Sightsong

自縄自縛日記

豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明

2010-12-18 16:38:16 | 沖縄

NHKの「新日曜美術館」で、比嘉康雄の特集を組んでいた。報道写真家を志しながらも、カメラを真後に向け、事件に象徴される沖縄ではなく、ひとりひとりの顔に体現される沖縄を撮るようになった写真家の移り変わりを追っていて興味深かった。そして比嘉康雄は、久高島の祭祀へと向かう。そのとき、写真家の中で生まれた言葉は、「際に立ち会う」であったという。

沖縄は常に<際>(きわ、マージナルな場)にあったし、現在もそうあり続けている。<際>に立つことは世界を見ることだ、それは真実だと思う。かつて、ヤマトゥから沖縄という<際>へと身を寄せた東松照明はこんなふうに書いた。

「いま、問題となっているのは、国益のためとか社会のためといったまやかしの使命感だ。率直な表現として自分のためと答える人は多い。自慰的だけどいちおううなずける。が、そこから先には一歩も出られない。ぼくは、国益のためでも自分のためでもないルポルタージュについて考える。 被写体のための写真。沖縄のために沖縄へ行く。この、被写体のためのルポルタージュが成れば、ぼくの仮説<ルポルタージュは有効である>は、検証されたことになる。波照間のため、ぼくにできることは何か。沖縄のため、ぼくにできることは何か。」(「南島ハテルマ」、『カメラ毎日』1972年4月号所収)


『時の島々』の表紙にもなっている写真。キヤノン・ぺリックスに28mm、トライXで撮られたもの。

東松照明にとって、<際>への移動こそがアイデンティティであった。それでは、もとより沖縄という<際>にあって沖縄を写す写真家とは何だろう。比嘉康雄は、沖縄のなかでもさらなる際、久高島に視線を向けた。<際>から<際>への移動があった。そうではなく、いまの政治と社会にあって沖縄が<際>であり、移動がないと言うことはできないが、それでも、あからさまな形ではないということである。この内部での跳躍を、勇気であり、かつ、表現であると見るべきか。

豊里友行『沖縄1999-2010 ―戦世・普天間・辺野古―』(沖縄書房、2010年)を凝視していると、そのような思いが去来する。摩文仁、渡嘉敷島、辺野古、勝連、北谷、普天間、泡瀬、嘉手納、コザ、象の檻・・・。ここには決定的な場所も時間もある。象徴性も事件性もあり、モノクロ写真のクオリティは高い。飲んだくれる米兵や彼らにサービスを提供する女性たちに迫った写真など素晴らしいと思う。そして840円という低価格は過激であり、廉価で売られた土門拳『筑豊のこどもたち』のことを思い出す。

その一方で、あまりにも多くの情報が肩に圧し掛かってきて、写真というアートとしてどう捉えるべきなのかとも思ってしまう。

以前、飲み会で北井一夫さんにこの写真のことを問うてみる機会があった。そのときのコメントを書くのはルール違反だが、間接的に豊里さんにぶつけてみる意味で、私信ではなく、ここにあえて書いてみる。これを私はどう受け止めるべきなのか、それも判断しかねている。

曰く、
沖縄の政治家や学者などのコラムがあるのには違和感がある。
政治に依存しすぎてはならない、政治は力なのだから。
沖縄という特権に嵌ってはならない。
表現者は、何かに依存せず、孤独でなければならない。
『東京ベクトル』の方向性は良かった。
石川真生のあり方を見て考えてみてはどうか。

※公式の場でもなく、発言そのものでもないため、文責は当方にあります

●沖縄の写真
比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
仲里効『フォトネシア』
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
沖縄・プリズム1872-2008
東松照明『長崎曼荼羅』
東松照明『南島ハテルマ』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』

●久高島
久高島の映像(1) 1966年のイザイホー
久高島の映像(2) 1978年のイザイホー
久高島の映像(3) 現在の姿『久高オデッセイ』
久高島の映像(4) 『豚の報い』
久高島の猫小(マヤーグヮ)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』


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4 コメント

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Unknown (豊里友行)
2010-12-18 19:49:53
比嘉康雄氏や東松照明氏のお話の後に私が登場するのには大変恐縮致します。
ですが北井一夫先生の示唆するところは大変重要な私の進路の鍵があるように思えます。
ちなみに『沖縄1999-2010 ―戦世・普天間・辺野古―』豊里友行写真集(沖縄書房、2010年5月発行)は今、林忠彦賞に推薦を頂いてます。
もちろん賞には及ばないと確信しています(笑)
というのも北井一夫先生から『1973 中国』北井一夫写真集を贈呈して頂いた際、熱心なお手紙をいただいて結論が出る。
『彫刻家金城実の世界』豊里友行写真録、『沖縄1999-2010』豊里友行写真集の北井一夫先生の感想はあまり良いとは思えなかったとおっしゃる。
「被写体の持つ政治性があまりにもはっきりしすぎていて、はじめから限定した方向を作り過ぎているせいか、写真を見ていて息苦しくなる思いがしました」
「写真はストレートな表現ですから、はじめから政治性を出すと、そのことが目ざわりで豊里さんが表現したい内容とかけはなれていくと思います。被写体にもっと自由を与えるべきだと思います。」と北井一夫先生は語る。
 『東京ベクトル』と俳句については、対称が自由でのびのびして視野をひろげてもらった気になりますと言う北井一夫先生のお言葉に『沖縄』豊里友行写真集(改定増版)の編集のヒントがあるように思える。
 その大きなヒントとして『1973 中国』北井一夫写真集があるように思える。
北井一夫先生は中国出身である。
木村伊兵衛じきじきにお電話で中国への撮影旅行へ誘われる。
その時の撮影された写真たちは瑞々しい。
北井一夫先生は豊里友行に言う。
「豊里さんは、政治ではなく幼児体験の記憶をもっとひっ張り出してみてはどうでしょうか。そのことで表現は政治性も含むと思います。人が生活するのに政治が優先することは、不幸な時代だけでもう今はいらないのではと感じました。」
そして北井一夫先生は「すべての物事から自由でいることを、めざして下さい」と結んで下さった。

沖縄の米軍基地の現状のみを浮き彫りにするのではなく私自身を編集の中に入れてみたくなる。
何故沖縄にこだわるのか自分の歴史から紐解いて行こうと思う。
北井一夫先生のご助言に深く感謝申し上げます。
というわけで・・・・、そう!
『沖縄1999-2010 ―戦世・普天間・辺野古―』豊里友行写真集の改定増版が税込み1050円で増刷されます。
写真家ですので北井先生の期待に写真で答えたい!
私なりの回答用紙が12月25日に発売されます。
一冊いかがでしょう(今回の改定増版は千部は私だけの行商のみになります)?
と、脱線してしまいましたがSightsongさんの大切なお言葉肝に銘じます。
でも今回の5月に発行した『沖縄1999-2010』写真集は、あまりにも重た過ぎる沖縄の現実を直視すべく一人のウチナーンチュ(沖縄の人)として声をだしてみたかったんです。
ミニエーセーのコメントは編集者としての私の力量のなさもありました。
沖縄の声を発信したい私なりのアイディアでしたが、時を経て見るうちに時事的な情報に陥りそうです。
私の写真がアートになるにはまだまだ力量が足りないかもしれません。
私にあるのは沖縄へのウムイ(想い)です。
石川真生さんと似た方向性とは、今回の改訂増版で変化しているように思います。
Sightsongさんにも大変勉強になるご助言いただき感謝致します。
これからもどうかよろしくお願い致します。
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Unknown (Sightsong)
2010-12-18 20:49:22
豊里さん
大変失礼なことかと思いましたが、コメントいただき恐縮です。当方は<際>を見るアウトサイダーに過ぎません。ウムイと、豊里さんの回答用紙たる改訂版、購入いたします。楽しみにしています。
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Unknown (豊里友行)
2010-12-20 14:47:51
ご購入いただけるとのこと感謝です!
ながながとコメントしてしまい失礼しました。
改定増版は私なりの回答用紙ですが、現在進行形で編集したのにもう過去の産物になって行きます。
過去・現在・未来に通じる私の「今」を日々写真に捉えようと試みています。
本当に自分の写真集についてSightsongの示唆する所は、重要な考える場を与えてくださりました。
深く感謝致します。
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Unknown (Sightsong)
2010-12-21 03:02:11
豊里さん
エラソーなことをのたまってしまい恐縮至極です。つまるところ(つめなくてもいいのでしょうけど)、「愛だろ、愛。」ですよね、ならば支持します。
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