苦しみについて

2007-02-27 01:19:44 | 歯科
今、苦しみについて色々な人に質問しています。自分でたどりついた答えは、苦しみは乗り越えられるから、それは後から来る人たちの為にデータとしてとっておかなければならないということです。自分の苦しみが人を助ける、またそれがお金になる、、、貴重な経験を人間は忘れてしまうのです。またどう伝えるかも非常に大切です。

社会貢献

2007-02-23 00:19:38 | 歯科
今朝礼で感謝の言葉を言ってもらっています。一ヶ月がたったところで「感謝にどうお返しできるのか?」の問いかけをしています。
人や社会や自然にどう貢献できるのか?例え貢献できなくても目を向けなければならない、人は(例えばご主人さんが奥様に対して)いくら忙しくても(奥様に)目を向けていることが解れば文句は出ない。実は社会や自然も人と同じことで目を向けていないと歪みがたまり一番弱いところにそれが出てしまう。

今の日本の環境は、家庭ゴミはタダでもっていってくれるし、道路も水道や下水、電気、電話、ネット環境まで整備されている。医療も安く受けられる。政府の悪いとこばかりが取り上げられがちだが、非常に良い社会なのだ。我々は仕事をすることによって税金を納めることができる。これも社会貢献だ。

掃除して世の中を自分のいる環境を綺麗にする、これも社会貢献、より良いサービスを与え人を喜ばせる、これも社会貢献なのだ。お金をもらいながら社会貢献ができる。素晴らしいことだと思いませんか?

生き甲斐って何でしょう?

2007-02-18 21:08:45 | 歯科
この飽食の時代何もかもが与えられてしまいます。情報も娯楽もテレビから流れてくるし、食事は当たり前、水も当たり前、蛇口をひねればお湯もでてくる。暖かい布団で寝て目が醒める。つい数十年前までは水をくむのは大変だった、今でも数キロ先まで水をくみにいく民族もいる、井戸が近くにできれば大喜びだ、

我々は何もかも与えられ、自ら獲得しないで「満たされない」と嘆いている。
満たされないって何なのでしょうか?
無いものを求めていますよね、、、満たされない何か無いもの、何かを埋めてくれるもの、、、

決して自分で獲得するものではないのです。自分で獲得したものなら人に分け与えることができます。水だって自由だって笑顔でも元気でもいくらでも人に与えることができる。生き甲斐やりがいを求めて人は生きているのですが、自分で獲得するべきものを人に与えられようとしているのです。

やりがいを求めるなら自ら与えなくてはいけない、笑顔でも元気でも声でも出せるものはすべて出す。情報、技術、経験、感動何でも人に与えられれば、それがやり甲斐、生き甲斐になるのではないでしょうか?

与えられようとしていては、与えられても満足は得られません。またポッカリ穴が空いてブラックホールのようにすいとられてしまう。本当に底なしですよね、特に物欲や権力欲、征服欲などは得れば得るほど強くなるようです。

ところが人に与えると、ドンドン沸き上がってくる。何も与えることが無いと思っていても、笑顔や挨拶、感謝を与えていると、笑顔や挨拶、感謝が戻ってきて、それがまた自分から沸き上がる。ドンドン沸いてドンドン与えることができるようになる。

同じ収入で同じ財産をもっていても失うことに怯えながら生きている人と与えながら豊かに暮らしている人がいます。焦点の違いなんですよね。何が豊なのか?どうしたら与えられるのか?どうしたら喜んでもらえるのか?

夢と感動を与えるディズニーランド、最高のサービスを与えるリッツカールトン、でも我々は対価を払って、夢や感動やサービスを与えられようとしていると、やっぱり底なし沼に足を踏み入れてしまいます。できれば与える側に回りたいものです。

赤塚久男さん

2007-02-03 20:36:12 | 歯科
http://www.p-prosper.com/04_annani/04-business/egao-genki.htm
凄いです、痺れます。男の中の男です。最近素晴らしい人達に会います。何が凄いって?すべてです、神の領域に近い人達です。パチンコ屋さんを経営していて、客が負けると自分が儲かる、lose and winが嫌で、飲食をはじめてパチンコ屋をやめてしまった人です。パチンコだって人に楽しみを与えているのです。従業員もいるしその家族もいます。社長の想いでうまくいかなかったらどうなるのでしょうか?それでも、自分に逆らわず宇宙の摂理(自然であること)に逆らわないで生きる!
人間は誰でも前向きが「自然」なのだ。目も口も鼻も耳も前向きについている。