思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

いつもの大地に咲く福寿草・金子みすゞ「土」「私と小鳥と鈴と」

2011年03月22日 | 風景

 東日本大震災、9日間地震と津波で倒壊し、流された建物から80歳の老婆とそのお孫さん(16歳)が救出された。
 
 指示された指定区域の捜索を行っていた警察官が、微かな救いの言葉を聞いたことから、二人の救出となった。

 手の付けられないような瓦礫の山と化した中からの救出、現場度の救出は動の中にある。動かなければ何も起きない。実際の救出に直結する動きがなければその結果は得られない。

 忠実なる公僕の姿、原子炉への給水作業の消防士の姿も然りである。

 放射能を帯びた雨が降り注ぐ、今がら40年も前はよくその雨が降った。競って核実験をしていたころの話である。農作物にも降っただろうがこんなに騒ぐことはなかった。

 降り注いだ量はどうだったか知らない。家に閉じこもったのかも忘れてしまった。

 危険性を中心に話すのか、安全性を中心に話すのか。

 包み隠さず話せばそこには事実のみしかないのに、一喜一憂する同じ人々しか見えない。

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今朝は何となく、金子みすゞさんの詩を書きたくなった。

「土」

こッつん こッつん
打(ぶ)たれる土は
よい畠になって
よい麦生むよ

朝から晩まで
踏まれる土は
よい路になって
車を通す

打たれぬ土は
踏まれぬ土は
いらない土か。

いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ。


「私と小鳥と鈴と」

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地べたを速く走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな唄はしらないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


 松尾寺の参道に咲く福寿草のことを1週間前に書いたが、茅葺の水車小屋の前のいつもの場所に、



  今年もいつものように福寿草が満開になった。

 変わらない大地の営みである。

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