思考の部屋

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ハーバード白熱教室第3講義(2)・リバタリアニズム

2010年04月20日 | 哲学

     (相関図はPHP『現代思想入門』現代リベラリズムから)

 NHK教育で放送されている「ハーバード白熱教室」先週の日曜夕方第3回目の講義が行われ、その概略については当日取り急ぎメモを掲出しました。

 政治哲学の講義、それもリバタリアニズムとコミュニタリアニズムという正に現在の政治の流れを理解する上には必要不可欠な基礎的な知識習得の場でもありました。

 コミュニタリアニズムすなわち共同体主義といわれる考え方は、現在日本のよき時代への回帰志向、田舎で暮らそう的な人との心の交流のあり方、互助精神など忘れ去られたなつかしさの匂いがします。

 功利主義にこのリバタリアニズム(自由原理主義・市場原理主義)考え方そして白熱教室のコミュニタリアン政治哲学者マイケル・サンデル教授のコミュニタリアニズム(共同体主義)の相関関係を理解する上にも実に楽しい第3回目の講義でした。

 今朝は、既に掲出済みの第3回目ですが、民主主語の基本的な考え方、思考の仕方が、後半の「Lecture 6 「私」を所有しているのは誰?」の講義の中の学生との議論の中に見出されましたので、記憶に留めたく会話の様子を忠実に再現しました。

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「私」を所有しているのは誰か?
※ 論者の指定が無い部分はサンデル教授の言葉です。

※ 前半まで、リバタリアニズム「自由原理主義・市場原理主義」について話が進み所得の再分配に対して賛成か反対かの論議が進められる。

(後半の講義)に入る前に「小さな政府」について一言いっておきたい。リバタリアニズムの経済学者ニルトン・フリードマンは、私たちが当たりまえのように政府に帰属していると思っている機能の多くは実はそうではないと指摘している。

それらの機能は干渉的なものだ。
フリードマンは社会保障制度をその一つの例としてあげている。
フリードマン曰く、「稼げる時に退職後に具えて貯金をすることはいい考えだしかし、人々が貯金をしたいかどうかを無視して収入のうちいくらかを退職後の備えておくように強制することは人間の自由への侵害であり間違っている。

 もし賭けに出たり今日という日をでっかく生きられれば、退職後はジリ貧でもいいと思う人がいたらそれはその人の選択であって、リスクを負うかどうかはその人が自由に選んでいいのだ。
 
 だから社会保障制度でさえニルドン・フリードマンが主張する「小さな政府」とは合いいれないのである。

 警察や消防などの集合財は公的に提供されない限りは、フリーライダー問題を生みだす。 活動に必要なコストを負担せず、利益だけを享受する人のことだ。しかし、フリーライダーを防ぐ方法はある。集合財、公的サービスとしか思えない消防のようなサービスでさえ制限する方法はあるのだ。
 
 少し前に会員制の消防会社の記事を読んだ。アーカンソン州のセーラム消防会社だ。この消防会社に登録し年会費を払うと自宅が火事になった場合に火を消しに来てくれる。しかしこの会社は誰の火事でも消してくれるわけではない。

会員の家が火事になったら消火してくれる。火事が燃え広がり会員の家に火が迫ってきたときも消火してくれる。

 新聞の記事は、以前この消防会社に登録していたが、この契約を更新していなかった家主の話だった。彼の家が火事になった。
消防会社の面々はトラックで到着し、家が燃えるのをただ見ていた。火が燃え広がらないかどうか見ていたのだ。

 消防主任は尋ねられた。いや正確には主任ではなくCEOだったと思う。「消火器をもっているのになぜ家が燃えているのを放っておくのか」そう尋ねられた彼は、「会員の不動産に危険が無いことが確認できたら、我々は規則により撤収するしかない。」と答えた。
 すべての火事を対応していたら会員になるメリットは無くなってしまう。
 
 このケースでは、家主は火事の現場で契約の更新をしようとしたが会社の代表は拒否した。備えを怠っておきながら後から保険に入ることはできない。

 私たちが当然のように政府が提供する公的なサービスだと思っているものですらその多くは制限を加えることが可能であり金を出した人だけへの独占的なサービスにすることもできる。

 集合財についての疑問とか 干渉主義に対するリバタリアンたちの禁止令にかかわることだ。

そろそろ再分配の議論に戻ろう。

 小さな政府についてのリバタリアニズム的主張の根底にあるものは、強制への懸念だ。

しかし、強制がなぜいけないのだろうか。リバタリアンたちの答えはこうだ。
誰かを強制することだ。一般的な福祉のために誰かを利用することは間違っている。

 なぜならば、自分を所有するのは自分であるという根本的な事実。自己所有という根本的な道徳的事実を問題とすることになるからだ。
 
 リバタリアンが再分配に反対すつ論拠は、自分を所有するのは自分だ。という根本的な考えなのだ。

 ノージック曰く「もし全体としての社会がビルゲイツやマイケルジョーダンから彼の富の一部を税金として取り立てることができるとしたら、社会が行使しているのは、ビルゲイツやマイケルジョーダンへの共有財産権なのだ。

しかしそれは自分を所有するのは自分という、根本な原則に反している。

さてリバタリアニズム的考えに対する反論がたくさん出てきた。

反論に答える機会を与えたい。

第一の反論はこれだ、
貧しい者は寄り金を必要としている
というものだ。これは判りやすい。その必要の度合いは、ビルゲイツやマイケルジョーダンよりもはるかに高いだろう。

第二の反論は、
税金を課するのは奴隷制ではない。
少なくとも民主的な社会では、税金を課するのは奴隷の所有者ではなく議会だからだというものだ。
 議会は民主的なものであるから統治されている者の同意による課税は強制ではない。

第三の反論は、
ビルゲイツのように成功した者は、成功について社会に借りがあるから税金を払うことで社会に借りを返すというものだ。

学生のリバタリアン3名がこの後登場し活発な意見が交わされます。

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この中で印象的な話は、民主主義に関する議論でした。

リバタリアン男子学生A 君は意見は代表を通して主張できる。君の意見が統治する者の過半数の同意を得られなくとも君はこの社会に生きられる。過半数が決定したことを受け入れてやっていかなければいけないことだ。

リバタリアン男子学生B 議会の議員一人に対し僕の票は、50万票の中のたった一票にすぎないわけだから、自分の所有権をどう行使するか自分で決められるのとはわけが違います。税金を払うか払わないを決める権利は僕には無いわけですし、払わなければ刑務所に入れられるか、この国から出て行けといわれます。

サンデル教授 しかしB君。民主主義にいついて論じささやかな擁護をさせて欲しい。私たちは言論の自由のある民主的な社会に住んでいる。選挙演説をして課税をするのは間違っていると市民を説得し過半数を取ればいいじゃないか。

リバタリアン男子学生B 自分の権利を行使するために2億8千万人を説得しなければならないとは思いません。そんな大変なことをしなくとも行使すべきだと思います。

サンデル教授 じゃあー君は民主主義に反対なのか。

リバタリアン男子学生B いや。僕は限定された民主主義を支持しています。民主的に決定される事項の範囲を厳しく限定する憲法を持つ民主主義を。

サンデル教授 そうか。では基本的な権利が絡まなければ民主主義はいいというわけだ。

リバタリアン男子学生B はい。

サンデル教授 君が演説すれば選挙に勝てると思うよ。君の主張にもう一つの要素をつけ加えさせて欲しい。

 経済についての議論、課税についての議論は横に置いておこう。

 宗教の自由についての個人の権利が争点になっているとしよう。君は演説で個人の自由を投票に掛けるべきではない。とみんなに訴えかけるだろうね。

リバタリアン男子学生B その通りです。だから憲法には修正条項があり、憲法改正が大変なものになっている理由です。

サンデル教授 つまり私有財産に対する権利、自分で稼いだお金はすべて自分のものにできる権利、少なくともその再分配から保護できる権利は、言論の自由の権利、宗教の自由の権利と同じように社会の多数派の意向を負かしてでも守られるべき、重要な権利だというわけだね。

リバタリアン男子学生B その通りです。言論の自由の権利があるのは、僕達が自分を所有する権利があり意見を行使する権利をもっているからです。

という民主主義についての意見がありこれに反対する意見をサンデル教授は学生に求めます。

※反リバタリアン女子学生Cから「経済と宗教は根本的に異なる。ビルゲイツがお金を稼ぐことができたのは社会が経済的にも社会的にも安定しているからで、政府が最も貧しい10%の人々を助けなければ犯罪を防ぐために警察にもっと税金が必要になる。いろいろなものを政府が供給するためにより多くの税金が取られるようになってしまう」という意見が出されます。

サンデル教授 なぜ宗教の自由に対する基本的な権利は、B君の主張する私有財産の権利とは異なるのか、その違いは何だと思うか。

反リバタリアン女子学生C 社会が安定していなかったらお金を稼ぐこともできないし、財産を所有することもできないからです。宗教はもっと個人的なもので、家で自分だけで実践できます。私が信じる宗教上のの教えを実践しても隣りの人には影響はありません。でも私が貧しかったら自暴自棄になって家族を養うために罪を犯すかも知れず、それは他人に影響を与えるから・・・・・。

サンデル教授 腹をすかせた家族のために盗みをするのは間違っているか。

とリバタリアンの学生に質問します。すると、

リバタリアン男子学生B 間違っていると思います。

リバタリアン男子学生D 所有権の侵害であり、他に方法があると思います。盗みを正当化する前に僕達が既に存在すると認めた権利が侵害されていることを考えないと。自己所有権、財産権については僕達は存在する権利だと認めたわけですから。

サンデル教授 それは盗みだ。そうなると所有権は論点ではない。なぜ家族を養うためでも盗んではいけないのか。

リバタリアン男子学生D 教授が最初の講義で言われたように、良い結果がもたらされるからと言ってその行為が正当化されるからとは言えないからです。

サンデル教授 他に意見は、リバタリアンのE女が答えます。

リバタリアン女子学生E 私は盗んでもかまわないと思います。リバタリアニズム的な論点からしてもお金を取って貧しい人に与えてもいいと思います。パンを盗む人は自分を救うために自分の力で行動しているわけで自己所有の考え方から言えば人は自分で自分を守る権利がある。リバタリアニズム的な論点からも許されると思います。

サンデル教授 いい議論だ。3番目成功した裕福なものは社会に借りがあるという主張だね。すべて自力で成功したわけではない。他の者と協力して成功したのだから彼らは社会に借りがある。それが課税という形であらわされる。
 E女これについてはどういう意見があるか。

リバタリアン女子学生E 私は割り勘のような社会はないと思います。そのような人が裕福になったのは社会が高く評価したからです。彼えらは社会にサービスを提供したから社会がそれに報いたわけで、その結果裕福になったからです。

サンデル教授 いい議論だ。これに反論する意見のある者は。

反リバタリアン女子学生F 人が社会の中で生きているとき、人は自分で自分を所有しているという前提そのものに問題があると思います。社会の中で暮らすには自己所有権を放棄しないと。

 例えば私が嫌いな人を殺したいと思ったとします。それは私に自己所有権ですが、社会の一員ある以上それはできません。もし私にお金があって救えるのと同じことです。自己所有権には限度があります。なぜなら社会に暮らしている以上ほかの人のことも考えないといけないからです。

サンデル教授 君は、自己所有の基本的な前提に疑問を感じているんだね。

反リバタリアン女子学生F はい。社会の中で生きることを選んだら完全に自分を所有することはできません。周りの人を無視することができないからです。

講義も最終、サンデル教授はリバタリアンの生徒に最後の意見のチャンスを与えます。

サンデル教授 F女が言うように、私たちは自分自身を所有していないのではないか。ということに論拠している。

 第四の反論「富は部分的な生んで決まるので当然のものではない」、ビルゲイツやマイケルジョーダンが裕福なのは、彼ら自身のみの努力によるものではない。多くの幸運の産物であり、故に稼いだ金はすべて道徳的に彼らのものだということはできない。
 反論は、B君。

リバタリアン男子学生B 「良識があれば、あれだけの富を独り占めできるはずはない。」という人がいるかもしれませんが、これは道徳性の問題ではありません。ポイントは彼らが今持っているのは、人々に何らかのサービスを自由交換という形で提供したからです。

サンデル教授 ここで今日の授業で学んだことをまとめてみよう。今日の議論でE女がリバタリアニズムの考えに疑問を投げ掛けた。私たちは、

 本当は自分で自分を所有していないのではないか。
 
 再配分に反対するリバタリニズムの主張を認めない場合、リバタリアニズムの論理展開に切り込む箇所は、論理の最も早い段階にありそうだ。
 
 それが多くの人が、課税とは道徳的に強制労働に等しいという主張に対して異議を唱える理由だ。

 しかしリバタリアニズム的議論の根底にある考え、中核をなす思想についてはどうだろう。自分が自分を所有するというのは、真実なのか。その考え方なしでやっていけるのか。
 
 リバタリアン達が避けたいことを避けられるのか。避けたいということは、正義という名のもとに他の人々の福祉、利用されてしまう社会を作り上げてしまうことでありリバタリアンは、「人を集団の幸福のための手段として利用する。」という功利主義的な考えを認めない。そして功利主義的な個人を利用するということを止めるには、自分が自分の所有者であるという本能的な考え方が有効だと主張する。

 それがロバート・ノージック。

 自己所有の考え方を疑問視すると、正義論と権利の重要性には、どのような結果がもたらされるだろうか。
 
 私たちは再び功利主義に戻り、個人を全体のために利用し、太った男を橋から突き落とすことになってしまうのだろうか。

 自己所有という考え方は、ノージックが自力で完全に発展させたものではない。ノージックはそれを哲学者のジョンロックから借りてきたのだ。
 
 ジョンロックは、ノージックとリバタリアンたちが使うのと非常によく似た理論展開によって自然状態からの私有財産の台頭を説明した。

 ジョンロック曰く「私たちに労働と物、まだ所有されていないものがあって、はじめて私有財産が発展するのである。」その理由は、私たちは自分の労働を所有しているからだ。
 
 なぜ自分の労働を所有しているかと言うと、私たちは、自分自身を所有しているからだ。
 
 だから自分自身を所有しているというリバタリアニズム的な主張の道徳的な力を検証するにはイギリスの政治哲学者ジョンロックの私有財産と自己所有についての説明を検討する必要がある。

 それを次回にしよう。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上の状況で講義は終了しました。白熱の議論とサンデル教授の講義内容が伝わるかどうか判りませんが、知識の乏しい私にとってはとても心に残る授業でした。

なおここに、参考にPHP上記書から次の相関図も掲出します。
     

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2016-12-06 18:43:26
ニルドン・フリードマンとは
返信する
失礼しました。 (管理人)
2016-12-10 05:24:52
真に適切な問いで恐縮です。
小生の誤りでミルトン・フリードマンです。
暇な時に訂正します。
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