雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

(1) 船村徹私の履歴書 読書案内「歌は心でうたうもの」 (再掲載)

2017-02-21 11:36:08 | 読書案内

      作詞家・船村徹さんが死去した。83歳だった。
  「風雪ながれ旅」
  「兄弟船」
  「王将」
  「矢切の渡し」
  「東京だよおっかさん」
  「みだれ髪」
  「北の大地」など私の好きな歌がたくさんある。
  中でも「別れの一本杉」(春日八郎)は、
  早逝した生涯の親友「高野公男」が作詞した歌で船村徹を世に出す歌でもあった。

  「お前は栃木弁の心で歌を作れ。俺は茨城弁の心で詞を書く」(高野)
  船村も高野も東洋音楽学校(現東京音楽大)の苦学生だった。栃木弁(船村)と茨城弁(高野)
  はイントネーションが似ていることから、
      二人は急速に親交を深め、将来を語り合う中になっていく。
  土の匂いのする歌。望郷の歌など5500曲の歌を生み出し、
    「演歌巡礼」や「歌供養」など船村の活動は地に足の着いた活動へと広がって行った。


  二人とも私の郷里に近いこともあり、
     船村と高野の関わりを読書案内「歌は心でうたうもの」という形で

  5回にわたりブログで掲載しました。
  以下はそれの再掲載です。 
 

 

読書案内「歌は心でうたうもの」(1) 船村徹著

 

 

本書は作曲家・船村徹の演歌人生を綴った半生記。

 

「歌は心でうたうものである。

 

テクニックがどんなに優れていても、

 

心のつぶやきや叫びから出たものでなければ、けっして聴く者を感動させることはできない」。

 

 彼が「まえがき」で述べるように、歌に対する思いが随所に書かれ、

それが船村徹の人生論にもなっていて、読者を魅了し、一気に読ませる面白さを持っている。

 

 第一部「望郷」は、

山が迫る関東平野の北の果て栃木県・塩谷町舟生に生まれた本名・福田博郎(ひろお)

多感な少年時代の姿が生き生き述べられている。

 畑から野菜を盗み軍鶏鍋で酒盛りをやり、

どぶろくでいい気分になってから帰宅するような自由奔放な少年は、

ある事件をきっかけに、高校2年で中退し、東京へ向かう。

「何かにつかれたように心は東京へと逸った」。昭和24年の春のことだった

 

 第二部「夢追う日々」、

 

 まだ焼け野原の残る東京・東洋音楽学校(現東京音大)で、

 

福田博郎、のちの船村徹は、高野吉郎・後の高野公男と運命的な出会いをする。

 

「俺は茨城だっぺよ、栃木のどこなんだっぺや」、高野が声をかける。

 

言葉のナマリはほとんど同じで、

 

栃木の田舎から出てきた船村と、

 

茨城の田舎から出てきた二人が、

 

栃木弁と茨城弁を丸出しにして、

 

音楽家への道を語り、

 

貧乏生活の中で夢をはぐくむ姿に、心打たれる。

 

 

高野十七歳、船村十九歳の青春時代が始まる。

 

 第三部「別れの一本杉」、

 

 高野の言葉を船村は次のように書いている。

 

「東京、東京と言っているが、東京へ出てきた人間はいつかきっと故郷を思い出す。

 

おれは、茨城弁で)作詞する。お前は栃木弁でそれを曲にしろ」、「きっと地方の時代が来る」。

 

 昭和2425年頃の貧しい時代からやっと、

 

経済成長の兆しが見えてきたこの時代に、時代を先取りした高野公男だった

                  (再掲載2017.02.21)                   (2015.10.14)(つづく)

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