読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

人生を狂わす名著50

2024年09月11日 | 言語・文学論・作家論・読書論
人生を狂わす名著50
 
三宅香帆
ライツ社
 
 
 本に耽溺してしまっているひとときというのはとても幸せな時間である。
 身も心も没入してしまう本に出逢うことは必ずしも多くないものだ。たいていの本は脳味噌の表面をさっとかすめて終わってしまい、二度と読み直されることはない。
 しかし、ごくまれに智と感と情すべてをゆさぶられ、読前読後で目の前に現れるこの世の地平の景色が変わるような本に出合うことがある。これこそ読書の値千金の効能であって、こういうのを名著という。
 
 
 というわけで本書だ。著者は「なぜ忙しすぎると本が読めないのか」が大ブレイクして今や時の人である。きっとますます忙しくなって本が読めなくなっているかもしれない。
 本書は、50の本に対しての著者の偏愛プレゼンテーションが繰り広げられている。その熱量に圧倒される。紹介される本それぞれに著者が人生を狂わすポイントになったところについて解説されている。
 著者はここで「〇〇 VS ●●」という対立構図を描く。たとえば、J・Dサリンジャーの「フラニーとズーイ」では、「立派で完璧な人生 VS 笑えて許せる人生」がテーマである、と。読前は前者の規範で生きていたつもりが、読後は、後者もありだと思えるようになったという。中村うさぎの「愛という病」は「愛したい VS 愛されたい」。山田詠美の「僕は勉強ができない」は「学校の勉強 VS 人生の勉強」。司馬遼太郎の「燃えよ剣」は「結果のカッコよさ VS 姿勢のカッコよさ」。杉浦日向子の「百日紅は「ドヤ顔 VS さりげなさ」といった具合だ。
 「人生を狂わす」名著とは、このようなコペルニクス的転回を体験する本ということなのだ。
 
 
 ところで、著者がこれらの本で人生を狂わすコペルニクス的転回を味わうに至ったのは、そのときに著者が置かれていた事情・環境・心境その他が当然作用している。著者の個人的なエピソードもしばしばこの本には書かれている。
 ということは、名著に出会うためには、必然的に、極私的な事情と結びつかなければならないということになる。
 その人にとって名著であればあるほど、それは万人にとって名著かどうかはわからない。なぜならば、自分自身を根底から覆すような本というのは、当然ながら自分自身のコンディションーそのときの気分・状況・抱えている悩みなどがあって、それに対して本の内容が化学反応を迫るからだ。「名著とはまるで自分のために書かれたように思えるもの」と言えよう。
 もちろん、多くの人が感興を揺さぶられるーつまり「名著率」の高い本というのは存在するが、我が人生を狂わすくらいの「名著」となると、これは極私的な事情とは切っても切り離せないものになる。
 
 実際にこの本で紹介された50冊の中で、僕が読んだことがあるのはほんの数冊程度であった。しかもその数冊が、じゃあ僕の人生を狂わすほどの名著だったかというと、そこまでじゃないなーというのが率直なところだ。人生を狂わす名著なるものが極私的にならざるをえないひとつの証左である。(著者と全く意見が同一した唯一の例外は岸田秀「ものぐさ精神分析」だった。この本の破壊力はホントに凄いぞ)。
 
 じゃあ、お前にとっての名著はどれなのだ、というといくつか脳内に浮かび上がるのだけれど、この感じを他人にわかってもらうのはやっぱり至難な気がする。それに当時の僕の心境がそれを名著にしてくれたわけで、仮にいまいま現在の自分が初読だったら、またぜんぜん違う読後感だったことだろう。名著とは一瞬の邂逅なのだと思う。というわけで、自分自身が名著に思った本についてはまたいつか・・・
 

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工作舎物語 眠りたくなかった時代

2024年09月03日 | 編集・デザイン
工作舎物語 眠りたくなかった時代
 
臼田捷治
左右社
 
 
 さて、松岡正剛といえば、工作舎という出版社であり、「遊」という雑誌だった。
 
 工作舎は今でもばりばり現役の出版社で、科学と人文をアナーキーに融合させたようなハイブローな書籍を多く刊行している。「遊」はこの工作舎が1970年から80年初頭まで刊行していた雑誌だ。というより「遊」を制作・刊行するために組織されたのが工作舎の発端である。
 
 いまから50年以上前の雑誌の話だから、戦後出版史のひとつのエピソードではあるものの、この雑誌に関わった当時の若者から、その後にデザイン界や出版界で重鎮となるクリエーターやデザイナーが続出した。祖父江慎、松田行正、戸田ツトム、羽良田平吉、西岡文彦などがいる。さらに周辺まで見渡せば、アートプロデューサーの後藤繁雄、翻訳家の木幡和枝、博物学者の荒俣宏、前衛舞踏家の田中泯、そしてレジェンド級デザイナーの杉浦康平も「遊」に関わった。
 
 松岡正剛は工作舎の設立メンバーであり、「遊」の初代編集長だった。
 
 本書は、その松岡正剛率いる工作舎と雑誌「遊」について当時の関係者にインタビューしながら、駆け抜けた10年間を追想したものである。
 デジタル編集以前の時代だから、版を組むのも活字を拾うのも色を調整するのもすべてアナログの手作業、職人芸の世界だ。現在の出版業界からすれば、ここに出てくる人物や用語やエピソードはすべて神話の世界といってよいだろう。
 
 
 半世紀前の回顧録だけに思い出補正が存分に含まれているだろうとは言え、多くの人の証言から、当初の工作舎の内部は相当に異常であったようだ。
 
 まずは超激務。モーレツどころではない。風呂も入らず床下で雑魚寝の仮眠をとりながらの不夜城勤務は、混沌と熱気の1970年代だったにもかかわらず、労働基準局が抜き打ち査察にやってきたレベルだったようだ。
 しかも給料があってないがごとし。そもそも給与体系がちゃんと社則として整備されていたのかどうかも怪しい。工作舎にスタッフ入りする上で事前に給与についてちゃんと説明したのかどうかもかなりかなり怪しい。
 そして、極限まで突き詰めるアーティスト魂。ミリ単位の文字組み、色合わせ、採算度外視の印刷工程・紙素材の指定。けっきょく雑誌「遊」は不採算によって出資会社からの介入があり、初代編集長の松岡正剛は罷免させられるに至る。
 
 商業というよりは妥協を許さぬアーティスト集団であり、悪く言えばオウム真理教のサティアンを彷彿させてしまう。何事も平穏とバランスを重視する令和の世から見れば、ブラック企業を通り越して滅茶苦茶の極みだが、当時にあっても超激務と超薄給に耐えられずに逃げ出したスタッフは少なくなかったようである。本書に出てくるインタビューでも、松岡正剛のレトリックにうまく言いくるめられたとか、あのときは冷静じゃなかった、と振り返るコメントが見受けられる。
 興味深いことに、では松岡正剛は独裁者よろしく強烈な圧をかけて彼らにデザインや編集の枠をあてはめさせていたかというと、本書でのインタビューの限りは必ずしもそうではなさそうだ。むしろ彼はスタッフひとりひとりの特性ややりたいことを尊重し、ダメ出しはほぼなかったという。チクセントミハイ言うところの「フロー」状態に持っていくためのスタッフへの後押しの仕方をよく心得ていたということだろうか(各パートのリーダーが担当スタッフに罵声を浴びせさせてはいたようである)。松岡正剛といえば「編集」であり、彼によれば学問から料理からスポーツから森羅万象すべて「編集」なのであり、ということは人事やチームアサインも編集である。この人の癖とあの人の芸風をかけあわせればどうなるか、というチームアサインの妙を彼は編集技としてよく発揮していたのだろう。スタッフを熱狂させて業務に邁進させるだけのカリスマ的魅力が松岡正剛にあったのは確かなようだ。スタッフたちは、松岡正剛に心酔し、彼と同じような髭を生やして同じようなボキャブラリーで会話を試みたそうだし、労基局が踏み込んだときは、俺たちは好きでやってるんだと追い返したという。
 
 
 僕自身は、「遊」が刊行された時代は小学生の頃だったのでリアルタイムでこの雑誌のインパクトを体験していない。「遊」界隈で僕が最初に経験したのは、通っていた大学に杉浦康平が講演で来たのを聴講したことだった。畳み掛けられるスライドに圧倒された。継いで西岡文彦(版画家・現在は多摩美の教授)の本を図書館で見つけた。アートや思想といった曖昧模糊なものを図解と論理で語る説得力に痺れて彼の著作をかき集めた。松岡正剛という名前を意識するようになったのはその後に社会人になってからだった。会社も仕事も慣れずに疲労困憊していた頃に「知の編集工学」を読んだ。自分のセンスを信じて情報が自己増殖していくさまに委ねればよいということがわかり、僕は仕事に対しての力みが無くなった。本好きで書店通いが好きだったのでちょいちょいいろんな本を直感で選んで買っていたが、なんとなく気になったり気にいった本の装丁が戸田ツトムや松田行正や祖父江慎の手によるものを知ったのはさらに後だ。
 
 そんなわけだから、こうして書いているけれど工作舎や「遊」については僕は後から調べて知ったのである。特徴的な明朝体の感じとか、本文の周辺に図解や写真がレイアウトされる感じとか、中表紙や特集面に過剰な情報量の図解(現代風にいうとインフォグラフィックか)が現れる感じとかを、彼らの本や作品から共通に見て取れることには気づいていたが、その源泉は「遊」なのだということは、彼ら個別の芸風に触れたあとの答え合わせとして知ったのだ。三つ子の魂百までと言うがごとく、彼らの作品に「遊」の面影はありありと残っている。
 本書に書かれているような仕事のやりかたや業務環境やそれをささえる美意識は、もはや再現不可能だろうし、それを期待する時代でもない。テクノロジーの事情もずいぶん違う。著者によれば本書は在りし日をしのぶセンチメンタルジャーニーとのことだが、感傷的な過去の美談なんてものにするにはもったいない、出版史における、とある特異点を記した貴重なノンフィクションと言えよう。

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松岡正剛氏逝去

2024年08月28日 | その他
松岡正剛氏逝去


 まさに巨星逝く、といった感じだ。

 一度だけ本人の講演を観に行ったことがある。2008年の7月。場所は東京丸の内のどこぞのビルだった。16年前のことであり、主催元が何だったかはもう覚えていない。ただ、殊勝にも(?)、そのときの講演はメモをしていて、しっかり今でもここにある。追悼の意味を込めてここにサルベージを行うことにした。あいにく講演のタイトルを記録しそこなっているのだが、内容から察するに「間違いだらけのグローバルスタンダードと日本」みたいなことだったのではないか。

※        ※        ※        

【前半】なんだかわからない時代になった。社会も政治もオタクも家族観も。

 この10年に起こったことにより、次が「読める」ようなものがない時代になった。
 そもそも10年というのはdecadeと英語でいうように、時代が変わる年月の単位だ。黒船から明治維新が10年間。ナポレオンからフランス革命が10年間。だから本当は次の時代へと変わるはずなのだが、「失われた10年」になっている。

 こうなってしまった原因は、日本が「グローバル・スタンダード」というものを無批判的に受容してしまったからだろう。「問題を指摘する」というモーダリティ(型)を喪失してしまっている。
 背景には3つの現象がある。

現象① 冷戦の終結(80年代から90年代の間)
 この期間に「新自由主義」が到来した。サッチャリズムやレーガノミクスのことだ。これを無批判的に日本は受容してしまった。結果としてバブルとバブル崩壊を招いている。

現象② 日本のアジア観の思考停止
 小泉純一郎(時の首相)はなぜ靖国参拝をしなければいけなかったのか? では、参拝しないほうがよかったのか? 実は、誰もわからない。シンクタンクも答えを出せない。が、「答えを出さなくてもよい」という社会になってしまった。(福沢諭吉や岡倉天心は真剣に考えた)

現象③「新しい価値観(コンセプト)」を表す言葉の喪失
 大正7年に、漱石門下生によって「童謡」というコンセプトが作り出された。それは「哀しくて切なくてわびしくつれない世界」というもので、これは西洋にない価値観であった。西洋ではこういうのはノスタルジーで包括してしまう。宝暦の時代には「粋」「野暮」「勇み」などのコンセプトが登場した。今はこういう試みがない。全部が「かわいい」で包括してしまったりする。思えば80年代、「金」の上である「プラチナ」にあたる日本語を思いつけなかったのが兆しだった。そのうち「タレント1人」で場がもたなくなり、TVCMが後藤久美子と三田佳子になったり、高倉健と倍賞千恵子の両方が出たりして、そしてSMAPとモーニング娘となった。そしてカタカナ語が氾濫するようになった。

 こういった現象を受けて、カラオケやコミックを日本文化と呼ぶようになった。佐藤可士和や佐藤卓はそれらを「和」としてクール・ジャパンと呼んだ。
 しかし、僕に言わせればあんなのは全然「和」じゃない。おまえら本気で考えてんのか、と言いたい。しかし世の中に受け入れられている。これはいったい何だろう。


【後半】では、どうすればいいのか

①「主題」から「方法」へ
 20世紀は「主題」の時代。21世紀は「方法」の時代。「日本の方法」はなんであったかをもう一度考えたい。

②「マネジメント」よりも「イメージメント」で
 「マネジメント」は誰かがなんとかしてやることができる。しかし、その過程で喪失・破壊される「イメージメント」があるのが怖い。グローバルスタンダードとは、固有のイメージメントを喪失させることでもある。かつて老中・総代・僧正・大旦那・年寄・統帥・師範と言っていた。これらはみんなイメージメントが異なる。これらがいまみんなCEOと呼ぶようになっている。

③日本は「メディア・ステート」な国になりたい。(メディア≒境界)
 「編集」という行為は、矛盾・葛藤をそれぞれを生かしたまま一つのシナリオや物語やメッセージにすることである。日本は、本来それができる文化であった。例えば、寺社に見られる屋根の趣向である“てりむくり”・枯山水 ・悪人正機説 ・西田幾太郎の「絶対矛盾の自己同一」。これらはフュージョンではなく、デュアル(片方を否定するのでもなく、両方を活かす)なやり方。
 もともと、西洋は、一神教が主流でこれは砂漠型(砂(死)かオアシス(生)か)の2分法で結論を出す。多数決システムの世界でもある。しかし日本は、多神多仏の森林型(滝も崖も山もある)。真実は「(中心に)ひとつ」ではない・・それぞれの専門家のすり合わせ。これは「森林の思考・砂漠の思考」という本で述べられている。

 なお、これらの方針において見習うべき先人が日本にはいる。
 まず岡倉天心。洋画科というものができたとき、真っ先に「日本画」を定義・確立し、「日本画科」設立に奔走した。
 それから内村鑑三。「2つのJに捧ぐ」(Jesus、Japanese)。日本はボーダーランドステート(境界国家)になるべきと発言した。
 そして九鬼周三。西洋の哲学大家に理解してもらえなかった日本のわびさび型美意識。これを「『いき』の構造」として記した。「質性」を感じるような日本モデルである。

※        ※        ※        

 僕のメモはここで終わっている。16年前のメモだけにやや意味不明なところがあり、とくに最後に3人の名前が出てくるところの下りはなんだかよくわからない。
 今は2024年、上記の講演からさらに10年以上のdecadeが経ってしまっている。そのあいだにスマホが普及し、時代はSNSからクラウド、そしてAIがキーワードになっていった。日本は小泉純一郎の息子が自民党総裁選に出馬する時代になった。カラオケやコミックは相変わらず世界を席巻し、これにアニメとボカロが加わっているのが今のクールジャパンだろうか。タレント1人で場が持たなくなったという指摘は慧眼で、上記のすぐ後になってAKB48と坂道グループがテレビに登場し、ひな壇芸人という番組フォーマットが始まった。
 新しいコンセプトを示す日本語の言葉が出なくなったという指摘や、「マネジメント」の敷衍が固有の「イメージメント」を押し殺していくという話は今でも通用しそうだ。

 こんな講演を聴きに行くくらいだから、僕は松岡正剛の本を何冊か読んでいる。彼の著作数は膨大なので、読んだことがあるのはほんの一握りではあるが、今でも書棚にあるし、このブログにも登場している。
 じゃあ、僕は彼の主張のよき理解者かというと、そうでもない。なにしろ、彼の本はとにかく情報量が多い。半端ない読書量と呆れかえるほどの博覧強記からくるそれは圧巻で、猛烈なパワーとなって紙面に現れてくる。
 その迫力に毒気は抜かれても、じゃあ彼の書いている文章をちゃんと理解できているかというと、全くそんなことはないのである。饒舌で過剰で韜晦に溢れていてすっとぼけていて、話は右に左に上に下に前に後ろにといったりきたりして、和語も漢語も英語もラテン語も象形文字も縦横無尽で、字と図と絵と画がアナーキーに入り混じったコンテンツとメディアの綾なす彼の世界は、僕の頭では逐次読み進めて理解できるというシロモノではなかった。彼の情報発信は、要するに、情報の中身(コンテンツ)が形象(メディア)の枠にはまりきっていないのだった。高次元のローデータをむりやり二次元圧縮して近似値を出すディープラーニングのようなものだったのかもしれない。
 したがって、僕にとって彼の本の鑑賞法は、とにかくシャワーのようにそれらを浴びて、何かそこからひとつかふたつ開眼できるものがあればOKというものであった。まるで聖書か仏法書である。
 そういえば、彼は、信者とも舎弟とも言えそうなファンが業界内外に多かったことでも有名だ。ものすごく圧倒的なオーラとカリスマがありながら、どこかうさん臭さを残していて、アンチもたくさんいて、それがまたミステリアスな孤高さを出すことに成功していたようにも思う。新興宗教の教祖さまみたいというとファンから怒られそうだが、宗教だってその教義や作法の仕組みも体制の在り方も情報編集の妙がものをいうのだから、松岡正剛の諸々が宗教みたいと言ってもあながち的外れではないし揶揄でもないだろう。むしろ彼からすればしてやったりかもしれない。ご冥福を祈る。

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死に山 世界一不気味な遭難事故(ディアトロフ峠事件)の真相

2024年08月23日 | ノンフィクション
死に山 世界一不気味な遭難事故(ディアトロフ峠事件)の真相
 
ドニ―・アイカ― 訳:安原和見
河出書房新社
 
 
 
 単行本が出たときから大いに気になってはいたのだが、このたび文庫化されたので読んでみた。
 
 表題の「ディアトロフ峠事件」は、摩訶不思議な山岳遭難事件ないし事故ということでその方面ではよく知られている。バラエティテレビ番組なんかでもとりあげられていたような記憶がある。1959年の旧ソ連にて、男性7人女性2人の大学生グループが冬山に挑戦して全員死亡した。捜査によって遺体は全員発見されたのだが、その遺体が異様だった。吹雪荒れる人里離れた雪山のはずなのに、全員がテントから靴も履かずに外に飛び出していたとか、あまつさえ防寒着を脱いでいたとか、頭蓋骨や肋骨が激しく損傷していたとか、遺体に舌がなかったとか、遺体に放射能反応があったとか、現場に残ったカメラのフィルムを現像してみると不思議な火球が写っていたとか。
 
 しかも当時のソ連は情報統制が日常だった。この事件が知られるようになったのはグラスノスチ以降である。しかし、旧ソ連はもとより現ロシア当局の見解だって信ぴょう性が薄いなとは誰もが思うであろう。そこで万難を排して登場したのが本書の著者、なんとアメリカの映像作家だ。物的証拠も関係人物の生存も乏しくなったはずの1950年代の事件に、半世紀以上も経過してアメリカ人が謎に挑むということで、なんとなくエンタメ重視のイエロージャーナリズムな印象を受けたが、読んでみれば意外にも本格的で、事故と同じ冬の季節を選んで現地入りにも挑戦している。当時の資料や写真をかなり収集し(けっこうな量の写真が本書にも掲載されている)、生存者(最終行程でグループから離脱した人がいた!)や、ロシア内で長年この事件を追及していた人物などの接触にも成功しながら、当時いったいなにがあったのかの再現に努めている。遺体に認められたセンセーショナルな現象も、ひとつひとつ冷静に検証・取捨しながら一応は筋の通る仮説を導いている。本書が出している結論はむしろ、幽霊の正体見たり枯れ尾花とでもいうか、なんだそんなものかという気もするくらいだ。
 もっとも、Wikipediaを見た限りでは、本書以外の見解も相変わらず存在するらしい。さすがに事件から時間が経ちすぎている。真相の決定打が今後出るかどうかは望み薄だろう。
 
 
 事件の真相は本書に譲るとして(わざわざ読まなくてもちょっと検索すれば出てくるが)、ロシアという台地は、隕石が落ちてきたり、林の真ん中で大爆発があったりと、スケールが大きくて珍妙な自然現象がよく起こるところだ。なぜヨーロッパやアメリカにはこんなことは起きないのに、ロシアでは発生するのか。片山杜秀は、ロシアは世界一広いのでそのぶん珍妙なものにぶち当たる確率が高いのだ、というきょとんとするような見解を述べている。
 彼の見解を僕なりに補足すると、事件や事故というものは人間が見届けて初めてその存在が明らかになる。ということは、ロシアはいい感じに大自然の驚異と人間の接点があると言ったほうがいいのかもしれない。アマゾンの山奥や太平洋の大海原で不思議な自然現象があっても、それを目撃する人間がいない以上は実存主義的に無意味なわけである。ところがロシアという台地は、どこまでも手付かずのタイガが広がっている一方で、案外にもこんなところまで! と言いたくなるような奥地にまで人の手が入り込んでいたりする。もちろんそれらはロシア・ソ連史において悪名高い囚人や強制移住による入植、そして先住の少数民族によるものだ。本書でも強制収容所や木材の切り出し所の跡や、現地の少数民族が登場する。彼らは直接に稀有な自然現象を体験することは確率論的に無いとしても、遠目で観れる距離くらいでこれらの自然現象を目にしたり、ちょっとした時間差でその痕跡と邂逅したりすることはできるのだ。
 
 本書の説を信じれば、このディアトロフ峠事件もとある自然現象が原因とされる。その自然現象は実際のところ特異でもなんでもなくてこの山ではしばしば起こっていたということになる。そもそも地元の少数民族が彼らが遭難した山を、かねてから「死の山」と称していたのは、単に植物が育っていない禿山というだけでなく(そんな山はたくさんある)、それなりの経験則があってつけられたと考えてもおかしくない。地名が馬鹿にできないのは日本でも同じだ。それに、この山に限らず、ロシアの広大な大地のそこかしこで同様の現象は今も人知れずに起こっているんだろうなと想像する。
 

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ヘルシンキ 生活の練習は続く

2024年08月16日 | 生き方・育て方・教え方
しヘルシンキ 生活の練習は続く
 
朴沙羅
筑摩書房
 
 
 本を再読することが最近は少なくなった。ほとんどの本は一度読んだらそのままおしまいである。
 しかし「ヘルシンキ 生活の練習」は初読の他に2回読み返した。たいへん珍しいことである。それくらいこの本は僕へのインパクトがあった。他人にも勧めたりした。
 
 先日、久しぶりに大型書店に行ったら続編が出ていた。やはり定期的に大型書店で新刊をチェックするのは大事である。最寄り駅ビルの本屋では限界がある。
 
 続編は、前回より骨太でハードな内容だった。本書の舞台は2022年以降のフィンランド。つまり、フィンランドと国境を接するロシアが、ウクライナに侵攻したときである。侵攻当時のフィンランドは西側諸国にありながらNATOに加盟していないという地政学的バランスの上にあったが、フィンランド世論はNATO加入に傾く。そうしたナショナリズムの高揚の空気は、著者に前書以上に、多様性とは何かを喚起させることになったようだ。
 
 フィンランドのロシアに対しての歴史上の経緯とそこに生じるアンビバレントな感情は、日本にはなかなか肌感でつかみにくい。だけど、暴虐な大国に常に晒され続けた国であり、その過程ではナチスドイツと手を組んだこともある国だ。PTSDとでもいうか、いびつなナショナリズムがそこに生起することは無理ない気がする。
 こういった世情の中で、フィンランドにおいて「移民」であり、もともと在日韓国人の血筋を持つ日本国籍で2人の子どもを持つ社会学者の著者は、フィンランドのナショナリズムと簡単には同調せず、ナショナリズムと個人は別個のものかつながるものか。一個人が権利を主張するとはどういうことか。どのような人にとっても多様性をみとめる社会とはどのようなものか。「普通」とは何か。と考えを巡らす。もちろん前書に続いて「8時間勤務するなら3時間はぼんやりしてなさい」とかいうフィンランド流生き方(?)も出てくるが、全体的には「生活の練習」を通り越して、多様性を否定されないための「生き方の練習」のレベルに格上げされた感がある。随所に関西弁とオチを挟みながら。
 
 
 ここで面白いのは、個人が生活をする上で、あるいは生きていく上で、困ったことになったり嫌な思いをしたり、みじめな思いをしたりすることがあったとしたら、それは個人の性質や能力に原因と責任があるのではなく、そうなるような社会の制度設計そのものに原因があるという本書が提示した考え方である。環境が状況をつくるということ。社会学者ならではだ。
 
 で、社会というのは流れに任せると、「普通」と「普通でないもの」に大別される状況をつくってしまう。ほっとくと正規分布される自然現象みたいなものだろう。正規分布の大部分はその出現頻度の高さから「普通」になる。しかし正規分布の両端はその出現頻度の低さから「普通でないもの」になる。そうするとパワーバランスみたいなものがそこに生まれて、マジョリティが「普通」、そうでないマイノリティが「普通じゃない」になる。
 
 本来的には、マジョリティとマイナリティは数の大小の差でしかないが、社会はここに価値差を生じさせる。議会制民主主義でトラップになりやすいところだ。ダーヴィニズムとでもいうか生物的生存本能がそうさせるのだろうか。数の多いほうが正義に錯覚しやすい。
 なので、マイナリティがマイナリティゆえに損失を被ることがあるとすれば、それはマイナリティゆえの性質や能力に原因があるのではなく、マイナリティが損失を被るような社会の仕組み(規則・規約・倫理・規範など)をマジョリティに属する人たちが無自覚的につくってしまっていることに原因があることが多い。
 言い換えると、移民や他国籍者や性的マイノリティや障がい持ちや片親家庭や左利きや職場の女性が、生きていく上で困ったり嫌な思いをしたりみじめな思いをすることがあるとすれば、それは、社会の仕組みが彼らに対して親和的にできていないということであり、彼らの「そうではないほう」つまり自国民や自国籍者やシスジェンダーのヘテロセクシャルや健常者や両親法律婚家庭者や右利きや職場の男性が「この社会は我々に特権が傾斜されている」ことに気がついていないか、その「特権」を手放したくないバイアスを持っているからと言うこともできてしまうのである。
 
 いやそんなことはない。ちょっと以前ならいざ知らず、今の社会は行政も企業もマイナリティへの配慮がずいぶん進んだと言うむきもあるだろう。確かに企業オフィスや店舗には多目的トイレ(ジェンダーレストイレ)が設置されていたり、公共施設には段差のないスロープが設置されていたり、多言語対応していたりする。もちろんこれは進歩である。
 
 ところがこれはまだ「普通」と「普通でない」が大別されていることにはかわりない。企業オフィスに多目的トイレは各階にない。店舗も男女別のトイレ設備は複数あっても多目的トイレはひとつしかない。公共施設のスロープはすべての入り口にはない。視聴覚言語障がいの対応対応は店員に申し出ないと出てこない。つまり、マイナリティ用の受け皿は確かに用意されてはいるけれど、マジョリティに比べてアクセスの機会が限定格差されているのだ。これでは「普通」と「普通でないもの」に大別されている前提は変わっていないのである。
 
 じゃあ、どうすればいいか。
 
 いったんここで暑苦しい極論めいた話をする。オフィスや店舗のトイレは、すべてを多目的トイレにする(シスジェンダーの人も使える)。公共施設のアプローチはすべてスロープにする(健常者も使える)。多言語対応はすべてをあらかじめ掲げる(母国語も同列に入っている)。
 極論するとそういうことになる。すぐには無理でも、少なくともそういう思考と志向が求められる。強制的にそうしていかないと、なりゆきまかせの社会は「普通」と「普通でないもの」に大別していく流れになる。
 
 しかしそんなものいちいち個別に配慮していっては、社会が滞ってしかたがないと思うむきもある。人手も予算も面積も限界がある。大多数はそう思うだろう。
 だけど、その「滞った社会」こそが本来あるべき社会だったのだ。「滞ってない社会」とは誰かが特権を貪っている社会、なのである。あなたが自分は滞ってない社会がいいと思うのだとすれば、それはあなたは特権を貪っていたということである。
 
 このようなマイナリティを合理的配慮のもとでノーマライゼーションしていくべしという話は、きわめて力こぶし的というか、左翼的主張というか、要は暑苦しく優等生っぽく闘争的な気配を漂わせがちだ。それゆえにこの類の話は政治的色合いやイデオロギーを帯びやすいきらいがある。
 
 そこで本書だが、フィンランドにはもっと力を抜いてごく自然なテンションで、そのような多様性を維持したまま社会とのつながりをつくろうとしているのだなと思った。そのテンションは、それってそんなに眉間にしわ寄せて乗り出さなければ言えないこと? という感じだ。この脱力感の発見こそ本書の白眉だろう。
 
 とくにそれを感じたのが、著者の長男が通う保育園での「特別支援」である。長男はやや注意力散漫・感情的であるということで、フォローする先生をひとり「特別支援」としてつけることになった。著者は最初そこにとまどいと抵抗を感じる。
 しかし、保育士の口ぶりは、名前こそ特別支援だが、実際のところその「特別」に特別感がない。この世の中に「普通な人」などいない。誰もがその人に特化された支援を受けるべきなのだ、という話になる。あなたの子供の場合、その特化された支援がこの「特別支援」だっただけである。
 
 そうなのだ。世の中に平均的に普通な人などいない。これは統計のマジックであって、多くの人はなんらかの留保持ちなのである。片耳が聞こえない。片目が弱視である。実は内臓疾患がある。実は不妊症無精子症である。実は子どもが発達障害である。実は親が認知症である。実はアレルギー持ちである。実は鬱病歴がある。実は注意力散漫である。人見知りである。運動神経がよくない。高いところが苦手。。
 だから、「移民だから」「性的マイノリティだから」「女性だから」という粒度でのくくりはまだ多様性ではないのだ。むしろこれは施政者の都合の良い整理でしかない。そうではなく、社会との親和のスキルを得るために一人ひとりにチューニングされた支援が必要なのである。そのためには膨大な予算と人員を割り当てる必要があるが、それでもよい。それが社会運営というものなのだから。というのをマイルドに試みているのがフィンランドだったのだ。
 個人の差異は、属性の差異よりも大きい。これは多様性尊重の基本である。ゆえに「個人の差異と社会の適合を試みるのが多様性への適応ということになり、その真価は「何もケアがいらない『普通』など無い」というところに行きつく。
 したがって予算や人員のリソースを個人個人の社会適合にあてるのは社会運営として当然ではないかということになる。むしろ施政者側やコミュニティのリーダーが「国籍」や「民族」や「性」といった粒度の属性を旗印に何かを機動させようとしたら、それは施政者側に都合のよい「普通」と「普通でない」ものにわけたい思惑がそこにあると思ったほうがいいのである。

 その肩肘張らない多様性の国フィンランドがじゃあ上手くいって天国なのかと言えば、著者いわくそういうわけでもない。歴史修正主義のナショナリズムは台頭するし、連立政権はぐだぐだだし、ストライキは不便だし、言語はややこしいし、寒いし、暗いし、モノは無くて物価は高い。
 でも、それもこれもフィンランドである。固有の歴史と地政学を持つフィンランドだから、多様性の保全に努力するし、努力しなければフィンランドは保てないということでもあろう。それならばなにか好きなところをみつけて生きていく眼をもったほうがいい。これもまた、何が普通で何が普通でないかといった鑑識眼ではなく、どれもそれぞれ固有の長短を持つ愛でたきものなのだと受け入れる審美感のなせる技だろう。


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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

2024年08月02日 | ノンフィクション
独ソ戦 絶滅戦争の惨禍
 
大木毅
岩波新書
 
 
 刊行当時ずいぶん話題になっていた新書。ずっと積ん読していたのがようやく読めた。
 
 独ソ戦については、ナチスドイツ軍がモスクワ近郊まで到達したのに冬将軍に阻まれたバルバロッサ作戦、近代戦最悪の市街戦と言われたスターニングラード攻防戦、900日に及んだ地獄のレニングラード封鎖など、局所的かつ扇情的なエピソードは本や映画なので見聞きしていても、通史として何がどうなっていたのかはほとんど知らなかった。
 
 ただ、第二次世界大戦において、ソ連が出した死者数が尋常ではないことは覚えていた。

 第二次世界大戦において日本だって一人ひとりの命がかなり軽視されていた印象があるし、しかも敗戦国だから相当の死者数を出している。その数、民間人含めて310万人。
 ところが戦勝国であるはずのソ連の死者数は民間人含めてなんと2060万人であった。文字通りけた違いである。
 当時の人口比でいうと、日本が4%前後と推計されているのに対し、ソ連は13%になる。
 なお、ドイツ(ナチスドイツ)は民間人含めて800万人の死者、人口比にして10%程度とされている。
 
 
 この独ソ戦が、まさに空前絶後の阿鼻叫喚となった背景には、この戦争が「通常戦争」ではなくて「世界観を実現するために相手を絶滅させる戦争」として遂行された、というのが本書の主幹である。
 
 戦争に、通常も通常じゃないもあるんかな、とまずは思うところだが、本来的には戦争というのは、政治外交の一環であった。ある種の政治上の目的があって、それを達成するための手段の一つである。その政治上の目的というのは、国境線策定だったり、自国財産の保護だったり、相手国の施政者の交代だったりする。戦争というのは極めて人的・経済的消耗を費やすものなのだから、戦争をやらずに政治目的を達することができるならばそれがいいに決まっている。ある意味で、戦争とは政治目的達成の最後の手段といってもよい。
 講和条件なり、他国の介入なり、施政者の交代なりで、当初の政治目的が達成されれば、戦争は終結となる。
 これが通常の戦争だ。
 
 ところが何を達成目的として戦争をしているのかわからなくなる事例は、決して少なくない。かの有名な「失敗の本質」では、太平洋戦争での大日本帝国は、達成目的が定かでないまま連合国との戦争を続けていたことを指摘している。
 
 いや、大日本帝国だって当初は政治目的があった。緒戦で勝ち名乗りを挙げ、有利な状態で講和に持ち込んで、大日本帝国(および満州国)の利権を連合国側に認めさせる、というものである。
 ところが、ミッドウェイ海戦や珊瑚礁海戦の敗退で、そのシナリオが崩れたあとはもはや到達目標がないまま、ひたすら戦い続けるようになっていった。
 
 もともと連合国側は、日本列島に上陸して行政基盤を占拠することを最終目標に太平洋を俯瞰し、橋頭保づくりをステップバイステップで進めていく、というシナリオがあった。
 つまり、日本はそもそも防戦一方にならざるを得ない構図であり、その通りの状況に追い込まれた。しかも連合国側は講和条件の余地を残さず、無条件降伏のみを突きつけた。完全に雪隠攻めに落としこまれたわけで、戦闘や戦術レベルの優劣差はともかく、戦略レベルで役者が違うとしか言いようがない。
 
 とはいえ、日本がしかけた戦争は様々なイデオロギーに染められてはいたとしても、本来は大日本帝国の利権の確保であった。それさえ守られれば日本政府としては良かったのである。その意味で日本は「通常戦争」をするつもりだった。少なくとも当初は。(もっとも日本の場合、対日禁輸の憂き目にあったためとはいえ、進出先のエネルギー資源を確保して国内の経済活動に用いるといった通常の政治目標のための戦争以外の「収奪戦争」としての性格もあったことは忘れてはならない)。
 
 ところが独ソ戦、とりわけナチスドイツの対ソ連はそんなものではなかった。ゲルマン民族の優位性を確保するために、共産国の人民はすべて根絶やしにしなければならないという「ユートピア=世界観」で進められた戦争だった。本書によれば、当初は「普通戦争」「収奪戦争」「世界観戦争」の三位一体みたいなところがあったが、次第に「世界観戦争」の大図の中に、収奪戦争や普通戦争の側面は飲みこまれてしまった、というのが本書の骨子である。
 
 世界観戦争は、相手の存在自体が自分の存在を脅かすという観念になるから、自分の存続のために相手を殲滅することが正義となる。民族浄化やジェノサイドはこの発想になる。ナチスドイツは共産圏内の人民の殲滅が正義となった。
 
 こんな誇大妄想の対象にされてしまったソ連人民はたまらないが、これを捕まえて「大祖国戦争」の抗戦イデオロギーにしたのがスターリンだ。これが2000万人を超す死者を出しながらもナチスドイツを押し戻す熱量になること自体が、時代も地域も異なる僕からはなかなか信じられない。むしろ命を命と思わずに粛清を繰り広げたスターリンならではの力技なのだと説明されたほうがまだ信じられるし、イデオロギーへの共感以上に、スターリンへの恐怖が戦場の前進を成し遂げたのだろうと考えたほうが辻褄があうような気もする。
 ただ、この「大祖国戦争」の旗印があったがためにソ連軍のドイツ軍およびドイツ系住民への報復処置は酸鼻を極め、結果的に独ソ両者の殲滅戦という様相となった。
 
 ソ連の死者数は日独伊の枢軸国の死者すべてを足しあげたよりも多い。仕掛けたドイツからみれば、殺しても殺しても次々に向こうから現れてくるゾンビのような連中に見えたことだろう。この補給のからくりは、実は米英が相当量のバックアップをしていたことが戦後明らかになっている。
 
 本書でも指摘されているが、ソ連は単に物量の力技に頼っただけではない。暴君スターリンは一方でしたたかに外交を操り、戦後のありようも考案しながら駒を進めている。用兵思想も巧みだ。どうみてもヒトラーより一枚上手である。
 
 なんとなく思うのだが、ヒトラーという個人的妄想で世界中を巻き込んだ超ド級の怪物がこの世界史に登場してしまったとき、あろうことかその隣にスターリンという超超ド級の怪物が存在したというこの奇蹟的な皮肉はなんだろうかということである。
 怪物は怪物を呼ぶということだろうか。これも歴史のバランスフィードバックのようなものか。習近平がトランプを呼び寄せたのか、プーチンが習近平をつくったのか、それともトランプがプーチンを創り出したのか。
 

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魂の退社 会社を辞めるということ。

2024年07月20日 | エッセイ・随筆・コラム
魂の退社 会社を辞めるということ。
 
稲垣えみ子
幻冬舎文庫
 
 
 底本が2016年に東洋経済から出た単行本。本書はそれの文庫化である。2016年といえばコロナよりも東京オリンピックよりも以前だ。安倍晋三がまだ生きていて政権をとっていたころの話である。
 
 単行本刊行時はけっこう話題になったようだ。アフロヘアの朝日新聞記者として有名だった著者がついに退社してフリーになった顛末記なのである。僕自身は著者のことは、そのビジュアルだけはご本人の思惑通りしっかり認知していたが、いつの間にやら朝日新聞社を退社していたことはまったく知らなかった、先日「老後とピアノ」という本を読んだのが彼女の著作に触れたきっかけである。
 
 僕自身も50代であり、もろもろ生産力も判断力も衰えてきた自覚がある。会社からの視線、同僚や部下からの視線がだんだん居たたまれなくなっている。辞めちゃおうかなと思うことはしばしばだが、先立つものもないし、つぶしも聞かないし、なんとかあと10年くらいはしがみついたほうが結局のところ人生は安泰かもしれぬと逡巡する毎日である。こういう50代サラリーマンは多いに違いない。
 
 著者が僕と違うのはーーそれは「老後とピアノ」を読んだときも思ったのだがーー彼女はこの歳にして冒険好奇心をまったく失っていないことであろう。未知なもの未取得なものに首をつっこむ前向きな力に満ち溢れている。そうでなければ転職先のアテがあるわけでもなく退社するというのはやはりなかなかできないのではないかと思う。
 
 僕は20代の頃にいちど転職をしている。最初に就職した会社はスキルを磨くのに悪くはなかったが、待遇がいまいちなのと、やはり日本経済のビジネス商流において下請けのポジションゆえに、クライアントからの高圧的かつ中間搾取的なビジネス文化に日々ちくちくされるのがだんだん嫌になってきた。そんな折に、そこよりは大きな会社の人が声をかけてくれたこともあってさほど難しいこともなく転職ができた。
 でも、これさえも20代だったから深く考えずに行えたことだ。それよりも上の年齢だったら現状維持バイアスが働いて動かなかったかもしれない。「深く考える」ことがロクでもないことはよくわかっているつもりだが、自動的に脳みそが「転職しなくていい理由」「転職しないほうがいい理由」を次々と繰り出す。現状維持バイアスおそるべし。アドラー心理学風にいえば「動きたくない」億劫な心が先にあって、「動かなくてよい理由」が後からついてくる、といったところだろう。「置かれた場所で咲きなさい」は名言だと思うが、これさえひょっとすると現状維持バイアスの悪魔のささやきかもしれぬ。
 
 
 本書は、退社にあたっての経緯や心境をつづるとともに、後半部分はその退社の対象となった「カイシャ」への疑問と問題提起が繰り広げられる。そこには経済成長が止まったニッポン社会においてそれでもカイシャが存続するために利益をあげなければならないという構造矛盾を指摘する。もちろん朝日新聞社もやり玉にあがる。
 
 そもそも会社の仕事とはどんなものであったか。それは、その会社が提供する製品なりサービスなりがどこかの誰かが喜んだり助かったりするという結果があって、その対価として会社は顧客から金を受け取り、それがめぐりめぐって社員の評価(給料)と人事につながっていた。高度経済成長時代はこのシンプルなストーリーに矛盾はなかった。
 しかし、人口が停まり、GDPが停滞し、生活に必要なモノは一通り行き渡った。それでも会社は存続しなければならない。会社はこうして「カイシャ」化する。無理やり商品やサービスをつくりあげ、無理やりニーズを喚起して、無理やり売りつける。本書では象徴的なエピソードとしてスマホを家電量販店で買うときの複雑な料金設計とやたらにあるオプション料金に関しての店員からの猛烈なやりとりを挙げているが、これにげんなりするのは僕も同様だ。
 末端消費者をケムに巻くような売らんかな攻勢も、立場が変わればビジネスモデルのケーススタディとなり、他所から渡り歩いてきたCXOが外国語用語を振りかざし、どこのだれが助かっているのかよくわからないままにカネと人事をちらつかせて社員を動かそうとする。
 
 先ごろ読んだ「なぜ働くと本が読めないのか」もまさしく本書の内容と同様であった。「魂の退社」では「会社依存度」を下げて「会社で働くこと以外に何でもいいから好きなことを見つけてみる」という話が書かれているが、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」ではこれを「全身全霊ではなくて半身で働く」という言い方をしている。どちらにしても問題意識は同じだ。高度成長時代を過ぎて飽食と縮退を余儀なくされる中での新自由主義時代にあって会社という組織は、その存続のために社員も消費者も多いに蝕みながら生き延びようとする。そのことに悪びれもしない人間が組織の中で生き残り、勝ち進んで経営のボードメンバーになるから、より「カイシャ」の濃度は増すといってよいだろう。
 一方で、企業の社会的責任とかSDGsとか働き方改革とか言われだしたのは2017年頃ではなかったか。これさえも搾取が悪目立ちするようになったカイシャの方便なのではないかと思えてしまう。
 そういうわけだから、被雇用者としては、会社依存度を下げること、半身で働くメンタリティは、今後を生き延びる上でたいへん重要な視点ではある。
 
 では、どうすれば、著者のような会社依存度を下げちゃえという決断に到達できるのだろうか。
 いいから行動しちまえ、そうすりゃ嫌でもあとからその行動を肯定する理由や言い訳を見つけざるを得なくなる、という意見もある。昔から「案ずるより産むがやすし」「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」「心配事の96%は起こらない」と言う。なんとかなるさで踏み切る度胸こそが肝心ということだろうか。
 
 
 なにをどうめぐりあわさったか、僕は転職後、そのまま20年以上も同じ部署で同じ仕事をしている。これは会社の人事の中でも異例中の異例となってしまった。しかもそのままその部署の中間管理職になっている。
 なにしろ20年だから、会社のほうもますます僕を動かせなくなっている気配がある。この環境は僕自身をますますつぶしの効かない人間に追い込んでいることは確かだ。まずはせめてそこから動く意思をもっと強く出したほうがよさそうだ。

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『百年の孤独』を代わりに読む

2024年07月12日 | 小説・文芸

「百年の孤独」を代わりに読む

友田とん
早川書房(ハヤカワNF文庫)


 ついに新潮社から、あのガルシア=マルケスの「百年の孤独」の文庫版が出た、というのは出版業界的に大きな話題だったようである。
 世界的な名文学でありながらこれまでいろいろな権利の関係で文庫化が為されなかったらしい。

 
 「百年の孤独」は、その難解な展開と、複雑極まる登場人物たちによって、ラテンアメリカ文学の代表作だけでなく、現代文学の象徴のひとつに数えられている。曰く「マジックリアリズム」。その影響はわが日本でも、阿部公房や筒井康隆や、さらには椎名誠、森見登美彦榎本俊二にまで及んでいる。

 だけど、御多分にもれず、僕も「百年の孤独」は学生時代に早々に挫折した。第3章までもいけなかったかもしれない。

 おそらく、そんな読者が多かったのだろう。文庫化された「百年の孤独」は、かつてのリベンジとばかりに多くの人が買ったようで、あっという間に品切れになってしまったそうである。

 最近の僕は難解本の読破に自信がなく、かつて玉砕した「百年の孤独」に、今また再び挑む気になれなかった。そんなときにひょいと見つけたのが本書である。


 「『百年の孤独』を代わりに読む」。妙なタイトルだ。阿刀田高の「●●を知ってますか」シリーズのようなものか、と思ったがそういうのとも違う。むしろ「代わりに読む」というところにこだわりと野心がある。本って「代わりに読む」ことなんてできるの? という哲学的問いで、パラパラめくると80年代のテレビドラマやバラエティ番組などの写真がじゃんじゃん出てきてなんじゃこりゃと思う。つまりあらすじを追いながらも著者である友田とん氏の脱線につぐ脱線なのである。
 だけど、このなんじゃこりゃ感こそが、「百年の孤独」を「代わりに読む」、つまり追体験そのものなのだろうと妙に納得して読んでみることにした。


 読んでみて、これでも「百年の孤独」は難解であったが、でも全体的にどんな雰囲気であるかはなんとなくわかった。著者の脱線に次ぐ脱線も、このはぐらかされたような感覚自体が「百年の孤独」そのものだといってさしつかえない。こういうのをなんというのだろう。パロディでもないし、パステューユでもない。もちろん読書ガイドでもない。本書でもその驚異的記憶術に著者が驚いたとされるタモリは、まだ売り出し中のときに有名人のモノマネをしていた。それは「形態模写」ではなく「思想模写」と言われた。「モノマネされた人が実際にそう言った事実は確認できないが、いかにも言いそうなことをやってみせる」という芸である。令和の芸人はみんなやるようになったが、タモリの当時のモノマネは芸術的とすら言われていた。この「『百年の孤独』を代わりに読む」もそれに近いものかもしれない。そのままでは難解すぎてついていけない「百年の孤独」を、なんじゃこりゃの読後感そのまんまに食いやすいもので再編集している。つまり「読後感模写」。

 そのような「読後感模写」を再現できていれば、それは「代わりに読む」と言えるのだろうか。
 著者によれば、「代わりに読むことは結局できない」という結論だ。読みながら頭の中で展開されるイメージや妄想や脱線を、完全なまでに第三者に移植することはできない。であれば「代わりに読む」はできない。当たり前と言えば当たり前である。

 だけど、本書の存在価値はそんな陳腐な結論ではないと思う。そもそもなぜ「百年の孤独」だったのか。「カラマーゾフの兄弟」でもなく「失われた時を求めて」でもなく、なぜ「百年の孤独」だったのか。


 著者は、「代わりに読む」=「『百年の孤独』を読む」という結論に至っている。百年の孤独を読むことは、主人公級のひとりであるアウリリャノに代わって物語の舞台であるマコンドの興亡の歴史を読むことだったのだ、としている。

 そうかもしれない。
 だけれど、僕は「百年の孤独」というタイトルそのものに着目したい。マコンドという都市の勃興と消滅を描いた百年間の物語。その中で次々と登場する似たような、あるいは同じ名前の登場人物たち。彼らは突然姿を消したりとつぜん登場したり、街を去ったり戻ってきたり、産まれたり殺されたり、殺されたのにまた何事もなく出てきたり、愛し合ったり憎しみ合ったりする。だけれど、けっきょく彼らはどこまでもすれちがっていて孤独だ。わかりあえない関係の中でマコンドの百年の歴史は過ぎていく。いや、こんな収束がはかれるような文学ではないことは百も承知だ。
 だけど、僕は群像劇のようでいながら、けっきょくどいつもこいつも誤解と無理解のなかで孤独なのだ、というのが本書を読んで痛感した。

 そうすると、本書著者の脱線に次ぐ脱線もまた、孤独の脱線である。彼が拾う脱線はどれも無理解やすれ違いや信じられなさからおこるエピソードばかりだ。そして、この脱線の真の面白みのツボさえも著者にしかわからない。本人が一番盛り上がっている。だけれど、それが世の中の真実なのだと思う。他人のことはどんなに近しい仲でも本質的にはわかりあえない。「わかりあえないことから」を書いたのは平田オリザだ。この講談社新書は名著のひとつだと思うが、人と人とはわかりあえない。人は本質的に孤独である。
 しかも、このマコンドという町は消滅する。人々の記憶から消える運命にある。

 メキシコらしきラテン世界を舞台にしたディズニー映画「リメンバー・ミー」では、人は二度死ぬ、という格言が何度も出てくる。一つは実際の死、もう一つはその人が忘れ去られる事を指す。

 世界中の大多数の人間は、忘れ去られる。百年より前に亡くなった人間でいまだに記憶されている人は、全世界人口のほんのわずかであろう。マコンドはそのような忘れ去られる宿命を描いてもいる。「百年の孤独」とは、群像劇内の各人の孤独でもあり、マコンドという都市自体の孤独であり、つまりは人も社会も忘れ去られる孤独の宿命にあるのだ。

 著者友田とん氏が、「百年の孤独」を代わりに読む、という難解にして困難なチャレンジを続けたのは、A子さんなる女性の「まだ読んでいるんですか?」という一言だという。そのA子さんはもう長いこと会っていない。著者はA子さんを忘却しないことに努める。A子さんをわすれたとき、著者にとってA子さんは死んだことになる。著者はまたひとつ孤独になる。「百年の孤独」を代わりに読むのは、孤独への抗いなのだった。



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国道沿いで、だいじょうぶ100回・流浪の月・わたしはあなたの涙になりたい・他

2024年07月08日 | 複数覚え書き
国道沿いで、だいじょうぶ100回・流浪の月・わたしはあなたの涙になりたい・他
 
 
ここのとこライトめの読書が続いている。このブログでなんどかボヤいているが、難易度の高い本がどうも頭に入りづらくなっており、ちょっとリハビリ気味といったところである。うまくオチなかったり話が展開できなかったものをこちらまとめて。
 
 
国道沿いで、だいじょうぶ100回
 
岸田奈美
小学館
 
どれを読んでも涙がとまらない岸田奈美のエッセイであるが、今回こそが神刊かもしれぬ。デビュー作からずっとこの調子で、いつかはネタが尽きるんじゃないかと思うのに、本書はいつになく深刻な内容と救済と笑い飛ばしの展開のジェットコースター感がすごい。もはや凡庸なラノベをひるませるに十分。100字で済むことを2000字で書くのはお昼のワイドショーと一緒だが、100字のファクトを2000字のナラティブにしたてあげるのは超絶技巧だ。根拠なき「大丈夫」の一言。でもそれは段取りの目途がついていなくても、なんとかどこかに着地するだろうと自分の腹を信じる大丈夫だし、まずは大丈夫と言ってみることから大丈夫の道は拓ける。作者が言うのだから間違いない、と思う。
 
 
史上最強の内閣
 
室積光
小学館文庫
 
麻生太郎が総理大臣をやっていて、金正日が存命だった頃をモデルにした話だから、ちょっと旧聞に属する内容になってきた。北朝鮮の核ミサイル発射の威嚇に翻弄される日本政府が政権を投げ出し、緊急時用の京都由来の内閣が臨時に組閣される、という話。三条実美や坂本龍馬や山本権兵衛といった歴史上の偉人名人が現代で内閣を構えたらどうなるかというのは、思考実験的にもパロディ的にも面白いが、どの大臣も浪花節をきかせて記者をうならせ、要人に詰め寄り、世論を湧き立てる。ナラティブに勝る説得力なしといったところか。外交とはピンポンのようなもの。こっちが繰り出した球をどう相手が返してくるか。こちらが奇手を放てば相手はどうでるかをしたまで、というのは案外に本質をついている。ついでに北朝鮮のプロパガンダを指して、恐怖を盾に正論を迫っても人はついていかないよ、も人心掌握の基本ではある。
 
 
流浪の月
 
凪良ゆう
東京創元社
 
2020年の本屋大賞受賞作。家庭内強制わいせつ・毒親・DV男など、ひどい連中がいっぱい出てくるのに、それらから逃れようとした文と更紗が、少女誘拐監禁のかどでデジタル・タトゥーを残し、世間から追い回される、というどこまでも悲惨な話。しょせん世の中こんなもんよという厭世的な空気も漂わせている。それでも似たようなプロットの「八日目の蝉」よりかは最後に希望があるのは、更紗と同僚のシングルマザー佳奈子の介入だろう。トリックスター的な立ち位置で、これが事態を混沌とさせながらも、結果的に全体を希望の方向にもっていくのが興味深い。これも奇手のひとつか。
 
 
武士道シックスティーン
 
誉田哲也
文春文庫
 
もう10年以上前の小説になるのか。勝負を決める短い時間のあいだに、様々な思考が入ってきてそこだけ時間の進行がぐぐっと停滞するのはスポーツ系やバトル系のアニメの演出の特徴だが、それを小説でやったような感じ。本質的にはあり得ない無感知の思考を言語化してドラマツルギーにする。でもこれはドフトエフスキーや夏目漱石も行った文芸的技術。いまやエンターテイメントのカタルシスとしてごく自然に受け入れられ、ついには瞬間の勝負である剣道にまで至った。ある意味でその後の「鬼滅の刃」を予見した作品だったのかも。
 
 
わたしはあなたの涙になりたい
 
四季大雅
ガガガ文庫
 
本屋大賞を特集した雑誌で紹介されていて興味を持ったので読んでみた。徹頭徹尾ラノベ。美少女・難病・ツンデレ・冴えない男子・お涙頂戴といったテンプレを臆面もなく動員しながら、最後までお約束に終始するのに、伏線にてラノベとは毒にも薬にもならぬものとしゃあしゃあと言いのけ、売れるための計算づくと指摘し、ドラマツルギーに毒されるなと登場人物に語らせるというメタな展開がされる。かといって最後はラノベの解体とか逸脱といった青臭い破壊行為に出るのかといえば、そうではなくてちゃんとラノベとして完全決着させ、しかもラノベの価値とは何かにまで行き着くという実に野心作。

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最後はなぜかうまくいくイタリア人

2024年07月04日 | エッセイ・随筆・コラム
最後はなぜかうまくいくイタリア人
 
宮崎勲
日経ビジネス文庫
 
 
 タイトルが秀逸。裏を返せば「過程は問題ないはずなのに最後はなぜかうまくいかない日本人」という見立てが張りついている。くそー、なんであやつらはあんなにいい加減なのになんだかんだでうまくいってんだ! と思う日本人は多そうである。
 
 底本が2015年だから7年前の本だけど、コロナを経ても彼らのメンタリティは変わらない。コロナウィルスによって世界中で外出禁止になったときに、日本では自粛警察と買い占めで寒々としていたのに、イタリアにおいては道を挟んだアパートのベランダ越しにカンツォーネを歌い合う光景がニュースで取り上げられていて、なるはどイタリアらしいと思ったし、連中にはかなわんなと感じた次第である。ソーシャルディスタンスさえ楽しむのだ。
 
 もちろん「イタリア人とは」とひとくくりにするのは乱暴な話なのであって、そういう意味では本書は「面白い読み物」という感覚で接するべきであろう。とはいえ、なんとなく我々の生きるヒントみたいなものも感じさせる。たとえば、イタリアは社会運営がなにかと雑なので、そこで生活する彼らは予定を綿密にたてたところで実際は何がおきるかなんてわからないことを経験的に知っている。したがって先の段取りのことは気にせず、出たとこ勝負で繰り広げて、そして最後はなんとか辻褄合わせてしまうスキルが非常に鍛えられているのが著者の観察だ。この話、多いに考えさせられるものがある。
 なんとなく今の日本は、段取り力とかバックキャストとかTODOとかPDCAとかコスパタイパに頭をフル回転させて、最短距離で最大の成果を得るように周到に動くのが賢い人の条件のように言われがちだ。そのようなビジネス本や自己啓発本はたくさんある。
 日本はイタリアに比べればはるかに予定通りにコトが進む社会文化ではあるものの、とは言え想定外なことに見舞われることは大なり小なりよくあることだ。
 むしろ、時々刻々と変わる変化を感じながらその場のものにあやかりながら目的を達成する能力は、この日本でだって必要な能力であろう。
 まあ、最後はうまくいくさ、の行き当たりばったりで着地させる身体感覚(運動神経に近いものかもしれん)を持つこと。これはバックキャスト思考に負けず劣らず大事なサバイバル能力であることは肝に銘じようと思う。その肝は本書にもあるように経験主義(プラグマティズム)ということなのだ。
 
 ところで、本書を読んで気がついた。タモリの芸風ってこうだよな。彼の好きな言葉は「適当」で、座右の銘は「やる気のあるものは去れ」。しかしアドリブに優れ、手先が器用で、料理は玄人はだし、寄り道が大好きで、さりげなく様々なことに造詣が深く、やんちゃに事欠かない。短所を正すよりもそれを個性ととらえて長所を引き出す彼の審美眼によって世に出た芸人はたくさんいる。そういえば「日本ラテン化計画名誉会長」はタモリであった。

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傲慢と善良 (ややネタバレ)

2024年07月01日 | 小説・文芸
傲慢と善良 (ややネタバレ)
 
辻村深月
朝日文庫
 
 
 どの本屋にいっても平積みされている。映画化も決定しているとのことで、そんなに面白いのかと思って手に取った。
 謎解きミステリー・昨今の婚活事情・いわゆる恋愛ストーリー・東日本大震災など、いろいろなものが盛り込まれているが、ここでは母娘の呪縛について考えてみる。
 
 
 「傲慢と善良」というのは、英文学として名高い「高慢と偏見(Pride & Prejudice)」のもじりであることは明確だ。
 「傲慢」とは私は何もわかっていて絶対に正しい、という肥大した自己愛であり、「善良」とは世間様に従順、すなわち誰かがなんとかしてくれる、という甘い考えに疑いを持たない態度だ。「傲慢と善良」。英語ならば「Egoism & Naive」といったところか。日本語でナイーブというと繊細さを意味することが多いが、本来は「世間知らず」「騙されやすい」といったネガティブな意味がまとっている。
 
 「毒親」という用語が使われるようになって久しい。とくに最近は母親と娘の関係の病的なこじれが注目されることが多いように思う。母親からすると、自分の体の一部をちぎって自分の体内から出てきた同性の存在は、どうしても自分の裁量が許されるもの、と本能的に思ってしまいがちなのだろう。娘を完全に独立した別個人としてみなす近代倫理を全うするにはそうとうな理性的配慮ができる脳味噌を所有していなければならない。
 この小説では、群馬は前橋から上京した32歳の真実と、その実母である陽子の関係性が物語の鍵のひとつとなる。傍から見れば陽子の暴走は歪みまくっているように見えるが、現実の世にも程度の差こそあれ、このような関係の母娘はかなり多そうである。そして、これは令和の今日に限る話ではなく、時代を問わずかなり普遍的な関係なのではないかとも思う。陽子もまた、この群馬の地で、その実母から似たような支配を受けてきたということは想像に難くない。
 
 この母娘問題のやっかいなところは、娘が、実母の異常になかなか気づかないことである。それどころか、真実の場合はなんだかんだでそれなりに居心地よく実家生活を送ってきたらしいことがわかる。大学の同級生や職場の同僚の存在から自分があちこちで不適応を起こしていることに気づいて自信を失っていくが、実家の居心地の良さのために自分自身を矯正しなければという切迫は感じない。こうして彼女の中のエゴとナイーブは肥大化していった。「自己肯定感は低いのに、自己愛は高い」真実はこうしてできあがっていった。
 
 その陽子も実は「自己肯定感は低いのに、自己愛は高い」ことを真実の婚約者である架に指摘されている。つまり、母娘の関係はこの「自己肯定感は低いのに、自己愛は高い」女性を再生産していく、という宿命が見て取れる
 
 
 もちろん、世の中の娘のみんながみんな、真実のようになるわけではない、この小説でも真実の姉である希美は、母親とは違う世界観の中で立派に生きている。
 
 真実と希美を分けた決定的な違いは「反抗期」だったのではないかと思う。
 
 この小説では、真実の実家である前橋を出た女性・出なかった女性という区別をする箇所があるが、要するに親に反抗して地元を飛び出た人と、従順に留まった人と見ることもできる。
 
 親というのは、どうしたって自分が生きてきた時代の価値観・狭い世界観・狭い常識をセオリーとして是非を判断しがちだ。認知バイアスと言ってよい。それを娘の人生に敷衍しようとする。どの時代の親も多かれ少なかれそういうところはあるだろう。しかし、時代は確実に前に進んで変容していくので、親の価値観と同時代を生き抜く知識意識は必ず齟齬を来す。これをしないためには親側に強力な自制心と分別、現代の情報収集能力と同時代解釈力が求められると言ってよいが、脳味噌の構造からしてもともと無茶な要求であるとむしろ思ったほうがよい。
 
 で、あるならば「親に反抗する」というのが、ある意味で子どもに必要とされる生き延びるための本能であろう。姉の希美はことごとく反抗したことで自立生存を勝ち取ったのだ。本格的反抗は、第2次反抗期から始まる。
 妹の真実は、この第2次反抗期がなかったのではないか。
 
 
 最近の子どもは反抗期がない、という話をときどき聞く。親も強圧というよりはフレンドリーに接するので子どもに反抗の気分が沸かないらしい。こと母娘はこの関係になりやすい。しかしこれはかえって事態をややこしくする。母親は一見フレンドリーに娘に接してくるが、その中身はやはり親の世界観と価値観であるから、実際には同時代を生き抜く上での齟齬が潜んでいる。反抗の機会がないぶん、それは娘の精神形成に無抵抗に入り込んでいく。そして真実のようになる。気づいたときはいろいろなものをこじらせてしまった後である。
 
 本当ならば、希美のようにア・プリオリに「なにかおかしい」「なにかちがう」「よくわからないけど従いたくない」という防衛意識が必要なのである。親がそうである以上、子どもは反抗しなくてはならない。母親は無意識・無自覚的に支配しようとするので、娘は明示的・自覚的に反抗していかなければならない、ということになる。
 
 
 この小説は他にも象徴的な女性たちが登場する。真実のアンチテーゼとして嘘と悪意を隠そうともしない架の派手な女友達。「勝ち組(この言い方そういや聞かなくなったな)」である架の元カノ三井亜優子や、真実の見合い相手だった金井の現妻。子どもを実母のところに残して社会活動に精を出すヨシノさん。台湾からの留学生ジャネット。
 おそらくは彼女らに共通するのは刺し違える覚悟で勝ち取ったものがある、という迫力だ。ときには肉を切らして骨を断つ覚悟で踏み込まなければ、不条理な支配に屈してしまうのが世の中の摂理。花束みたいな恋ばかりじゃないのだ。
 

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庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭

2024年06月22日 | 生き方・育て方・教え方
庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭
 
スー・スチュアート・スミス 訳:和田佐規子
築地書館
 
 
 けっこうなボリュームの内容だが、言っていることはほぼ一貫していて冒頭で大意をつかめば、あとの大半はその補強情報といったところである。つまり、園芸や家庭菜園は、心身のために非常によく、心の治療や、利他精神の発露、対人症の克服、筋肉や内臓の健康回復と維持などに役立つ。
 現代社会における生活に少しでも悩みやストレスがあれば、これはなにはなんとも庭仕事をするのがよいのだ。
 
 庭というものを己の心身から離れた対象物ではなく、心身の一部あるいは心身が拡張された領域として扱えることができるという観点が、ガーデンニングの国イギリスでベストセラーになったポイントだろう。心理療法のひとつに、箱庭療法というのがある。庭と身体はボーダーレスなのだ。園芸という行為は、自分自身を整え育むことなのである。
 
 われわれ人類は、庭のような適度な広さで安全が保証されている自然空間に強い心の安寧をいだく。
 人類史20000年の中で、人間の身体は遺伝的に植物が放つさまざまな緑色や樹木が持つ非定型な輪郭、花の香り・土の匂いに好感と安寧を持つようになったのだ。人類にとってむき出しの大自然は脅威ではあるが、安全が確保されている庭ならばむしろ、自然とのほどよい相互作用の中に身を委ねることができる。園芸をしたことがある人ならば誰しも心当たりがあると思うが、農作物を育てるにも樹木草花を育てるにも、なかなか思うようにはいかない。かといってまったくコントロール不能かというとそうではない。自然の摂理の先を読み、雑草の駆除や新芽の間引きなど攻撃的なことをすることもあれば、風雪を避けたり水をあげたりと防御的な行為をする。継続的にケアをしていけば、大筋で当初想定していたような結果の庭になっていく。園芸とは、思い通り半分想定外半分のほどよい難易度の作業である。この適度な塩梅が心の平安を作り出すのだ。
 
 いちど庭仕事を開始するとやがて没頭して、日常の些事や悩みが頭から離れていく。手足を動かし、指先の感触に敏感になる。やがて少しずつ変化する自然のうつろいに気が向くようになり、現代生活をとりまく規則的・直線的・定形的な圧力を忘れていく。つまり、古来から人類が身体にもっていた感覚を取り戻す。人類史20000年を宿す身体のDNAにおいて、現代生活がもたらす刺激はどうしたってストレスを蓄積させるのである。園芸こそが現代社会を健康に渡り歩くための大事なエクセサイズなのだ。
 
 
 とはいうものの、本書は園芸大国イギリスの話だ。
 
 我が日本も、その自然観からすればここに書かれることは大いに共感するし、寺社の庭園なんかはそもそもが精神の一体化を前提としているところからすると、このような思想はむしろ先行していたのではないかとさえ思うが、実際のところ日本の住宅事情では必ずしもみんながみんな庭を持てるわけではない。本書のような日々を送ることは日本の都市部に住む人ではなかなか難しい。
 それでも、マンションのベランダにおけるプランター菜園とか玄関や路地裏の小路に置かれた鉢植え、宅内に飾られる季節の一輪、盆栽や観葉植物。なんとかして植物を置こうと希求する姿は、単に対象物を愛でたいというだけではなく、防衛本能とでも言いたくなるような突き動かされる何かがあるのだろうと思う。疲れたサラリーマンがやたら老後の自足自給生活を夢想するのも、そこに安らぎを求める何かを理屈抜きで本能的に感じ取っているからかもしれない。
 
 まずは室内に飾る鉢植えでも物色してみようか。

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花束みたいな恋をした

2024年06月17日 | 小説・文芸
花束みたいな恋をした
 
原作・脚本 坂元裕二 著 黒住光
リトルモア


 「なぜ働いていると本が読めないのか」。売れているようである。完全にタイトルの勝利であろう。
 その本の中で著者が何度も引き合いに出して感情移入を隠そうもしていない大絶賛映画がこれだった。そうか。そんなに面白いのか。映画館の予告編で観たときは、菅田将暉と有村架純という二大売れどころの恋愛ものという先入観が手伝ってとくに興味も期待もなかったのだが、ここまで推されてしまっては観ないわけにはいかない。
 たまたま我が家で入っていたU-NEXTのラインナップにあったので観てみた。映画だけでなく、ノベライズ版も読んでみた。
 
 なるほどー これは、アレだな。なんと70年代フォークソングの世界が、ちょっとのチューニングで、実は令和のZ世代にも十二分に通用できるということなのだ。
 
 たとえば定番「神田川」。たしかに、この映画の主人公である麦くんと絹さんは河川を見下ろすアパート(マンション?)の一室で同棲しているし、麦くんはイラスト描きをたしなむ。二十四色のクレパスでなくても絹さんの似顔絵を描くことはあっただろう。もちろん今どきのアパートは風呂付だから、横丁の風呂屋に出かけることはないが、このお二人が駅からの帰り道をカフェで買った飲み物を手に帰途につくシーンは、赤い手ぬぐいをマフラーにして歩く情景を彷彿とさせる。そして「若かったあの頃、何も怖くはなかった」と回顧するのである。
 「神田川」だけではない。この映画は「22才の別れ」の世界でもある。「風」という名のフォークソングデュオがうたった名曲だ。17才で出会ったカップルが5年の月日を経て長すぎた春だったと別れる内容の歌である。誕生日にローソクをたてていくシーンが聞きどころ。麦くんと絹さんの同棲もおよそ5年間。そして最後は泣きながら別れを決意し合う。この5年間が楽しかったと。
 ちなみに、麦くんはフリーターをやめる決心をして就職活動を行う。で、そのために髪型をあらためる。これは「いちご白書をもう一度」という曲にそういうフレーズがある。歌っていたのはバンバンというフォークバンドで、作詞作曲はなんとあの松任谷由実だ。
 そして、別れが決まってから、彼女が部屋を出ていくまでの月日。じゃんけんで引き取る家具を決め、隠し事を暴露し合うひととき。この明るいテンション、これは尾崎紀世彦の「また逢う日まで」に他ならない。
 
 こういうストーリーテーリングは、むしろ70年代の「政治の季節」が終わった頃の空気感を歌ったものだと思っていた。いつの時代でもヒット曲というのは時代の空気と呼応しているものである。だけど、真の名曲というのはやはり普遍性があるんだな。道具立てさえうまく時代の調整をすれば昭和も令和もいけるのである。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の内容も踏まえると、「政治の季節」が終わって幾星霜、ここにファスト教養の素地ができあがったのであろう。

 ということは、80年代のシティポップでもいけるのだろうか。あれこそは当時の同時代性空気をしてビンビンに反応したものだと思っていたのに、ここにきて再注目されているのはなにか令和の当世にも感じるものがあるのかもしれない。杉山清貴の「二人の夏物語」で出会い、大沢誉志幸の「そして僕は途方にくれる」で別れ、大瀧詠一の「君は天然色」でふっけれる、あたりのエッセンスで物語をつくって、令和風に味付けしたらそれなりにいけるんじゃないか、と思う。
 
 
 で、そういう御託はいいから、わざわざノベライズ版まで手にした「花束みたいな恋をした」はどうだったのさ?
 
 ここに20代の、そうだな、大学生の最中の僕がいたら、鑑賞後(ないし読後)、落ち込んで3日ほど寝込んでしまったかもしれないな。
 僕のまわりにも大学時代に彼女や彼氏とつきあっていたものの、卒業後に就職を経て最後までゴールインしたカップルは皆無ではなかったか。いや、ゴールインなどと言うまい。社会に出て1年以上もったカップルはいなかった。そんな彼らにこの映画はいたく刺さるだろう。
 だけど、僕は学生時代にそもそもそんな色めいた話はほとんどなく、就職活動後にようやく付き合い出した女性とは卒業までももたずに去られてしまった。よってこの映画のスタートラインにも立てなかったことになる。
 映画の淡い幻想と己のシビアな現実のギャップにもだえるのも、この手の映画や小説の一興だ。
 

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図書館の神様・幸福な食卓・強運の持ち主

2024年06月01日 | 小説・文芸

図書館の神様・幸福な食卓・強運の持ち主
瀬尾まいこ


 瀬尾まいこは、今まで2作品ほどここにとりあげているが、最近さらにまとめて3冊ほど読んだ。
 で、彼女の作風というかテーマというのがおぼろげながら見えてきたのでここに書いておく。いまさらここに書かなくても周知の事実なのだろうけど。

 この人は、お約束の役割分担規範というものに疑問を持っている。それがとくに顕著なのが各賞受賞の「幸福な食卓」であろうが、ここでは家族構成員の役割、「父親」という役割、「母親」という役割、「息子」という役割、「娘」という役割の解体が試されている。単なる解体ではない。解体しても「幸福」は維持できる、という挑戦がある。話題作だった「そして、バトンは渡された」も同様と言えるだろう。

 「強運の持ち主」では各連作において占い師を狂言まわしにしながら父親や母親というものをいじくっている(ついでに「占い師」のステレオタイプもいじくっている)し、「図書館の神様」や「あと少し、もう少し」では、学校の先生というもののステレオタイプを剥ごうとしている。他の作品も多くはそうなんじゃないかと予見している。

 ものの情報によると、瀬尾まいこは、長いこと学校の先生をやっていたという。学校とか先生というのはきわめて役割分担意識を強く醸成する環境なんだろうなとは想像に難くない。「先生」として期待される立ち振る舞い、「生徒」として要求される言動、さらには生徒の保護者である「母親」「父親」のカリカチュアされた姿に日々さらされることだろう。

 だけど、こういう規範はすぐに手段と目的が逆転する。父親らしく、母親の義務として、先生なのだから、学生として、としてあらねばならない規範に縛られるようになる。瀬尾まいこは教師生活の中でこの問題意識がどんどん大きくなっていったのではないか。要は幸福であれば、成長できれば、何かがわかれば、誰がどのように作用しようともいいのではないか。いや成長しなくっても、生きててよかったと思えればそれはそれでいいのではないか。
 
 しかし、それでは単なるアナーキーイズムである。アナーキーであることはこれはこれで手段と目的が逆転しやすい。
 瀬尾まいこの作品は、役割分担規範に縛られるのは閉塞感を生むが、それはそれなりに良いこともある、というバランス感覚はありそうだ。「父親」だからこそできること、「母親」だからこそ説得力があること、「先生」だからこそ動けること、「生徒」だからこそ許されること、というものは確かにあって、それはそれでうまく使えばよい。このあたりの上手な感覚をうまく使えばよい、というのが瀬尾まいこの作品の真骨頂なのではないかと思う。
 瀬尾まいこの全部を読んだわけではもちろんないけれど、全体的に、女性キャラにまじめだけど無感動の人が多く、男性キャラに変に超越しちゃった悟った人が多い印象を与えるが、これさえ「男性」「女性」という性別役割分担規範をあえて批評的に再構成させたものなのかもしれない。


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死の貝

2024年05月13日 | ノンフィクション
死の貝
 
小林照幸
文藝春秋 (新潮文庫)
 
 
 20世紀も終わりころ。20代の僕はニフティの読書好きフォーラムのひとつをよく覗いていた。まだモデムを使ってピーガシャガシャと接続していた頃である。SNSも掲示板もロクな検索エンジンもなかった時代だから、本の評判をそういうところで得ていたわけだ。
 
 フォーラムの誰かが、文藝春秋からものすごいノンフィクションが出た、と投稿した。その名も「死の貝」。かつて日本の農村部で猖獗を極めた寄生虫病を根絶させる話という。無名の作家と地味なテーマに騙されるな、ぐいぐい読ませる、とその投稿主は興奮していた。
 
 この手のノンフィクションは当時から好きだったので、直観で面白そうと思い、行きつけの本屋に探しにいったが見当たらず、カウンターで予約してもらった。数日後に本が届いた旨の電話がかかってきた。
 
 読んでみて、その中身に圧倒された。日本住血吸虫という寄生虫の存在も、それが山梨県や広島県で猛威を振るっていたことも、慢性的な栄養失調におとしめてやがて肝臓や脾臓を破壊する恐ろしい感染病であることもこの本で初めて知った。医療関係者や該当地域の人以外には関心を得にくそうな硬派なテーマなのに、圧倒的なドラマツルギーを放つ筆力に飲みこまれた。けっして大言壮語を操るような文体ではない。愚直に何処某の誰某が何をした、その結果何々の成果があった、あるいは何々の壁にぶつかった、といった事実ベースの積み重ねである。かなりの資料にあたったと見られ、固有名詞や数字が次々と出てくる。むしろ報告書みたいな時系列の記述なのに、その事実が小説より奇なりというか、事実の重みに語らせてるというか、とにかく1日で読み切ってしまった。周囲の読書好きに薦めまくった。
 
 ところがなぜか、この本はその後それほど話題にはならなかった。なにか賞をとることもなく、文庫化もされなかった。
 
 そこから幾星霜。四半世紀もたって突如に新潮文庫で復刻されたのだった。
 
 
 新潮文庫版の帯をみると、Wikipedia三大文学のひとつ、とあった。Wikipediaの記述が面白すぎて思わずよみふけってしまうものの一つらしくて、そのスジには広く知られていたらしい。ちなみに残りの二つは八甲田山雪中行軍遭難事件と三毛別羆事件とのこと。前者は新田次郎、後者は吉村昭の小説が有名でどちらもロングセラーだが、なぜか日本住血吸虫を扱った本書だけが出版業界から見落とされていたわけだ。これだけ小説ではなくてドキュメンタリーだったからかもしれない。単行本が文藝春秋なのに文庫本が新潮社で出た事情もなにか背景があるのかもしれない。
 
 というわけで文庫化によって話題になっているのを知った僕は、文藝春秋の「死の貝」を書棚から改めて取り出して読む。なにより感動するのは、昔の医者は偉かったんだなーと思うことだ。
 
 罹患してしまうと腹が太鼓のように膨れてぼろぼろの栄養失調になって死に至る恐ろしい病である。感染源も治療法もわからない。それなのに、田んぼの中に素足で歩いていると罹るらしい、という農民の伝聞だけを頼りに、自ら素足で田んぼの中に立って事実関係を確かめる医者(そして実際に感染した)、とにかく何かがおかしいと村人の糞便を採取しまくって寄生虫の卵を探す医者、治療費もとらずに絶望的な患者を次々診ていく医者。自己犠牲というか未知の病を克服するためのがむしゃらな精神に舌を巻く。よくこの手のものはベテランの医者が誤った見立てをしてしまって業界全体をミスリードしたりするエピソードに事欠かないのだが、今どきのEBPMを彷彿させるような、かなり統計学的な手法を用いて原因を特定しようとする医者も登場する。
 
 医者だけではない。患者も挑戦する。近代医療の黎明期である明治時代にあって、みずからが自らの身体を後世のために解剖することを願い出たり、臨床実験結果も出ていない試薬に協力する。先ごろのコロナワクチンの狂騒とは隔世の感がある。それくらい藁をもすがりたくなるひどい病気だったのさということなのだろうが、自治体も国も、戦時中の一時期を除いて病因の特定と予防に躍起になる。ひとつの目的のために官民一体となるこの姿は現代の日本ではなかなか考えにくいことである。
 
 最終的には、ミヤイリ貝という小さな淡水貝が、この寄生虫の中間宿主であることが突き止められ、この貝を日本から絶滅させるという気宇壮大というか誇大妄想的な事業が開始される。溝渠の底をシャベルですくうと砂利のようにたんまり出てくる貝を、である。日本全国で数億匹は下らないはずだ。村人総出で箸を使って一匹ずつつまんで捨てたり、大量の石灰を撒き続けたり、火炎で燃やしたり、水路をコンクリートで覆うなど、あらゆる手を使う。せっかく効果が出ても川が氾濫して元の木阿弥になってしまったり、ちょっと手を抜いただけでたちまち貝は増殖するなど、この貝はなかなかしぶとい。
 
 悪戦苦闘の結果、貝の駆逐を開始して40年、謎の病の調査からは100年経ってミヤイリ貝はついに日本から姿を消した。宿主を失った日本住血吸虫という寄生虫は少なくとも日本ではいなくなった。山梨で地方病、広島で片山病とよばれたこの寄生虫によるおそろしい病は事実上消滅したのだ。
 
 人間が根絶させたウィルスというと我々は天然痘を思い浮かべるが、貝を根絶させるなんてすさまじいことを我が日本はかつてやってのけたのである(正確にいうと日本住血吸虫に侵されていないミヤイリ貝は日本にまだわずかだが生息しているそうだ)。
 
 
 生物多様性とか生態系バランスの今日からみると、ある固有種の貝を力技で絶滅させるというのはなかなか暴挙なようにも思える。水路をコンクリートで覆う(全長数百キロに及ぶそうである)のも、農村景観の保護とか自然の保水力の低減の観点で異議ありと言ってくるエコロジストは出てきそうだ。
 
 しかしそういう話は、なんだかんだで余裕の産物なんだな、と本書を読めば思ってしまう。日本住血吸虫は日本の農業史とほぼ併走していた寄生虫であり、村人を全滅させて廃村に追い込み、記録にも残らなかった例も過去にはあったであろうことを、他国の例などから類推している。自ら素足を田んぼに突っ込んでまで病の原因を解明しようとした医者がかつていたことを思えば、人類のウェルビーイングのための希求は、自然との泥縄の戦いの歴史だったのだなと感じ入る。
 
 とはいうものの、ミヤイリ貝と日本住血吸虫のしぶとさも本書の見どころのひとつだ。安全宣言が出て30年以上経っているが、本当に根絶したのだろうか。「ないこと」を証明するのは非常に難しい。昨今の異常気象や川の氾濫から、どこかでひっそりとミヤイリ貝のコロニーが育っているんじゃないかと思うとうすら寒いものを感じる(現代では治療薬のほうも揃っているようなので安心されたし)。
 
 
 というわけで、本作品の新潮文庫での復刻はご同慶の至りだ。消えるには惜しいノンフィクション名著は他にもある。「青函連絡船ものがたり」や「大列車衝突の夏」なんかは著者の執念の探索が見もので、個人的には名作だと思っている労作ノンフィクションだ。ぜひとも復刻してほしい。

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