白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

動き続ける

2021年01月30日 19時53分00秒 | 日記
今朝、一面の雪景色。
日が昇り、昼頃にはすっかり融けてしまった。
庭に目白がやって来た。
植物はそこに根を張り、動物たちは動き回る。
僕も動物の一員なので、動きに行く。


ここは最近の僕のランニンググランド。
坂ばかりのこの村に、奇跡のような平らな場所がある。
片道一キロの距離が取れるが、民家を避けても五百メートル以上は確保できる。
一週間に三日走る。
今日のメニューはキロ五分十五秒~五分三十秒で八百メートル走る。三分歩いてまた走る。これを八回繰り返す。これがメインのトレーニングだ。
このところ、ボディバッテリーが低い状態が続いていた。
それが、今朝100の満充電。多分初めてだと思う。
何だかうれしい。
冷たい風の中、割合楽に走れた気がする。
充電されていない状態で走ると本当にしんどい。
ほとんど人がいないこの田園地帯。珍しく反対側から走ってくる人がいる。
サルやキツネやタヌキの類ではない。若い女性だ。
ここを走る人がいるんだ。なんだかうれしい。

そんな風にいい汗をかいて家に帰って一休みしていると、玄関のチャイムが鳴る。
隣のお宅のおじさんが、風呂から出られなくて困っているので手を貸して欲しいとおばさんが言う。
聞いてみると、このひと月ほどほとんど寝たきり状態になっていて、風呂に入ったが足腰が立たず、出られないという。年齢はたぶん八十八歳くらいだと思う。昨年の秋、免許の返納をした。その後急速に足腰が弱り、自力で立つこともできなくなっていたようだ。
抱きかかえ風呂から出して、衣服を着るところまで手伝った。

動物とは動くもの。動き続けなければ動けなくなってしまう。そんな恐怖を感じた出来事だった。
僕もいろいろな痛みがあった。脚が痺れて歩けなくなってしまう症状に悩まされた時もある。最近も腿の上部外側に神経性の痛みがあった。
『動くことで治す』をモットーに動き続けている。動いているうちに神経性の痛みは消えてしまう。
理由を付ければやらない理由などいくらもある。
リタイアした身であってみれば、ひねもすこたつの番をしていてもいい。好きな本を読み耽っていてもいい。パソコンをいじっていても構わない。庭に飛んでくる小鳥を愛でていてもいい。冷たい北風が吹きすさぶ雪降りの日など外に出たくない。
それでも動く。動物なのだから。動き続けていれば億劫さなど吹き飛んでしまう。
そういえば、目標にしていたカチューシャふるさとマラソンはコロナ禍のため中止しますと告知されていた。
構わない。五月に仮想ハーフマラソンを設定し、モチベーションは維持している。




北信五岳をぼーっと眺めていた

2021年01月27日 20時04分05秒 | 日記
信州の北部のこの地方では、『まみくとい』と呼びならわされる山々がある。
北から斑尾(まだらお)、妙高(みょうこう)、黒姫(くろひめ)、戸隠(とがくし)、飯縄(いいづな)という五つの山を北信五岳と呼ぶ。標高千数百メートル~二千数百メートルまである。個性豊かな山々で、とりわけ雪の季節には崇高な神々しさがある。
この位置からは右の斑尾山は見えない。

妙高山。

黒姫山

戸隠連山の最高峰高妻山と乙妻山。

例年元日に登る飯綱山(飯縄山とも書く)。

少し緩んだ午後の日差しの中で、僕はぼーっとそれらの山々を眺めていた。
昨年は妙高以外の山は登った。コロナ騒ぎで遠くの山に行きにくい事情があったから自宅から一時間くらいで行ける山を選んだ。今年は妙高山に行こう。
本当は北アルプスの裏銀座コース、烏帽子から槍への縦走をやりたい。南アルプスの赤石岳にも行きたい。そして信州南部の数座を完登すれば信州百名山を卒業できる。
そんなことをぼんやりと思っていた。どこか遠いことのようにも思えて、現実感が希薄。
こんな風に山を眺めていられるだけで幸せな気分。

昨年中止になった五月のカチューシャふるさとマラソン。今年は開催されるのだろうか。古希になるこの年、再びハーフで二時間切りを目指してゆるーく練習している。ガーミンデバイスの予想タイムは1時間55分25秒。
安静時の脈拍は60前後だったが、最近は50前後まで下がった。心肺機能が良くなったのだろう。
ただ、サボっているとテキメンに数値が悪くなる。
まさに継続は力なり、なのだ。

リタイアした身には代わり映えしない毎日だが、若い人たちにとっては大変なことが多いのだろう。
社会の中で出会い恋をして、というようなかつて当たり前だったことができなくなっている。
不要不急の外出は控えろ、だもんな。
マスクをしないとどこにも入れない。
入院を拒めば懲役刑。
社会の在り様が根底から問われているのだろう。
貧富の差が極限まで広がり、特に女性の自殺が増えているという。
人類は長い時間をかけてほとんどの国で普通選挙権を実現してきた。
富裕層も貧困層も一人一票。これはすごいことだ。
貧困層の方が圧倒的多数だ。貧困層がこんな制度は嫌だといえば、数の力で富裕層だけがますます富を独占する制度を変えることができる。
日本中の貧困層よ、団結せよ。そんな風にいつも思っている。
コロナが落ち着き、もうけありきの今の社会制度が見直されるとき、僕も安心して山へ出かけられる。それまで体力を鍛えておこう。







蕎麦会

2021年01月26日 18時04分09秒 | 日記
24日に今年初の蕎麦会。
4人の参加。
僕は一応指導係で打たない。

まずは粉の準備。
年末に地産地消で、この村で採れた蕎麦粉を使って年越し蕎麦を打った。
その時の感想を聞いてみた。
「ぼそぼそとした感じでなかなか纏まってこなかった」
「これまで打っていた粉と違って短く切れてしまった」
「味は悪くなかったが、香りが感じられなかった」
蕎麦粉に関してはどうしたものか僕も迷っていた。
地元産で、新蕎麦、値段も安い。できれば使いたいと思っていた。
その蕎麦粉はふるさとセンターに置いてある。
店内は暖房が効いていてかなり暖かい。
店番のおばさんに、蕎麦粉を涼しいところに置いてもらえないか聞いてみた。
蕎麦粉は熱に弱い。夏場は冷凍庫で保管するし、石臼で挽くのは熱が発生しにくいからだ。それを一日中暖房の効いた部屋に置くのはもったいない。噛んで含めるように説明したが、生産者が自分で持ってきて置いていくのだという。
見本を一つだけ出しておいて、他は裏の倉庫の涼しいところに置いてほしいと話してくれるように頼んでおいた。
半月はどして、再び訪れた時もそのままだった。
おばさん曰く、生産者には話しておいたんだけど...。生産者のおじさんから直に連絡してもらうから電話番号を教えて、というから教えておいた。
それから何の連絡もない。
僕はこれまでだなと見限った。
僕が普段使っている蕎麦粉は、1キロの袋でその中には脱酸素剤が入っている。その製粉所は最近玄蕎麦の冷凍倉庫を作った。-20度で保存するので劣化しない。値段は少し高いが、質から言えば申し分ない。いくつもの銘柄があり、その蕎麦粉ごとに標準加水率が書いてある。初心者にも打ちやすい。
温度に注意が払えないような生産者の蕎麦粉なんか使えない。また前の製粉所の蕎麦粉を使うことにした。

その旨をみんなに説明し、蕎麦打ちに入る。










みんな何回か打っているので、それなりに上達はしているのだが、指導係が悪いのか、どうにも歯がゆい場面が多々ある。数打つことが上達の道とわかってはいるが、僕は教えることよりも自分で打つことの方に向いているらしい。
ただ、みんな真剣で楽しそうなのが救い。
一人ひとりの課題が違うので、それに合った的確な助言をしなければいけないなと。教えるのって難しい。
共通して言えるのは時間がかかりすぎること。水回し、延しで普通の2~3倍の時間をかけているので、蕎麦がどんどん乾いてしまう。

今日、自宅用の蕎麦打ち。
使った蕎麦粉は玄挽。粗挽き蕎麦粉で、透明感があり、プリンとした触感が最高。他の蕎麦粉では味わえない美味しさがある。わが家では一番人気だ。
蕎麦ちょこも自慢の一品。
蕎麦の聖地、戸隠で大々的にそば祭りをやっていた頃手に入れたもの。裏側には戸隠の詩人、津村信夫の『あけずの間には 村の娘が お茶をたてている』という詩句が書かれている。内側には紫陽花の花と葉が描かれている。
蕎麦の楽しみは食べるだけでなく、打つこと、道具を楽しむこと。このざるは戸隠の竹細工の一品。
昨日ホームセンターで、米ツガの32ミリ丸棒を見つけた。柾目が通り、反りもない。憑りつかれたように購入し、磨き上げ、えごま油を塗って、麺棒を作ってしまった。
麺棒は武士にとって刀が命のように、蕎麦打ちにとって麺棒は命。手に馴染ませて自分の意のままに扱えるように、というか自分の体の一部のようにしたい。蕎麦打ちとは、まことに常人には予想もつかない変な人ではある。

それにしても今日の玄挽きは美味しかった。
その辺の蕎麦屋では決して味わえない蕎麦だと思う。
値段を付ければ、せいろ一人前1,300円でも決して高くはない。それくらいの蕎麦だ。
それもこれも、すべては使う蕎麦粉にかかっている。しつこいようだが、暖房の効いた部屋に長い間放置するような感覚ではとても使えない。地産地消に甘えてはいけない。質が悪くてはどうしようもない。
この村が、蕎麦の里としてやっていくには生産者の意識改革が必要だ。





雪国

2021年01月21日 20時01分36秒 | 日記
新しい生活様式。
そんなことを言われてそろそろ1年近く過ぎる。
裸で歩くことが犯罪になるように、マスク無しで歩くことが犯罪になる社会。
一年前何をしていたのだろう。
下諏訪から江戸に向けて歩き継いで、相模湖駅まで行き着いたのがちょうど1年前だ。終点の日本橋まであと60キロ余りの地点。小仏峠が前年の台風で通行止めになっていた。開通を待って歩き続けるつもりでいた。そこにコロナ騒ぎが発生した。不要不急になるのだろうか。なかなか再開できない。登山も近場の里山ばかり。
数年に一度と言われた寒気もこの地には大した量の雪を降らせなかった。雪の無い地方の菜園便りを見るにつけ、自分も土いじりをしたいと思うが、畑にはまだ雪がある。それも10センチ程度。まだまだ信州の春は遠い。
これは最近のトレーニングコース。
週3日のランニング。目標は再びのハーフマラソン2時間切り。
ガーミンの予想タイムは1時間57分04秒。Vo2Maxは47。ただし、これは今日時点のもの。トレーニングをサボればたちまち後退してしまう。爺さんにとって現状維持さえ難しいのが実情。我ながらよくやっていると思う。自画自賛。我田引水。いやいや年寄りの冷や水。

さて、昨年登った火打山のふもと、妙高高原に雪を見に行きたくなった。


この妙高山にもしばらく登ってない。今年は登ってみよう。

火打山の帰り、いつも立ち寄る温泉。
良く温まり、あまり混んでいない名湯。雪が1メートル以上はあるだろうか。
名物のかんずりを購入。山菜のかん刷りを数軒探したが、やっと小瓶のものを見つけた。普通のかんずりは置いてあるのだが、山菜入りは扱っていないところが多い。残念。
わが家も太平洋側に比べれば、雪国に入るのだろう。だが、本物の雪国に来てみれば、恥ずかしくてとても雪国なんて言えない。特にこの20年くらいは極端に雪が少なくなった。
『むかし、雪というものが空から降ってきてなあ』というような話をジジババが孫に語ってやるような時代が来るのかもしれない。
この節、何があっても不思議ではない世の中だものなあ。
そんな中、しばらく前なら信じられないことが起こる。
核兵器禁止条約がいよいよ発効する。大国の思惑にかかわらず、小国が手をつなぎあって核兵器(使用)を犯罪と断定した。唯一の被爆国がそれを率先して批准しないとは何たる情けなさか。
人類が到達した最高の地点、技術は言うに及ばず、社会的なルール、哲学、文化、その他人間に関するすべてのものの現在の最高到達地点。そこはどこなのかを冷静に見極めれば、超大国や日本の愚行が分かろうというものだ。

そうしたこととは別に、雪国にはとりわけ明るい日差しの中の雪国には気持ちをワクワクさせる何かがある。
光が次第に強くなって、何かしら希望のようなものが見えてくる気がする。
立春まであと半月ほど。去年収穫した落花生を炒って、豆まきの準備をした。



大相撲の楽しみ

2021年01月15日 21時28分20秒 | 日記
横綱不在の正月場所、綱取りを目指す貴景勝の不調など波乱の場所となっている。
溜席の妖精が話題になっている。土俵がテレビに映るその後ろ側に、背筋がピンと伸びた目立つ色のワンピースの女性が座っているのが見える。それは、失礼ではあるが、回りの女性が全く地味で目立たないので、ひときわ輝いているように見える。マスク姿ではあるが、何か凛としたものを感じさせ、たぶん美しい人なのだろうなと思ってしまう。毎日ワンピースが違うので、それを見るのがもう一つの楽しみという人もいる。
その他にも、わが家では贔屓の関取に独自の名前を付けている。隆の勝をおにぎり君というのは周知のことであるが、アンパンマンは正代、田中クンは今場所活躍が著しい大栄翔のこと。ちばてつやの漫画でのたり松太郎という相撲漫画があり、その中に田中クンが登場する。目が細いところや顔立ちが似ていることからそう呼んでいる。郷土の御嶽海も応援してはいるが、あまりにも不甲斐ないので新しく贔屓にする力士を目を皿にして探してもいる。
なんにしても、その世界に興味を持つのは、無理にでも応援する人を決めることだ。野球でも同じで応援するチームをまず決めること。理由はなんだっていい。もっぱらラジオで相撲を聞いていた頃、しこ名の良さで贔屓を決めていた。
同じものでもたくさんの楽しみ方をしたほうがいい。
今場所は田中クンが優勝すればいいな。