白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

飯山線ランニング旅5 越後田中から十日町へ

2018年11月23日 06時57分38秒 | ランニング

今回は越後田中駅に車を停め、飯山線の各駅を繋いで十日町駅までのランニング旅。

越後田中駅まで自宅から約1時間半。

かみさんも同行して、バスを使って十日町の手前、土市駅から十日町駅までの5キロ余りのウォーキングをすることにした。

バスの時刻表をネットで調べると、津南~十日町線が1時間くらいの間隔で走っていることが判った。

そこで、津南の駅出かみさんを下ろし、僕は越後田中駅に向かった。

だが、後で聞いた話だが、待てど暮らせど津南駅前にバスは来なかった。

駅員も不在で、御用の方はここに電話してくださいという番号に電話すると、ここにバスは来ませんと言う。

バス亭は117号線まで出ないと無いという。津南駅は町の中心部から1キロ以上外れた場所にある。

仕方なく117号線まで歩き、バス停の時刻表を見たが、すでにバスは行ってしまった後。

幾つかのバス停を歩き、5キロほど行ったところでバスの時間と折り合いがついて土市まで乗ったのだという。

その時点では、そんなことを知らない僕は越後田中駅に車を停めた。

時間は10時少し前。

走り始めてすぐに咽喉や肺が痛くなった。冷たい空気が突き刺さった。

ウォーミングアップもせずにいきなり走り出した報いなのだろう。

2キロほど走ると、汗が噴き出してジャンバーを脱ぎ、Tシャツ姿になった。

体が重く、思うように走れない。

この物産館に立ち寄りトイレを借りる。

まだ早いせいか、客は誰もいない。

新しいトンネルも横にあったが、旧道を行く。左側には信濃川。

この橋を渡った先が津南駅。

温泉のある駅舎で、当然無人駅ではないと思っていたが、日中は3時間に1本程度の運行なので、常時人が居る意味はないのだろう。

それにしても町中からずいぶん離れて、バスも来ないとなれば、不便この上ない。

ここから117号線には戻らず、川の左岸の裏道を走って次の越後鹿渡駅を目指す。

上り下りが結構あって、登りは迷わず歩いた。

丘の上に学校らしい建物があった。周りに人家もあまりないし、多分もう使われていないのだろう。コンクリートの学校よりもこの方が好きだ。

崖の下には信濃川がゆったりと流れていた。

 

人里離れた崖下の眼立たない場所に一軒宿があった。一瞬廃屋かとも思ったが、車が数台停まっていた。帰ってから調べてみると、辰ノ口温泉渓泉荘という温泉宿だった。1泊2食7,500円。一度泊まってみてもいいかもしれない。

少し先に越後鹿渡駅があった。えちごしかわたりと読む。

名前にふさわしく、今にも野生動物が線路を渡って行きそうだ。

多分、この辺りが一番国道117号線から離れている。

次の駅は越後田沢駅。

もうかなり疲れ切っていた。十数キロ走っただけだが、とにかくきつかった。橋があると、これ幸いとカメラを取り出し写真を撮った。それがいい休憩になった。

 

農産物の無人販売所では、ラジオだけが鳴っていた。

 

国道117号線に戻った。

 

 

橋を渡ると十日町の看板が出てきたが、もともとは中里村。

 

 

 

 

 

 

魚沼産のコシヒカリの本場。

 

越後田沢駅の横にコンビニがあった。

そこで、日高昆布と紅サケのおにぎり、飲み物を購入し、外のベンチで補給。

この辺りが中間点くらいだろうか。先の長さに気が遠くなりそうだった。

もう速さは問題ではなかった。とにかく十日町駅まで行きつけるか、が問題だった。

越後水沢はかわいい駅舎だった。

ここからは保母、117号線に沿って走ることになる。

冬の融雪の準備だろうか。道路が一面に濡れていた。多分中央から水が出るのだろう。最近では無散水の融雪道路が一般的になって、わが村でもその方式だ。

3時間に1本程度の飯山線の列車がトコトコと走って行った。

そろそろ時間が気になり始めた。

十日町駅には1時前に着けると、かみさんには伝えてあった。こんのままでは間に合わない。

携帯電話を持たない僕こう公衆電話を探しながら走ったが、なかなか見つからない。

かみさんがバスを降りて歩き始めた土市の駅に着いたが、そこにも公衆電話は無かった。

もうすぐ1時になろうとしていた。

帰りの飯山線に乗るには1時40分発の列車に間に合うように十日町駅に着く必要がある。残りの距離は5キロ余り。

流石に30分あれば着けるだろうと目星をつけた。

国道増の酒屋の店頭に公衆電話があった。

かみさんの携帯に電話を入れた。

十日町駅に着いたのは1時半。

 

ホームに入ってきたのはおいこっと。

この列車は内装も和風。

多分1日1往復くらいしか走っていない。ラッキーだ。

かみさんは結局10キロ以上歩いたという。

僕は総距離28.45キロ。歩数35638歩。

実質走った距離は25.4キロ。3時間1分50秒だった。

こんなにもつらいランニング旅になるとは思っていなかった。

普段は知っていないツケが回ってきたのだろう。

飯山線ランニング旅も次回最終章を迎える。十日町から越後川口駅まで。大体ハーフマラソンくらいの距離だ。

 

 

 

 


飯山線ランニング旅4 飯山線の起点豊野駅へ

2018年10月25日 16時58分16秒 | ランニング

旅は立ヶ花駅から始まった。

飯山から栄村を抜け、越後田中まで前回到達した。

その続きをと思い天気予報を見ると、曇りから雨のマークがある。

そこで、急きょ予定を変更。

立ヶ花から飯山線の起点、豊野駅までランニングすることにした。

ここは千曲川に沿ったお気に入りのコース。

鉄道と千曲川に挟まれたのどかな道。

車もほとんど通らない。

 

信濃浅野駅は飯山線には珍しい有人駅。

ディーゼル車が走るので、架線がない分、すっきりとしている。

ここまで2キロほど。

昔の飯山街道に沿って走る。

いかにも歴史の流れから切り離されたような静かな通りが続く。

豊野駅の駅舎が見える。

ここは、今ではしなの鉄道になっているが、かつての信越線の駅で、ここから飯山線が分岐する。

国鉄がJRになり、赤字路線はどんどん切り捨てられて、長野から直江津までは第三セクターの運営になってしまった。

青春18切符が使えなくなったのは、貧乏人には辛い。

そんな中、飯山線は辛うじてJRから切り捨てられていない。

冬の豪雪地帯にとっては命綱のような鉄道なので、効率最優先のやり方では住民が困る。

この駅から終点の越後川口までおよそ鉄道の距離で100キロほど。

道路ではもっと距離が延びる。

おりしも列車が駅に滑り込んできたので1枚パチリ。

立ヶ花駅からここまで、4キロと少し。

列車で引き返すほどの距離でもないので、ランニングで戻ることにする。

この川が、10年以上前、豪雨で氾濫して豊野町が水に浸かる原因になった鳥居川。

向こうに見えるのが飯山線の鉄橋だ。

立ヶ花駅まで、総距離9.3キロ。

タイム54分25秒。ペース5分51秒。ピッチ174。歩幅0.93.

 

ランニングに関して最近思うことは、いかにロスなく体を前に運べるかということ。

以前、ピッチ165の時は無理して歩幅を伸ばし、無駄な力を使っていた。

筋力で走っていたが、今ではリズムで走ることに心掛けている。

それというのも、年末に総距離130キロに及ぶトレイルランニングにエントリーしているので、いかに省エネで走るかが課題。

それはもうスピードよりも持久力の勝負なので、それに見合った体を作っていかねばならない。

 

 


もっと自由にもっとしなやかに 飯山線ランニング旅3

2018年10月12日 15時46分46秒 | ランニング

この夏の初め、ふと思いついて始めた飯山線と千曲川に沿って走るランニング旅も今回で3回目。

立ヶ花駅からきた飯山駅までの18.5キロ、きた飯山駅から上桑名川駅までの15.5キロと計34キロほどの距離を走った。

どうしても身についてしまったリズムは、ともすればキロ5分台を刻もうとする。

長い距離を走ろうとすれば、それでは体力が持たない。

そこで、今回は岐6分30秒から7分を狙うことにした。

前回行き着いた上桑名川駅からスタート。

毎度の悪い癖だが、ウォーミングアップは無し。ゆっくり走ればそれでいいだろう(本当はよくない)。

 

天気は上々。

極めてローカルな自然豊かな道で、車はたまにしか通らない。

田んぼでは稲刈りを終えた後のハゼ掛けがあったり、わらくずを燃やしていたり、のどかな農村の風景があった。

この辺りでは4キロから5キロ走ると次の駅がある。

ほとんど無人駅だが、駅舎は何とも趣がある。コンクリートの巨大な駅舎なんかよりよほどいい。

ふらっとトランクを下げて寅さんが現れそうな気がする。

 

左側は山になっていてそこから豊かな清流が流れ、千曲川に合流する。

 

千曲川もここまで来ると川幅も広がり流れも緩やかになる。

こんな景色の中をゆっくりと走っていられるなんてなんと贅沢なのだろう。

 

奥信濃の秋が心にしみる。

 

左側が飯山線。右側が千曲川。

真ん中の道路はかつての幹線道路だが、今は川向うに立派なバイパスができ、ほとんどの車はそちらを通る。

そんなわけで、この道は地元の人の車が時たま通るくらいで、自分専用のランニングロードと言ってもいいくらいだ。

 

長野県の河は、電力会社のダムでずいぶん景観が損なわれてしまったが、原発に頼るよりはいい。

自然エネルギーの割合を増やしていかないと、地球環境は壊滅的な影響を受ける。

 

いよいよ越後の看板が出てきた。

ここまでほぼキロ6分30秒のペース。順調だ。

 

信州の最北端の村、栄村に入る。

この村は平成の大合併の嵐にも負けず、独立を守った。

大きな市へ身売りすることなく尊厳を守ったのだ。

僕らの村でも合併話が持ち上がった。村長が乗り気だったのだ。

曲がりなりにも自分たちの裁量で物事を決められるのと、すべては陳情してお願いするしかないのとは雲泥の相違。

僕らの村も自立を選んだのだ。

栄村は豪雪地帯で人口も少ない。

そして、東北の大地震の夜に、震度6の地震に見舞われて大きな被害を受けた。

 

 

 

信濃白鳥駅。この美しい名前の駅は本当にど田舎にある。

折しも列車がやって来て、10代半ばくらいの少女たちが5人降りた。

この小さな村に、こんなにまとまって若い人が居るはずもなく、多分何所からかやってきたのだろう。

駅舎の写真を撮ろうと中に入って行った僕に「こんにちは」と向こうから声をかけてくれた。

この年代の女の子にどう接したらよいか戸惑う世代の僕はあわてて「こんにちは」と返した。

 

路はくだんのバイパスと合流し、車がひっきりなしに通った。

そしてまたわき道に逸れ、横道駅に着いた。

この駅には先ほどまで管理人がいたが、丁度鍵をかけて出ていくところだった。

昼間は2時間に1本ほどの列車間隔なので、ずっといる必要はないのだろう。

 

 

 

鳥の絵がコンクリートのトンネルの無機質さを和らげてくれる。

この向こうは村の中心部だ。

 

森宮野原駅。

日本最高積雪地点。昭和20年2月12日、積雪量7.85m。

終戦半年前のこの村の人々はどんな暮らしをしていたのだろう。

そんなことに思いを馳せながら、一休み。

 

駅向かいの八百屋さんで売っていたお弁当。

コンビニのものとは違って手作り感があってうまかった。

駅舎にはセルフサービスのお茶もあって、ゆっくり休ませてもらった。

2階には絵手紙の展示もある。

 

もう少し足を延ばして越後田中まで行ければ、というのが当初の目論見だった。

 

車でいっぱいの道の駅を横目で見ながらそのまま通過。

 

 

あの橋を渡れば越後だ。

だが、駅へは左の脇道に入る。

昔ながらの集落がポツンポツンとある。

次の駅、足滝を探しながら行くと、左手の山際の小高いところに駅舎がある。

ところが、驚いたことに、そこに行く道がどう探しても見つけられなかった。

後で調べると、この駅は工事のために設けられた駅で、工事が終わると閉鎖されたのだが、地元の要望で再開されたそうだ。

主に通学の高校生が利用する。で、道は草むらの中に細く付けられているそうな。次回探してみよう。

 

最終目的地、越後田中駅に着いた。

距離23.01キロ、時間2時間30分20秒(走った正味時間)、ペース6:32/km

 

次回は十日町を目指す。およそ25.6キロ。さらに終着駅の越後川口まではそこから25キロ。

あと2回走ればたどり着けるだろうか。

越後に入った千曲川は信濃川と名前を変える。

信濃川に沿い、飯山線の駅を繋ぐランニング旅。

列車や車の窓からではわからない空気がある。風のそよぎや匂いがある。

越後はどんな風物を見せてくれるのだろうか。

 

この大地の上をもっと自由に、もっとしなやかに走りたいと切に思う。

 

重さなどないかのように軽やかに、野生の動物のように、力強く。

来週から野沢菜採りの仕事を頼まれた。月、木、金、たまに土の日程。

火、水には巻き割の手伝いも頼まれた。

昨年移住した人に山の話でもしに来ないかと誘われた。

区の仕事も例大祭や粗大ごみの搬出手伝いなどがあり、会計監査の仕事も控えている。

80歳になった義姉も次の山の誘いを楽しみにしているとかみさんは言う。

忙しさというのは突然襲うようにやって来るものなんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


飯山線に沿って ランニング旅2

2018年09月25日 11時17分37秒 | ランニング

 

暑く激しかった夏。

夏祭り、盆踊り、敬老会と準備も含めて多忙な日々を送った。

区の役員の任期もようやく半分が過ぎる。

色々な山へ出かけようと思ったら、秋の長雨の季節になった。

 

春に、千曲川と飯山線に沿ったランニング旅を始めた。

第1回は立ヶ花駅からきた飯山駅までの約18キロ。

昨日は雨が降りそうもなかったので、続きのランニング旅に出かけた。

予定では北飯山駅から信濃平駅、戸狩野沢温泉駅、上境駅、終着は上桑名川駅。距離はおよそ15.5キロ。

 

10時少し前にカメラとGPSだけ持って出発。

15キロくらい楽勝と思っていたのが甘かった。

気温は徐々に上がり、蒸し暑かった。この夏、ほとんどランニングもしなかった。

そのツケが回ってきたのだろう。気持ちだけが先走る。

ウォーミングアップもなしに1キロ6分のペースで走り出す(いつものことだ)が、じきに肺が痛くなった。

汗がどっと吹き出した。2キロも走らないうちにペースダウン。この冬、ピッチ165から180に走法を変えた。そのリズムは体が覚えている。

その為、どうしても速度が上がってしまう。のんびり、ゆっくり走ることが難しくなっている。

1キロ7分以下のペース配分を自分に言い聞かせる。



道路はいわゆる裏道で、交通量は少ない。

飯山は豪雪地帯で、冬には積雪が1メートルを超える。


稲刈りが行われていた。こんな田園風景がたまらなく好きだ。

近くに高橋まゆみ人形館があり、。こんな農夫の姿が人形になっている。



飯山線は電化されていないので、線路だけのすっきりした風景を作り出す。



ここまで数キロだが、息も絶え絶え(うそです)に信濃平の駅に辿り着く。

2時間に1本くらいしか運行されない赤字路線(多分)なのでもちろん無人駅。

ここの駅舎は列車がそのまま使われていて、なかなかに趣がある。

ここで数分の休憩。



TOKYO(東京)は言わずと知れた大都会。ここ北信濃はいうまでもなく大田舎。対極にある。

OYKOT 。TOKYOをひっくり返したネーミング。オイコットというイベント列車が走る。

レトロ感満載の車内は、木製の凝った座席がしつらえられ、新幹線などとは違った高級感がある。

 

 

雪国の子供のデザインがかわいい。この車両は戸狩野沢温泉駅に停まっていた。

戸狩野沢温泉駅は珍しく有人駅だ。駅舎の改築中で、回りを足場が囲んでいたので写真は無し。

 

 

線路と千曲川に挟まれた路を走るうちに湯滝温泉が見えてきた。

ここまで10キロ余り走っただろうか。

この温泉は後ほど立ち寄ることにして、横目で見ながら通り過ぎる。

 

 

その少し先に、今日4番目の駅、上境駅がある。

 

全国の赤字路線が次々と廃止されていく中で、この飯山線もいつまで存続できるのだろう。

雪深いこの地方の人々にとって、生活に欠かせないかけがえのない鉄道に違いない。

とにかく繋がっているという安心感。お友達ばかり優遇するのではなく、地道に暮らしている人を応援してほしい。

 

 

千曲川の川幅もかなり広くなり、水量も増えてきた。

川の向こう側にバイパスができて、メインの道路ではなくなったが、僕がまだ若い頃は、この道が越後の津南町へ通じる道だった。

角栄氏の勢力が全盛の頃で、信州側の狭い道が、越後の入った途端、道幅が倍もある立派な道路になって愕然としたものだ。

あの頃はホンダのN360という空冷エンジンの車で、随分いろいろなところに行った。そんな懐かしい道だ。

 

 

感慨に浸りながら走るうちに、目的地、上桑名川駅に着いた。

かみさんに北飯山駅で車から降ろしてもらい、上桑名川駅で待っていてもらった。

何しろ昼間は2時間に1本程度の運行なので、今回は列車に乗らなかった。

この駅にも駐車場があるので、この次はランニング終わりの駅からこの駅まで乗ることになるのだろう。

かみさんには湯滝温泉に行くので、ということで同行してもらった。

飯山線は全長100キロ余り。終点は越後川口駅。今回で多分1/3くらいは走ったことになるのだろう。

走行距離15.53キロ。時間1時間42分50秒。ペース1キロ6分37秒。ピッチ170/分。歩幅0.84メートル。

 

この後、湯滝温泉に行った。

 

外湯は誰もいなくて、眼下に千曲川を眺めながら達成感に浸った。

 

 

紫米という古代米で作った笹寿司定食。

そば、おやき、笹寿司、こんな田舎料理にことさら惹かれる。

次回はいつになるのだろう。越後に入ったら、名物のへぎそばを食べてみよう。