白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

人として

2018年05月28日 22時01分25秒 | 日記

 

人としての真っ当な生き方とは何だろう。

最近とみにそんなことを考える。

詭弁としか言いようのない、責任逃れ。

国会答弁、日大アメフト部の指導者たち。

人間は誤りを犯すこともある。そのようにできている。

問題はそれに対してどのように真摯に向き合うかではないだろうか。

反則タックルをした学生の、その後の潔さは胸を打つものがある。

それに比べて、安倍内閣の閣僚やお役人たちのなんと醜いことか。

何の役にも立たないような机上の空論を繰り広げている人たちも、ご飯を食べている。

それを作っている人たちの方がよほど真っ当に生きているように見える。

 

今年も棚田の田植えに行った。

とはいっても、田植え機で植えた後の補植程度の仕事だ。

長野市中条の大西の棚田で、棚田百選にも選ばれている。

田んぼの会の会長さんは、85歳。

昨年までは手植えだったが、みんな高齢になって来たので無理はしない方針。

 

 

 

 

 

 

時代に取り残されたような山里の村で、僕らは確かなものを全身で感じていた。

どんなに偉そうな事を言っても、それだけでは自分の食べるご飯一つ作れない。

この風景の中で、何を思いまどうことなどあるのだろう。

柔らかな安ど感が全身を包む。

農耕民族の末裔である僕らは、この田園風景こそ心の原風景。

 

遠く横浜から来ている人もいる。東京からの人もいる。

田舎に住んでいる僕でさえ古代の安らぎの中にいるようだ。

会長さんの奥さんがつくるおやきは絶品。

浸み大根の煮物も、どんな高級料理店の料理より(行ったことはないけれど)も好きだ。

 

作業後の慰労会も話が弾む。

一人は僕の勧めで北国街道を歩き始めた。残り80キロまで来たという。

僕は北國街道、中山道、東海道を完歩し、今甲州街道を歩いている。

すると、東京在住の人が、東海道歩きをしていて、箱根を越え、藤枝まで到達したという。

もう一人の東京の女性は登山をする人で、我が家に泊まって信州の山へ登りにおいでと誘っておいた。

やっぱりみんな自分の体を動かして、真っ当な生き方をすることが好きな人たちのようだ。

 

締めは会長さんのところで採れたタケノコ汁とおこわ。

僕らにとっては最高のごちそう。最良のもてなしだ。

 

棚田のオーナーとはいっても、稲刈りまでの面倒は会長さん夫婦が見る。

中条は山の中で、若い人たちはほとんど長野市内に出て行き、すでに限界集落だ。

それでも、こうして何人かが集まり交流できる場があるというのは素敵なことだ。

秋の稲刈りまでの間に、また顔を出すことを約束して山里を後にした。

 

 

 

 


やっとランナーの仲間入りができたのかな  第29回カチューシャふるさとマラソン

2018年05月21日 07時45分59秒 | 日記

 

あくまでもそれは、登山の訓練の一環だった。

速さはそれほど重要ではなかった。

長い距離、長い時間を走れることが大事だった。

そんなことを、ある意味言い訳にしながら、半ば副業的な感覚で、僕はこれまで走って来た。

この春、まだ雪が残る景色の中、カチューシャマラソンを目指して、主に千曲川の堤防でトレーニングを始めた。

時々、脊柱管狭窄症の間欠破行の症状が出たが、騙しだまし走り続けた。

ハーフマラソンでは2時間を切るタイムを出した。

だが、3月に入って、体調の不良や、区の役員の仕事、実家の解体や法務局への登記、土地売買の契約書の作成、交渉、さらに、新作のセルフビルドの小屋作り、トイレの改修、等々色々な雑事に追われて、まったく走れなく(走らなく)なっていた。

5月20日のマラソン大会の日は迫り、僕は自分に言い訳をし始めた。

練習できなかったし、ぶっつけ本番だし、制限時間の2時間30分を目標にしよう。

半面、去年は狭窄症の症状に苦しみながら、2時間15分、一昨年は2時間2分のタイムで走っている。できれば、2時間切りを果たしたい。それが、僕の本心だった。

 

今年になって僕は衝撃的な事実に気が付いてしまった。

ランニングウォッチを買って、ランニングピッチを調べてみたら、速く走っても遅く走っても165だった。

それはすなわちストライドを変えて走っていることになる。ストライド走法、それも遅いピッチのストライド走法だったのだ。

ぼくは走法を変えた。ピッチを180から185くらいに速めた。歩幅を狭くした。それが、腰への負担を減らしたのだろう。

そして、キロ6分を切るのが大変だったのが、キロ5分くらいでも走れるようになった(長くは続かないが)。

キロ5分は100メートルを30秒で走る速さだ。一流の選手は100メートル17秒くらいで走る。女子選手は19秒くらいだろうか。

そんな風に、一からランニングフォームを作り直した。

それが功を奏したのだろうか。前から構想していた飯山線に沿ったランニング旅を1週間前に第1回を行ったが、間欠破行の症状は出なかった。18キロほどを走ったが、ピッチは180ほどを刻んでいた。

千曲川を眺めながら飯山線沿いのゆったりランニング旅を楽しみながら、100キロほど先の越後川口まで、多分行きつけるだろう。もちろん何回かに分けて。そんな希望が湧いてきてもいるのだった。

 

さて、当日のカチューシャマラソンの朝、この時期としてはかなり寒かった。

ランシャツ、ランパンの上にジャージを重ねて中野市の会場に行った。

この町は僕が3年間高校生活を送った街だ。

北に、特に雪をかぶった姿は秀逸な高社山が街のシンボルとしてある。

北欧にも似た(行ったことはないけれど)淀みないさわやかな風が吹き抜ける印象がある。

僕はひそかに『北の街』と呼んで、夢想の中でいろいろな物語を織った。

原田康子の『挽歌』に描かれた釧路の街にも似ている気がした。

あの頃の僕は、まだ現実世界と切り結ばない夢想家だったのだ。どんな風な未来もあり得た。

場所へのホームシックだけではなく、特定の、過ぎてしまった時代への強烈なノスタルジァ、すなわち時間に対するホームシックというようなものが確かにあって、時として居ても立ってもいられなくなることがある。この北の街にもそれはある。

北信五岳、鹿島槍、五竜などが屏風のように並んだ残雪の北アルプスも冷たい空気の中でくっきり見えた。

会場は中野小学校。

一昨年、去年と比べて、参加者が減っているように見えた。

だが、巨大な有名大会よりも、ひっそりと行われているような、地方の大会の方が自分には合っている。

3キロウォーキング、5キロ、10キロ、ハーフという種目があり、さらに男子は39歳以下、40代、50代、60歳以上、女子は高校生以上、というようなランク分けがあるが、同じ距離ならスタートは同時。

会場には無料でマッサージをしてくれるサービスがある。

むろん、揉みほぐしててもらう。

隣で揉んでもらっている女性とトレーナーとの会話が耳に入り、思わずそちらを見てしまう。

相当走っているらしい。それでも、足首が固いですね。腰の外側が張っています。等々。まだそんなに年配でもないけれど、色々な問題を抱えているらしい。

僕は、それほどのことは言われずニンマリ。自分なりにストレッチ(柔軟体操という言い方の方が好きだな)はやっているし、柔軟性には自信がある。ただ、走る前にあまり柔軟性ばかり追い求めると、スピードが出なくなるということもあるらしい。難しいことだ。怪我だけはしたくないので、その点は留意している。

開会式の後、アトラクションで太鼓の演奏があった。

腹の底に響くような太鼓の音は、いつ聞いても魂に響く。

会場では多くの人がウォーミングアップに余念がない。

僕と言えば、なんとなく体をほぐす程度に歩き回ったり、写真を撮ったりするだけ。

いつも通り、ウォーミングアップは走っている中で徐々に、という方針。

スタート5分前。一番前はハーフ。

その後ろは10キロ。

ハーフ参加の僕は、その間の、すなわちハーフの一番後ろに並ぶ。

21キロ以上ある長丁場、スタートで前だろうが後だろうが、僕の走力ではさほどの違いはない。

むしろ、混雑の中を走る方が嫌だ。わがままだから。

やがてスタートの合図が鳴り、一斉に走り出す。

身に付けたリズム、1分間180のピッチだけを意識しながら走る。

キロ5分30秒ペース。

キロ5分40秒でハーフは2時間切りのペースになる。

大事なのはこのピッチ、このペースを守ることだ。

他人のペースなどは気にしない。惑わされないことだ。

気持ちの良い田園の風景。都会の大会では決して味わえない風景。

給水所や道端での声援もうれしい。

上り下りもあるが、折り返しまでは、基本的に下りコース。

体力の充電量は半分以上、ある。多分。

走っていると、色々な人がいる。

きれいな走り方だなと思われる人、え?あんな走り方で速いの?というような人、楽に走っているように見える人、とにかく力いっぱい頑張って走っているんだなあという人、あんな走り方でなんで俺より前にいるんだろう?というような人。十人十色。

僕は美しく走りたいと思う。力まず、体の一部だけに無理な力を加えず、腰を高めに、体が自然に前に倒れるように前傾し、肩甲骨を使って推進力に換え、全身をバランスよく使って、忍者のように、行者のように、仙人のように走りたいと思う。

去年一昨年は真夏のような暑さで、途中熱中症でダウンする人も出たが、今回は涼しいので走りやすい。

折り返し地点まで来て、ランナーのペースは大体一定になった。

前を行く若者とは大体同じペースで、折り返しの撮影で僕が少しペースを落とした。

大体カメラを片手に走っているのは少し不謹慎な気もしたが、まあいいではないか。

これがなければ、多分ゴールタイムが2~3分速くなっていただろうが、2じかんをきれればいいとしよう。

給水所は何か所かあって、水とスポーツドリンクが置いてある。

一か所だけバナナも置いてあり、往路と帰路にごちそうになった。

水やドリンクも飲んでみたが、走りながら飲むのは相当に難しい。

一流選手はスピードを落とさず飲むけれど、ほとんど歩くか立ち止まらないと飲めやしない。

カップの口をつぶして飲むのがコツだとテレビで言っていたけれど、たやすいことではない。

看板は何キロ地点から残り何キロに代わり、沿道の声援も多くなる。

それを励みに走り続ける。

登り基調なので、ピッチがし越し落ち、ペースが遅くなるが、時計を確認すると2時間切りにはまだ余裕がある。

グランドに入りゴールのゲートが見えた。

少しだけスピードを上げてゴールに飛び込んだ。

タイムは1時間57分41秒。昨年より17分19秒の短縮。

60代以上の参加者41名中17位。

段々と歳を重ね、現状維持さえ難しい年ごろなのに、この成果は誇っても良いのではないだろうか。

登山の訓練の一環で、副業的なランニングという位置づけも、そろそろ外さなければなるまい。

これで、やっとランナーの仲間入りができた気がする。

 

ゲストランナーの庄野真代さんも元気な姿を見せた。10キロに参加された模様。

因みに、子供たちは『庄野真代って誰?』と。。。

会場には『飛んでイスタンブール』『モンテカルロで乾杯』などの曲が流れていた。

あの頃のあの異国情緒溢れる曲調、ハスキーな歌声。嫌いではなかった。

確か世界一周の旅にも出たんだよな。

そして、今ランニングを続けている。同じ時代を生きていた連帯感を感じる。

レース後の補給は中野市の特産、キノコがたくさん入ったトン汁。

5杯くらいお代わりをした。

もう一つのお楽しみは特産物の抽選。

じゃんけん大会で、キノコの詰め合わせをゲット。

籤運が悪いと自認する僕には、格別にうれしい出来事。

 

帰宅すると、今年初めてのニッコウキスゲの花が出迎えてくれた。

多分よく頑張った、と花を咲かせて待っていてくれたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 


飯山線に沿って

2018年05月14日 21時31分48秒 | 日記

 

 

 

 

昨夜、深夜の3時半ごろまで、実家の更地にした土地の売買契約書を作っていた。

建物を解体し、減失登記をし、ようやく売買できる環境が整った。

ただし、土地を二つに分けてそれぞれに売ってほしいという、いわば、甲乙丙の三者の契約書を作らねばならなくなったのだ。

司法書士とか行政書士に頼めば簡単なのだろうが、貧乏人は自分でやるしかない。

ようやく完成し、ひと眠り。

それから、先日の続きの頼まれた樹木の伐採作業。

まだまだ切りたい枝もあるが、隙間が空きすぎるのでこんなものにしておいた。

 

やっと待ちこがれた自由な時間。

飯山線に沿って、ということは千曲川に沿ってということでもあるのだが、駅を結んでランニング旅を企画した。

その一日目が今日。

お馴染みの立ヶ花駅に愛車のセローを停めて出発。

日差しは強いが、涼しい風がふいて、とてもさわやか。

終点の越後川口までは100キロほど。

何回かに分けて走り継ごうと思っている。

1キロ6分、時速10キロ程度のペースで走る。

しばらく前は残雪で白く輝いていた中野市の名峰、高社山も今は濃い緑に包まれている。

この千曲川沿いの道路は車の通行も少なくて、藤の花や山吹の花も咲いているのを眺めながらランニング三昧。

今度の日曜日、カチューシャマラソンがある。

ハーフマラソンにエントリーしているが、このところほとんど走っていない。

だが、制限時間の2時間30分以内なら多分走り切れるだろう、と根拠のない自信を持っている。

次の駅は上今井。無人駅だ。

ここには大きな無料駐車場がある。

飯山線に乗る時に便利だ。

この駅は一応駅員がいる。

一人しかいないが、駅長なのだろう、多分。

次の駅までがかなり距離がある。

途中、かわいい絵の建物がある。多分保育園だ。

『ふるさと』の作詞者、高野辰之の故郷なので、うさぎと小鮒なのだろう。

高社山がぐっと大きくなる。向こうに見える赤い橋は古牧橋。中野市と飯山市の境。

普段、車で走っていると気づかないが、山際にひっそりと隠れるように蓮の駅がある。

木陰でひとやすみ。

飯山の駅。

新幹線が通るようになって、新しい駅舎が出来た。

僕は、古い木造の小さな駅舎の方が好きだ。

あの駅舎を思い出すだけで、思わず泣きたくなるほどに懐かしい。

駅で、かき揚げ蕎麦を食べる。

とても美味しかった。

駅の時刻表を見ると、立ヶ花へ戻る列車は13時台を過ぎると16時近くまで走っていない。

残り40分くらいで13時台の列車が出る。

次の駅まで行くべきか少し迷う。

ええい、間に合わなければその時はその時だ。出発!

飯山の仏壇通りを抜け、北飯山駅を目指す。

20分ほどのゆとりを持って北飯山駅に到着。

走行距離18キロほど。

2時間ほどのランニング旅は久しぶりに自然とゆっくり向き合える時間となった。

この次は、もっと朝早くスタートしよう。

飯山線と千曲川に沿ったランニング旅は、まったく単独の旅だ。

甲州街道の旅はかみさんと一緒なのでゆっくり旅だが、ここでは自分のペースで走ることができる。

北飯山から北へ、いったいどんな風景が迎えてくれるのだろう。

待っていたホームにオイコットの車両が滑り込んできた。

ど田舎なので、TOKIYOの反対でOYKOT(オイコット)。

中のシートはクラシカルでとても風格がある。

中には数人の乗客がいるだけ。

ここも赤字路線なのだろうなあ。切り捨てられないといいのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


陽光が入り、風が通る

2018年05月11日 22時41分30秒 | 日記

 

暑かったり寒かったり、この時期は季節の振れが大きい。

だが、風は至ってさわやかだ。

晴れた5月といえば、決まって革命のパリを思い浮かべる。

民衆が立ち上がり、自らの手に権力を握った日。

こんなにも馬鹿にされ続ける日本では、民衆はいつ立ち上がるのだろう。

 

色々な雑事に追われる日々。

季節は止しゃなく進み、少しも待ってはくれない。

我が家の庭にあるクロユリ。

ひっそりと咲くが、気品があって好きだ。

その周りにある樹木も若葉の時期を過ぎ、うっそうとした感じになっている。

そこで剪定作業をした。

近所の家からも頼まれていた樹木があって、その木も選定をした。

他人の家のはそれなりに気を遣うが、陽光が入り、風が通る、ということを考えて作業をする。

これがビフォ。

手ノコで伐ったが、細かくするのはチェンソー。

これがアフター。

どうかな?

大分いい感じだが、欲を言えば頭をもう少し詰めたいところ。

家主が留守なので、どの程度詰めるか相談してからにしよう。

樹木もその都度手入れをしないと勝手にどんどん茂って大変なことになる。

 

火曜日から職人さんを入れてトイレの改修工事をしていたが、今日床と壁が仕上がった。

明日設備屋さんが便器を据え付けて完了の予定。

長い間トイレが大変な状態だったが、これで安心して友達を呼べるようになる。

蕎麦会でもするかな。


空家問題

2018年05月09日 22時34分01秒 | 日記

わが家でも、空家を一軒抱えていた。

父と母が住み、最初に父が、やがて母が逝き、すでに8年が過ぎようとしている。

長男の僕が、一応相続した。

けれど、人の住まない家は荒れるのが速い。

それはまるで、気力をなくした人があっという間に老け込んでいくのに似ている。

近所の人の目もあり、そのまま放置するわけにもいかない。

空家は既に資産ではなく、負債であるという言葉が身に沁みた。

そして、今年どうにか売却処分の見通しがついた。

4月に入って解体業者に解体してもらい、更地になった。

父と母の墓前に報告に行った。

特に死後の世界を信じるわけではないが、一応気持ちの区切りを付けたかった。

そこは、父と母がやっとの思いで購入し、僕たち子どももそこで暮らした。

僕が中学2年の時だ。

あれからもう50年以上が過ぎた。

自分たちの後始末のことも考えなければならない年齢になった。

家屋の減失の書類を法務局に提出し、現地確認の後、問題がなければ証明書が発行される。

それが明日だ。

その後、売却についての交渉や手続きが待っている。

今年中には片を付けたいものだ。

 

同時進行で進めていたセルフビルドの小屋はほぼ完成に近いところまで来た。

 

 

更に、我が家のトイレ問題の解決も図った。

築後数年の頃、同居していた義母が水洗トイレを詰まらせて水浸しにしてしまった。

水の止め方も分からず数時間にわたって水が出っぱなしになった。

夜帰宅したときには老化まで水が溜まり、水害にでもあったような状態になっていた。

何とか水を拭き取り、見た目は元に戻った。

その時の水がフロアの下や床板の間に溜まり、徐々に内部をむしばんでいったのだ。

壁や床がとてもここには書けないほどひどい状態になり、業者に頼んで大改修をすることにした。

床板を剥がしたところ、床板やそれを支える根太がいまだに水をたっぷり含んでいた。

腐ったところを削り、今扇風機やドライヤーで乾かしているところだ。

根太を補強し、スタイロホームの断熱材を入れ、床板を張り、フロアのシートを張り、石膏ボードを張り替え、ドア枠を一部取り換え、壁のクロスを張り替える。そして便器の取り付けとなる。

今週いっぱいで終わるだろうか。

 

言い訳になるが、カチューシャマラソンのトレーニングは全くと言っていいほどしていない。

今日ゼッケンが届いた。

あと10日ほどでレースだ。

区の3役の仕事も重なり、農作業も満足にできていない。

 

甲州街道の続きを歩きに行きたい。

新緑と残雪の山に行きたい。

ため息とともに、頭の中でそれらのことが駆け回る日々。

 

お詫びと訂正。

先日の『母さん、僕のあの帽子』の文章の中で、何気なく森村誠一の人間の条件と書いてしまったが、本日、温泉の帰りに、ふと「あれ?人間の条件て、確か五味川純平だったよな。森村誠一のは、人間の証明だ!」

というようなわけで、お詫びして訂正します。

歳は取りたくないもんだ。