Sightsong

自縄自縛日記

仲里効『フォトネシア』

2010-02-01 06:00:00 | 沖縄

昨年から気になっていた、仲里効『フォトネシア 眼の回帰線・沖縄』(未来社、2009年)をようやく読む。

比嘉康雄、比嘉豊光、平敷兼七、東松照明、平良孝七、石川真生、大城弘明、嘉納辰彦。それぞれの抱えるものと生み出す写真、そして相互の影響とそのねじれが語られてゆく。当然、出身地や沖縄返還、基地による歪みは、ありようは異なれど、それぞれの写真家に少なからぬ影響を及ぼしている。著者は、それを感傷的に過ぎるのではないかというほどのスタンスで、批評を展開している。

ヤマトゥから来た余所者・東松照明に関して、そのことによる視線が交錯し続けている。私にとっても、東松照明の写真には、懐に入りはしてもどこか距離を置いたドライなものを感じさせられている。

もっとも、東松照明の沖縄に対する思いはひときわ真摯であったように思われる。

「いま、問題となっているのは、国益のためとか社会のためといったまやかしの使命感だ。率直な表現として自分のためと答える人は多い。自慰的だけどいちおううなずける。が、そこから先には一歩も出られない。ぼくは、国益のためでも自分のためでもないルポルタージュについて考える。
 被写体のための写真。沖縄のために沖縄へ行く。この、被写体のためのルポルタージュが成れば、ぼくの仮説<ルポルタージュは有効である>は、検証されたことになる。波照間のため、ぼくにできることは何か。沖縄のため、ぼくにできることは何か。」
(『カメラ毎日』1972年4月号所収「南島ハテルマ」)

『フォトネシア』において興味深いのは、東松照明が沖縄から文化のグラデーションを<アンナン>に見ていたという指摘である。安南、東南アジアへのクロスボーダーである。ヤマトゥの原郷を沖縄に見出そうとした柳田國男らの<南島イデオロギー>とは似て非なるものだ。東松は偉大な思想家でもあった。

そしてこの南方との(南方からの、でも、南方への、でもない)クロスボーダーの視線が生まれたころ、東松照明の写真がモノクロからカラーへと変化している。写真家本人は、このとき、ヤマトゥからも米国からも離脱したのだという。これはどういうことだろう。

●参照
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
沖縄・プリズム1872-2008
東松照明『長崎曼荼羅』
東松照明『南島ハテルマ』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
仲里効『オキナワ、イメージの縁』
村井紀『南島イデオロギーの発生』


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4 コメント

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Unknown (terao)
2010-02-06 11:48:40
2006年8月に沖縄に一週間滞在したとき、牧志で東松照明さんをお見かけしました。キスデジを下げていらっしゃいました。Sightsongさんが「平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志」で取り上げていらっしゃる『アサヒカメラ』2006年11月号の「なんくるないさぁ in 沖縄」を制作していた時期です。『アサヒカメラ』誌上の上野昂志氏との対談が行われた仕事場は国際通りの裏手にあるようです。一週間の滞在中、宜野湾市の沖縄国際大に毎日通っていたので、東松さんの作品にもある米軍ヘリ墜落によって焼け焦げた木を見て過ごしました。校舎の上の階からは、パノラマで普天間基地が目の前に見えました。
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Unknown (Sightsong)
2010-02-06 16:11:49
teraoさん
氏がキスデジを手に徘徊する姿、興味があります。さほど早いスナップでもないのではないか、などと想像します。桜坂劇場で行われたシンポジウムを覗けばよかったといまだに後悔しています・・・ちょうど前を通りがかって悩んだのですが。(いまパリです)
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Unknown (terao)
2010-02-06 17:51:45
Sightsongさん
ご出張中ありがとうございます。東松氏は、少し足もとが不確かな様子で、若い助手に助けられながら、8月の強い日差しの中、国際通りの周辺をゆっくり歩き、立ち止まって撮影していました。私はちょうどその年の6月から7月にかけて愛知県美術館で行われた東松氏の初期作品を回顧した「愛知曼荼羅」を見たばかりでした。「愛知曼荼羅」では瀬戸の焼き物工場群を撮った作品が印象に残っています。
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Unknown (Sightsong)
2010-02-07 09:49:55
teraoさん
もう若くはないのですね。それでも小さな異物やオブジェをマクロ撮影するシリーズなど、わけがわからないことを続けるエネルギーがあるのですね。
『愛知曼陀羅』がそうかわかりませんが、初期にはローライも随分使っていたはずで、カメラによる違いにも興味があります。
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