白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

まだ去ってゆくつもりはないけれど  身辺整理

2021年05月21日 21時51分55秒 | 日記
身辺整理といっても道ならぬ関係の、というわけではない。
かといって、終活というつもりもない。
ただ、不要なものを整理して心身ともにすっきりしたいだけだ。
3.11の後、わが身の周りにはなんて不要なものがあるのだろうと、つくづく思った。
立って半畳寝て一畳。シンプルイズベスト。
分かってはいる。だけどなかなか実行できない。
アマチュア無線関係の機器、アンテナ。山道具。etc。
古希になるこの年に、思い切って処分することにした。
隠れ家に使っている小屋からいろいろなものを運び出し、居心地のいい空間にしたい。その為に、とりあえず収納する小屋を別に作る。
四月からその小屋作りをしていた。



これで三棟目になる。
もう少しだ。
屋根を棟まで貼りあげ、壁の上部を貼れば外は完了。

もう使わないものを選択し、処分に回す。
これが結構迷う。
値段が高かったからという基準は無し。
あくまでこれから使うかどうかがすべて。
人が生きていくうえで本当に必要なものは何か、などと哲学的なことも考えつつ、処分の決断を下す。
雨の日はそのようにして過ごす。



庭の花は目を楽しませ心を潤わせてくれる。

アンネの日記のアンネ.フランクにちなんだアンネのバラが今年初めて咲いた。雨にしっとり濡れて可憐。

ニッコウキスゲも今年初咲き。


先日、蕎麦粉の保存用に冷凍庫を購入した。
ついでに打った蕎麦の冷凍保存も実験してみた。
以前冷蔵庫に入れて凍らせてしまったことがある。その時は不味くてとても食べられたモノではなかった。
そんなイメージを持っていたので蕎麦の冷凍保存なんてだめだと思っていた。
ネットで調べると冷凍保存でも美味しく食べられると出ていた。
ダメもとで冷凍してみた。一週間して食べてみた。

「昨日食べたお蕎麦屋さんの蕎麦より美味しい」
うれしいかみさんの一言。
確かに味は打ち立てとそれほど大きな差はない。
冷凍保存も可能だと結論を出した。
これで配る先を心配しなくても心置きなく蕎麦打ちができる。

畑作業も思うようにできず、コロナ禍の中でも、けっこう忙しい。


巣立ち

2021年05月19日 21時59分48秒 | 日記
四月初め頃、庭に置いた巣箱にシジュウカラが巣をかけた。
毎日楽しみに巣に出入りする様子を見ていた。
ひなが生まれ、親はせっせと餌を運んでいた。
元気に育てとそっと声援を送っていた。
そのひなが、昨日巣立ったようだ。
朝は親鳥がエサを運ぶのを見た。午後、ひなの鳴き声が聞こえない。
親鳥もやってこない。
午前中に旅立ったようだ。
その様子を見れなかったのは残念だが、十分楽しませてもらった。
シジュウカラの寿命は一年半から二年だという。
意外に短い。
一度に十個くらいの卵を産み、無事に育つのは八割程度だという。
大自然の中に飛び出して、自由に空を飛ぶがいい。
厳しい環境の中でも、精一杯生きて欲しい。
見守ってきた親のような気持ちで、少し寂しさも感じている。
新しい巣箱を設置しようと、今作り始めている。

庭では大好きなクロユリが咲き始めた。

小鳥や花たちが気持ちに潤いを与えてくれる。



やり残したミッションを果たす ”元気ねえぞ(ないぞ)!”事件の山

2021年05月18日 04時52分22秒 | 日記
五月の風がほほをなでる。
正月以来の飯縄山(いいづなやま)。
この山に正月に登った。
双耳峰の両方にある地蔵様の前掛けを取り替えるのが恒例になっているが、雪で隠れて本峰の地蔵様が見つけられず、春に宿題として残されていた。
この前峰には飯縄神社がある。絶好の展望台。本峰より数メートル低い。

少し雪が残った稜線を辿れば本峰。

晴れた五月の空。

なんて美しい五月
なんて美しいパリ

赤い血を流し 泥にまみれながら 
この五月のパリに 人は生きてゆく
 
なんて美しい五月 
なんて美しいパリ

風よ吹いておくれ 
もっとはげしく吹け
 
青空のかなたへ
我らを連れゆけ
 
なんて美しい五月 
なんて美しいパリ

年老いた過去は 今みにくくおびえ
自由の叫びの中で 何かが始まる 

なんて美しい五月
なんて美しいパリ

ほこりをかぶった 古い銃は捨て 
パリの街は今 再び生まれる

なんて美しい五月
なんて美しいパリ

歌え自由の歌を とどけ空のかなたへ 
この五月のパリに 人は生きてゆく
(美しき五月のパリ)

この歌が心の中に響き渡る。
民衆の自由を求めるこの歌が今もこの国には必要だ。

日本200名山に選定されている。

「どうした、元気ねえぞ(ないぞ)!」
この何気ない一言が大きな波紋を引き起こすことになった。
元気ねえぞ!事件の発端だ。
グレートトラバース、日本200名山一筆書きの飯縄山編。
多くのギャラリーが待つ飯縄山頂に山のスーパースター、田中陽希(敬称略)がたどり着いた。
たくさんの歓声と拍手。
一緒に写真を撮ってくれとねだる女性たちの群れ。
そうしたひと時の中で、この言葉が田中の心に突き刺さった。
群衆から離れ、カメラに向かってボソッと言った。
「そりゃ僕だって疲れますよ。(人間だもの)」
この事件以降、田中はファンとの距離を置くことになる。

人当たりが良くいつもにこやかな好青年といったイメージの田中と求道者としての田中が両立しなくなった瞬間だ。
長い時間この事件を引きずったが、やがて一層成長した姿で姿を現した。
穂高から涸沢に下る途中、上ってくる田中に偶然会った。気さくに写真撮影に応じてくれた。
「また会うかもしれませんね」とにこやかに言った。
彼は穂高から重太郎新道を下って上高地、涸沢まで。
僕らは涸沢から上高地。
事実、僕らが明神で休んでいると彼はさっそうと現れ、売店に入り、店の人と話をして瞬く間に去っていった。
僕は追っかけはしたくない人間だが、偶然に出会うのはすごく嬉しい。
全国放映され、心無い言葉とも取られがちだが、地元の人間として少し釈明したい。
信州でも、特に北信の言葉はかなりキツイらしい。
単なる激励の言葉に過ぎない。多分他意はない。
それまでの行程を見ると、極限に近いまでに追い込んだ田中の体力が、それを受け止めることができなかっただけに過ぎない。
それが全国放映され、それを言った方もトラウマになったに違いないと僕は思っている。
言葉というものは難しい。言う側と受け取る側のズレは事件を生む。家庭の中でも日々実感している。
まあ、多様性許容が昨今の要請だ。違う人間だから、違って当たり前。分かり合える普段の努力が欠かせない。

俗世間のもろもろを忘れさせてくれる、高妻、乙妻。さすがに修験道の山。


正月にやり残したミッション。
ビフォー、アフター。

手前、黒姫山。
奥、妙高山

左、火打山。
名山の宝庫だ。

遠くに行かなくても、近くにこんな山々がある幸せ。
しみじみと感じている。

(五月九日登頂)



 

少人数学級 蕎麦の会五月例会

2021年05月16日 20時13分45秒 | 日記
今回の蕎麦の会は一応先生役の僕と生徒役の二名の少人数学級。
こまめにみて上げられるので、これはこれでありがたい。


今回も高山製粉の八ヶ岳という蕎麦粉の二八蕎麦。

気温が高くなるこの時期から蕎麦粉の劣化がどんどん進む。
思い切って、蕎麦粉保存用の冷凍庫を買った。
98リットル。18,800円。
蕎麦粉も通販で1万円以上購入で、送料無料になるのでまとめ買い。
冷凍庫の容量が大きいのでかなりの量の蕎麦粉が保存できる。

水回しの工程は申し分ない。


手延しで麺帯の厚さは15ミリ目標。
これまで曖昧にしか示してこなかったが、はっきりと目指す暑さを提示した。



麺棒による丸延しは目標5ミリ。

麺帯もしっとりしていい感じ。



最終の目標は1.2~1.5ミリ。




切りの作業も絵になる。

これまでとは違う旨そうな蕎麦ができた。

これからコロナが落ち着いて蕎麦振る舞いができるようになったら、二人にも打ち手になってもらうという話もした。
目標を持つというのは上達を促す。

目標。そう、僕の目標は五人くらいの打ち手を育て、区の行事で蕎麦を振舞うこと。五人で10人前ずつ打てば五十食ができる。
人と人が繋がりコミニュティができる。

それを実現するために食品衛生責任者の講習も受けてきた。
蕎麦屋などの飲食店を開くにも必要な資格だが、この六月から食品衛生法が大幅に改定される。
これまで必要なかった八百屋さんなどにまでこの資格が必要になる。
ハザード アナリシス & クリチカル コントロール ポイント というアメリカ発の技法が、これまでの一般衛生管理に加えて導入される。この方式はNASAでも活用されているとか。食中毒を防ぐためとはいえ、業者にとっては手間が増える。
丸一日の講習だったが、ずいぶんいろいろなことを教わった。とてもよかったと思っている。
六月の改定に向けて多くの人が講習に申し込み、昨年度は予約が取れなかった。今年は受付開始を待って申し込んだため四月に受講できた。
受講料は9千円だが、十分元は取れたと思う。

毎月一回、蕎麦の会便りを発行している。
A4版の縦書き。新聞風の体裁。
蕎麦の会の様子や次回の予定、写真、カット、蕎麦の蘊蓄など、老人には優しくない小さな文字で多くのことを書いている。
一方的になってはいけないので、原稿を依頼して、リレーエッセイを掲載し始めた。蕎麦打ちに関することばかりではなく、趣味のことや日ごろ思っていることなど、気軽に書いてもらう。一人目は依頼して書いてもらい、二人目は僕が書いた。三人目は今日依頼した。こんな風にバトンが渡っていくといいなと思う。
ここは田舎だが、団地なので、子供のころからずっと住んでいる人はいない。
つながりが希薄なのだ。リタイヤ世代のおとっつぁんは特にそうだ。
どちらかというとそんな問題に背を向けて花鳥風月を楽しむのが合っていると自分では思っているが、乗り掛かった舟、もうちょっと漕ぎ出していこう。

おまけ
庭の巣箱にシジュウカラが巣をかけた。
毎日楽しみに見ている。