白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

鄙びた隠れ家的な温泉で

2018年11月29日 20時32分04秒 | 日記

昨夜は夜中の3時過ぎまで会計帳簿と格闘していた。

年間700万円超の財政を預かっているので、任期の3月までに帳尻合わせをしておかないといけない。

そこで、エクセルで作られた手作りの会計ソフトで費目別の入出金の一覧表を作成したのだが、合わない。

前任者が色々といじって参照する欄が違っていたり、反映されなかったり、問題があった。

それを修正しても、23,030円が余ってしまう。

どうしようもなくて、3月初めからの収入の部と支出の部を全部削除して、一つ一つ、反映されるかどうか確認して再入力。

結果的に3時までかかって帳尻が合った。

そんなわけで、今日は骨休みの日と決めて、温泉に出かけた。

ここの温泉は斑尾高原にある。

旧豊田村だが、今は中野市の一部になっている。

ここ途中に高野辰之記念館がある。

高野達之といえば、ふるさと、春の小川、春が来た、朧月夜、もみじなどの作詞者。

もう一人の中山晋平も中野市の出身だし、中野市には偉大な作詞者と作曲者が出たことになる。

ここへの道は田舎道で、車で走っていてもなにもストレスを感じない。

このあたりの川で小鮒を釣ったのかな。あのあたりで兎を追ったのかな。

今も、故郷の風景はここにある。

 

温泉はほとんど貸し切り状態。

露天風呂からはこんな風景が見える。

最近は撮影禁止のところが多くなっているが、ほかに入浴者がいるわけではないし、外の景色を撮るだけなのでご勘弁を。

この温泉には大きな休憩室があって、ほとんどがら空き。

一仕事終えた後の解放感もあって、生ビールを飲んだ。

本来あまり飲める方ではないのだが、不思議に生ビールはこれくらいは飲める。

信州百名山も残り16座となった。

今年はもう終わりかなと思っていたら、『雪が降らなければ、登れるんじゃないの』と傘寿を迎えた義姉が言う。

何と、催促されてしまった。

確かに、南の富士見台なら行けなくもない。が、遠い。

天気の様子をみながら、12月初めころにでも計画してみようか。

それにしても、残るひとつひとつの山が愛おしい。

 

シンプルなざるそばが旨い。

何回も温泉に入った。7~8回くらいかな。誰もいない温泉で、思い切り手足を伸ばした。

今や大切な日課となった30日チャレンジスクワットもやった。

1日5回づつ増やして30日が過ぎたらリセットして、前回より5回増やしてスタートする。

今は17クルーの5日目150回だ。17クルーといえばほぼ17ヶ月目。良く続いていると思う。

 

外の風景は露天風呂の前に1本だけ大きな白樺の木がある。もうはも落ち切った茶色の世界に白は目立つ。

こんな隠れ家的な山の湯で、のんびりと過ごせることは何という幸せ。

読みかけの小説も読了した。

『通り過ぎなければ見えない世界もある。良いことも悪いこともね。』

何か、今の自分の心境にぴったりの言葉があった。


勤労感謝の日 鬼無里へ

2018年11月24日 17時29分41秒 | 日記

鬼無里。きなさと読む。豊かな伝説を持つ信州の超田舎の山村だが、平成の大合併で村から、長野市に編入された。

この夏、鬼無里の奥裾花から信州百名山の堂津岳、東山へ登った時の話をかみさんにしたのだが、鬼無里の湯とおやき、ダムカレーと、いろは堂のおやきを目的に出かけようとリクエストされた。

勤労する人に感謝する日なのか、勤労できることに感謝する日なのか、両方なのかよく判らないけれど、一応感謝しよう。

自宅から2時間弱。鬼無里の繁華街?に着いた。

この鬼無里の地出身の友達がいる。というか、実家があった。今は埼玉のふじみ野市に住んでいる。

とても古い山友達だ。実家を訪ねた時の待ち合わせ場所がここだった。

そば粉入りの皮にいろいろな具が入っている。

今回のチョイスはねぎみそときりぼし大根。

自宅近くで売られていたり、家で作るおやきは蒸かす作り方だが、ここのおやきは少し焼き色がついている。

もちもちしておいしい。

この後鬼無里の湯二入り、休憩所でのんびりした。長野市では恵比寿講で賑わっているはずがが、この鬼無里では世間から忘れ去られたような静かさ。休憩所には僕らのほかに一組の夫婦がいたきりだ。温泉は貸し切り状態。スーパー銭湯のようなところよりこんな山の静かな湯のほうが好きだ。

 

 

いろは堂の隣にある食事処に戻って昼食。

少し辛めのビーフカレーは奥裾花ダムカレー。注文はこれにした。

他にやや甘めのチキンカレー、裾花ダムカレーもある。

方々にダムカレーなるものが開発されて売り出されている。それを食べ歩くのも楽しみだ。

カレーの中の卵は、奥裾花に咲く水芭蕉をイメージしているのだそうな。

 

帰路は戸隠へ抜けた。

戸隠連峰の西岳、本院岳がよく見えた。

急に来た寒さで、岩肌に雪が付いていた。

この山に登ったのはもう40年以上前のことだ。

よく登っていた八方睨みから本院岳、西岳方面へのルートは当時、とても厳しかった。

一緒に行った友達が、後日他の人と同じコースを辿ったが、朝になっても帰ってこないと、捜索の依頼が来た。

取り敢えず下山口へ行ってみると、しばらくして二人が姿を現した。

きけば、暗くなってしまい山中でビバークしたという。

大事にならずに済んで心の底からほっとした。

今は多分少しはコースも整備されてはいるのだろう。

田中陽希さんのグレートトラバース2で戸隠山は、日本200名山の中で、一番危険な山と紹介されていた。

そのコースは無雪期、月に一度は登っていたが、本院岳、西岳方面に行ったのはその時だけだ。

剣の刃渡り、熊の踊り場、天狗の遊び場(記憶もおぼろで、不正確かも)等の物騒な名前の場所があるのだ。

 

遠い日のことを懐かしく思い出しながら、飯綱山に差し掛かると、山頂付近が雪で白くなっていた。

飯綱山の元旦登山は来年40回目を迎える。思えば長く登り続けてきた。

今はまだ途切れることなど考えられないが、そのうちにもうやめようかと思う日が来るのだろう。

正直、2日前に走った飯山線ランニング旅で、28キロなのにふくらはぎの筋肉痛に見舞われていて、少なからずショックを受けている。

まあ、冷静に考えてみれば、普段走ってもいないのに突然走ればそうなるわな。

(だけど、これまではそれで全然OKだったんだけどな。)などと不遜な言葉を飲み込みながら、稽古に真剣に取り組まないで負けが込んでいる郷土の力士のことなど思って、さぼらないようにしようと少しだけ思った。

とにもかくにも、このようにして勤労感謝の日は終わった。

 

 


飯山線ランニング旅5 越後田中から十日町へ

2018年11月23日 06時57分38秒 | ランニング

今回は越後田中駅に車を停め、飯山線の各駅を繋いで十日町駅までのランニング旅。

越後田中駅まで自宅から約1時間半。

かみさんも同行して、バスを使って十日町の手前、土市駅から十日町駅までの5キロ余りのウォーキングをすることにした。

バスの時刻表をネットで調べると、津南~十日町線が1時間くらいの間隔で走っていることが判った。

そこで、津南の駅出かみさんを下ろし、僕は越後田中駅に向かった。

だが、後で聞いた話だが、待てど暮らせど津南駅前にバスは来なかった。

駅員も不在で、御用の方はここに電話してくださいという番号に電話すると、ここにバスは来ませんと言う。

バス亭は117号線まで出ないと無いという。津南駅は町の中心部から1キロ以上外れた場所にある。

仕方なく117号線まで歩き、バス停の時刻表を見たが、すでにバスは行ってしまった後。

幾つかのバス停を歩き、5キロほど行ったところでバスの時間と折り合いがついて土市まで乗ったのだという。

その時点では、そんなことを知らない僕は越後田中駅に車を停めた。

時間は10時少し前。

走り始めてすぐに咽喉や肺が痛くなった。冷たい空気が突き刺さった。

ウォーミングアップもせずにいきなり走り出した報いなのだろう。

2キロほど走ると、汗が噴き出してジャンバーを脱ぎ、Tシャツ姿になった。

体が重く、思うように走れない。

この物産館に立ち寄りトイレを借りる。

まだ早いせいか、客は誰もいない。

新しいトンネルも横にあったが、旧道を行く。左側には信濃川。

この橋を渡った先が津南駅。

温泉のある駅舎で、当然無人駅ではないと思っていたが、日中は3時間に1本程度の運行なので、常時人が居る意味はないのだろう。

それにしても町中からずいぶん離れて、バスも来ないとなれば、不便この上ない。

ここから117号線には戻らず、川の左岸の裏道を走って次の越後鹿渡駅を目指す。

上り下りが結構あって、登りは迷わず歩いた。

丘の上に学校らしい建物があった。周りに人家もあまりないし、多分もう使われていないのだろう。コンクリートの学校よりもこの方が好きだ。

崖の下には信濃川がゆったりと流れていた。

 

人里離れた崖下の眼立たない場所に一軒宿があった。一瞬廃屋かとも思ったが、車が数台停まっていた。帰ってから調べてみると、辰ノ口温泉渓泉荘という温泉宿だった。1泊2食7,500円。一度泊まってみてもいいかもしれない。

少し先に越後鹿渡駅があった。えちごしかわたりと読む。

名前にふさわしく、今にも野生動物が線路を渡って行きそうだ。

多分、この辺りが一番国道117号線から離れている。

次の駅は越後田沢駅。

もうかなり疲れ切っていた。十数キロ走っただけだが、とにかくきつかった。橋があると、これ幸いとカメラを取り出し写真を撮った。それがいい休憩になった。

 

農産物の無人販売所では、ラジオだけが鳴っていた。

 

国道117号線に戻った。

 

 

橋を渡ると十日町の看板が出てきたが、もともとは中里村。

 

 

 

 

 

 

魚沼産のコシヒカリの本場。

 

越後田沢駅の横にコンビニがあった。

そこで、日高昆布と紅サケのおにぎり、飲み物を購入し、外のベンチで補給。

この辺りが中間点くらいだろうか。先の長さに気が遠くなりそうだった。

もう速さは問題ではなかった。とにかく十日町駅まで行きつけるか、が問題だった。

越後水沢はかわいい駅舎だった。

ここからは保母、117号線に沿って走ることになる。

冬の融雪の準備だろうか。道路が一面に濡れていた。多分中央から水が出るのだろう。最近では無散水の融雪道路が一般的になって、わが村でもその方式だ。

3時間に1本程度の飯山線の列車がトコトコと走って行った。

そろそろ時間が気になり始めた。

十日町駅には1時前に着けると、かみさんには伝えてあった。こんのままでは間に合わない。

携帯電話を持たない僕こう公衆電話を探しながら走ったが、なかなか見つからない。

かみさんがバスを降りて歩き始めた土市の駅に着いたが、そこにも公衆電話は無かった。

もうすぐ1時になろうとしていた。

帰りの飯山線に乗るには1時40分発の列車に間に合うように十日町駅に着く必要がある。残りの距離は5キロ余り。

流石に30分あれば着けるだろうと目星をつけた。

国道増の酒屋の店頭に公衆電話があった。

かみさんの携帯に電話を入れた。

十日町駅に着いたのは1時半。

 

ホームに入ってきたのはおいこっと。

この列車は内装も和風。

多分1日1往復くらいしか走っていない。ラッキーだ。

かみさんは結局10キロ以上歩いたという。

僕は総距離28.45キロ。歩数35638歩。

実質走った距離は25.4キロ。3時間1分50秒だった。

こんなにもつらいランニング旅になるとは思っていなかった。

普段は知っていないツケが回ってきたのだろう。

飯山線ランニング旅も次回最終章を迎える。十日町から越後川口駅まで。大体ハーフマラソンくらいの距離だ。

 

 

 

 


窓を開けよう

2018年11月19日 21時49分32秒 | 日記

窓。

かつて自分は室内にいて、窓の外の自由な世界にあこがれていた。

それが今、自分は窓の外側の世界に居て、室内に燃える暖かい灯を切ないほど焦がれている。

窓。窓。それは何と豊かなイメージを呼び起こしてくれるのだろう。

 

僕らは小坂明子の「あなた」という曲を身近に聞いて過ごした世代だ。

『もしも私が家を建てたなら

 小さな家を建てたでしょう

 大きな窓と 小さなドアーと

 部屋には古い暖炉があるのよ』

と歌う。

 

今、ほとんどの新築住宅は窓が小さい。熱効率の問題なのだろうけれど、僕は好まない。

大きな窓とまでは言わないけれど、自作の隠れ家に窓を増やすことにした。

 

手前はロケットストーブの煙突。

南に面したこの壁に窓を付けることにした。

片付け下手で、小屋の周りはまだまだすっきりというわけにはいかないが、中はかなり思い切って整理した。

 

 

窓。外の世界と中の世界を繋ぐ魔法の扉。

冬になったら、窓の外の雪景色を眺めながら、日がな一日、ロケットストーブを燃やし、自家焙煎のコーヒーの香りを楽しみながら、過ぎた日のことやこれからのことなど思ってみよう。窓。それは過去と未来を繋ぐ扉でもあるのだろう。

専用の椅子に座ると、この窓から城山と呼ばれる近くの里山が見える。

もうすっかり晩秋の風情。

窓。心の窓を少し開けて、ほかの人の窓をそっとたたいてみようか。ちょっと寂しい晩秋の夜更け。

 

 

 


信州100名山 84座目 南木曽岳

2018年11月16日 17時50分39秒 | 登山

 

少し前のことになるが、一応書き記しておこう。

11月1日に、日本三百名山にも選定されている南木曽岳に登った。

信州百名山のひとつでもある。

信州といってもとても広くて、自宅から東京までの距離と南信の飯田までの距離がほぼ同じ。

身近な山はほぼ登り尽くして、残っているのは遠くの山ばかりだ。

豪華に泊りで行くような境遇ではないし、夏場ではないのでテント泊も気が重い。

残された山は

  北アルプス  ①烏帽子岳 ②野口五郎岳 ③鷲羽岳 ④三俣蓮華岳 ⑤餓鬼岳 ⑥霞沢岳

  木曽山群 ⑦鉢盛山 ⑧小秀山  

  中央アルプス ⑨経ヶ岳 ⑩空木岳 ⑪南駒ケ岳 ⑫安平路山 ⑬南木曽岳 ⑭富士見台

  南アルプス  ⑮鋸岳 ⑯赤石岳 ⑰池口岳

この17座。

北アルプスではもう冬モードだし、南アルプスは日帰りはきつい。

さらに、かみさんと、この10月に傘寿を迎えた義姉も連れていきたいとなると、登れる山は限られる。

そこでピックアップしたのが南木曽岳。

標高は1,679メートル。登山時間も5時間半に収まる。

但し、登山口までの時間が車で4時間くらいかかる。

この山の近くに2時間くらいで登れる富士見台があるが、今回は無理をしないことにした。

蘭コースから入山。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場所が山頂。もう少し先に展望所がある。

このベンチで、ジェットボイルのバーナーでコーヒーを淹れた。

インスタントだったが、義姉にもかみさんにもおいしいと好評だった。

日帰りの山で、わざわざバーナーと水を背負っていくのも気が進まなかったが、ジェットボイルは嵩張らないので、今回は持参した。

陽だまりの中とは言え、暖かい飲み物はこの時期有り難い。

 

御嶽山の雄姿が見えた。

もう4年位前になるだろうか。同じメンバーで高妻山に登り、山頂から少し下ったところで、ラジオから御岳山噴火のニュースが飛び込んできた。

直接は見えなかったが、その後のニュースで大惨事になっていることを知った。

まだ行方不明者もいるというが、入山規制は最近解除されたという。ただただ犠牲者の冥福を祈るばかりだ。

 

乗鞍も見えた。

 

足元には霜柱。

 

中央アルプスものどかな秋の日差しの中にどっしりと座っていた。

 

立派な避難小屋。

 

この山は登りと下りのコースが専用になっていて、山頂から下り始めた反対側は見事な草原になっていた。

 

あれが空木岳、それが宝剣岳と山々を眺めながらしばし時を忘れる。

 

 

下りコースはかなり急なところもあったが、楽しかった。

 

帰路、近くの大江戸温泉物語ホテル木曽路で日帰り入浴。

色々な浴槽があって楽しめたが、本当はもっと鄙びた温泉が好み。

夕食を食べ、家に帰り着いたのは21時半。

 

結局山に登った時間は5時間半だが、車を運転していたのは8時間になる。

残された山はほとんどこんな感じだ。

残る16座をどう登ろうかと、思いを巡らすのは楽しいひと時だ。

北アルプスは烏帽子、野口五郎、鷲羽、三俣蓮華の4座は裏銀座縦走で、餓鬼岳、霞沢岳は日帰りで、南アルプスは聖から赤石を越えて三伏峠までの縦走。鋸、池口は頑張って日帰り。

中央アルプスは空木、南駒ケ岳はちょっと豪華に一泊で。経ヶ岳、安平路は日帰り。息抜きに富士見台。

木曽山群は鉢盛山、小秀山共に日帰り。

そんな中で、出来るだけかみさんや義姉も連れて行ってやりたいと思い、可能な山を探す。

今年はあと一つ、富士見台くらいだろう。

11月中に行けるように計画しよう。