白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

継続は力なり 十一月の蕎麦の会

2021年11月23日 17時16分39秒 | 日記
昨年の五月から始めた蕎麦の会。コロナ禍の中でも月に一度例会を開いてきた。
最初はなかなかうまく行かなかった人たちも、今ではもうそれなりの蕎麦打ちになってきた。継続は力なりというけれど、最初のころとは雲泥の差。

一番大事な水回し作業も細心の注意を払えるようになった。

丸出しも順調。

麺棒の扱いにも慣れてきた。

角出しの手順がまだ呑み込めていないところもあるが、麺帯はきれい。


包丁の持ち方が身に付いていないので、その都度正しい持ち方を教える。

こんな風にして一年半、一応蕎麦が打てるようになった。
僕は蕎麦打ちを独習で身に付けたので、最初は「なんでこんなところがいつまでも分からないんだろう?教え方が悪いのだろうか」と悩むことが多かった。
そでれも、「ゆるーく、ながーく、のんびりと」、呪文のように唱えながら続けてきた。ふと気が付けば、みんな結構打てるようになっている。

来月はいよいよ年越し蕎麦。二十九日に打つようにしたいと蕎麦の会便りに乗せる準備をしている。
蕎麦の会便りはA4の用紙に小さな字でびっしり記事を書いている。今度は第十三号になる。リレーエッセイの項を設けて順繰りに書いてもらっている。内容は蕎麦に関することでもよいし、趣味に関することでも何でもよいことにしている。それぞれの人となりが判って面白い。

友人が、とある病院の患者友の会の活動をしていて、病院祭等で販売する予定だった戸隠産の蕎麦粉があるが要らないかと声をかけてくれた。
きいてみると病院祭が中止になったという。
喜んでもらうことにした。
三百グラムを十六袋。ありがたい。
しばらく蕎麦打ちの日々が続きそうだ



飯山線と信濃川に沿った第二次自転車旅

2021年11月14日 21時56分12秒 | 日記
前回飯山線と千曲川に沿った自転車旅をしたのは六月だった。
以前ランニングでこのルートの旅をした。
それを自転車で辿り直している。
全長およそ百キロ。
今回は津南駅から十日町駅経由、千年の湯まで。色々なルートがあるが、気が向くまま臨機応変。


津南駅。
ここの駅舎には温泉がある。ただし、営業は午後二時から。
暑くなく寒くなく、絶好の自転車旅日和。

越後田沢駅でイベント列車、オイコットに出会えた。
本数が少ないのでとてもラッキー。


証拠写真。

田舎の道は心安らぐ。

津南町は有数の雪国なので、家屋も雪国仕様。


土市駅はオシャレ。
駅舎の隣にはこんな建物も。

十日町駅はほくほく線と飯山線が交差する大きな駅だ。
ここから終点の越後川口まで行くプランも考えたが、帰りは飯山線に乗って津南まで戻ることになる。列車の本数が少ないので時間的に制約がある。
ここから先は次回に譲ることにして、信濃川を渡った先にある千年の湯に行くことにした。

妻有大橋。立派な橋だ。その先がかなりの登りになっている。

坂の途中にある神社。
依然歩いてきた時に、突然の雨に見舞われ雨具がないのでこの軒先を借りて雨宿りをしたことがある。
持っていた宮部みゆきを読んで雨が止むのを待った。冬場の寒い時期だったので本当に助かった。

この温泉に一度来たことがあって、湯の色が薄いコーヒー色で珍しいので気に入っている。

温泉で暖まり、昼食は野菜の天丼。うん、いける。

色々なところを通ってきたので三十キロを越した。
帰路は最短距離らしいルートで津南駅まで戻った。
基本的に下流から上流に行くので登りなのだが、単純なものではなくて、上りもあれば下りもある。
かなりの運動量。いいトレーニングになる。
走行距離五十二,五キロ。
自転車で走っていると、ランニングで走った時の記憶がふいとよみがえる。
何気ない日常の中で、こんな時間を持てることに感謝している。
次回は終点を目指す。


友人から蕎麦粉が手に入った。
蕎麦粉の消費量が少なくて余っているのでもらって欲しいというのでもらってきたと横流ししてくれた。
早速打ってみた。
美味しい蕎麦粉だ。
今度打ったものを届けて上げよう。感謝。







晩秋の穏かな日差しを浴びて 飯縄山(飯綱山)

2021年11月09日 18時15分31秒 | 日記
日曜日。絶好の行楽日和。
朝に夕に、毎日眺めている飯縄山に登った。
久々に娘が同行するという。
この山は毎年元日に登っている。もう四十二年になる。この季節に登るのは何十年ぶりだろうか。

駐車場は車がいっぱい。
受付があるのできいてみると、戸隠古道を歩くイベントがあるという。



林の中の歩きやすい道。


ここからが登山道。


一の鳥居。ここは昔修験道の山だった。
それにしては険しくない。



このような石仏が十三個ある。


一昨年、千曲川の堤防が決壊して大災害となったのは台風十九号の影響だ。この山にも大きな爪痕を残した。
登山道のあちこちに大木が倒れている。

もうこんな靴を履いている人は滅多にいない。
話してみると、五十年モノだという。
僕の靴も四十年以上昔のものだが、最近は雪の山でしか履かない。
八十一歳になるという先輩はいう。
「七十五歳を過ぎると、思うように歩けなくなった」
そう言いながら確かな足取りで歩き続けていた。


昔の人はここまで馬で来たのだろうか。
駒つなぎの場というちょっとした広場がある。
冬はこの先を直登するのだが、夏道は右方向に大きくトラバースする。


富士山が見える時もあるが、今日はかすんでいて見えない。
この冨士見の水場より少し下にもう一つの水場があって、そちらの方が水がたくさん出ていた。


天狗のすずり岩。
ここまで来れば、もう七合目くらいだろうか。

森林限界を過ぎると視界が広がる。
戸隠連峰の西岳の向こうに白馬三山。右から白馬、杓子、白馬槍、不帰の険。
もう薄化粧をしていた。

山頂直下に小さな神社。


この山は双耳峰。
南峰には飯縄神社と小さなお地蔵様。
赤い前掛けは毎年元日に替えて上げている。もうすっかり色あせている。

この神社で毎年初詣。
今年はコロナの収束をお願いした。
あれから十一ケ月、ようやく終息の気配が見え始めてきた。


稜線を辿れば北峰。そちらの方が少し高い。
標高は1,917メートル。低いな(ひくいな)と覚える。



ここの山頂からは周囲の山々がよく見える。

先日登った岩菅、裏岩菅。

戸隠連峰最高峰、高妻、乙妻の雄姿。

白馬連峰。

西岳。

方位版。

下山途中、こけしのような女の子に出会った。
三歳。

駒つなぎの場。
登りには石仏に掛かっていた影が、標識に移動していた。

無事下山。
ここから駐車場まで十五分ほど。

秋の風情。

振り返れば、飯縄山。

樹々は秋から冬へ、驚くような彩の変化を見せてくれる。

飯縄山は長野市民の山というくらい親しまれている。
たくさんの人が登りに来ていた。三歳から八十代まで、年齢層も多様だ。
ひと頃の山ガール、山ボーイといった感じの人はほとんど見られない。全体に落ち着いた装いで山によくなじんでいた。
今回もまた山の神とお天気の神様に感謝しつつ、定番の温泉につかり、天ぷらうどんを食べて帰宅。
実に充実した一日だった。