Nonsection Radical

撮影と本の空間

新幹線とローカル線

2017年10月14日 | Weblog
北海道にまで新幹線が届き、便利になっているように感じるけど、新幹線とは新しい幹線といういう意味なのが忘れられているようだ。
幹線を整備するのは重要なことだけど、新しい幹線の整備ばかりで従来の幹線(旧幹線?)の維持に力が注がれていないのか、新幹線を降りても”在来線”に繋がらないというなんだかなぁということも多々ある。
そうでなくても、利用客が少ない→本数が減る→利用客が減るという悪循環になるとともに、移動する楽しみも旅の一つという考えがなくなっているのも在来線が利用されなくなっている理由なのだろう。
大船渡へ行くのにも、新幹線一ノ関駅を降りて在来線で気仙沼まで”ローカル線”を使うのだけど、その途中の景色が「旅」なんだよねぇ。
山のあいだをぬって行くと集落があり駅があり、人の生活がある。
その景色が想像を膨らませるんだね。
何か有名なポイントだけが旅の目的ではあまりにもつまらない。
つまらないんだけど観光ガイドなどではそこしか紹介しない。
そのポイントだけを見て次のポイントへ移動する時間は”無駄”と思うのでは楽しさ半減ではないのか。
というか、そもそも観光ポイントをなぜわざわざ見に行くのか?
考えると不思議な気がする。
だってそれはすでにガイドやテレビなどで紹介されて知っているものではないのか。
紹介されていないもの、紹介できずにいるものを実際に見て体験するから楽しいのではないのかね。
同様に観光ポイントはそこに単独で存在するわけではないのだから、トータルで感じることが旅の楽しさなんじゃないのかと思うんだけど。
そういう点でローカル線の移動というのはゆったりとした時間を過ごせて、ゆっくりゆえに入ってくる情報が豊富で、それをどれだけ取り込めるかで楽しさの度合いが違ってくるのではないのかね。
東京観光に来た人がウロウロと都会の街を歩き回るように、地方観光に来た人もウロウロとあちこち彷徨い歩くことでその地の空気を吸い、楽しい時間が過ごせるのではないのかね。
コメント
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