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群馬の田舎から情報発信!

『テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人』(村松尚登)

2009-07-22 20:18:25 | 読書日記
 「サッカーとは何か?」
 「サッカーは、カオスであり、かつフラクタルである。」
 こう定義付けすると、「サッカーはサッカーをすることによて上手くなる」という価値観が生まれる。

 ”カオス”とは、「わずかな初期設定の違いが事前の予測を大きく覆すような結果を生む複雑な事象」のこと。サッカーの試合は、”カオス”同様、あまりにも多くの構成要素が相互に影響を及ぼし合っている複雑な事象であるため次の展開を予測することができないし、それ故、各構成要素(技術・戦術など)の理解は必ずしもサッカーという全体の理解には通じない。

 ”フラクタル”とは図形の全体と一部が相似関係(=自己相似)になっているもの。しばしば「サッカー=技術+戦術+体力+精神力」と表現されるが、サッカーの一部を切り取った際に、そこが技術だけであったり戦術だけであったりすることはない。例えばシュートを打つ瞬間はシュートを打つ技術と、打つタイミングやコースを見極める戦術と、シュートをする体力と、シュート打つ精神力が必要。野球は攻守がはっきり分かれているが、サッカーは攻守がはっきり分かれていない。

 「サッカーはサッカーすることで上手くなる」という”サッカーの捉え方”の正体は、”サッカーの本質を理解すること”。

 「サッカーが上手くなる」ために大切になってくるのは、”サッカーの本質”を踏まえた大会形式の再考です。つまり”長期リーグ戦の導入”と“万年補欠の撲滅”が急務。

 日本とスペインのサッカー観の違いからくる環境の違い。日本サッカーが世界基準に近付くには単に他国の練習方法を模倣するだけかではなく、サッカーに対する姿勢・考え方も学んでいく必要があるのかも。決してそれをすべてそのまま受け入れるというのではなく、日本独特のものに熟成させていく糧とできれば、日本スタイルのサッカーが世界に通用していくようになるのかも。

 いわゆるサッカーの技術論を論じた作品とは一線を画した作品であり、著者のスペイン生活12年でたどり着いた一つの結論であり、重みのある作品です。
 

『51歳の左遷からすべては始まった』(川淵三郎)

2009-07-22 15:55:27 | 読書日記
 川淵氏というと、Jリーグ初代「チェアマン」であるということぐらいしか知らなかった。
 もとはサッカー日本代表にも選出されるほどの選手であり、古河電工の監督や日本代表監督まで務めた人物だとのこと。

 「真似」が嫌いな著者は、Jリーグ発足当時、統率役のポスト名を、プロ野球が既に使用しているからとの理由で「コミッショナー」という呼称を使用せず、「チェアマン」を選択したとのこと。

 人事異動の際は、決定権者が必ず1対1で伝えるべき。そうしないと、それがもし順当な異動ではなかった場合、異動を言い渡された人が”納得”することがげきなくなってしまう。著者の経験から強く主張しています。

 著者はサッカーにビデオ判定を取り入れることに反対だとのこと。「判定がどうであれ、選手は、自分が何をしたか分かっている。審判に「何があったか」と聞かれて問われているのは、「ハンド」かどうかなのではなく、自分のフェアプレー精神なのです」

 「かつての中田英寿のようなタイプの選手は、ゴールを決めようが決めまいが、もの凄く強烈な、「マグネット選手」です。フリーキックでいえば、もちろん中村俊輔や遠藤保仁の素晴らしいテクニックが見たい、と思われるファンは大勢いるでしょう。彼らがFKを蹴る瞬間は、スタジアムが大きくどよめきます。これも一種のマグネットです。」「スタジアムは非日常の空間です。同時に夢の舞台でもある。そういう夢の空間・舞台をどう作り上げ、素晴らしい雰囲気をかもし出す場所にするかを意識しなくてはいけません。」

 「手段より明確な理念を語れるのがリーダーの資質である。」
 Jリーグの理念
・日本サッカーの水準向上及びサッカーの普及促進
・豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身n健全な発達への寄与
・国際社会における交流及び親善への貢献
 「理念を守りとおせるか、手段よりも目的に対してしっかりとした精神を持てるか。Jリーグという、それまで日本には存在しなかった新しいプロスポーツを誕生させ、育て、定着させるにあたって、理念を大事にしなければ前進できないことを身をもって知ったのです。」

 決して、サッカーだけではなく、広く指導者・経営者に必要な資質を説いた作品です。

 理念を掲げ、その達成のために強い意志で立ち向かい、決してブレない、そんな姿が思い浮かびます。 

『片目の猿』(道尾秀介)

2009-07-20 20:41:00 | 読書日記
 「昔、999匹の猿の国があった。その国の猿たちは、すべて片眼だった。顔に、左目しかなかったのだ。とろこがある日その国に、たった1匹だけ、両眼の猿が産まれた。その猿は、国中の仲間にあざけられ、笑われた。思い悩んだ末、とうとうその猿は自分お右眼をつぶし、ほかの猿たちと同化した」

 「俺はこう思うんだ。猿がつぶしたのは、そいつの自尊心だったんじゃないかって」

 「人間の心は、ほんとうは永遠に傷ついたりなんてできやしないんだ。はじめの傷が塞がろうとしたところに、また言葉を詰め込んで、尖った爪で引っかいて、新しい傷を重ねているだけなんだよ。治るはずのものを治そうとしない人間を見るのがー諦めている人間を見るのが、俺は本当に哀しいんだ。」

 「眼に見えているものばかりを重要視する連中は、俺は興味ない。」
 この言葉をより強く伝えるためだろうか、叙述トリックで著者は読者に臨んできます。

 そのトリッキーな構成の先にあるのは、人間の自尊心を持って生きることの重要性が切々と語られます。

 「そうきたか。まいったなあ」と思うと同時に、じんわりと人の優しさ・強さをを感じさせる作品でした。

『サッカーボーイズ 13歳 雨上がりのグラウンド』(はらだみずき)

2009-07-17 21:38:38 | 読書日記
 サッカーは年少の頃から育成システムができあがっていて、各段階でセレクションが実施されている。
 そこではセレクションに受かり、高いレベルの中でプレーできる者がいる一方、セレクションに受からない者もいる。

 さらには中学生になるとチーム内の人間関係に悩むこともあろう。

 そんな中でも「なぜサッカーを続けていくのか」。「ただサッカーが好きだから」

 少年の頃、サッカーを楽しみ、本当に好きになれば、どんな形かは別として、サッカーと上手く付き合っていけるのではないか。

 挫折を味わい、様々なことに折り合いをつけることを覚えることで、少しずつ大人になっていくのだから・・・。

 「サッカーには表現の自由があるからこそ、プレーヤーはフィールドでファンタジーあふれるプレーを起こせる。そのサッカーの楽しさを奪うことは、誰にもできない。」

 サッカーの楽しさの一つは、自己を表現できる自由があるからか。
 そんな境地に達してみたい!

 

『サッカー少年がみるみる育つ!』(鈴木智之)

2009-07-13 20:25:18 | 読書日記
 「いい指導者とは、選手たちに多くのことを教えないのです。教えるのではなく、考えさせる。やらせてみて、見守る。」
 
 「育成世代の指導者に必要なことは、子どもを育てる情熱があること。成長を待つ我慢ができること。成長へのヒントを与えてあげられること。」

 サッカーの監督でもコーチでもない。取材者として多くの優れた指導者と接し、そこから得られた指導者として必要な資質をまとめた作品です。

 昔は、近所のサッカー経験者や、選手の親がコーチ役をかってでて、少年サッカーを指導していたのでしょうが、最近では、ゴールデンエージの育成の重要性も指摘され、指導者の質が問われているようになったのでしょうか。

 それにしても、サッカーの指導者論というのは実に奥深く研究されていることに驚かされます。
 サッカーに留まらず、人間としての成長をも見据えた指導方法が確立されてきているのですねえ。
 
 自分に合った指導者と巡り合えて、サッカーが本当に好きになり、サッカーと一生付き合っていけるようになったらいいでしょうねえ。

 最後は指導者の情熱だろうか。
 

『カラ売り屋』(黒木 亮)

2009-07-11 12:34:58 | 読書日記
 たまたま入手した情報をもとに、「カラ売り」を仕掛け、株主を疎かにする経営陣と対決し、勝負をかける「カラ売り屋」。

 「過疎債」という甘い汁で、地方で大儲けしようとする「村おこし屋」

 新興国向けファイナンスで利益をあげようとする「エマージング屋」

 民事再生法の適用により、破たんを避けようとする企業(旅館)を買い取り、利益をあげようとする「再生屋」

 それぞれの分野における儲ける「プロ」の生態・活躍を描いた作品である。

 「プロ」は「プロ」らしく、知識・駆け引き・胆力で世の中を渡っていく。

 著者は元金融マンであっただけに、金融分野の話は奥深く、さりげなく専門用語がちりばめられ、楽しめました。
 しかし、それだけに限らず、地方の村おこしの話や、民事再生法をめぐる法律知識など、著者の研究・取材の幅・奥行きに驚かされます。
 それらを楽しい一級のエンターテイメント小説に仕上げるセンスも素晴らしい。
  
 短(中?)編集ながら、それぞれの主人公のキャラクターづくりが上手く、続編を期待してしまいます。

『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(池上 正)

2009-07-11 12:01:46 | 読書日記
1 肯定する
 「だからダメなんだよ!」抽象的な言葉で叱ってばかりいませんか?
 怒ったり、小言をいうより、前向きに取り組める雰囲気を作ろう。

2 上達する
 「悔しくないのか」負け始めると怒っていませんか?
 勝利至上主義ではなく、フェアプレーと「いいサッカー」で、子どもはぐんぐん伸びる。

3 楽しませる
 「サッカーを最優先しろ」子どもに押しつけてはいませんか?

4 気づかせる
 「ちゃんと話を聞きなさい」いつも世話を焼いていませんか?
 転ばぬ先の杖を用意しない。できない経験をさせると、話を聞ける子に育ちます。 

5 考えさせる
 「右へパス」「そこでシュートだ」試合の間中、子どもを煽っていませんか?
 自らの力で判断できる子が「あと伸び」します。

6 進化する
 「今までこうやってきたんだから」古い概念のまま立ち止まっていませんか?
  スポーツは日々進化します。頭を切り替える柔軟性と勇気を持ちましょう。

7 夢を持たせる
 「プロになりたいんだろう」子どもより先に自分の望みを語っていませんか?
 大人の期待を伝えるのではなく、子どもが自発的に目標を持てるように導こう。

8 余裕を持たせる
 「勝ちたいという気持ちが足らなかった」敗戦を精神論で片づけていませんか?
 
9 自立させる
 「なくすと困るから」電車の切符を大人が持ってあげていませんか?
 「できること」ではなく「経験すること」を重視しよう。

10 和をつくる
 能力別にチーム分けするのがよいと思い込んでいませんか?
 「異の集団」で子どもは伸びる。
 
11 問いかける
 「何やってんだ」大量リードされたら怒鳴っていませんか?
 指示するのではなく、問いかけることで、子どもから答えを引き出そう。

 まさに目から鱗。自分のことを次から次への指摘されているかのような錯覚に陥りました。
 
 確かに、本書とは違う指導方法で成功された方もいらっしゃるでしょう。したがって、本書の指導方法が絶対的だとは言えません。しかし、私が少年の頃のスポーツ指導の定番”スパルタ指導””根性論”では伸び切らなかった子どもがいたことも確かですし、一つの指導方法として学ぶべきところが多い気がします。

 「子どものため」と口では言いながら、実は自分のため、自己満足のために行動していたのではないかと反省させられました。
 もっと、子どもが自分で考え、楽しみながら、成長していくことを後押しできる親になりたいと思います。
 だって、子どもの人生は子どものものなのですから。

 サッカーの育成のためだけではなく、子育て全般に通じる魔法だと思います。

 
 

『サッカー 戦術クロニクル』(西部謙司)

2009-07-08 17:09:48 | 読書日記
 トータルフットボールを軸に戦術の変遷を記した作品。

 トータルフットボールとは、ポジションにこだわらない全員攻撃全員守備ということ。しかし、著者の定義は、
 ①現代的または未来的な印象を与える
 ②優れたチームプレーであること
 ③攻撃的かつ魅力的であること

 74年の西ドイツ大会でのオランダはトータルサッカーをしていた。人ではなくボールに対して守る。いわゆる「ボール狩り」。

 戦術とは勝ためのシステムであり、フォーメーションは選手の並べ方に過ぎない。したがって、戦術は選手のそれぞれの特徴、監督の目指すサッカーの方向により、チーム毎にどんどん進化していく。

 今後予想される戦術の変化は?
 ディフェンスラインとプレッシングエリアを下げてカウンターを狙う。そういう戦術が一般化している。そこで、ペナルティエリア内のわずかなスペースへ針の穴を通すようなパスを狙っていく攻め方になるだろう。

 つまり、低い位置でのプレッシング&カウンターアタックという戦術と、ポゼッションして引いた相手を攻略する戦術、この二つを状況に応じて使い分けられるチームが有利になる。

 これだけ戦術について研究されていると、サッカーを実際にプレーしなくても、見るだけでも楽しめる競技ですね。
 
 そして、監督がどのようなチームを作り、どのようなゲームをしたいかという方向性が、プレーにも如実に現れるという意味で、他の競技に比べ監督の地位が相対的に高い気がします。
 そして、やりがいのある仕事なのでしょうねえ。

 「オレなら、こういうチームを作って、こういう試合をするよ!」と素人同士でも盛り上がりそうです。
 そんな時、戦術の流れ・変遷を知っていると、ちょっと鼻高になれるかも・・・
 

『リンゴが教えてくれたこと』(木村秋則)

2009-07-02 19:55:04 | 読書日記
 「皆さんの両手にお米一粒できますか?お米はイネに実るのです。リンゴはリンゴの木に実るのです。人間には米一粒、リンゴ一個も実らないのです。私たちはイネが生育しやすい環境をお世話するだけです。」

 「若い人は農業が嫌いではありません。これまでの農業に魅力を感じなかっただけです。若者はありきたりのもの、答えがわかっていることは好きではありません。自分を超えた何かを得ようとしています。」

 「自然栽培で失敗しないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。~自然栽培に切り替える場合、~『穴を掘ってください。そして10㎝刻みに温度計で測ってください』といつも言います」

 「私の栽培は作物と環境をいかに同調させるかがカギです。」

 「自然を観察する目がないと農業はうまくいきません。」

  「自然栽培で減反は不要になります。反収7俵とれれば十分です。減反などで3割は余っているのですから」

 「日本の経済を樹木になぞらえると、中央に幹(首都)があってそこから枝(地方)が伸びているという構造と考えるでしょうが、私は違うと思います。本当は小枝についている葉っぱ(町や村)が、デンプンをつくり、幹を支えているのです。」

 苦労しながらも、農業を極めよう、未知のものに挑んで謎を解明しようとする、その意志の強さに圧倒されます。

 自分は農業者であると言っていますが、自分の目で見て、実際にいろいろ試してみて、その結果を次の策につなげるということは、科学者の手法に近いものです。しかし、相手が農業であるゆえ、結果がでるのにも時間がかかり、その分の苦労も相当なものであろうと想像されます。先頭を走るものの苦労は、本人の強力な情熱なしには遂げられないと思います。

 日本の農業の持つ様々な問題点や閉塞感、これを解決し打破する一つの方向性として“自然栽培”があるのかもしれません。