは想像の場合であるといえるかと思います。
 しかし僕は,このことはものが現実的に存在しているかしていないのかということとは,それが力であるという意味ではあまり違いがないのではないかと考えます。すなわち,人間が現実的に存在するものを現実的に存在すると観想するcontemplariとき,それは確かに想起や想像の場合とは異なって,それ自体で力であるということができるかもしれませんが,同時にそれが表象imaginatioであるということを知っているのであれば,なおのことそれは力であるといい得ると考えるのです。なぜなら,どのような場合であっても表象像imagoというのは混乱した観念idea inadaequataであるからです。いい換えれば,想像や想起の表象像だけが混乱した観念であるというわけではないからです。つまり僕は,スピノザがいっていることをもっと一般的に解し,もしも人間が何かを表象するときに,その表象像が混乱した観念であるということ,他面からいえばそれが虚偽falsitasであるということを同時に知っているならば,どのような表象であろうともそれは人間が事物を表象する力なのであると考えるのです。
 もうお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが,僕はここでのスピノザの文脈を,記憶力とか想像力といった力として解するのではなく,虚偽と誤謬とはどのように異なるのかということから解するのです。人間は虚偽を虚偽であると知っている限りでは,誤謬errorを犯してはいません。しかしそれを知らないなら誤謬を犯しているのです。つまり誤謬を犯さない範囲で,表象は人間の力であると考えるのです。

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