相撲ってなんで「国技」なの? 高橋秀実『おすもうさん』 その2

2017年12月03日 | 
 前回(→こちら)に続いて、高橋秀実『おすもうさん』を読む。

 「相撲は国技」

 「伝統あるな神事」

 などと重々しく語られがちな相撲の世界だが、中は意外とゆるくできているところもあるらしい。

 その最たるが、相撲の権威の象徴となっている「国技」というあつかいだが、これがまた実にアバウトな根拠で、読んでいて笑ってしまうのだった。

 なぜ相撲が「日本の国技」なのか、というニュースや情報番組でスポーツライターが重々しく取り上げがちなこの謎の正体はと問うならば、

 「国技館で行われるから」

 え? そんな単純な理由があるかって?

 いや、これがホンマにそうらしいんです。高橋さんが、どんな一所懸命に古代の文献を当たっても、

 「相撲を日本の国技にする」

 みたいな記述はなく、ごくごくシンプルにどこでも、

 「国技館でやってるから、まあ国技って言うたらええんとちゃうか」。

 くらいのあつかいなのだという。

 なんちゅうアバウトな。にわかには信じがたいが、本当の本当に、

 「相撲は日本の国技」

 とする証拠は特にないのだった。

 で、国技館だから国技。ナイスすぎる。その安直さに、ますます好感度アップである。

 しかも、じゃあその国技館がなぜ「国技館」という名前になったのかといえば、完成案内状に、

 「角力は日本の国技」

 と(特に根拠なく)書いてあった。それを見て、

 「じゃあ、国技館でええか」

 となったそうな。

 つまり、「相撲は日本の国技」なのは、「国技館で開催するから」だが、「国技館がなぜ『国技』館なのかといえば、「相撲は国技だから」となるわけだ。

 なんだか、話がねじくれていてややこしいというか、ぐるぐる回るメビウスの輪みたいになっているが、要するに国技というのは、

 「誰か(江見水蔭という人だそうです)が適当に言うただけ」

 程度のものでしかないらしい。

 あー、だからテレビとかで色んな人が必死に「国技」をアピールする割には、説明の意味がよくわからないのか。

 「解説するだけの理由がない」ことにくわえて、もしかしたら「それがバレると困ると思っている」からかもしれない。

 「国技だから国技」という循環論法になっちゃってるわけで、だからサンドウィッチマンの富澤さんのごとく、

 「ちょっと、なにいってるかわからない」。

 ってことになるのだ。

 そんなボンクラ魂が炸裂した相撲という競技が、なぜにて「相撲道」とか時には「武士道」と重ね合わせられ、妙に格調高いものとしてあつかわれるのかといえば、要するに戦争があったから。

 大東亜戦争において、日本独自の競技である相撲がやけにクローズアップされ、「前撃精神」とか、そっちにからめられて祭り上げられたのだ。

 実際、当時の力士はといえば前撃精神どころか、


 「腹が減ってやりきれない」


 となげいて、貧弱なところをさらけ出したり、逆に勤労奉仕で働くことによって、


 「一所懸命体を動かすとすがすがしい」


 と社会性に目覚めたり(取り組みは一所懸命動いてないんかい!)と、やはり呑気なものである。フワッとしてるなあ。

 かくのごとく、神事も国技も高橋さんののほほん文体にかかれば、なんとも能天気なものに思えてくるものだ。

 えらそうなおじさんが「品格」とかうるさく言うより、よっぽどこっちのほうが親しみ持てるよ。私は断然、ゆるゆるなお相撲さんを応援します。




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