生き甲斐って何でしょう?

2007-02-18 21:08:45 | 歯科
この飽食の時代何もかもが与えられてしまいます。情報も娯楽もテレビから流れてくるし、食事は当たり前、水も当たり前、蛇口をひねればお湯もでてくる。暖かい布団で寝て目が醒める。つい数十年前までは水をくむのは大変だった、今でも数キロ先まで水をくみにいく民族もいる、井戸が近くにできれば大喜びだ、

我々は何もかも与えられ、自ら獲得しないで「満たされない」と嘆いている。
満たされないって何なのでしょうか?
無いものを求めていますよね、、、満たされない何か無いもの、何かを埋めてくれるもの、、、

決して自分で獲得するものではないのです。自分で獲得したものなら人に分け与えることができます。水だって自由だって笑顔でも元気でもいくらでも人に与えることができる。生き甲斐やりがいを求めて人は生きているのですが、自分で獲得するべきものを人に与えられようとしているのです。

やりがいを求めるなら自ら与えなくてはいけない、笑顔でも元気でも声でも出せるものはすべて出す。情報、技術、経験、感動何でも人に与えられれば、それがやり甲斐、生き甲斐になるのではないでしょうか?

与えられようとしていては、与えられても満足は得られません。またポッカリ穴が空いてブラックホールのようにすいとられてしまう。本当に底なしですよね、特に物欲や権力欲、征服欲などは得れば得るほど強くなるようです。

ところが人に与えると、ドンドン沸き上がってくる。何も与えることが無いと思っていても、笑顔や挨拶、感謝を与えていると、笑顔や挨拶、感謝が戻ってきて、それがまた自分から沸き上がる。ドンドン沸いてドンドン与えることができるようになる。

同じ収入で同じ財産をもっていても失うことに怯えながら生きている人と与えながら豊かに暮らしている人がいます。焦点の違いなんですよね。何が豊なのか?どうしたら与えられるのか?どうしたら喜んでもらえるのか?

夢と感動を与えるディズニーランド、最高のサービスを与えるリッツカールトン、でも我々は対価を払って、夢や感動やサービスを与えられようとしていると、やっぱり底なし沼に足を踏み入れてしまいます。できれば与える側に回りたいものです。

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