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撮影と本の空間

2024年3月23日 ポッドキャスト

2024年03月23日 | Weblog
一時は人気がなくなりサービスも減ってしまったポッドキャストが最近復活しているようだ。
世間とは関係なしにずっと聴いている小生としては選択肢が増える事が好ましい。
昔からラジオはテレビと比べて個から個への伝達とよく言われたのだけど、ポッドキャストは更に個人的に”伝わる”ツールになっているようだ。
というのも、テレビ、ラジオ、ネットなど比較しても、個へ絞って伝えるツールほど「話が長くなる」傾向があって、それが意味をなしているようなのだ。
大きな媒体になるほど、センテンスは短く、内容は広く浅く、つまりどうでもいい事が多くなるのだが、小さな媒体になるほど数で勝負で、各種内容が好みによって選ばれるから、好きな事を好きなように好きなだけトークできる事が好まれているようで、それがまた個人に”ささる”と感じられるのだろう。ちょうど半世紀ほど前の深夜放送で、ささやくように届けられた声のように。

ラジオで男女間で会話が成立しないという相談事があったのだが、聴いているとどうやら男女間でのトークによる鬱憤晴らしの違いが原因だと感じた。
ジョシトークって(当社比)身近な出来事に対して、現実には解決策を求めるわけではないにしてもああだこうだと喋り続ける事で気を晴らしていくパターンが多いようだが、それをダンシに対してすると”解決策”を提示されて「そうじゃないんだよ感」を感じて会話不成立となるんだけど、それは単にダンシがそういう晴らしかたをしないためのミスマッチであって、ダンシがいつも解決策を求めているわけじゃないんだよな。
ダンシの場合は、身近なことではなく、天下国家やスポーツネタなど、自分とは関係ない絵空事をああだこうだと”論じて”気を晴らして、また明日からのなんでもない平凡な1日を平凡な立場で埋もれて過ごしていくんだ。
まあ最近はsnsなどで、何を勘違いしたのか自分がさも天下国家を居酒屋や床屋以外で論じる立場にでもあるかのような人がいて、「平凡な日常の方は大丈夫なのかぁ?」と心配になる不適合者も増えてはいるけどね。

まあそういうわけで、男女間では方法が違うので、そういう鬱憤晴らしのトークはジョシ同士でやってもらいたい。雑談ってダンシは慣れてないんだよ、一般的に。
だからかポッドキャストトークもジョシ同士(それもOver the Sun 同士)が案外多くて、そして面白いと男のおばさんも思うのです。

なにげなく調べてみると、ニャンコに関する日記が2009年までは遡れるので、少なくとも15歳を過ぎていることは確かなようだ。長生きしてほしい。
コメント
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