白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

田舎暮らしを楽しむ 移住者のお宅訪問

2018年10月25日 20時23分33秒 | 日記

前々からお誘いを受けていた横浜からの移住者のお宅を訪問した。

昨年の春、こちらに来て、ふとしたことから知り合った。

旦那はオールドクライマーで、山の話で盛り上がった。

奥様も嫌みのない明るい方だ。

最初は野菜の苗を分けてあげたり、温泉を教えてあげたり、この村で楽しく住めるように心を配った。

その後、不思議なことに、行く先々で出会うようになった。

行動パターンが似ているということもあるが、良くいく温泉もいくつかあって時間をずらしていっても不思議と顔を合わせた。

浅からぬ因縁があるのかも知れない。

 

横浜から引っ越すときに、家財はみんな捨ててきたというように、家の中は実にすっきりとしていた。

我家は生活空間でとてもこのような別荘のようにはならない。

この家で、焼き肉と焼きそばをごちそうになり、珈琲も淹れてもらって、かみさんともども長居していろいろな話をした。

旦那は昔ロッククライミングをやっており、山岳会の会報や谷川岳の写真等見せてもらった。

この家から妙高、黒姫、高妻、乙妻、飯綱、鹿島槍などが見え、それが決め手となってここに住むことに決めたという。

夕方、区の仕事があるので、名残を惜しみつつこの家を後にした。

「うーむ、我家ももう少し整理してすっきりさせねばならぬ」

引っ越しというのはいいきっかけになるが、ずっと昔を引きずったまま惰性で暮らしていると片付かないな、と改めて思い知ったのであった。

帰宅してさっそくもう読まないであろう書籍を処分すべく拾い出した。

 


飯山線ランニング旅4 飯山線の起点豊野駅へ

2018年10月25日 16時58分16秒 | ランニング

旅は立ヶ花駅から始まった。

飯山から栄村を抜け、越後田中まで前回到達した。

その続きをと思い天気予報を見ると、曇りから雨のマークがある。

そこで、急きょ予定を変更。

立ヶ花から飯山線の起点、豊野駅までランニングすることにした。

ここは千曲川に沿ったお気に入りのコース。

鉄道と千曲川に挟まれたのどかな道。

車もほとんど通らない。

 

信濃浅野駅は飯山線には珍しい有人駅。

ディーゼル車が走るので、架線がない分、すっきりとしている。

ここまで2キロほど。

昔の飯山街道に沿って走る。

いかにも歴史の流れから切り離されたような静かな通りが続く。

豊野駅の駅舎が見える。

ここは、今ではしなの鉄道になっているが、かつての信越線の駅で、ここから飯山線が分岐する。

国鉄がJRになり、赤字路線はどんどん切り捨てられて、長野から直江津までは第三セクターの運営になってしまった。

青春18切符が使えなくなったのは、貧乏人には辛い。

そんな中、飯山線は辛うじてJRから切り捨てられていない。

冬の豪雪地帯にとっては命綱のような鉄道なので、効率最優先のやり方では住民が困る。

この駅から終点の越後川口までおよそ鉄道の距離で100キロほど。

道路ではもっと距離が延びる。

おりしも列車が駅に滑り込んできたので1枚パチリ。

立ヶ花駅からここまで、4キロと少し。

列車で引き返すほどの距離でもないので、ランニングで戻ることにする。

この川が、10年以上前、豪雨で氾濫して豊野町が水に浸かる原因になった鳥居川。

向こうに見えるのが飯山線の鉄橋だ。

立ヶ花駅まで、総距離9.3キロ。

タイム54分25秒。ペース5分51秒。ピッチ174。歩幅0.93.

 

ランニングに関して最近思うことは、いかにロスなく体を前に運べるかということ。

以前、ピッチ165の時は無理して歩幅を伸ばし、無駄な力を使っていた。

筋力で走っていたが、今ではリズムで走ることに心掛けている。

それというのも、年末に総距離130キロに及ぶトレイルランニングにエントリーしているので、いかに省エネで走るかが課題。

それはもうスピードよりも持久力の勝負なので、それに見合った体を作っていかねばならない。

 

 


もっと自由にもっとしなやかに 飯山線ランニング旅3

2018年10月12日 15時46分46秒 | ランニング

この夏の初め、ふと思いついて始めた飯山線と千曲川に沿って走るランニング旅も今回で3回目。

立ヶ花駅からきた飯山駅までの18.5キロ、きた飯山駅から上桑名川駅までの15.5キロと計34キロほどの距離を走った。

どうしても身についてしまったリズムは、ともすればキロ5分台を刻もうとする。

長い距離を走ろうとすれば、それでは体力が持たない。

そこで、今回は岐6分30秒から7分を狙うことにした。

前回行き着いた上桑名川駅からスタート。

毎度の悪い癖だが、ウォーミングアップは無し。ゆっくり走ればそれでいいだろう(本当はよくない)。

 

天気は上々。

極めてローカルな自然豊かな道で、車はたまにしか通らない。

田んぼでは稲刈りを終えた後のハゼ掛けがあったり、わらくずを燃やしていたり、のどかな農村の風景があった。

この辺りでは4キロから5キロ走ると次の駅がある。

ほとんど無人駅だが、駅舎は何とも趣がある。コンクリートの巨大な駅舎なんかよりよほどいい。

ふらっとトランクを下げて寅さんが現れそうな気がする。

 

左側は山になっていてそこから豊かな清流が流れ、千曲川に合流する。

 

千曲川もここまで来ると川幅も広がり流れも緩やかになる。

こんな景色の中をゆっくりと走っていられるなんてなんと贅沢なのだろう。

 

奥信濃の秋が心にしみる。

 

左側が飯山線。右側が千曲川。

真ん中の道路はかつての幹線道路だが、今は川向うに立派なバイパスができ、ほとんどの車はそちらを通る。

そんなわけで、この道は地元の人の車が時たま通るくらいで、自分専用のランニングロードと言ってもいいくらいだ。

 

長野県の河は、電力会社のダムでずいぶん景観が損なわれてしまったが、原発に頼るよりはいい。

自然エネルギーの割合を増やしていかないと、地球環境は壊滅的な影響を受ける。

 

いよいよ越後の看板が出てきた。

ここまでほぼキロ6分30秒のペース。順調だ。

 

信州の最北端の村、栄村に入る。

この村は平成の大合併の嵐にも負けず、独立を守った。

大きな市へ身売りすることなく尊厳を守ったのだ。

僕らの村でも合併話が持ち上がった。村長が乗り気だったのだ。

曲がりなりにも自分たちの裁量で物事を決められるのと、すべては陳情してお願いするしかないのとは雲泥の相違。

僕らの村も自立を選んだのだ。

栄村は豪雪地帯で人口も少ない。

そして、東北の大地震の夜に、震度6の地震に見舞われて大きな被害を受けた。

 

 

 

信濃白鳥駅。この美しい名前の駅は本当にど田舎にある。

折しも列車がやって来て、10代半ばくらいの少女たちが5人降りた。

この小さな村に、こんなにまとまって若い人が居るはずもなく、多分何所からかやってきたのだろう。

駅舎の写真を撮ろうと中に入って行った僕に「こんにちは」と向こうから声をかけてくれた。

この年代の女の子にどう接したらよいか戸惑う世代の僕はあわてて「こんにちは」と返した。

 

路はくだんのバイパスと合流し、車がひっきりなしに通った。

そしてまたわき道に逸れ、横道駅に着いた。

この駅には先ほどまで管理人がいたが、丁度鍵をかけて出ていくところだった。

昼間は2時間に1本ほどの列車間隔なので、ずっといる必要はないのだろう。

 

 

 

鳥の絵がコンクリートのトンネルの無機質さを和らげてくれる。

この向こうは村の中心部だ。

 

森宮野原駅。

日本最高積雪地点。昭和20年2月12日、積雪量7.85m。

終戦半年前のこの村の人々はどんな暮らしをしていたのだろう。

そんなことに思いを馳せながら、一休み。

 

駅向かいの八百屋さんで売っていたお弁当。

コンビニのものとは違って手作り感があってうまかった。

駅舎にはセルフサービスのお茶もあって、ゆっくり休ませてもらった。

2階には絵手紙の展示もある。

 

もう少し足を延ばして越後田中まで行ければ、というのが当初の目論見だった。

 

車でいっぱいの道の駅を横目で見ながらそのまま通過。

 

 

あの橋を渡れば越後だ。

だが、駅へは左の脇道に入る。

昔ながらの集落がポツンポツンとある。

次の駅、足滝を探しながら行くと、左手の山際の小高いところに駅舎がある。

ところが、驚いたことに、そこに行く道がどう探しても見つけられなかった。

後で調べると、この駅は工事のために設けられた駅で、工事が終わると閉鎖されたのだが、地元の要望で再開されたそうだ。

主に通学の高校生が利用する。で、道は草むらの中に細く付けられているそうな。次回探してみよう。

 

最終目的地、越後田中駅に着いた。

距離23.01キロ、時間2時間30分20秒(走った正味時間)、ペース6:32/km

 

次回は十日町を目指す。およそ25.6キロ。さらに終着駅の越後川口まではそこから25キロ。

あと2回走ればたどり着けるだろうか。

越後に入った千曲川は信濃川と名前を変える。

信濃川に沿い、飯山線の駅を繋ぐランニング旅。

列車や車の窓からではわからない空気がある。風のそよぎや匂いがある。

越後はどんな風物を見せてくれるのだろうか。

 

この大地の上をもっと自由に、もっとしなやかに走りたいと切に思う。

 

重さなどないかのように軽やかに、野生の動物のように、力強く。

来週から野沢菜採りの仕事を頼まれた。月、木、金、たまに土の日程。

火、水には巻き割の手伝いも頼まれた。

昨年移住した人に山の話でもしに来ないかと誘われた。

区の仕事も例大祭や粗大ごみの搬出手伝いなどがあり、会計監査の仕事も控えている。

80歳になった義姉も次の山の誘いを楽しみにしているとかみさんは言う。

忙しさというのは突然襲うようにやって来るものなんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


半年もがき苦しんだ末に

2018年10月10日 21時25分54秒 | 日記

僕は現在3台のPCを持っている。

テレビも見られるデスクトップ、バッテリーは死んでいるが十数年使っているノートパソコン、数年前購入したタブレットにもなるノートパソコン。

この3台でネットワークを組んでいたが、4月のWindowsのアップデートで、ホームグループという機能がいつの間にかなくなっていて、ネットワークが繋がらなくなった。

最初は原因が判らず、色々な試行錯誤をしたが、繋がることもあれば繋がらないこともあった。

セキュリティソフトが原因だとか、フォルダやファイルの共有設定の問題だとか、wi-fiの設定の問題だとか、ネットやヘルプで調べてみたが、どうしてもうまくいかなかった。トラブルシューティングも役に立たなかった。

ネットで調べてみると、ネットワークのPCが表示されなくなったという書き込みが多かった。

幾つかの解決方法を試してみたが解決しなかった。

Windows10のアップデートは自動で行うように設定してある。内容がよく判らないまま、勝手に変わってしまうのでこのようなことが起きる。

ただ、新しいものが出ているのに古い設定のままというのも気持ちが落ち着かない。

時間を見つけては解決方法を探っていた。

そうして半年過ぎた今日、思わぬ所から解決の方法が見つかった。

これまで、セキュリティや共有の設定、ネットワークの設定などの周辺ばかり調べていたが、別のところに解決の糸口があった。

スタートのプログラム項目にあるwindows管理ツールフォルダのサービスというフォルダを開くとfunction discovery resource publicationというのがあって、その説明に【このコンピューターおよびこのコンピューターに接続されているリソースを公開して、ネットワーク上で検出できるようにします。このサービスを停止するとネットワークリソースは公開されなくなり、ネットワーク上の他のコンピューターがこれらのリソースを検出されなくなります。】と書いてあるではないか。

少し日本語としてはおかしいが、要するにこの設定をオンにしないと他のPCに接続できないということだ。この設定がデフォルトでは手動になっており、自動に変更すればよいのだ。

半年の間、もがき苦しんできたことが嘘のように解決した。

専門家でもなく、独学でしか学んでこなかった身としては、よくやったと自分を褒めてやりたい。

興味も関心もない人にはどうでもよい記事かも知れないが、自分にとっては半年かかって解決した大事な内容なので、どうしても書き留めておきたい。

また、同じように悩んでいる人がいれば、何かの参考になるかもしれない。