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自縄自縛日記

庵野秀明+樋口真嗣『シン・ゴジラ』

2016-07-30 09:08:26 | アート・映画

庵野秀明+樋口真嗣『シン・ゴジラ』(2016年)を観る。

巷では、本作が「改憲プロパガンダ」だとの評もあるようだが、それは一面的に過ぎるだろう。確かに突然ゴジラが東京に現れ、憲法と既存の法制度に照らして政権が苦しみ、馬鹿げた縦割りの対応に終始し、解釈と特別法とで対処していく姿が描かれている。しかし、タカ派(余貴美子、竹野内豊など)の描写などはむしろコミカルだ。

それよりも、実質的にアメリカの傀儡国家としての日本を描いた点に大きな価値があると言うことができる。その意味で、アメリカの意向で東京のゴジラを核攻撃しようとする事態に陥るプロットは、1954年版『ゴジラ』よりも1984年版『ゴジラ』を下敷にしたものとみるべきではないか(冒頭に無人のレジャーボートが発見される場面もそれを思わせる)。

(ところで、わたしが中学生のときに1984年版『ゴジラ』を観た映画館は、かつて宇部市にあった「宇部東宝」だ。同じ高校の美術部の先輩たる庵野氏は当時すでに上京してアニメーターとしての活動を始めていたというから、同じ映画館で観たわけではないのだろうな)

現代の日本を戯画化し、アメリカ傀儡を否定的に描き、それでは何を希望として見せようとしているのか。「みんなが無私のこころで頑張る日本」は気にはなるが、まあよい。フランスが驚いてみせる「狡猾」な外交力かもしれない。あるいは自主武装かもしれない。そのあたりは、日本を「スクラップ・アンド・ビルド」の国としたうえで、これから再度新しいかたちを作り上げるのだと意図的に曖昧にしている。

それにしても、この素晴らしい特撮には惚れ惚れする。蒲田や北品川あたりの古い東京が破壊される場面も、東京駅付近の新しい東京が破壊される場面も(グラントウキョウが倒されるところなんて声を上げてしまった)、これまでのゴジラ作品から引き継がれていて、しかも遥かにリアルである。もういちど観ようかな。

●参照
ギャレス・エドワーズ『ゴジラ』(2014年)
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(1956年)
山本昭宏『核と日本人』


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