徳永将豪『Bwoouunn: Fleeting Excitement』(Hitorri、2016, 17年)を聴く。
Masahide Tokunaga 徳永将豪 (as)
このサウンドを「音響」などという言葉で括ってしまっては、ぼろぼろと落ちるものの方が多いようである。
3曲のうち、2曲目と3曲目が収録された2か月前のライヴ(徳永将豪+中村ゆい+浦裕幸@Ftarri)を目撃してもいたのだが、そのときの印象もあって、アルト演奏のために身体を鍛錬し、音のかたちを執念で追い詰めていった成果のように思える。ロングトーンの持続も揺れ動きも、ハウリングのような音も、おそらくは、完全にコントロールせんとした結果であるだろう。音の増幅は、筋肉と呼吸、管の共鳴、機械と、まるでひとつながりであり、そのことに驚く。
この演奏を観たときには、出されてしまった音と出している音とのせめぎ合いに思えたのだが、あらためて聴くと、語ろうとすることは既に語られてしまったことだという言葉が浮かんでくる。しかしそれは困難な作業であり、それゆえの驚きに違いない。
●徳永将豪
徳永将豪+中村ゆい+浦裕幸@Ftarri(2017年)