銀座ニコンサロンにて、桑原史成の写真展『不知火海』を観る。
旧・チッソによる水銀廃液が引き起こした水俣病の姿を追った写真群であり、1960年代の本格的な発病から、完全な救済に至らない現在のありようまでが展示されている。
もちろん患者の姿は痛ましい。しかし、なかには、「生ける人形」と呼ばれた少女を、写真家が「なるべく美しく撮ろうとした」写真もある。患者とひとくくりにできないことを如実に示すものだ。そのことは、政治決着を目指して登場してきた政治家たち(それが政治的な善意だとしても)の写真と対置されることによって、なおさら際立ってくる。
●参照
○土本典昭『水俣―患者さんとその世界―』
○土本典昭さんが亡くなった(『回想・川本輝夫 ミナマタ ― 井戸を掘ったひと』)
○原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』
○石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
○『花を奉る 石牟礼道子の世界』
○石牟礼道子+伊藤比呂美『死を想う』
○佐藤仁『「持たざる国」の資源論』(行政の不作為)
○工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』(水俣の画家・秀島由己男)