久しぶりにブルーノート東京に足を運び、チャールス・ロイドを観る(2017/1/12 2nd set)。
Charles Lloyd (ts, fl)
Bill Frisell (g)
Reuben Rogers (b)
Eric Harland (ds)
ロイドのテナーは唯一無二とも言うことができるユニークなものだ。装飾音の塊のようでありながら、それは装飾ではない。サウンドのコアに絶えずアプローチしては離れてゆく、そのことがサウンドを極めてファジーで柔らかいものにしている。「Monk's Mood」のソロを聴いていて、その往還のさまに陶然としてしまった。
今回の目玉はビル・フリゼールでもある。随分前に、『爆弾花嫁』というサイレント映画を上映しながら音を付けてゆくというコンサートを観たことがあって、まったく過激さのないサウンドに失望した。それ以降、フリゼールをあまり聴かなくなってしまったのだが、それは、CDのみで音楽家のイメージを形成する歪んだ形であったかもしれない(つまり、ジョン・ゾーンと活動したり、バスター・キートンをジャケットに使ったりするフリゼールに、エキセントリックなものを見出したかったわけである)。今回、気負わず、浮遊する懐かしさを繰り出すフリゼールには好感を持った。
それにしても奇妙な1時間50分だった(ブルーノートなのに長い)。ロイドやフリゼールのサウンドの自由さは、音楽のフォーマットの枠など超えているようなのだ。ロイドは愉しそうにソロイストに近寄っては煽り、また自分のタイミングを作ってはテナーやフルートを吹いた。まるで自由な路地で会話を続けているように見えた。煽られたロジャースは苦笑し、ハーランドは硬い楔を打ち込んだ。
チャールス・ロイドの映像『Arrows into Infinity』においては、ロイド自身が、レスター・ヤングからの影響を示唆していた。この達観した融通無碍なプレイを目の当たりにすると、確かにそれも納得できる。
客席には中平穂積さんがいらしていて、長い付き合いのロイドがステージから紹介し、演奏後には抱き合っていた。わたしの前の席には、たまたまサンフランシスコから東京に赴任しているというロイドのファンがいて、いま新宿ゴールデン街のBar十月で中平さんの写真展をやっていると教えたところ、かれはその十月を知っていた。面白い世界である。逆に、かれからは、ザキール・フセインとロイドとの共演盤を熱く推薦されてしまった。
●チャールス・ロイド
チャールス・ロイドの映像『Arrows into Infinity』(2013年)
マイケル・ラドフォード『情熱のピアニズム』 ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリー(2011年)
原将人『おかしさに彩られた悲しみのバラード』、『自己表出史・早川義夫編』(1968、70年)