Sightsong

自縄自縛日記

『海辺の環境学』 海辺の人為

2009-05-21 23:09:28 | 環境・自然

立ち読みしていると、『海辺の環境学 大都市臨海部の自然再生』(小野佐和子・宇野求・古谷勝則、東京大学出版会、2004年)の中に、堂本千葉県政での三番瀬の円卓会議や、記録映画『或日の干潟』についての記述があり、読まずにはいられなくなった。高いので、家に帰って、Amazonの古本を注文した(笑)。

タイトルには「自然再生」とあるが、そのような技術や土木工事についての解説などではない。人間がどのように海辺に関わり、自然と共生し、自然に影響を与えてきたか、といった視点である。いかにも東京大学出版会らしく、10人以上の大勢が文章を寄せ合っているため、個々のテーマについての物足りなさは残る。また、つまらない箇所も多々ある。ただ、人為なるものと自然とのインタラクションについて、歴史、実態、都市計画のコンセプトなどさまざまな側面を提示してくれていて、示唆的なところは多い。

海辺の「聖地性」が失われていき、実際に、物流を含め、海からもたらされる有形無形のものをあてにしなくてもよくなった現在。「用済みになった海辺は、ただの空地となり、埋め立てられて工場用地となった」。海辺の意味を取り戻すためには、新しい海辺との関係が必要なのだと説く。魔力のようなことばは、海辺との新たな関係を偽装した土木工事や商売につながるかもしれない。先走りするコンセプトは趣味ではない。

コンセプトという便利な「箱」のことは置いておくとして、面白いのは、縄文以降の海辺の植生変化だ。ここでは千葉県の大柏川流域について調べているのだが、このようなタイムスケールでは、潜在自然植生がどれかというより、人為の影響が色濃く出ていることがわかる。縄文時代には、腐りにくく、硬めだが割りやすく、石斧で伐採加工しやすく、かつ萌芽再生による成長が早いクリの木が重用された。また、海産物から植物に食事が変化し、クリ、トチノキ、クルミなど果樹をつける落葉広葉樹がやはり重視され、根菜類や山菜も落葉広葉樹の下でこそ生産できた。

縄文後期から弥生時代に入り、落葉広葉樹の食物としての利用は減った。そして稲作の鍬や鍬には、カシが適していた。常緑広葉樹の増加の一因である。

その後、スギやヒノキといった針葉樹が植林されるようになった。これらが、石斧では加工しにくいが、鉄斧・鉄鋸では板材にも加工できることが理由であるという。さらに強い火力を求めてマツも増えた。

陸と海とを緩やかにつなぐエコトーン、ハビタットとしては、木更津の小櫃川河口盤洲干潟江戸川放水路などが稀少な場所として大きくとりあげられている。それに追加して、行徳の新浜(野鳥保護区)や千葉の谷津干潟といった人為的側面が強い場所での影響についても言及している。新浜では東京湾との間の水の連絡が乏しかったため、干潟は乾燥した粘土面と化した。谷津では下水の流入によりアナアオサの大発生を招いている。

だからといって、人為的な操作がすべてエコトーンの健全なハビタット形成にとって悪いとはしていない。ここは興味深いところだ。三番瀬の海辺再生に向けた手法として、人為的に干潟を再生するか、極力人為を省くか、が未だ争点になっているからだ。円卓会議当時のアンケートによると、会議を聴講するような積極的な市民は人為的な干潟再生に反対、そうでない市民には抵抗が少ない、という結果が出ている。これをどう考えればよいのか。

●三番瀬
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い

●東京湾の他の干潟
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
江戸川放水路の泥干潟 (千葉県市川市)
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)


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