中北浩爾『現代日本の政党デモクラシー』(岩波新書、2012年)を読む。
昨年12月の衆院選直前までの状況を踏まえた本書を読むことにより、いま問題視される小選挙区制の導入経緯を振り返ることができる。前回は民主党、今回は自民党に、雪崩のように票が集まった。勿論、それは「民意」を反映したものではないと批判されるわけだが、ある程度は予期された未来でもあった。
もとより、リクルート事件に象徴されるような金権腐敗が、中選挙区制に起因するという分析がなされていた。また、比例代表制や中選挙区制によっていくつもの政党が並び立つと、政策は政党間の談合で成立するような構造になってしまい、それが政治的決定力を欠く原因であるともされていた。
1994年、細川政権での選挙制度改革を主導した小沢一郎が指向した二大政党制は、それにより権力を得る政治集団の決定力を増やすためのものだった。小沢にとっては強い政治的リーダーシップの創出こそが狙いであったのであり、彼の中では「政治の主役は有権者ではなく政治家であり、民意の代表は二義的な問題に過ぎない」とする本書の指摘は重要である。(一方、細川護煕は「穏健な多党制」を指向しており、二大政党制を過渡的なものとして捉えていた。しかし、のちにこのことを悔んでいる。)
この流れが、必然的に、民主党を生み、政権交代を実現し、少数者しか支持していない自民党の政権奪取という大矛盾を作り出した。
小沢一郎は、民主党の政権運営能力を危惧し、政権交代前に大連立をもくろみ失敗した(福田政権時)。このときに、消費税増税などの必要悪に道筋をつけておこうとしたのだという。しかし、それはトレンドを手前勝手に解釈した暴走というものである。
小選挙区制は、政党への包括的な委任ではなく、個別政策への有権者の支持を反映しやすいものであるとも解された(ここに、小沢ビジョンとの乖離がある)。マニフェストは、そのような文脈で登場してきた。しかし、ふたを開けてみると、有権者は細かいマニフェストを読んで政党を選ぶわけでもなく、結果的に、それは選挙のためだけのイメージ戦略に堕した。政治的なビジョンを共有しない烏合の衆・民主党が、マニフェストを実行できなかったのも当然のことだったと言えるのかもしれない。
興味深い分析がある。衆院選における比例代表についても、二大政党化が進んでいるというのである。この理由として、著者は、主戦場たる小選挙区での争いに有権者の注目が集まり、比例区での有権者の投票行動にも影響を与えるからだという。このことは、今回の選挙におけるメディアの社会的責任にも関連するような気がする。事前に自民党圧勝と煽ったことは何をもたらしたのか、ということだ。
二大政党化による政治的決定力の獲得とはいっても、結局は、政党間ではなく、政党の中で調整と交渉と談合が行われるわけであり、そもそもの狙いは間違いであったというべきだろう。それ以上に、多様な意見が圧殺され、極端な政策を掲げる政権が現れるという、あまりにも大きな危険が出てきている。
本書の言うように、衆院選についても、比例代表制の比重を高めていくべきだろう。現在の自民党政権は、それをしたがらないだろうが。
●参照
○2012年12月衆院選
○小林良彰『政権交代』
○山口二郎『政権交代とは何だったのか』
○菅原琢『世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか』
○西川伸一講演会「政局を日本政治の特質から視る」