人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

宗教の本筋に帰る

2024-03-15 09:53:23 | 宗教
今の時代は、例えば、“権威ある、エライ先生がこう言っている、経典にこう書かれているから”、というだけで鵜呑みにして、追従してしまうような心的在り方は、もう古いものになって、通用しなくなってしまったように思います。
宗教の世界などでは、今だにこの旧時代の在り方から離れられないようですが、これは、そこに支配している集団的思念の世界から離れて、我々一人一人に直接的に、宗教的真理に目覚められる土壌が育って来た、そういう精神が養われるようになってきたという傾向の現れということなのでしょう。
それが本来の宗教的、精神的な道なのです。
“この現実世界とは別に霊界というものがある、前世がある...“、こういう自分自身で確かめることの出来ない予断、予見を信じる在り方はもう時代遅れ、智恵遅れ(!)なのです!
だから、人間は、神から分かれた霊なんだ、だから本来神と一つなんだ!、なんて話はどうだっていい!...なんて...まるっきりそうだとは私は思っていません!
こういう教えは、神道で主に説かれていて、五井先生もよく説かれておりましたが、神の分霊云々というのは、我々凡人には確認の出来ない(ということは、否定も出来ない)説明的表現に過ぎません。
しかし、こういう“神の子観“的な教えで、五井先生などは、どういうことを伝えようとしていたのでしょうか?
それは、このここに生きている私は、一個の、ポツンとあるものでなくて、もっと大きな、深いもの、則ち神的なもの(名称はどうあれ)とつながって生きている、生かされている、ということなのではないでしょうか?(先の説明的表現も、その言葉自体に囚われることなく、このことを指し示す、ある一つの“メタファー~表徴“的な表現として捉えるのなら有効でしょう)
又、このことを実感出来るようになるには、祈りが必要なのである、と。
そうして祈っていると、いつの間にか本当にそうなるではないか!...そうなっている時、思いから離れることも出来るのです。
本当に大事なこととは、これからズレるようなあの世的な理屈を知ることでなく、これを意識に留めておくことでなくて何であろうか!
こうならないと、我々一人一人の実存世界に生きたものとはならないのです。
これが、あらゆる宗教、スピリチュアルの道の本筋であるはずです。ここからズレて、あの世的な、オカルト教説などにハマることなど本末転倒も甚だしいと言わねばなりません!
本筋というものは、自ずと帰る、帰らされるもの...何故ならば、そこにはあの世的な理屈からは与ることの出来ない、愛、平安、リアリティがあるから!
けだし、それが我々が本来から神と一つである在り方ということなのでしょう。
今や宗教は、その本来性、本筋に立ち帰る時を迎えているのではないか!...
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