Sightsong

自縄自縛日記

平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館

2009-08-02 08:28:13 | 沖縄

■沖縄県平和祈念資料館

これまであまり南部には足を運んだことがなく、この資料館も初めてだ。沖縄戦の状況をなるべく具体的に示そうとしている展示には好感を持つ。また、戦後の復興の様子までもカバーしている。

映像やジオラマでの展示では、高地が激しい戦場のひとつとなっていたことが示されている。宜野湾の嘉数も、西原町の運玉森(運玉義留の)もそうだった。また、ガマの一部の再現が生々しい。稲嶺県政のときに、銃を構えて立っていた日本兵が何も持たずに立っている表現に変えられ、自決強要の日本兵については壕の中からそっくり消えてしまっていた、という改竄がなされている(24wackyさんの教示)。

戦後のAサインバーや米兵向け商店の様子は、これまでモノクロ写真で見ていたのみであり興味深い。なかでも、「Made in Ryukyu」の稀少カメラ、「ニューパックス」が展示してあったのには驚いた。奥武山公園近くの「カメラのたかちよ」にも保存してあるらしいが、今回は店の前を素通り。

■「原爆と戦争展」(那覇市ぶんかてんぶす館)

道を間違って国際通りに出てしまった(笑)ときに、眼に入ったので覗いた。広島・長崎のみならず、沖縄戦の証言もパネルで多く示されている。なかでも、ともすれば日本軍のみの責任という言説が支配的になり、米軍は住民を助け出したような文脈で語られることが多いが、米軍は日本軍を上回る残酷なことをしたのだという主張が目立つものだった。

峠三吉の詩、無名の方の詩はやはり恐ろしい。

■「道具たちのゆんたく~民具が語るぎのわんの暮らし~」(宜野湾市立博物館)

小ぶりだが血が通っている、このような博物館はとても好きなのだ。東村立山と水の生活博物館も、名護博物館も同様に面白い場所だった。

この特別展では、鍋などの生活用具のほかに、クバやソテツの葉で作った民具が並べてあった。虫篭も玩具も団扇も蝿叩き(ヘークルサー=蝿殺し)も作ってしまう。子どもも実際に触って遊べる。

鍋の蓋のことを「カマンタ」(釜の蓋)と言い、似ているから「マンタ」という呼び名になったことは初めて知った。ジュゴンのあばら骨で作られた銛があった。

国道58号の北西側、大山地区ではターンム(田芋)が広く栽培されているらしい。つぶして揚げると旨い、沖縄料理でしか食べたことがない芋である。喜友名地区には、石の古いシーサーが町のあちこちにあるらしい。次回以降の楽しみになった。

常設展示も充実している(過去の展示のパンフ『宜野湾戦後のはじまり』を入手した)。入口には、宜野湾で掘り出された、ケービン(軽便鉄道)が飾ってある。レールの幅が狭いもので、那覇と嘉手納、那覇と泡瀬、那覇と糸満をつないでいたものだ。これは後で、「ゆいレール展示館」でも詳しく見ることができた。

■「沖縄戦の図」(佐喜真美術館)

佐喜真美術館を訪れるのは2回目だ。普天間基地を一部返還してもらい、フェンスを新たに食い込むように設置した場所に作られている。実際に屋上から覗き込むと、真下はフェンスと普天間であり、その中に墓もある。

宜野湾市立博物館からワンメーターだろうと思ってタクシーを拾ったら、普天間をぐるっと迂回し、沖縄国際大学横を通ったりするので意外に時間がかかった。

今回は版画展をやっていて、これもそれぞれ楽しめたが、目当てはやはり丸木伊里・俊夫妻の「沖縄戦の図」。大きな展示室の真ん中に3脚の椅子が置かれており、座ってしばし観る。

■「つぼやをみ展、さわっ展」(壺屋焼物博物館)

ここも2回目か3回目だ。壺屋焼には大きくわけて、白くすべすべした「上焼(じょうやち)」と、赤くざらざらした「荒焼(あらやち)」とがある。前者は沖縄北部の白土や赤土(国頭マージ)が、後者は南部の赤土(島尻マージ)が原料とされている。それぞれ作り方が違っていて面白い。釉薬についてもう少し知りたいところだ。

■ゆいレール展示館

息子がゆいレール車内でポスターを見つけて行きたいと主張するので、帰りに空港に行くのを早めて立ち寄った。空港から歩いて15分くらいのところ、ゆいレール本社内にある。幼児が寝てしまい、抱っこして暑い中を歩いてたどり着いたのでへとへとになった。

ゆいレールそのものについての展示はさほど多くない。ただ、パソコンでデザインを選んでいけば、最後にそのデザインのペーパークラフトがプリントアウトされる仕組になっているのは楽しい。

他の目玉は、沖縄の昔の鉄道についての展示だ。宜野湾市立博物館でも見たケービン(軽便鉄道)の地図や時刻表、レール、写真などがあった。那覇から嘉手納まで1時間40分くらい、泡瀬まで30分くらい、糸満まで1時間20分くらいで到着していたようだ(メモしなかったので適当な記憶)。

それから、南大東島にあった機関車についての展示もあった。砂糖黍を運送していたものであり、南大東島出身の内里美香が「島の機関車」で唄っていたこともあって興味があったものだ。


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