思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

古典文献とニーチェの影

2009年09月06日 | 哲学

 NHKの日めくり万葉集が始まって9ヶ月がが過ぎました。きょうのように日曜日になると「こころの時代」後に5日分が再放送されるので、ほぼ毎日見ていることになります。 古典文学の世界を鑑賞し、万葉人の想いや、その当時の時代的背景、東歌になる地理的な自然環境などにも思考をめぐらし欲するままに思うところをブログに書きつづけています。
 あくまでも素人の物好きの世界で、今現在の自己の欲するままに恐れ多いことをしているわけです。

 今現在の欲するままと書きましたが、その一つの思考の対象として考察課題がいくつかあります。その中の一つとして「詠歎の美学」があります。

 材料の提供者は宗教学者の田村芳朗先生の「詠歎の無常歌における無常美感」あります。 田村先生とはどんな方かと言いますと「BIGLOBE百科事典」には、

田村芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 1989年3月20日)仏教学者で法華宗の僧侶、千葉県長生郡長生村の浄教寺住職を務めた、東京大学文学部インド哲学仏教学研究室「日本仏教思想講座」の初代主任教授。弟子の一人が末木文美士、東洋大学や立正大学でも教授を務めた。

本覚思想研究(中世仏教史の主軸だった教義)や、日本仏教史での法華経研究(とりわけ日蓮)の第一人者であった。『法華経』(中公新書)のまえがきで、学徒出陣で戦場を<法華経>のみを携え、激戦を渡った事が原点であったと回想している。晩年には『岩波仏教辞典』の編纂に当たった(岩波書店、1989年、第2版は末木等により増補、2002年)。

と書かれています。先生の知ったのはまだ仏教学に接する前の古代史に興味をもっていたころで手元にある書籍としては講談社学術文庫の『仏教の伝来と古代日本』『古代朝鮮と日本仏教』があるだけでした。

 その後年齢を重ね仏教に接するようになり仏教関係の書籍を求めました。その中にブログ内でも参照本として表記している「伝統の再発見 仏教の文化観 佼成出版社 昭和45年」がありました。

 私はこれまで時代の変遷とともに、同じ課題に対してどのように専門家が感慨を述べているのかに注目していましたから新刊ばかりではなく古書も同等に読み、自分の思考の世界を膨らませてきました。今朝はこの「詠嘆の美学」については述べませんが、この思考の世界について語ろうと思います。

 思考の世界と言うと血も涙もない無味乾燥的な言葉遊びのように思いますが、心の欲するままの奥底には「自分とは何か」という根源的な求めの念があります。

 父母を早く亡くし、人並みの精神的な苦しみに出会い(一生なくなることはありません)、また自ら武道等の精神と肉体的な苦の世界に身をおいてきました。

 ですから、宗教や思想哲学に接する私は、求めの欲の中に素があります。それは何かと尋ねても、枝先の形ちはあっても元の枝元は分かりません。スポンジが水を吸収する時の力のようなもので吸引力はあっても引っ張り元は「空」です。

 自然の風の発生の源のように、風はありますがその源は遥か彼方(身近かもしれませんが)にです。「遥か」は、空間における距離感覚ではありません。遠くでもなく近くでもなく「空」からです。

 そのような私というものが、己の欲するままの中に「詠嘆の美学」があります。今思うことで、過去にはなく当然未来の私にもち続けることがあるのかは断定できない事柄です。

 ニーチェの「われら文献学者」の中に次の一節があります。

 古代に関する学問としての文献学は、もちろん永遠に存在し続けるわけではない。その材料には限りがある。限りなく続くのは、古代に対するそれぞれの時代の定位、古代を基準にして自己を測ることである。古代を媒介として自己の時代をよりよく理解するということを文献学の使命とするならば、それは」永遠に続く使命である。----文献学のアンチノミーは次のようなものである。事実問題として人は古代をいつも現代からのみ理解して来たのである。----そして今度は古代から現代を理解しろというのだろうか。より正確には次のようなことである。人は体験から古代を説明し、そしてこのようにして得られた古代によって自己の体験を評価し、測って来たのだ。従って当然体験は文献学者にとって絶対の前提である。----ということは、まず人間であること、それによってこそ文献学者として生産的であるということである。

 この一節は「われら文学者」を読んで見つけたものではなく、三島憲一東京経済大学教授の著書「『ニーチェとその影』 三島憲一著 講談社学術文庫」の「初期ニーチェの学問批判について」の中に見出したものです。

 三島先生は、初期のニーチェの思想を語る中で、私自身の思考のあり方に参考となる論述がありました。

・・・文献学の範囲を従来のように単なる博物学的蒐集や重箱の隅をほじくるが如き穿鑿事に封じ込めようとしない点で、きわ立った見解にはちがいない。しかし、何か不動なもの、時間の流れにかかわらず確固として不動なものによって自己を測るというだけでは、なにほどのこともなかろう。これだけでは、時間のうちでしか行為できない人間存在の意識内でそのつど自覚的に行なわれていることを言い表わしたにすぎない。豊かな過去の遺産を手にしている文化内でならば、「万葉に帰れ」「ギリシャに帰れ」にせよ、その逆にせよ、闇夜の海に浮かぶ灯台によって自己の位置を測定する船と同じく、偉大な過去によって現在を理解し、未来の指針を探ろうとするのは、ごく自然なことであろう。というよりも、正確にはまさにそれが市民社会における文化的正当性の追求にいわばつきものの営みであった。ニーチェ固有のことではないし、むしろニーチェはそうした正統性への懐疑が出発点である(同書P20)。

 ニーチェですから、当時の文献学者の研究態度の根底にキリスト教の神の存在を前提にその懐疑を持ち「われら文学者」の一節になっているわけです。

 ここから得ることは、思想家、著者のその時点の感慨が含まれた思想、哲学そして作品と言うことで、また受けてである、探求者、読者の感慨の論理学的な寛容の原則、折り合いの産物が、そのときの新たなる感慨であることだと言うことだと思います。

 なぜ今日は朝からこんなことを書いているかと言いますと、昨日信濃教育会主催の「信教・生涯教育講座4」がありまして、先月も安曇野市主催の哲学者内山節先生の講演会がありブログにも書きましたが、また内山先生の講演があり受講しました。

 演題は「現代社会を生きる」と題するもので「飽きる」と言葉を現代の社会現象の流れのキーポイントとして話されました。これについても深く感銘したのですが、私のブログは「思考の部屋」です。
 
 関心事は、内山先生の著書や講演会を見聞きし、先生がどのような思考の過程で、そのような結論を導き出してくるのか、また手法のポイントはどこにあるのかと思っていましたところ、ニーチェとはいいませんが、その文献解釈の手法の中で上記のニーチェの思想の流れが語られ瞬間感動しました。その強い印象がありましたので、すばらしい公演内容を語らずに今朝はこのないようにしました。

 『ニーチェとその影 講談社学術文庫』という著書、1990年未来社から刊行されたものを原本とするものですが難しいのですが得るものがあるあります。

参考「BIGLOBE百科事典」から
三島 憲一(みしま けんいち、1942年11月11日 - )は、日本のドイツ哲学者。

東京都生まれ、東京大学教養学部教養学科ドイツ分科卒業。同大学院比較文学比較文化専攻博士課程中退。1968年、千葉大学専任講師、1973年、助教授。1975年、東京大学教養学部助教授、1987年、学習院大学教授、1991年、大阪大学人間科学部教授。2004年、定年退職、東京経済大学教授。

ニーチェ研究者として出発したが、以後、現代ドイツ政治に対する哲学的検討に移行する。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

なお、内山先生の公演内容については後日書きたいと思っています。
         


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