人生の裏側

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霊界物語の真相?

2017-10-16 13:34:21 | 人生の裏側の図書室
こないだ某千恵袋を覗いてみたら、こんな質問が寄せられていたのが目に留まりました。

「霊界物語は信憑性がありますか?」

もう何年も前に寄せられたものであり、あまり表に出たがらない性分ゆえに、この場でちょっと感ずるままに、それについて書いてみたいと思うのであります。
霊界物語とはご存じのように、出口王仁三郎師が表した80数刊にも及ぶ空前絶後の大著述のことです。
この質問に対する結論を言えば、信憑性などありませんi
信憑性など求める方が間違っているとも言えるでしょう。
何故ならば"物語"と謳っているからです。ハナっからフィクションとして描かれているのです。
何を隠そう私はこの著を全巻読破したことがあるという、ヒマ人であり、物好きなんですが、二十数年前、古書店で安く入手出来た(そのセットには何故か何冊か欠本があったのがその理由で、その数冊は既に持っていたので、ほとんどダブりが無かったのです)ことからこの出口の無い運命へと踏み込んでしまったのです。
この著述には、「最後の審判の書」とか「数多の予言が...はた又一厘の仕組みが秘されている」とか、如何にも物好きな人間の関心をそそらずに置かないフレコミがまとわれており、私もつい、"20世紀が終わらないうちに読んどかなければ、大峠を越すことは出来まい..."といった観念に取り付かれたか、"一行たりとも疎かに読むまじ!"と意気込んだものの...
数分でそんなものは潰えてしまうのでした(笑)...
こんなべラボーな分量のものを読み込むってことは、さぞかし脳ミソに神智、妙智らしきものが蓄えられるのかと思いきや、ほとんど覚えちゃいませんi(笑)
それもそうでしょう。これはあくまで物語なんですからね。
ここには太古の神の因縁、神代の人間世界の諸相というテーマも基調として描かれていますが、同様のことを記したものでこの著述と同時代には、ブラバッツキーの「シークレット.ドクトリン」、シュタイナーの「アーカーシャ年代記より」などが知られ、最近ではまんだらけ関係から「宇宙全史」というのも出てきています。
私はこれらについて信憑性を求めようという気など更々無い(当たり前でしょう!)ですが、一方的に妄言、妄説と決めつける気もありません。
ただ、この真偽の確かめようのない話をそのまま鵜呑みにして、信じ込んでしまう向きこそは、おおよそ知性も教養も無い、世迷い事と思わざるを得ません。
神代のことは、ギリシャ、インドなど各国に伝わる神話、我が国では古事記(霊界物語はこの真解書とも言われる)、など、いずれもそれは神話物語として描かれているのです。
それは史実、歴史とは違うのですi そこに信憑性など持ち込むというのがオカシイのですi
そこには現代の我々の意識構造とは、根本的に違う、思われた時間、空間と異なる心象世界を窺う事が出来ます。それを「霊界」というもので表現されているのでしょう。
客観的現界にはそれ相応の理解が必要であり、霊界にはそれ相応の"象徴的理解"とか、アプローチが必要なのです。
内的心象のことは、その領域に留めておくことが肝心なのです。"左に知ったことを右に伝えるなかれ"(我が家訓?)です。
この理が弁えられず、混同すれば自他共に混迷に陥るばかりでしょう。

実は霊界物語が表された頃というのは、「竹内文書」などの超太古史、日ユ同祖論など数多の異種古代史が世に出されていたのですが、いずれも霊界的な太古の事相に客観的史実を適応させるような目論見を十分に感じさせるものなのでした。(これがパラノイアの温床となる)
霊界物語の登場はこれらの古代妄想傾向や、ことに当時大本教に吹き荒れていた短絡的な予言への盲信を意識して出されたもののように、私の心象には映っております。



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