
NHK連続テレビ小説「おひさま」もあと1ヵ月余りの放送となりました。今年の夏は観光客も急増し、私の住む安曇尾の山麓方面のそば屋さんは大変な賑わいでした。
賑わいでしたというと過去形になってしまいますが、多分秋の紅葉の季節もこの賑わいは続くのではないかと思います。
そば屋さんが繁盛していることもあってか、安曇野の風景の中で少々変化がありました。そばの白い花が咲く畑を多く目にするようになったことです。
山麓線を松本方面に向かうと、馬頭観音の石塔がある田舎道があります。私の好きな風景です。
霧の中に、秋の紅葉する山をバックに建つ馬頭観音。そんな風景にそば畑の白い花の背景が加わりました。
実りのこうべを垂れる稲穂、その向こうに白い畑が見えます。
長野県の郷土史家の藤森栄一さんが書かれた「命の道」という短文があり、時々風景写真とともに紹介しています。
今朝は馬頭観音のある風景写真とともに紹介したいと思います
< 祈りの道 >
救いは、ただ、祈りだけだった。
平安のはじめから、釈迦入寂後二千五十二年の末へ入って、人々はもう弥勒出世の五十六億七千万年後の永劫の未来まで救いのない現世に生きて、けわしい山や深山にその弥勒との結縁を求めて修行した。
信濃の高山のほとんどはそういう衝動から拓かれた。
修験者、行者、遊行僧、それから武士たち。民衆はただ弥陀の浄土に迎えられることをだけ願い生涯の望みとして、善光寺へ、そして伊勢へ旅をした。信濃のいたるところに残る善光寺道、伊勢道という道標はそれである。
やがて、その道標の立つ辻には、馬頭観音が立ち、庚申塔が立ち、道祖神が立った。この岐の神は、村を災害から守り、生殖を司り、やがて男女相愛の像となって、息のつまりそうな封建の村の中の唯一の笑いとつらなり、そして救いとなった。
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この馬頭観音ですが、「おひさま」に時々登場する双体道祖神がある場所から東に1キロほど離れた場所にあります。
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少し勝手に想像してみます。
人と同じくお馬さんも病を患います。
足が痛くて歩けなくなったり、お腹が痛くて苦しんだりと・・・ところが数百キロに及ぶ馬体を里にいるであろう伯楽の所まで人が運ぶなど到底出来もせず、従ってそこで行き交う旅人等がたくさん集まって水を汲み、草を集めて餌、敷藁とし、或いは自らの着衣で包帯を作る等何日も何日も必死で看病するも、功なくその多くは安楽され、皆で食って供養、交差道の端に穴を掘り埋葬し馬頭観世音碑が建てられた・・・。
いつの日か同様の悲しい事が起こったなら碑前にそのたて髪と野草をお供えして辛い想いを観音様にお祈りし、旅人も安全祈願も込めて祈ったのでしょう・・・。
きっと馬頭さんと親しみを込めて呼ばれていたのでしょうね。
美しい日本の原風景画をありがとうございます。
合掌
コメントありがとうございます。
この馬頭観音の石碑は刻像ではなく「馬頭観世音」と書かれ文字のものでしかもかなり大型です。農耕、荷運びの牛馬の供養のために村人が江戸期に造ったものです。
毎朝通勤時に見ることができる風景です。特に好きなのは霧がある風景です。
写真を撮る位置ののすぐ後ろに約幅5メートルの山麓線が走り、「おひさま」の撮影隊もこの景色は気にしたと思いますが、テレビ撮影用カメラを設置することには通行止めが必要で、田舎道ではありますがかなり交通量がありう回路もなく苦情が出そうで断念したに違いないと勝手に思っています。
与作さんのサイト立ち寄らさせてもらいました。幻想的な写真で魂に響きそうです。今後もよろしくお願いします。