第17回銀河戦は一昨日の土曜日に決勝の模様が放映されました。対戦成績は深浦康市王位が3勝,阿久津主税七段が2勝。
阿久津七段が先手で深浦王位の変則的な四間飛車。先手が銀冠を目指して玉が壁形になったところで後手から第1図のように仕掛けました。
将棋はここから不思議な応酬となり,その部分で差がつきます。▲4六同歩△同飛▲4七銀△4一飛まではごく自然。そこで▲4六歩なら穏やかですが先手は▲4八飛と回りました。対して後手は△4五飛(第2図)。
次に△2五飛と回られてはかないませんから▲2八飛ですが,これは△4一飛のときに△4五飛と引いてなお後手番という局面なので先手が一手損。そこで後手は手得を生かそうと△4六歩(第3図)と打ちました。
ここでは▲5六銀と上がる方が普通ですが▲3六銀と右に。以下,△4二飛▲4八飛△4三金▲4六飛△5四金▲4三歩△2二飛▲4五銀△同金▲同飛(第4図)と進んでみると,後手はせっかく打った4六の歩が取られ,懸案となりそうだった先手の銀も捌け,先手が大きくリードすることになりました。
この後,先手が遊んでいる後手の3一の銀に働きかける攻め方を選択したため少しもつれそうになったのですが,最後は時間を残していた先手が後手玉の即詰みを読みきり,一手違いの攻め合いを制しています。
阿久津七段は2月の朝日杯将棋オープンに続く全棋士参加棋戦優勝。もとより才気迸る棋士で,今後のさらなる活躍が見込めるでしょうし,個人的にも期待しています。
すでに説明しましたように,病室全体は,中央の通路部分を別にすれば,4つの個室,本来的な意味で個室ということばが妥当であるとは思いませんが,便宜的に個室に分割されていました。このとき,ベッドというのは通路に対しては垂直に置かれていて,壁側が頭,通路側が足という向きになっていました。つまり向いの患者とは,横になれば足と足とが向き合うようになっていたということです。
次に,横の患者とは都合2枚のカーテンによって隔てられていたわけですが,病室の構造から,入口のドアに近い側と,奥の窓に近い側とがあったことになります。僕の自室となっていたのは,入口から入った場合には右側の奥,すなわち窓に近い方でした。この窓というのは方角でいえば南西から西向きといった感じ。よって午後にはかなりの日差しが差し込みましたので,僕は昼でもその部分だけカーテンを閉めておくということもしばしばでした。
僕がベッドで仰向けに横になると右側,すなわち窓とベッドの間にパソコンとその下に冷蔵庫がありました。パソコンはHCUにあったのと同じで,治療のために医師や看護士が使いましたし,テレビもこれで見ました。ちなみにテレビはアナログ放送でした。
左側には椅子が1個ありましたが,この椅子の先がすぐにカーテン。頭の上に自室用のライトがあり,このライトは自室全体を明るくするものと,頭の先だけを照らすもののふたつ。消灯時間に点すことは禁止でしたが,それ以外の時間はスイッチで点けたり消したりできました。そのライトの左側,つまり横の患者側に何段かの戸棚があって,ここに着替えなど必要な荷物のすべてを置いていました。あとは左手にナースコールのためのボタンがあったくらい。HCUに比べますと,かなり狭い部屋だったということになります。
阿久津七段が先手で深浦王位の変則的な四間飛車。先手が銀冠を目指して玉が壁形になったところで後手から第1図のように仕掛けました。
将棋はここから不思議な応酬となり,その部分で差がつきます。▲4六同歩△同飛▲4七銀△4一飛まではごく自然。そこで▲4六歩なら穏やかですが先手は▲4八飛と回りました。対して後手は△4五飛(第2図)。
次に△2五飛と回られてはかないませんから▲2八飛ですが,これは△4一飛のときに△4五飛と引いてなお後手番という局面なので先手が一手損。そこで後手は手得を生かそうと△4六歩(第3図)と打ちました。
ここでは▲5六銀と上がる方が普通ですが▲3六銀と右に。以下,△4二飛▲4八飛△4三金▲4六飛△5四金▲4三歩△2二飛▲4五銀△同金▲同飛(第4図)と進んでみると,後手はせっかく打った4六の歩が取られ,懸案となりそうだった先手の銀も捌け,先手が大きくリードすることになりました。
この後,先手が遊んでいる後手の3一の銀に働きかける攻め方を選択したため少しもつれそうになったのですが,最後は時間を残していた先手が後手玉の即詰みを読みきり,一手違いの攻め合いを制しています。
阿久津七段は2月の朝日杯将棋オープンに続く全棋士参加棋戦優勝。もとより才気迸る棋士で,今後のさらなる活躍が見込めるでしょうし,個人的にも期待しています。
すでに説明しましたように,病室全体は,中央の通路部分を別にすれば,4つの個室,本来的な意味で個室ということばが妥当であるとは思いませんが,便宜的に個室に分割されていました。このとき,ベッドというのは通路に対しては垂直に置かれていて,壁側が頭,通路側が足という向きになっていました。つまり向いの患者とは,横になれば足と足とが向き合うようになっていたということです。
次に,横の患者とは都合2枚のカーテンによって隔てられていたわけですが,病室の構造から,入口のドアに近い側と,奥の窓に近い側とがあったことになります。僕の自室となっていたのは,入口から入った場合には右側の奥,すなわち窓に近い方でした。この窓というのは方角でいえば南西から西向きといった感じ。よって午後にはかなりの日差しが差し込みましたので,僕は昼でもその部分だけカーテンを閉めておくということもしばしばでした。
僕がベッドで仰向けに横になると右側,すなわち窓とベッドの間にパソコンとその下に冷蔵庫がありました。パソコンはHCUにあったのと同じで,治療のために医師や看護士が使いましたし,テレビもこれで見ました。ちなみにテレビはアナログ放送でした。
左側には椅子が1個ありましたが,この椅子の先がすぐにカーテン。頭の上に自室用のライトがあり,このライトは自室全体を明るくするものと,頭の先だけを照らすもののふたつ。消灯時間に点すことは禁止でしたが,それ以外の時間はスイッチで点けたり消したりできました。そのライトの左側,つまり横の患者側に何段かの戸棚があって,ここに着替えなど必要な荷物のすべてを置いていました。あとは左手にナースコールのためのボタンがあったくらい。HCUに比べますと,かなり狭い部屋だったということになります。