Sightsong

自縄自縛日記

加藤真『日本の渚』

2009-05-23 21:51:26 | 環境・自然

加藤真『日本の渚―失われゆく海辺の自然―』(岩波新書、1999年)。砂浜が陸域からの土砂の供給が減ったり開発圧力を受けたりして少なくなっている、といった解説かと思い込んでいて読んでいなかった。本屋で気が向いて目次を開いてみたら、「渚」として捉えている範囲はもっと広かった。

章は順に、河口、干潟、藻場、砂浜、サンゴ礁、ヒルギ林。それぞれの章の分量は当然多くないが、著者の体験と(これが重要なところだが)愛情に基づいて書いているため、「学者がさらった」というようなものにはとどまっていない。文字通りの良書であり、ジュゴンのこと、三番瀬のこと、サンゴのこと、ダムのこと、赤土のことなどを気にかけている多くの人に読んでほしい。素晴らしいと思った。

干潟の生き物については、私も東京湾の盤洲や三番瀬でじろじろ見た奴らのこと、先日『有明海の干潟漁』という記録映画で観た不思議な漁法のことなどに言及してある。そこで登場する、干潟の孔に筆を挿し込んで引き上げるアナジャコには、時にその胸にマゴコロガイ(笑)という二枚貝が付いていることがあるという。本当に真心のような形だ。マゴコロガイは、アナジャコが集めた有機物の一部を失敬し、くっついたまま一生を送る。

「干潟の生態系機能という視点から見たら、マゴコロガイは小さな存在にすぎない。しかし、マゴコロガイのようなささやかな種の集合こそが、干潟の生物多様性だといえる。マゴコロガイは干潟の生物多様性のひとつの指標であり、アナジャコの胸にマゴコロガイがついていることを発見して喜ぶ心は、生物多様性を享受できる私たち自身の心の豊かさの指標だ。」

藻場の章では沖縄のジュゴンに言及してしめくくっている。ジュゴンは哺乳類海牛目、その祖先は陸上の草食動物であり、海草のセルロースの消化に前もって適応していたことを示す、とする。そして「ジュゴンの生息はまさしく海草帯の生態系の自然度の指標にほかならない」と説いている。

サンゴ礁の章では、炭素固定源としての評価を述べていて、森林との比較がとても面白い。この機能を、地球上にはじめて登場した造礁生物であるストロマトライトからの変遷として書いてもいる。

また、サンゴの島の白砂をひとすくい取って、なんとひとつひとつをより分け、由来毎に選別している。これが愛情といわずしてなんであろう。その結果、紙の上に、ウニ類、甲殻類、コケムシ、有孔虫、貝、サンゴ、石灰藻、岩石が島々のように並べられた。そして有孔虫については、銭石、太陽の砂、星砂、月の砂、土星の砂、と分けて見せてくれている。もちろん、それぞれの有孔虫はただの変わった形の砂ではなく、単細胞生物の殻である。

砂のひとつぶひとつぶを生き物として見るわけだから、他の場所から土砂を取ってきて埋め立てたり、人工干潟などを造成したりすることに対しては、激しい批判を加える。情緒からの批判でないことは注目すべきだ。考えているのは、「砂」という無機物の塊ではないのである。

「生物多様性は、よそ行きの言葉として語られるだけで、社会的にはまだ正当に評価されていない。無数の種を識別し数えあげてゆくことによって初めて、生物多様性は驚きとともに見えてくるものだからだ。」

「生物多様性はそのかけがえのなさ自体に価値があり、それを人の都合で低下させることがあれば、それは人間の尊厳に抵触するはずだ。」

「この列島のいたるところで、渚は今でも消失しつづけているが、その背景には無駄な公共事業がある。「自然にやさしい工法」とか「ビオトープ」とか「環境復元」の名のもとに不必要な開発の手が自然の渚に及ぶことも多い。」

●参照
『海辺の環境学』 海辺の人為(人の手を加えることについて)
『有明海の干潟漁』(有明海の驚異的な漁法)
ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ(ジュゴン覚書など)
熱帯林の映像(沖縄のヒルギ林)
理系的にすっきり 本川達雄『サンゴとサンゴ礁のはなし』(わかりやすいサンゴ礁のしくみ)
星の砂だけじゃない(沖縄県の塩屋湾の銭石のこと)
『赤土問題の基礎物理化学的視点』(沖縄の赤い海)


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