思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

正義を決するもの

2008年07月04日 | こころの時代

 今月はの長野県は、独自に決めた「“ちがい”を愛する強調月間」です。障害、性別、国籍、年齢等の違いを越えてのという意味です。
 この強調月間のポスターには、金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」という詩が書かれています。
 
わたしと小鳥とすずと

  わたしが両手をひろげても、
  お空はちっともとべないが、
  とべる小鳥はわたしのように、
  地面(じべた)はやくは走れない。

  わたしがからだをゆすっても、
  きれいな音はでないけれど、
  あの鳴るすずはわたしのように、
  たくさんなうたは知らないよ。

  すずと、小鳥と、それからわたし、
  みんなちがって、みんないい。

JULA出版局「金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと」P106・107から

 「あらしのよるにⅠ」講談社文庫は、狼と羊の友情の物語が展開していく。
嵐の暗闇の中で、二匹が出会う。互いに狼であることを、羊であることを表に出さず会話が展開される。突然の稲妻。照らされる二匹。そのころには友情が芽生えている。

 この物語は、読む人によっていろいろなイメージ展開がある。

 私は、似たような映画作品があるのだが、暗闇の塹壕に銃撃、爆撃を避けて飛び込んだ、「イスラエル兵とイスラム系兵士」をイメージしてしまう。
 塹壕での友情は、殺されないという「信頼」を生む。当たり周辺は静まり月明かりに照らされる二人。

 ・・・・実際は、塹壕での第一声の会話(言語)で決定されるが、あくまでも想像の世界で、矛盾を含み物語を展開させる。・・・・

 月明かりに照らされ、その違いを知る二人。そこには既に確固たる友情が芽生えている。
 二人は再会を約束し別れる。
 さて、その後のこの二人は、どうなるだろうか。それぞれ国に戻り、日常生活を続ける。

 確固たる友情は、自国の世界でもち続ける事ができるであろうか。

 「正義」を決するのは、自分である。他人である。組織である。国家である。それを選択するのは自分である。
 「自分が、自分で、自分を、自分する」とは、こういう意味なのかもしれない。

 帰宅時の「有明山」の向こうに沈む太陽が、心ひきつけるコントラストを描く。
 


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1 コメント

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Unknown (だんご)
2008-07-05 13:11:02
「あらしのよるに」は見たことがありませんが、「戦場のアリア」は感銘を受けました。
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