思考の部屋

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こころの時代~人生・宗教~「共に生きる覚悟」(2)・天然の無常観

2011年06月13日 | こころの時代

 Eテレ「こころの時代~人生・宗教~」宗教学者山折哲雄先生の「共に生きる覚悟」の(2)で、今回は寺田寅彦の「天然の無常」から山折先生の「無常観」、宮沢賢治の思想、そしてそれらから現在日本人が直面している問題へのメッセージとなっています。

 日本列島に住む我々は民俗的な伝統、宗教観の中で生きています。

 何かを忘れてはいないか。

 自分自身として、日本の民俗学や公共の哲学を勉強する中でいろいろと考えさせられます。

 先生の言葉を起すにあたって、先生は、促すように「・・ね」という言葉を使います。確かめるようなその言い方に人柄が見えるように思います。その時々の言動で批判されることも多かった先生ですが、批判する人間がどの程度のものを持ち合わせているのか。

「ね」の中に東北出身者の言い知れぬ深さがあります。前回のブログで東北の思想を書きましたが、確かに東北の持つ重みのあるメッセージを感じます。

※「ね」については、最後の部分に最後の部分に集中し、他は割愛させてあります。

<日本人の自然観>

【山折哲雄】

 昭和10年の段階で「日本人の自然観」という論文を書いている。
 
 その中で西ヨーロッパの自然と日本の自然を比較して、自然が安定している。特にイギリスやフランスはほとんど地震がない。
 
 自然が安定しているから、

 自然を客観的に観察ができ、
 データーを収集することができる。

だからそれを基に、征服したり、コントロールすることができた。

 それに対して日本では自然が不安定で太古の昔からしょっちゅう地震が発生し、そのほかに台風がきて自然災害が次々と起きてきた。

 日本人は、そのような不安定な自然と付き合う過程において、ひとたび自然が怒り出せば、その自然に反抗してはならない、頭を垂れ絆を強くして、その自然の驚異から我々の生活をいかにして守るか、そのための知恵を積み重ねてきたと(寺田寅彦は)言っていて、それが日本人の科学であり知識であるというのです。

 ※『日本人の自然観』から「永い間の生命がけの勉強で得た超科学的の科学知識による」

 自然と付き合った学問、それが日本人の本来の学問であった。

と昭和10年の段階で寺田寅彦は言っていた。

もう一つ何万年となく恐ろしい自然の猛威と付き合ってきた結果、「天然の無常観」という感覚を日本人はて育てるようになった、と寺田寅彦は言っている。

 天然とは、「天然自然に」という意味の「天然」で、自然との付き合いの中でそれこそ自然に身につけるようになったのは無常観だった、と言っている。

 我々は普通「無常」というと仏教が6世紀に日本に伝えたものだと思い込んでいますが、仏教が伝えるはるか以前から、それこそ太古の昔から「天然の無常観」という意識というか、感覚を日本人は育ててきた、と寺田寅彦は言っている。

自然学者寺田寅彦、地震学者寺田寅彦が科学認識と同時にと日本の風土を考える場合に。宗教的な真実の中で「無常観」というものを同時にとらえていた。

 これはすごいことだと思った。そこへ仏教の無常観が入ってきてこれに重なるわけです。

しかも仏教の「無常観」というものは釈迦が考えた無常観でして私は三つの原則があると思っている。

1 この地上にあるもので永遠なものは一つもない。

2 形あるものは必ず壊れる。

3 人間は生きて死ぬ。

これを私は「無常三原則」だと言っている。問題はこの無常三原則を否定する人間は誰もいない。客観的な事実です。

 ところが難しいのはこの「無常三原則」を受け入れる文明と受け入れない文明があるということ。

 ヨーロッパ文明というものはこれを受け入れません。

 これも不思議なことで、阪神淡路大震災の時も・・16年前ですが・・その時もいろんなメディアから取材を受けたり、コメントを求められた時に「無常」という問題を書いたり言ったりしたんです。ほとんどのメディアの人は関心を示しませんでした。

 被災地の現場に行って、苦しんでいる被災者の人に「世の中に無常だと言えるか」という返答が返ってきました。だからあの頃は、

「日本人は無常嫌いだ」

「無常はやっぱり戦後タブー視されてきた言葉だな」

と16年前に痛感しました。

歴史的にいうとこの「無常」という考え方は、暗い考え方と受け取られてきたきらいがある。平家物語の冒頭にある、

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

 猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

滅びゆく平家一門に共感、同情の涙を流すという、こういう無常観。だけれどもう一つ日本人の無常観では明るい無常観という側面があって、それは・・・

 太陽が西に沈む、翌日に成ると東から昇ってくる。

 春になれば花が咲く。

 明るい未来へ期待をする、喚起する、刺激する、そういった美学というか美意識ともいわれるものがあった。

自然の移り変わりが無常でもあり、蘇りのイメージをともなった無常であるという・・・そういうところから明るい無常観が同時に我々のものになっていたわけです。

 国破れて山河あり 

とは杜甫が言った言葉ですけれど、明るいんですよ・・。

 国破れて・・・山河あり・・・山河に希望があるよ。

と言っているわけです。

 さて今回どうかという問題・・という問題に我々は直面している。そう簡単にいくかという不安感がないわけではない。さらに原発がそれに付け加わっているからですが・・・しかし、やはりこの「無常観」の二面性をバネにして生きぬいて行く以外にないわけです。

 それが宮沢賢治においては、「科学」「芸術」「宗教」これらが力を合わせて新しい世界を作って行こうというあのメッセージにつながるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この宮沢賢治のメッセージとは、



世界がぜんたい
幸福にならないうちは、
個人の幸福はありえない。
 
新たな時代は世界が一つの意識
になり生物(いきもの)になる方向にある。
 
正しく強く生きるとは銀河系
を自らの中に意識してこれに
応じて行くことである。
 
われわれは世界の誠の幸福
を索(たず)ねよう。
 
求道(ぐどう)すでに道である。
 
『農民芸術概論綱要』から


です。山折先生は次のように解説しました。

【山折哲雄】

 『農民芸術概論綱要』に出てくる

世界がぜんたい
幸福にならないうちは、
個人の幸福はありえない。
 
そこで言われている「世界」とはまさに「目に見える世界」と「目に見えない世界」の全体を含んでいると思います。

 それにもう一つ『農民芸術概論綱要』の「世界全体」の言葉から言わなければいけないと思うのは、賢治晩年の大作『グスコーブドリの伝記』に出てくるテーマなんです。





 あれこそブドリが個人になって、最後は冷害になって苦しむ農村をどう救済したらよいかということで、火山島へ行って火山を爆発する。科学者としてのグスコーブドリーが最後自分が死を覚悟して火山島に渡ってスイッチを押し犠牲になり、火山が爆発して気温が上昇して、飢餓から脱することができたという話・・・。

あれは単に、

 菩薩の行ない。

 イエスキリストの様な人類のために犠牲になる行ない。

と考えてはならないと私は思うのです・・・賢治の場合は。

 人間とはどんな場合でも、どういう状況の中でも誰かが犠牲にならなければならない運命に置かれている。

 誰がそれをするのか?

 賢治自身がズーット考え続けた・・・と考えると「世界が全体が幸福にならないうちは、
個人の幸福はありえない。」と言った場合の「個人」に「ブドリ」はなるのかどうか?・・・

 一人の個人を犠牲にしなければ世界全体が幸福にならない。

と描いている「グスコーブドリの伝記」だと思うのですが、しかし同時に

 一人の個人を犠牲にしなければ世界全体が幸福にならない。

と言わずにはいられない・・・ジレンマですよこれは・・・。

このジレンマに最後まで苦しみ続けた、正直に苦しみ続けた・・・これはすごいと思います。・・・だから今回の惨害、そして福島原発危機等々で、それぞれの現場で、いろんな形で、犠牲を強いられて人々がたくさん居られます。

 初期の段階でアメリカのメディア「フクシマ フィフティー ヒーロー」と言った。

 50人が現場で命を懸けて働いている、この人々は場合によっては犠牲になってもらわなければいけない、・・・「より多くの人類のために盾になって欲しい」というそういう願望というか、欲望がその背後にあると思います。

 このところ特に考えるようになったのは、法華経の譬喩品の中に出てくる「三車火宅」の物語です。

 ある長者の屋敷が燃えているんです。火の手が上がった。 その屋敷の中にたくさんの子どもたちが遊んでいるのだけれども、屋敷が燃えていることに気がつかない。

 長者がいくら「燃えている」「火宅だから外に出ろ」と言っても外に出ない。それで致し方なくその父親の長者が金銀財宝で飾り立てたオモチャの車を三つ入口の前に並べるのです。

 子どもがそれを見るといかにも面白そうで遊びたいと思う。それで全員われ先で屋敷から飛び出してくるわけです。

 飛び出してきた子どもたち全員にもう一つ大きな白い象の本当の車を用意して全部それに乗せて救うという話ですが・・・・。

 現実我々の住んでいる世界は、火の車であると・・・火宅の世界を我々は生きている。

 気がつかなければ一緒に死んでしまうんだ・・・だけれども救う時には全員一緒に救い出すよ・・・こういう物語です。

 特に福島原発の問題などは・・・そうだと思います。ヒーローにしてはいけないわけです。

 ただそうするためには、現場に命を懸けて働いている人たちが本当に、生命の危機に瀕した時に全員撤退させるかどうかという問題が起こってくる。

 三車火宅の考え方からすれば全員撤退ですよ。

 その代り放射能が全国に広がるかも知れない。そのリスクは全員で担おう・・・。

 いま日本列島に生きている人間全て考えなければならないような、そういう重たい問題だと思います。

 それを日本の政治がどれだけ自覚しているかどうか、という問題でもあるわけです。

 あれわねー・・・「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」というメッセージと「グスコーブドリの伝記」が表しているあのテーマ・・・重いですよ。今日の我々の現実からすればね。

 ・・・だからグスコーブドリは決してヒーローではない。だからこそデクノボーと言う言葉が出てくるのかもしれない。

 犠牲になって、我々はデクノボーだよ・・・涙が出るよこれわね。・・・・

 共に生きる者は、いつ死んでもいい。という覚悟を持つということかもしれませんが・・・なかなかできないことではありますがね・・・それができなければせめて・・・生き物たちとの連帯・共感の気持としか言いようのない・・・ですよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今朝のブログにも書きましたが、山折先生はETV特集「暗黒のかなたの光明~文明学者梅棹忠夫がみた未来~」にも出演され、今回の3.11東北大震災に関係する話をされています。「三車火宅」の話等ダブル部分がありますが、こころの時代はそのままの言葉で起こしています。

 冒頭以外は私感をはさまずアップします。

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