Nonsection Radical

撮影と本の空間

趣味は写真撮影

2010年02月12日 | Weblog
某月某日
ワイドアングル・コンゴーを手に入れてから45(シノゴ)づいている。
ワイドアングル・コンゴーは4群4枚という今は珍しい構成のレンズで、satoboは密かに和製ワイドフィールド・エクターだと思っている。
現在の写真界状況からして、中古でもっと安く「性能」の良いレンズが市場にあふれているが、他に類を見ないレンズを現在も「新品」で発売し続けている事に山崎光学研究所の山崎さんの「心意気」が感じられるのだ。
ネットが大衆化してから、レンズの話題も巷のピーチクパーチクが解像感(「感」だってよ!)、コントラスト、シャープなどと好き勝手に主張しているが、ハッキリ言ってもう十分なのだ。
それはパソコンの性能が「実用」には十分なのと同義で、レンズだって十分の性能を持っているのだ。
satoboは没個性主義なので、レンズの味とか(味覚音痴)、ボケ具合(自分がボケている)とか、そんなものにも魅かれないので、写真にして「写って」いればそれでよしと思うのだ。
それよりも山崎さんにお話を伺い、レンズを設計された方(名前を忘失)がどのような考えでレンズ構成を考え、それを山崎さんが製品化していったかという「物語性」の方に興味がわいているのだ。

絵を描く場合、そこに何が描かれているか、どんな道具で描いているか、などは観賞する立場では些細な事でしかない。
重要なのはどんな「絵」(イメージ)なのかだ。
同様に(なぜならsatoboは絵が描けないから写真を撮っている事から)写真だって重要なのはプリントや画像のイメージだと思うのだ。
何でもかんでもシャープな写真であればイイというわけでない。
別に性能が悪くても構わない。
ブレッソンの写真など現代から見ると、ちっともシャープじゃないが、それは何の問題もない。

同様にワイドアングル・コンゴーも十分実用的で、satoboの趣味の写真撮影ではなんら問題もない。
むしろ物語性を帯びたレンズで撮影する事で、自分だけの世界でだが、撮影することに物語性を作り出して遊べる楽しみが生まれるのだ。
いわゆるバックグランドと言うものである。
そんなものは写真には写りはしないのだけど、そういう世界で楽しみながら写真を作り出しているというのは、「趣味」として愉快ではないか。
そういう点で、デジカメというのは、実用すぎて面白味に欠ける気がするのだ。
コメント (5)
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