「着物好きには、着物という着るものが好きな人と、「布」が好きだから着物が好きという人がいると思う」
こう書いてあるのは澤地久恵さんの「琉球布紀行」(新潮文庫)のあとがきです。
澤地さんはもちろん、後者で、この本自体が琉球の布へのオマージュとなっています。
かく言う私メも、いつ頃からか、とにかく布、それも色あせた感じの古布が好き
若いときには、スタイリストの原由美子さんが
「一番美しいと思うのはパリの掃除婦のおばさんが着ている色あせた仕事着です」
なんて、仰っているのを読んで、「この人スタイリストとしてやっていけるんだろうか」と余計な、ホントに余計なことを思った覚えがあります。その独特のセンスで大活躍されているのはご存じの通りです。
ブランドもの一辺倒ではなかったけど、眼識なかったのは恥じ入るばかりです
今や、年月は経ち、少しはその良さもわかるようになったのは、私自身が色あせてきたから。
人間も?布も、古いものには熟成した物語を感じるようになりました。
古いものの良さがわかるようになってきたのは、自分好きだからというわけでは決してありません。
まっ、少しはそれもあるかも。若い頃より今のほうがずっと楽
何の話?
というわけで、この手のきれいなきもの掲載の雑誌は、最近ではトンとご無沙汰しておりました。
ターゲット若い人に変えた?
でも今回は、この特集「こぎん刺しを訪ねて青森へ」に惹かれました。
何年か前に、私も「こぎん刺しに惹かれて青森を訪れた」ことがあり、懐かしさも手伝って手に取りました。
そのときも、立派なものより古い野良着とか、背負子とかそんなものの展示のほうに目がいきました。
無謀にも、自分でやろうとしたこともあります。
まずは、簡単な刺し子からやり始めたものの、あまりの作業の細かさに断念
教室に行こうかなとも思いましたが、やはり絶対に出られない場所(刑務所?)に閉じ込められない限り無理だ、とこちらも断念。
こぎん刺しは、貴重な布を補強するために始められたものですが、同じ補強するなら美しくと、だんだん美を競うようになってできたものです。
いつしか、そんな手仕事が芸術にまで昇華したといいましょうか。
でも、やはり、もともとは素朴なもの。
少しでも温かいものを着てほしいという家族への愛情を一針一針にこめたものです。
その手間には、想像を絶するものがあります。
自分でこぎん刺しの帯を、なんて試みはあっと言う間に挫折してしまいましたが、それだけに、いつのまにか、刺し子の帯やら、こぎん刺しの可愛い帯留やらが集まっていました。
これは骨董市などでゲットしたこぎんの布。いつか帯にしようかと思案中。
こういうの集めるより、いっそ帯買えばとも思いますが、憧れている相手が即自分のものになると、なんだかいきなりつまらなくなる気がして~~。
はい、それでおしまいって感じ?
そんなわけで、もう少しこぎんの端切れで、「憧れ」を遊んでみることにします。
応援ありがとうございます。
こぎん刺しできるほどのパワー欲しい