雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

戦場カメラマンの苦悩と孤独 ① ハゲワシと少女

2022-01-30 06:30:00 | つれづれに……

戦場カメラマンの苦悩と孤独
    ① 『ハゲワシと少女』

戦場や過酷事故の場面では、
 ジャーナリストとしての使命感と、
   今、カメラを捨てて喘いでいる人に手を差しのべれば助けられる状況に遭遇したとき、
   使命感と人間としての倫理観をとるべきか。
 「あなたならどうするか」と問われ、明快な答えを出せる人はいない。
 「使命感」をとれば、ジャーナリストととして生きる以前に人間として生きるべきだ、
 という言考え方があり、
 「倫理観」をとれば、ジャーナリストとしての「使命感」が失わることになる。
 
 つまり、「使命感」と「倫理観」が拮抗したとき、
 二者択一では解決できない人間の生き方の問題が含まれているからでしょう。
 
 『ハゲワシと少女』の写真  撮影:ケビン・カーター
   

   掲載 ニューヨーク・タイムズ(1993年3月26日付け)
    翌1994年度のピュリッツァー賞を獲得し、一躍世界の注目を受ける。
         その一か月後、衝撃的な結末が訪れる。
    カーター氏は故郷ヨハネスブルグ郊外の自宅近くの公園の公園で自殺。
   
    いったいカーター氏に何が起こったのか。
    そして、この写真がどのような反響を世論に投げたのか。
   
    私は、発表時のニューヨーク・タイムズの記事を読んでいないので
    『ハゲワシと少女』の写真にどのような説明があったのかわかりませんが、
    スーダンで撮影された写真は、一般的には、

    「ハゲワシが、飢餓で力が弱り動けなくなっている孤独な少女を食らおうとしている。」
   と解釈されています。
   大地に臥し頭を渇いた大地につけている少女。
   命の灯が消えようとしている瞬間を捉え、
   その後ろにハゲワシが少女の死を待っているように狙っています。
   数分後に訪れるであろう残酷な瞬間を待っているような映像です。
   「生」と「死」がハゲワシと少女に平等に訪れようとしている一瞬を
   ケビン・カーター氏は切り取りました。
   

    多くの人々が飢餓に苦しみ、特に子供たちが命を失われてしまう現実を
   言葉では表現でない一瞬を切り取っています。
   ペンの力は思考力と想像力で対象物を理解しようとします。
   映像の力は視覚に訴え、感覚的に、より刺激的に人間の感情に訴えます。

   写真が撮影された当時のスーダンでは10年以上も内戦が続いて、
  多くの難民を生む原因にもなっていた。日照りのために食料は不足し、
  多くの人が飢えに苦しみ、子どもたちは栄養失調で亡くなる人が多く多くいた。
  しかし、報道は規制され、その状況を世界は知らなかった。
  潜入したカーターは、このような現実を見事にとらえ、世界に発信した。 

       次回、【『ハゲワシと少女』の写真に、読者はどう反応したか】を
           記載します。       

 

(つれづれに……心もよう№124)            (2020.1.29記)

 

 

 

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『雪』① 北越雪譜

2022-01-23 10:32:40 | つれづれに……

『雪』 北越雪譜 雪道(ゆきみち)
  改訂版: 関連写真を添付しました。
   日本海側の雪が今年も猛威を振るっているようだ。
   毎年、もう10年も通い続けている秘湯も、今年はコロナのせいもあり、
   行くことを中止した。巨大なつららが軒先から下がり、
   どっぷりと雪に埋もれた一軒宿は、今年は更に雪が降り
   家も野も山も雪に埋もれているに違いない。
   
北越雪譜より  雪道

 冬の雪は脆(やはらか)なるゆゑ人の𨂻固(ふみかため)跡を行くはやすけれど、来往(ゆきき)の旅人一宿の夜大雪降らば踏み固めたる一条の雪道、雪に埋まり道を失うゆゑ、野原にいたりては方位をわかちがたし。

  一晩のうちにたくさんの雪が降って、道との境さえわからなくなる。
  野原にいたっては方向さえわからなくなってしまう。
  こんなときは、里人を幾十人雇って、
  里人がかんじきをはいて踏み固めた後を歩かざるを得ない。
  里人には幾ばくかの銭を払わなければならないので、
  懐具合の寂しい人は、誰かが踏み固めるのを待って、むなしく時を過ごすときもある。
  健脚の飛脚でさえ雪道を行くのは一日に、二三里しか進めない。
     

「かんじき」と「藁沓」(わらぐつ) ハツハキとは脛当てのこと。深沓を履いてハツハキをつけ、かんじきを履いて「雪を漕ぐ」
                     昔の雪国の生活が浮かんできます。

 (かんじき)にて足自在ならず、雪膝を越すゆゑ也。これ冬の雪中一ツの艱難(かんなん)なり。春は雪凍りて銕石(てっせき)のごとくなれば、雪舟(そり)を以て重きを乗す。里人は雪舟に物をのせ、おのれものりて雪上を行く事舟のごとくす。雪中は牛馬の足立たざるゆゑすべて雪舟を用ふ。春の雪中重(おも)きを負(おは)しむる事牛馬に勝る。雪国の便利第一の用具也。

       そりのことを「雪舟」とか「雪車」と表現したようですね。
           雪に埋もれ、雪と戦う里人の生活をいきいきと描いて、
     雪国を全く知らない江戸に生きる人々への旅行案内書として、ベストセラーになった本である。

    「しばれる冬」に雪が降り、秋田には「さんび」(寒いという意味)という言葉があり、
    これを新潟では「さーめ」(寒い)と言うそうです。

    雪が稀にしか降らない土地では、「雪払い」といい、すこし積もった雪は「雪かき」と言うが、
    雪で家が埋もれてしまうような大雪では、「雪堀り」という言葉があり、屋根から降ろした雪を道
    路のキワなどに積み上げる作業は「堀揚げ」と云うそうです。
    膝まで埋まるような雪の中をかんじきを履いて歩くことを「雪を漕ぐ」という。
    雪国独特の昔からの言葉ですね。

    天気予報によると寒波はまだ続くようです。
    オミクロン株も猛威を振るい、
    その感染力の強さに誰が感染しても不思議ではない状況が続いています。
    御身ご自愛を…

                         ブックデーター:北越雪譜
                            岩波文庫 1936年1月初版 2004年12月第59刷刊
                            鈴木牧之編撰 京山人百樹冊定

 

   北越雪譜についてはちょうど一年前に書いたので参考までに
   過去ログの掲載日とタイトルを挙げておきます。
    タイトル 北越雪譜 雪崩人に災いす
          ①栄村 十日町 津南町を思う  掲載日 2021.1.16
          ②あるじが帰ってこない         2021.1.21
          ③あるじは雪に喰われた         2021.1.27
          ④番外編 「雪国を江戸で読む」     2021.1.31
      (つれづれに……心もよう№123)     (2022.1.22記)

            

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逝きて還らぬ人を詠う ⑥ 本当は誰かの胸で泣きじゃくり……

2022-01-16 06:30:00 | 人生を謳う

逝きて還らぬ人を詠う ⑥ 本当は誰かの胸で泣きじゃくり……

      『大切な人が逝ってしまう。
    
人の世の宿命とは言え、余りに辛い体験はいつまでたっても心が癒されない。       
    悲しいことではあるけれど、
人間(ひと)はいつかはこの試練を乗り越えて生きていかな
 ければならない。
死は予測された時間の中をゆっくり訪れる場合もあり、突然訪れる
 場合もある。
どちらの場合も、無常観と切り離すことはできない』

 〇 次々に録画されゆく番組は昨日逝きし妻の予約なり 
                     
…… 神蔵 勇 朝日歌壇  2020.9.27
             人の命は「今日一日」が何事もなく、過ぎてくれればそれでよしとしなければならない。
     その上で、一つぐらいほっこりするようなことに巡り会うことができたら、「幸せ」と
     思えれば、今日一日を生きられたことに感謝することができる。

      いまの一瞬を生きることができれば、
   「明日世界が滅亡することを知っていても、今日私はリンゴの木を植える」
     と言った偉人は誰だったか。
    決然と生きる覚悟がうかがえる。
      今日生きることができても、明日どう生きられるかは誰にもわからない。
      神蔵さんの句は、そのような一面を捉えている。おそらくは突然に逝ってしまった愛しい妻への
     鎮魂歌なのでしょう。故人が愛用した帽子を見ても、玄関に残されたお気に入りの靴をみても、
     愛しい妻の在りし日の姿を追い求めている自分がいる。
             おそらく故人は連ドラの録画予約をしておいたのでしよう。この故人の行為が、突然の死を読者に連想させ、
     残された者の悲しみが、読者に伝わってきます。
     

 〇 コロナ禍の世をコロナにも侵されず妻は己れが癌細胞に逝く 

                      …… (豊中市)  山本 孟 朝日歌壇 2020-8-09
     丈夫だった妻が癌に冒され逝ってしまった。元気だった妻を思うとき、
   「あんなに元気だった」妻の命を襲った癌細胞の非情さを、日々思うわが身を寂寥感が被っています。
 
 〇 お別れが悲しいのではないちゃんと愛されなかったことが悲しい 

                      …… (東京都)  上田結香 朝日歌壇 2020-07-05
   作者の人生にどのようなドラマがあったのか。
  「愛されなかったことが悲しい」と誰にも言えない胸のうちの煩悶を、自分にささやいてみる。
   最後のお別れの悲しみにも増して、「愛されなかった」ことへの悲しみが、胸のうちに広がって行く。
    もの言わぬ個人を前にして、無言のサヨウナラをつぶやく………
   

 

 〇 本当は誰かの胸で泣きじゃくり弱虫さらけ出せばあきらめつくかも 

                      …… (三鷹市)  山室咲子 朝日歌壇 2020-07-05

   「本当は」というところに、作者の理性と自制心を感じます。
  でも、かろうじて悲しみを胸のうちにしまい込むよりも、理性と自制心をかなぐり捨てて幼児のように
  声をあげて暖かくてやさしい胸のうちに飛び込めたらどんなに楽になれるだろうと
  わかっているのにそれができない自分がいる。
  「逝きて還らぬ人」の項目で取り上げたが、長い人生のどこかで、
  行き詰まりの土壇場に立たされ次の一歩が踏み出せなくて逡巡するときが一つや二つ誰にもある。
  試練を乗り越えて人は強くなっていく。

(人生を謳う)        (2021.01.15記)

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コロナ感染 米軍基地周辺の感染者

2022-01-11 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

コロナ感染 米軍基地周辺の感染者
  各地の在日米軍基地で新型コロナウイルスの大規模な感染が相次ぎ、
  その地元への住民の感染が拡大している。(朝日新聞1月6日朝刊)

  米軍関係者は日米地位協定に基づき、日本側の権益の対象になっていない。
  極論を言えば、日本からの出国も日本への入国も
  日本側の水際対策を受けなくても、基地からの出入国は自由にできることになる。
  だから政府は在日米軍と、日本の水際対策に近い「整合的」な措置をとることを確認していたが、
  米側の対応はあまりにも杜撰であった。

米側の感染対策は、
  入国後5日目以降にPCR検査をするのみで、
  出国前や入国直後の検査は行っていなかった。

     入出国に、基地を出て、基地に帰って来る基地関係者に対して、
   なんと無防備な感染対策なのかと疑ってしまうほど、
   日本の感染防止対策とはかけ離れていることに、
   唖然とした。
    米軍側は、沖縄県の照会に対し、
   部隊の規模や人数や、詳しい感染状況などは
   「運用に関わる」として回答を避けている。
    
昨年12月中旬にキャンプ・ハンセンで、大規模クラスターが発生し、
   米軍関係者の感染は沖縄の9基地で、
   1月5日現在1001人に達しているが、その詳細は説明されていない。
   つまり、治外法権の基地内で発生したことは、
   「運用に関する」こととして、コロナウイルス感染に関することだけでなく
   基地関係者に起因するすべてのことが、秘匿されてしまう。
   
   日米地位協定9条第2項
    「合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族は、外国人の登録及び管理に関する日本国の
    法令の適用から除外される」
   この「管理」に検疫も含まれると解釈され、我が国の空港での水際作戦に大きな「水漏れ」
   を起こす結果になってしまった。
    幕末に締結された諸外国との「通商条約」は「不平等条約」として、
   明治新政府がその改善に多大な苦労をせざるを得なかった歴史的事実が思い出される。
   苦い経験がありながら、第二次大戦の敗戦国日本は、勝者の論に屈服し、
   「日米地位協定」に合意せざるを得なかった。

    日米合同委員会の、「検疫の在り方」についての二つのとり決め。

      米軍人、軍属やその家族が、
      
①軍の飛行機や船で在日米軍基地に直接入国する場合は、米軍が責任を持つ。
         ②民間の飛行機や船で入国する場合は、日本側の検疫を受ける。 

         1996に合意した内容だが、①の合意により、日本は水際検疫ができなくなってしまった。
        「責任を持つ」という文言に日本は期待したのだが、今回この取り決めは、
        全くの絵に描いた餅になってしまった。
        基地内の感染者数は毎日伝えられるが、基地ごとの感染者は提供されても、
        感染者がどこに住んでいるのか、発症はいつなのかという情報が提供されないから、
        濃厚接触者が市中感染を広げているケースも予測されるのに、
        県は防疫対策をとれない現実がある。

    民間住宅を借りて基地の外に住んでいる米軍人の問題点。

        外国人が3カ月以上国内に滞在するときは、移住地などを登録する必要がある。
       更に住民基本台帳に記載されるのだが、地位協定9条に基ずく特権で、
       米軍人はこの対象から外さる。
       従って自治体では、
       自分の町にどれくらいの軍人軍属が住んでいるのかを把握できない。

       なんともお粗末な基地を抱える自治体に存在することが、
       コロナ禍の渦中で露呈された。
    
    (朝日新聞1月6日 在日米軍から国内に広がったとみられる構図)
   在日米軍の現在の感染対策。
    全国の基地で警戒レベルを一段階引き上げ、
    検査で陰性が確認されるまで、マスク着用を義務化する。
    (裏を返せば陰性が確認されれば、マスク着用の義務はないということか)
    軍用機で日本に来た場合の検査を実施する。
    基地外でのマスク着用の義務。
    (基地内では着用の義務はない)。
    コロナに対する姿勢の違いか、マスク文化の違いが感じられます。

    現在は、日本への出発前、到着直後、
    その後の行動制限中の計3回以上の検査を義務付けている。
                                                                         
(朝日新聞1月7日)
              こうした状況に中国外務省は、
    「米軍は駐在国の高みに立ち、現地のルールを守らず、
     再三、ウイルスのスーパースプレッダー(拡散者)になっている」
    と米国を批判している。
      
       余談ですが、
       かって、100年前にスペイン風邪を全世界に広めてしまったのは、
       世界に派遣された米軍兵士によるウイルスの拡散だと言われている。
       この時、日本でのスペイン風邪による死者は、
       40万とも45万にとも言われている。
       にもかかわらず、前トランプ大統領はコロナウイルスの拡散は、
       中国のせいだと非難した。そのアメリカは現在6000万人を超える
       感染者を出し、世界をリードするアメリカの威信は衰えている。
       中国はアメリカの「スペイン風邪」「コロナウイルス」「米軍基地内の感染拡散」
       を捉えて、「再三」としたのだろう。

       それにしても、日本には米軍基地が多すぎる。
       特に沖縄は9施設、山口県岩国基地、長崎県佐世保基地、東京都横田基地、
       神奈川県横須賀基地及び厚木基地、静岡県キャンプ富士、青森県三沢基地。
       沖縄を初め、横田、横須賀、三沢基地周辺での感染者が増えている。
       はからずも、基地に依存する日本の平和は、
       どこかいびつな平和であることを露呈してしまったコロナ禍である。

       (昨日の風 今日の風№132)      (2020.110記)

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今年の年賀状 懐かしいチャルメラの音

2022-01-02 06:30:00 | つれづれに……

今年の年賀状 懐かしいチャルメラの音

謹賀新年 
 新しい年を迎えた元旦に、穏やかな朝が訪れました。
 小さな幸せの朝を迎える事ができました。

  (夜泣きそば屋の図)


  江戸の夜は陽が落ちると、人通りも途絶え漆黒の闇が街をつつみます。
 油皿のなかに立てた燈心の火が、行燈のなかに入り込む隙間風にチリリと小さな音を立てる。
 ほんのわずか辺りがぼんやりと明るくなる。
 灯りに誘われるように腹をすかした人たちが集まって来る。
 二八蕎麦、一杯十六文。
 夜泣きそば屋が、
 一杯の蕎麦といっしょに、
 行燈から漏れる灯りのゆらぎがかもしだす「暖」を提供していたのでしょう。

  チャルメラの音が暗い夜の町に流れてくる。
 もうそろそろ子どもたちが床に入る時間だ。
 何とも物哀しい音色が、記憶のヒダに刻まれ、
 今では全く聞かれなくなったチャルメラの音を懐かしく思い出します。

  30年近く前、熱海温泉に泊まった夜、
 あの懐かしいチャルメラの音が聞こえた。
 私は飛び起き、海岸通りのただ一軒の屋台に飛び込んだ。
 懐かしいチャルメラの音と昔
の鶏がらスープの中華そばを、
 潮騒の音を聞きながらフウフウ息を吹きかけて
胃袋に流し込んだ。
 小さな焼きのり1枚と薄く切ったナルト、
シナチク、輪切りにしたゆで卵。
 シンプルな具とさっぱりしたスープが絶品だった。

  まだ、スーパーもなく、コンビニもない時代、
 小さなラーメン屋が近くにあり、
 あまり流行らないラーメン屋の親父は
暇を持て余し、
 店の客用のテーブルに座り、ド近眼のメガネをかけて、
 いつも新聞をなめるように読んでいた。
 母に連れられて食べたラーメンの味を、
 私は熱海の屋台で味わうことができたのだ。

 いまよりは、時間がゆるやかに流れていた時代の懐かしい味だった。
 今は、「来々軒」のお店もない。

    めでたさも中ぐらいなりおらが春  一茶

      家庭や親族に恵まれなかった一茶が残した
      孤独の境涯の中で見つけた小さな幸せです。

(つれづれに……心もよう№121)       (2022.1.1記)

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