ひとり紫苑・プチプラ快適な日々を工夫

書籍「年金五万円が教えてくれたお金の向き合い方」「あるもので工夫する楽しい節約生活」は9万部。工夫の毎日は続く。

養老孟司VS落合陽一、若さと老いと死そしてデジタルとリアル、着物

2024-01-11 11:05:06 | 死について

本日はとにかく寒い。
ばたばたしてブログ滞っていますが、
アップすることいっぱいあって、
でも何から、どんな風に書いたら
いいのかわからない。
毎日更新では、とにかく
思いつくままにアップしていましたが、
最近は何をどんな風にアップしようかと、
そして考え始めるとますます混乱^^。

死や老いもそんなものかもしれません。
考えても混乱するだけ。
それでも興味は尽きません。

「落合陽一34歳、
老いと向き合う」(2021年刊)
サブに
「超高齢化社会がもたらす新しい成長」
「テクノロジー×高齢者×介護がもたらす
クリエイティブな社会とは?」
とあります。

この方、
NHKの「プロフェッショナル」で見て、
興味を持ち始めました。
父親はあの落合信彦。
あの、というのは、
若い頃、取材したことがあり、
あまりの大言壮語ぶりに驚いた。
国際ジャーナリストとの肩書、ですが。
その人の子どもがこんなに立派に(笑)

番組では、
彼の子どもが障害をもって生まれ、
そのために障碍者のために、
テクノロジーを開発、
起業までしたとか。

その彼が、34歳で老いを感じて、
養老先生と対談。
面白いです。
ユーチューブでもアップしています


https://youtu.be/TZDlh-tRp8Y?si=Tj-cA_dgzDfstW44

養老先生、
死には「一人称」「二人称」
「三人称」の死があり、
「一人称」つまり自分の死は意識できない
ゆえに考えても仕方がない、

「三人称」の死とは、
何秒ごとに何人死ぬとか、他人事の死。

一番問題になるのは
「二人称」の死、
つまり親しい人の死だといいます。
親しい人が死んだとき、
もっとも感情が動かされる。

このところ、
著名な方々が次々と亡くなっていきます。
今までも当然次々だったのですが、
あまり意識しなかったのでしょう。
こういう人々は「2・5人称の死」とでも
言うのでしょうか。

「誰でも年を取るのだから、
老いについても考えても仕方がない」
そして
「自分だけの世界で生きているときには、
自分は子どもの頃とかわらない」
彼の場合、
虫との世界は年齢に関係ないということ。
老いは人とのネットワークの中で生まれる、と。
確かに、
あまり人と付き合わない人は
いつまでも自分を老いたと思わない~~。

落合さんは、
テクノロジーが進むにつえて、
介護もだんだん「楽に」なっていくと。
テクノロジーの進化が社会をよくすると。

いきなりですが、



手羽元大根を作りました。
豆腐を入れました。
年末に作ってあまりに美味しかったけど、
ほかの人が食べたので、
思い切り食べたいと~(笑)
ここに厚揚げやこんにゃくを入れていくと、
何日か楽しめますね。
鷹の爪、出汁、醤油、味醂、生姜を入れて。

さて、
養老先生、
「老い」への不安をなくすためには、
「対人」、人との付き合いと
「対物」、モノに向かいあう自分の世界、
この二つを持っているといいとアドバイス。
若い頃から、
「これをやっていれば楽しい」とのものを 
持っていると「老い」への不安は減る、と。 

確かに、
私も好きなモノに囲まれて、
好きなことをしているときは、
少女の頃と変わらないものね(笑)

着物とデジタルというのは、ですね。

久米島絣で。

雑誌に載るときと、
実際の自分の違いを感じるということ。
今やデジタルで
いかようにもできる。
SNSなどでも、
どんどん顔細工できるから、
少なくとも
SNSの世界での人は
年は取らないかも~~>
まだまだ書き足りないけど、
本日はこれにて。
最後までお付き合いありがとうございます。
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公園の介護親子が見当たらない&介護と最期のイメージ

2022-03-03 10:25:05 | 死について

本日も暖かいですね。
先の寒さがウソのようです。
喉元過ぎれば熱さも寒さも忘れる。


このところ暖かいので
公園散歩や近くへの
お出かけが増えました。

公園でお昼頃ときどき見かけていた
母親(らしき人)と男性が見当たりません。


時間がずれたのかなとも思い,
何度か目で探してみたのですが。
お母さん、病院に入ったのでしょうか。
あるいは~~。


この二人を観て、思い出しているうちに
自分が死ぬときの
「理想」のイメージが
浮かぶようになりました。

そんな難しいことではなく、
できれば家族、そうでなくても
いいのですが、
誰かに手を握ってもらいながら、
ということです。

ある本によると、
逝く時には身体を温めていると
それだけで脳内には
天国のイメージが浮かぶそうです。
わかるわ、
温かい、暖かいって心地いい。

このイメージには
思い出すことがあります。

乳がんの手術をしたときです。
全身麻酔で、
目が覚めたときが一番つらかった。
身体が動かないんですね。
で、そのとき、
息子が一生懸命、
手をさすってくれました。

それがものすごく気持ちよく
楽で、かつ嬉しかった。

お豆腐にキノコなどの残り野菜を入れて。
もうお豆腐とキノコがあれば
いいんじゃない?!
キノコ類は血流をよくするし、
血糖値の上昇を抑えるし~~。

息子は受験期で単語カードを持って
病院に来ていました。
「いや、
いま死なれると困ると必死だった」と。

その後荒れて、
マンションの壁を~、
そんなこともあったなあ。
病院での出来事があったので、
大丈夫と思えました。

ある友達は子育てのときに
連れ合いが、
一生懸命助けてくれたので、
嫌なことがあると、
そのときのことを思い出すと
言っていました。
辛いときにはシアワセのかけらを。
という歌があったなあ。

心にしみる優しさがありますね。
それはたいてい
身体の温かさにつながっている
ように思います。

死についていろいろ考えていましたが、
これで最期だけは決まった!?
手は大事。

それまでをどう過ごすかが
抜けていますが。
それは追い追い~~。

あの母親はシアワセでしょうね。
息子(たぶん)さん、
大丈夫でしょうか。
もう公園で見かけること
はないのでしょうか。
当分、通るたびに
探すんだろうな、ワタシ。
生きているだけでいいという
大事な人を持てるシアワセ。

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というわけで、
本日も元気にいきましょうか!

最後までお付き合い
ありがとうございます。

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リアルな在宅医療を「サイレント・ブレス」「命の停車場」&砂糖を使わない林檎パイ

2021-03-31 09:37:38 | 死について

よいお天気だけど、
黄砂があるということで、
洗濯や干し野菜は中止。


死を意識する年齢になったせいか、
覚悟をしておこうというせいか、

「在宅医療」「在宅死」に興味があます。
5月に吉永小百合さん主演で映画になる
南杏子さんの「いのちの停車所」

この方のデビュー作
「サイレント・ブレス」と
「ブラックウエルに憧れて」を読みました。

幻冬舎刊

面白かったです。
在宅医療に携わることになった
女医が戸惑いながら、
真剣に死に向かいあう。

この方医師として実際に末期医療に
携わっていたので、
描写がリアルなんですね。
医師から作家に。

「サイレント・ブレス」は、
死にまつわる本を書いた
45歳のジャーナリストが乳がんに。
余命半年、治療はしない。

乳がんの女性が書いた本は
キューブラー・ロスの有名な
死の受容に至る四段階について。
彼女は、
死については考えに抜いていた
つもりではあるが、
自らの死を前にすると、
「~~怖い」
「あんなにうまくいくものではない」
と取り乱し、
スピリチャルに救いを見出す。

キューブラー・ロス自身も、
最期は取り乱したそうです。


また癌医療の権威がすい臓がんに。
この医師は、
「がんを諦めるな」なる本の著者との設定、
しかし、自分が癌にかかると、
緩和医療も拒否。

ここでも食べられなくなったら
どうする、つまり
胃ろう問題。

「食べられなくなった動物は死ぬんだ!」
と、医師は主人公を一喝。

砂糖を使わないで林檎パイを作りました。
生地は塩のみ。
クラッカーみたいになります。
林檎は朝食べて残りをすぐに煮て。
林檎自体が甘いので、
そのまま食べれも美味しい。
ジャムに砂糖を大量に入れるのは
保存のため。
保存しないのでノンシュガー。

癌の権威の医者はいいます。

「~患者が病院で死ぬ覚悟をしたとき、
医者はその患者に興味を失う」
「だけど、
患者を放り出すわけにもいかないから、
ずるずると中途半端に治療を続けて、
結局患者を苦しめることになる」と。
自分の「あきらめるな」は
ある程度の段階までのことだったと。

小説のなか、主人公の医師でさえ、
死につつある患者を目の前にするのは
辛い、まして家族は~~。

もう一冊は、
女子の医大入試減点問題を扱っています。


「ブラックエルに憧れて」(光文社)
表題は世界で初めて医師となった女性の名前。

医科大に女性をなるべく
入れないようするだけではなく、
医療現場の女性に対する差別がすごい!
セクハラはもとより昇進を阻んだり。
その中で頑張る四人の女医を描いています。

次はこちらを読みます。


「いのちの停車場」

家族や自分、
死を考えることがあったら、
目を通しておきたい本です。

思い通りにいかないとは
思いますが。

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命の、死のレッスン~「エンド・オブ・ライフ」佐々涼子

2021-01-26 10:04:54 | 死について

あまりにいいお天気なので
外で本を読みました。

「エンド・オブ・ライフ」
(集英社・佐々涼子著)
ノンフィクション大賞受賞作品です。

先に、玉置妙憂さんの本を読み、
在宅死のプロセスが書いてあるのを
読み衝撃を受けました。

これから自分自身、死を迎えるにあたり
観念的な死ではなく、
具体的なことを知りたくなり、
話題のこの本を手に取りました。


家で籠って読むより外の光のなかで
読むほうが気分も沈まないだろうと。

長い間在宅看護をやってきた男性介護士が
癌にかかり~~、
その方の命の終わるまでを書いています。

未曽有の多死時代だというのに、
死について知らないことが多すぎる~~、

先の玉置氏の本でも言及していましたが、
病院は治す場所~、死ぬまで
自由でいたいなら、在宅がいい、
でも、介護する側は~~。

治療法がどんどん進歩する中で
本人も家族も「選択肢」が増え、
「では治療を打ち切ってください」
とは言いにくくなってる。
「~~家族愛という言葉で
縛られる人は
これから増えていく」と著書。

なんでもそうですが、選択肢が増えれば、
それだけ迷いは多くなる。
これは今の世の中全般にいえることかも
しれません。

休憩

夕食はクリームシチューに。
ずっとお鍋にしていた白菜に飽きたので。
焼いたパンと一緒に。

本は、
著者自身の母親の在宅介護の様子も。
「仲がいい」むしろ
「共依存」の傾向のある父親の
介護の様子はあまりに優しい、
理想的な介護。
著者は68年生まれの50歳。

死の直前に
ディズニーランドに行った家族、
音楽会を開いた家族など、
在宅介護の利点を述べるとともに、
もちろん壮絶な大変さも。

人は生まれるときも、
死ぬときも下の世話をしてもらう、
介護されるとは、するとは、
まずそれを念頭において、
それに慣れること、
いや慣れないよね。
でも知っておく。

一気読み、
理想的な在宅死を扱っているせいで、
読後感はいいです。
いい本です。

先のブログに自宅で父親を看取ったブロ友さんが
コメントをくれました。
介護する人の、きれいごとだけではない
実感です。
目を通してください。

「~~もし目に見えない世界が
あるとすれば、文化や社会は
もっとよくなると思うんです」
死にゆく介護士の言葉です。


「小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」
上野千鶴子著

次はこちら。
エンド・オブ・ライフ、
命のレッスン、
「~チベットでは生まれたときから、
子どもは死の準備をしている」とか。

私も
遅ればせながら、始めることにします~~。


最後までありがとうございます。

初心に戻って 
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枯れ木のように逝く~未曽有の多死時代に向けて看取る側と看取られる側

2021-01-16 10:24:25 | 死について

本日の東京は太陽の光が
気持ちいい一日になりそうです。

図書館でぱらぱらめくっていて、
目についた「週刊文春」の最新号、
「家の履歴書」に登場していたのがこの方。


玉置妙憂さんです。
「死にゆく人の心に寄りそう」
(光文社新書)

夫の介護、看取りが終わってから、
高野山で修行、僧侶になった方です。

図書館に著書があったので
借りてきて、
一気に読んでしまいました。

義理の弟が亡くなったばかりで、
このところ死について考えることが
増えています。

著書で興味深かったのは
在宅で逝く場合、
その経過が優しく書かれていること

 死の三か月前から一か月、
24時間前に起きることが
詳細に書かれています。
☆ 尿が出なくなる、下顎呼吸になる、
尿と便がぱっと出る、などですね。

在宅の場合、
多くの家族がその変化に
ついていけなくて、救急車を呼び、
病院に。
その結果延命処置~~。

点滴やらあれこれで、
ご遺体はむくみぱんぱんになり、
本人も苦しむ~~。

死に至る道は多くの場合、
同じなので、それを知っておくと、
枯れ木のように自然に逝ける」

休憩。
豚肉の生姜焼き。
豚肉に片栗粉をまぶすと味が染みて
美味しい。
青梗菜と昨日の里いもを添えて。
炊き込みご飯は飽きたので、
メスティンで半合炊きました。



さて、
これからの十年、二十年は未曽有の
多死時代。
そう、団塊と我々の世代ですね。

その時代を迎えるにあたって、
介護する側もされる側も
これまでにはない知識が必要。

コロナ禍にあって、
死はより近く感じられます。

死に至るプロセスで、
こんなに具体的に
書いてある本を始めて読みました。


(中央法規・刊)

ワタシはまだまだ若いからという人にも、
この本は参考になります。
心の弱さは誰でも持っているから。

介護される人というのは、
それが一番わかりやすいだけ。

鬱やら引きこもり、いじめの被害者など、
「心の何かが開いてしまった人」は、
みな同じ。
家族と向き合う上でも大いに
参考になります。

「看取りに向き合うための心得」を
私はそのようにも読みました。

 いくつか抜粋しておきます。

① 情報は返って邪魔。
② うまいこと言ったと満足していないか。
③ 説得しようとしなかったか。
④ 安易にハウツーを提案をしなかったか。
⑤「わかる」という言葉を簡単に
    使わなかったか。
⑥ 下手に励まさなかったか。

13項目あるのですが。
ワタシ、これほとんど全部
当てはまります(汗)

これで終わるのは辛いので、
先の百均の残りのブラウニーを
また作りました。
とにかく混ぜるだけ。

ナッツが残っていたので、
袋ごと叩いて潰し入れる。
ナッツを入れると途端に味がアップ。


ふっくらと美味しい💛

美味しいは生きている証。

この方、もっと追ってみます。

最後までありがとうございます。

ということで、
初心に戻って新ジャンルに参加。
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どんどん人が亡くなる2025年からのお墓もんだい~「こんな樹木葬で眠りたい」&栗の渋皮煮

2020-10-02 09:46:25 | 死について

昨夜は中秋の名月。
とてもきれいに見ることができました。
そして本日は秋晴れ。

先の谷中の樹木葬に行く前に、
こんな本を読みました。

「こんな樹木葬で眠りたい」(上田裕文著)

著者は東大農学部で森について研究。
森の持つ意味や活用法を探すうち、
ドイツでは樹木葬という形のお墓があると知り、
これからの社会に求められる森の使い方として
樹木葬を研究し始めたそうです。

先日の着物&帯。
絞りの雀模様の生地を自分で帯にしました。
葡萄の帯どめ。

今のお墓の制度は、
明治時代に男性を中心とした
家制度の考えに基づいたものだそうです。
いわゆる家父長制度からきたものですね。

家族がお墓を引き継ぐというのも、
この考えから。
江戸時代もそうだよね。
それが法的に決められたということかな。


一家の長がお墓を守り、
たとえば生まれ故郷を離れた人は
どうするのか?

嫁いだ女性は、嫁いだ先のお墓に
入りたくないという人は多いそうです。
私の知人女性の言葉も
珍しくないのですね。


離婚も増え、
お墓問題で悩む人は女性に多いのは
そのせいだとか。

しかし、ここにきて事情は大きく
変わってきたようです。
そうです。
少子化高齢化です。

人口が増加から減少に
転じたのは2011年。

この頃からお墓の販売数が伸び、
団塊の世代が亡くなっていく
2025年以降は、日本は「多死社会」に。

加えて、核家族化が進んでいるので、
世帯数は増加。
1970年代の二倍。
親のお墓に入らない人が増えたのでしょうか。

つまりお墓がどんどん
必要になっていくとのこと。

日本で初めての公営樹木葬墓地
横浜メモリアルグリーンができたのは
なんと2006年。

まだ歴史は浅いのです。

その前に「桜葬」という
民間のエンディングセンターが
発足したのは2000年。

谷中にはこんな表示が堂々と~~。

高齢化と世帯数の増加で
お墓はどんどん必要になる。

しかし、少子化、離婚、結婚しない人、
結婚しても子どもや
跡継ぎのいない人が増えた現在、
この先、
何年もお墓守り続けられるのか。
誰が守るのか。
その上、費用もかかる。

そこで、散骨、共同墓や樹木葬が
注目され始めたのですね。



地方にお墓を持っている方々も、
この先百年単位で考えていくと、
少子化などでいつしか守る人が
いなくなる~~。
ずっと管理していけるのかとの
問題もあるとのこと。

広島のど真ん中にあったわが家のお墓、
幼い頃に両親と一緒に
お参りに行ったものです。
懐かしく思い出しますが、
しかし、そのお墓もいつしか
「墓じまい」となって。



「墓じまい」が頻繁に
行われるようになったのは、
1999年に法の改正があったから。

長期間ほったらかしになっている墓、
管理費が払われていない墓は、
管理者、つまりお寺が簡単に整備して
販売できるようになったのだとか。


東京に来て、
生まれ故郷の墓を引っ越しさせるために
墓じまい経験のある知人によると、
この手続きも、とても大変だそうです。
それを怠ると、いつのまにか
先祖の墓がなくなっていることもあるとか。

そんなこんなで、
首都圏には宗教不問の共同墓地、
散骨など~~、
そして地方では「墓じまい」


さてワタクシはどうするかと考慮中。

散骨、お墓必要ない、
共同、でもいいのですが。
お墓って遺っている人の気持ちの
問題が大きいようです。

いきなりですが、
友人に栗の渋皮煮をいただきました。
嬉しい💛
どうしてこんなに親切なのかわからないままに、
とにかくいただきました。

お出かけした日の夜は軽く。

お豆腐と白菜、鶏肉の団子などのお鍋。



そのあとのデザート。
お酒にも合うなあということで、

ということで、


最後までありがとうございます。
今すぐは役に立たなくても、
いつかは考えなくてはいけないことですね。

メメント・モリ(死を想え)
メメント・森~~。
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お墓問題、どうしましょうか。離婚した友の選択

2020-09-23 10:22:26 | 死について

本日の東京は小雨、
寒い、
寒暖差大きいので
衣服をあまり捨て過ぎると
あとで困ることに。
少し考えましょうか。

さて、昨日はお彼岸。
コロナ禍のなかでも
お墓参りする方々も。


雑司ヶ谷霊園です。

ワタクシ、この何年も
両親の墓参りには行っていません。

両親の墓は、
生まれ故郷の広島にあり、
それも市街地から離れているので、
行くだけでオオゴトになります。
お墓の管理は、
幸い妹がやってくれています。

最近になって、
自分のお墓のことを考えるように
なりました。

私は故郷を離れた上、
別れています。

名前だけでいえば、自分の両親の墓に
入れるわけですが、
その気にもなれません。

何年か前のお墓参り。

私のお墓に関して、
子どもたちに負担はかけたくない。
今は散骨とかいろんな方法があります。

私自身は死後にこだわりはありませんが、
子供はどう考えているか、
おそらく全く考えていないでしょう。

こんなことをつらつら考えていたので、
離婚した友達から連絡があったとき、
それとなく、いやはっきりと、
「~~考えてる?」と聞いてみました。

すると、彼女~~、



樹木葬にしたいと~~。

樹木葬とは、
文字通り樹木を墓標にしたお墓。
普通のお墓よりかなり安くなります。

① 子どもにあまり負担をかけたくない。
② 継承者がいなくても任せられる
③ ペットと一緒に入れる

などの特徴があるようです。
個別葬と合葬もあり、
合葬はもちろんその分安くなります。

いきなりですが、
昨日は干したばかりマッシュルームとピーマンを
えびとウイナ~を加え、
オーブンで焼きました。
塩、あるいはポン酢で食します。
油使いたくないとき、我が家の簡単ヘルシオです。
これに作ったレンコンのきんぴらとお味噌汁。


少し年上の友人の中には、
「~夫と一緒のお墓には入りたくない」
と、何年か前に言っていた方がいて、
お墓問題など、遠い話と思っていたワタクシは、
「ふ~~ん」と思っただけでしたが、
その方、どうしたでしょうか。
一緒のお墓は嫌だといっても、
では具体的にどうするかとの問題では
ないのね、きっと。

私自身も、
樹木層がいいなと思っています。

子どもたちも気軽にお参りできる
近県で合葬~~。
お値段はいろいろありますが、
30万から百万くらいでしょうか。
しかし、娘はともかく息子は
どう考えてるか、
やはり相談したほうがいいかとか、
こちらの方が気が重いなあ。

生きることと同時に
死んあだあとのことも、
具体的に考えておいたほうがいいかなと
思うようになりました。
今度、
近くの墓地を見学してみるつもりです。

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人生は何度あれば気が済むだろうか?そこで私は~~

2020-02-23 08:16:29 | 死について

 

「人生が二度あれば」という

井上陽水の歌があります。

 

 

 

「~~今年の二月で父は64~~♪」

72年の作品だから、私はまだ21歳。

64歳の人のことなど、

想像もできませんでした。

それ以上に、父親や母親のことを

この歌のようにいたわる気持ちさえ

抱いていませんでした(

 

そんな私も、歌の父親の年齢をはるかに

超えて68、「今年の0月で69♪」

 

とても面白い本を読みました。

 

「リプレイ」(ケン・グリムウッド・新潮文庫)

 

43歳のある日あるとき、

心臓発作で突然死。

 

目が覚めてみると、

1963年、18歳の時に戻っている。

これを繰り返すこと4回。

よくあるタイムスリップものではありますが、

毎回、前の人生で後悔したり、

やりたかったことを次々と実現していく。

この繰り返しのデティールがなんとも

正確で、興味深い。

ケネディの暗殺、国家間の軋轢~~。

と書くと硬い内容のように見えますが、

メインテーマは愛、

セックスシーンもふんだんで、

これも真実味がありますよ。

 

私も文庫版の表紙を真似て作ってみました。

ワタクシのタイムトリップは、

大盤振る舞いして48年!

目覚めると20歳!

時を超えるBABA~~♪

 

小説の主人公は、60年代に戻ると、

その時代の競馬やらフットボールの賭けで、

莫大なお金を得る。

結果をすでに知っているので、

間違いはない~^。

その上に、アップルとか将来伸びる会社の

株をどんどん買うわけです。

これでどんな人生でもお金の心配は

なくなる~~。

お金の心配がなくなった上で、

は、この人生で何を成すのか~~。

が、テーマかな

 

それにしても、

何度も43歳になって、

その都度、再び18歳。

前の時代に生きた記憶はあるけど、

妻も娘もそのたびに失う。

喪失することの無量の悲哀~~。

ちょっと哲学的な課題になっていくところが

それがほかのタイムトリップものと違う。

 

 

この小説、前にも読んでいるのですが、

今回改めて読んで深く、深く感情移入。

私は、何度生き直したいだろうか。

 

でも一回きりの人生を生きる

ワタシたちだって何度も生まれ変わる。

耐えがたい苦痛や悲しみを経験すると、

人は一度「死ぬ」のだと思います。

一度死んで、また生き返って、

次の人生に向かって歩いていく。

だから人は本当は何度も生まれ変われる

はずなんですね。

 

で、今回の私は、20歳くらいに勝手に

生き返ることにしました。

この本を読んで、ぐっすり寝ます。

目が覚めたら、20代!

上京したばかりの頃の部屋は四畳半一間。

今目覚めると~~、

なんと、当時の部屋より部屋が広い!

ラッキー!!

これからは20代のつもりで

子どもを産むまでの14年間を

一人暮らし、します!

楽しみだああ。

主人公のジェフは、’45年生まれだから、

現在74歳、生きていたらどんなシニアに

なっているんでしょうね。

「前世はあるのか?森下典子さんの前世は」

「日本人は死んだらどこに行く」

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どうせ死ぬのになぜ生きる」&鶴帯

2020-02-07 12:26:27 | 死について

 

思うがままにやりたいことを

やりたいようにやってきたワタクシですが、

ものすごく幸運なことに、

行き倒れることもなく、

娘も息子もめでたく結婚して、

それも願ってもないよいご縁。

 

良き日続きの毎日ですが、

この年齢になると、

どんな穏やかな日々のなかにも、

「死」が通奏低音のように鳴り響くことが。

 

最近では60代になったばかりの知人が逝き、

いつ死が訪れてもおかしくない~~。

 

お正月に着た訪問着に

鶴帯を合わせてみました。

日々、着物周りのことにうつつを

抜かしておりますが。

 

これからは、

「引き寄せ」より

ずばり「死」についてじっくり

考えてみたいと思っております。

モノは整理しほうがいいのか。

あるいは

死ぬ直前まであれこれ

ジタバタしたいのか。

死ぬまでにどんなことをしたいか。

どんな風に生きたいのか。

実務的なことも含めて

課題はたくさんあります。

これからは

「よき死に方」を引き寄せたい~~。

 

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」

(名越康文・PHP)

 

名越先生は、

「エヴァ・ブラウン」の番組にも出演していた

精神科医です。

「ヒトラーの愛人・エヴァ」

 

本のタイトル「どうせ~~」という言葉が

投げやりに聞こえて面白いなと

書店で手に取ってぱらぱら、

次の一節に惹かれました。

「~僕の考えではマイナスを

埋めたいとの願いだけが人を動かす」

 

人は、こうしたら得すると言われると

その通りにすると思われがちですが、

多くの人は「他人にこうしろ」と言わても

その通りにしない~~。

だからこそ自己啓発本が華盛りとか。

実行する人が少ないから、

次々と同じようなテーマで。

 

ワタシも強く、強く、同感なんですね。

周りを見渡しても、

意識しているにせよ、

無意識にせよ、

「劣等感・コンプレックス」を埋めようとして

人生を進んでいる人のなんと多いことか。

それがたとえ間違った方向でもね。

というか、間違っていることさえ

気づかないのかも。

 

私ももちろんその一人~~?

 

この本には、

「~~なぜ生きる」の答えは

直接には書かれていません。

生きてみないとわからない~?

ただ、

「間違った方向にいかない」ための

ヒントが書かれている。

その一つが、

飛躍するようだけど、

仏教の「行」

まあ、ヨガとか瞑想とかですね。

最近、ヨガや瞑想が心や身体に

いいと科学的にも証明されつつありますが、

元来、「行」とは「得を考えず」

行うこと、ですよね。

 

「人はマイナスで動く」

その最たる人が釈迦。

確かに釈迦という人は、

「生老病死」という「四苦」を追求するために

生きた人ですね。

私は特定の宗教に属してはいませんが、

「和の引き寄せ」をやったくらいですから、

日本独特の宗教には感心を持っています。

 

子どもの頃、

本郷功次郎主演「釈迦」を

見て、(親に連れていかれて?)

そのころ珍しい

総天然色だったせいか、

夜ウナサレて、強烈な印象を。

1960年、なんと「座頭市」の三隈研次監督だ。

 

人は「あるモノ」より「ないモノ」を

求めて、それらを埋める、

探すために人生を費やす。

健康な人は健康法には興味を持たない、

病気になって初めて健康の大事さを知る。

などなど~~。

「人の考え、思いは刻々と変わる」

さっき怒っていたかと思うと、

もう喜ぶ~~。

「本当の現実を見ることができない」

だから、

「誰もが自分だけの色眼鏡に

よってこの世界を見ている」など

そうだよなと、この年齢になったからこそ

実感として(理屈や頭ではなく)

わかる言葉の数々。

私にとっては実践しつつ、

再読、考えてみたいと思う、

いい本です。

それでもやっぱり着物は好き

それでも、なのか、だからなのか?

 

こんな重量級の本もスタインバイ。

死について考えることは、

生を考えること。

というわけで、

これまでにもたびたび

死について書いてきましたが、

これからはもう少しじっくり考えるため、

拙ブログの「死について」を

まとめてみました。

「死について」

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「死に方上手」ってどんなことだろうか

2018-08-26 21:45:19 | 死について

 

かつて

聖路加病院の日野原重明氏の

「生き方上手」(ユーリーグ」という本が

ベストセラーになったことがあります。

当時まだ40代だった私は

老いにも死にも興味はなく、

90歳で書かれたという

この本にもあまり興味はありませんでした。

 

あれからおおよそ20年、

老いは、図々しくもなぜか身近に感じないのに、

死については、ときおり考えます。

 

あまり長生きせず、

それこそ「上手に逝きたいなあ」と。

そんなとき目に入った本。

 

一冊は「人は死なない」(矢作直樹著・バジリコ)

この方東大医学部集中治療部の部長という仕事柄、

多くの人の死にかかわってきた。

 

 

その彼が人の死に関してさまざまな神秘を体験。

死んだ母親との再会、そのなかで本人と自分しか

知りえない内容を話したことから

霊の存在を確信するようになった

経緯がつづられています。

 

医学的な見地から書かれているので

腑に落ちる。

 

そして「人は死なない」と。

これは、私の心には

すんなりと心に入ってくるんですね。

亡き母親に助けてもらったこともあるし。

 

家族は死んでも同じ家にいて、

でも周波数が違うだけだそうです。

そうかも~~。

守ってね。

 

 もう一冊、

死ぬとわかるのは自由の獲得である」と

さらっと口にするのは佐野洋子さん。

 

「乳がんになった。

余命二年といわれた~~」

 

テレビをつけたら、めったに見ないEテレから

こんな言葉が流れてきて、

つい聞き入り、見入ってしまった。

 

「二年と言われたら十数年苦しんできた

うつ病がほとんど消えた。人間は神秘だ。

人生が急に充実してきた。

毎日が楽しくて仕方がない。」

そしてこう続く。

「死ぬとわかるのは、自由の獲得と同じである」

 

「死ぬ気まんまん」(光文社)と

「役に立たない日々」(朝日出版社」

 

すごいなあ。

私はまだそこまでには至っていないし、

いつかそのように思えるのかどうかは

わからないけど、この言葉は

頭の隅のそのまた隅に潜ませておこうと

思います。

 

いつか死が近づいたとき、

そんな風に思えるようになれればいいなと。

人は生きるための学びは何年もするのに、

死ぬための学びはしない。

死を意識した頃から、学びを始めたほうが

いいのではないかと誰かが言っていました。

そして、子供や孫や周りの人に

「蓄えてきた知識や言葉を伝える。

それによって先祖から受け継いだDNAを

受け継がせていく」

 

はい、これからはそんなことを少し意識しつつ

 いろんなことをやりたいと思います。

 

そして死んだら、家族と同じ家に住んで

彼らを守る~~?

きっとうるさがると思うけど、

くすぐったり、ものを隠したり

いたずらはしないからね。

 なんだか楽しそうじゃないですか??

 

 

メメントモリ、死をおもえという言葉があります。

これは逆にいうと、「今を楽しめ」ということ

死に方上手」は「生き方上手」でもあるのです。

 

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