相撲ってなんで「国技」なの? 高橋秀実『おすもうさん』 

2017年12月02日 | 
 高橋秀実『おすもうさん』を読む。

 私は高橋さんのファンで、『からくり民主主義』や、テレビドラマにもなった『弱くても勝てます』など、主要な著作はたいていチェックしているが、今度の題材は日本の国技といわれる相撲。

 高橋秀実本の大きな特徴は、一言で言えば「のほほん」。

 テーマとしては「沖縄基地問題」や「オスプレイ是非論」など、一見重厚なものを取り上げているものの、読んでいる心地は、なんともその重さを感じさせないものが多い。

 それは文体や、著者のさらりとした芸風ゆえのことだが、そうやって「フワッと」ながめることによって、取材対象を徹底的に客観視してしまうところが高橋流のアプローチ。

 そうして、とことんフラットな視点で観察すると、人が巷であれこれ騒いでいることというのは、意外なほどどうでもいい理由でだったり、単なる思いこみだったり、意地の張り合いだったり、イメージに引きずられた一面的な見方だったりする。

 沖縄にしろヘリの問題にしろ、報道だけ聞いてたら

 「権力の横暴」

 「正義はどこにあるのか」

 みたいな気分にさせられるが、現地の人は案外と、

 「へー、騒がれてるの。知らなかったわあ」

 「まー、いろんな意見があるわねー」

 くらいのものらしく、その温度差がなんとも腰くだけである。

 もちろん、それが全部というわけではないだろうが、そういう「一般的イメージと現場の声の誤差」を否定もせず肯定もせず、まさに「フワッと」浮かび上がらせるのが、抜群にうまいのだ。

 この『おすもうさん』でもその高橋節は健在で、相撲といえば「八百長問題」「朝青龍と横綱の品格」、最近では日馬富士がビール瓶で貴ノ岩を殴ったの殴らんのと、イメージを落とす事件もあったが、本書を開くとそういったところに目くじらを立てるのは、なんとも「粋でない」気分にさせられる。

 まず第一章から「のほほん」である。

 追手風部屋に取材に行った著者が、そこで色々と若手力士に質問をする。

 私など勝手なイメージで、相撲というのは「格闘技の中で最強」説もあるぐらいだから、常にたぎっており、モハメド・アリのごとく、

 「自分に勝てる力士なんて、どこにもいません。まとめてブン投げてやりますよ」

 みたいな言葉とか、あるいは逆に「気はやさしくて力持ち」的な、口べたで言葉数は多くないけど、そこがまた朴訥なキャラクターにつながるのかとか想像しがちだ。

 だが、実際の生の声と言えば、押しの弱い若手力士などは、横に控える先輩たちに遠慮してか、多くの問いに、


 「わかんない、す」

 「こわい、す」



 なんとも頼りない返事しかこない。さらには、入門の動機をたずねると、


 「気がついたらここにいた、という感じなんです」


 のほほんである。これだけ聞いたら、皆さまも

 「まったく、今の若いヤツはなんと軟弱な。昔の日本男児は、そんなフニャフニャしてなかったぞ」

 などとお怒りになられるかもしれないが、高橋さんが取材を深めるため、戦前の相撲雑誌や新聞を当たってみると、当時の力士の対談では力士になった理由というのが、こうだったという。


 「子供のことだからなあ。はつきりした気持ちはありませんでした」

 「お母(おふくろ)がその気になりましてね」



 だいぶフニャフニャしてます。「気がついたらここにいた」とまったく変わらんがな。あげくには、


 「ビールをごちそうになって、相撲ってサイコーってなりました」


 みたいな答えもあって、ズッコケるのだ。

 ビールに釣られる! 給料日前でフトコロのさみしいサラリーマンみたいだ。果ては、


 「(相撲は)嫌いだったけど、行け行けと言われてしょうがなくなりました」


 とか、やる気あるんかいと、つっこみたくなるような回答のオンパレード。

 「昔はよかった」はいつの時代もくり返される言葉だが、それが幻想にすぎないことを、ものの見事に証明してしまっているところが、いっそほほえましい。

 人間というのは時代を経ても、たいして成長しない生物なんですね。謙虚になれます。

 ニュースで相撲界の不祥事が取りざたされると、やれ「伝統」だ「神事」だ「国技」に「品格」だとか、エライ人が鬼の首でも取ったかのように語り倒すけど、高橋さんにかかれば、これらの言い分がなんとも滑稽なのが透けて見えてくる。

 だって、相撲って「ボンクラ」のスポーツのような気がするんだもの。

 神事がどうとかよりも、基本は「食って寝る」のが仕事。志願者もハングリーな外国人力士以外は、案外と「気がついたら、こうなった」みたいな子が多い。ゆるゆるである。

 「神事」と聞くとなんだかハードルが高いが、そういった「しゃらくさいオブラート」をはがしてみると、なんと呑気でステキなんだ力士の世界!

 本来なら「不謹慎だ」「国技をなんだと思ってるのか」とおしかりを受けそうな内容だが、私は逆にぐっと、おすもうさんが身近になった。

 こうした高橋さんの、「のほほんによる相撲分析」によって、さまざまな相撲に対するイメージが変わっていったのだが、極めつけな腰砕けが、
 
 「なぜ相撲が日本の国技となったのか」

 という理由について調査したときの話だ。

 
 (続く→こちら


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