雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書紹介「名をこそ惜しめ--硫黄島 魂の記録--」津本 陽著

2010-08-31 10:02:33 | 読書案内
 8月15日の終戦記念日を迎え、今年は「名をこそ惜しめ 硫黄島・魂の記録」を読んでみた。
 終戦記念日前後には必ず第二次世界大戦(太平洋戦争)の関連本を読み、映画を観ることにしています。

 「戦争の愚かしさと悲惨さを忘れないために」というよりも
 戦争を起こし、政治的対立を武力や暴力による対立で解決しようとする人間の愚かしさを 忘れないために長年続けてきた私のポリシーです。

 小説というよりは、記録文学(ドキュメンタリー)と称するにふさわしい内容です。

 硫黄島で起こった兵士たちの戦況を 戦後発表された多くの資料や手記をもとに
 淡々と述べている著者の姿勢から、この戦争の悲惨さと愚かしさが浮き彫りにされてくる。
 それはまさに手記や記録の中に表現されるキーワードにもあらわれている。
 いわく、「白骨の島」、「地獄の戦場」、「地獄の島」などである。

 硫黄島は本土とサイパンのほぼ中間に位置する。ここが米軍に落ちれば
 米軍は重爆撃機のB24やB25の発信基地として硫黄島を起点にし、日本本土空襲は容易になる。
 日本軍にとっては最後の砦であり、どんなことをしても死守しなければならない。

 敗走に次ぐ敗走で、もはや、連合艦隊の出撃は絶望的である。
 食い物もない、水もない、戦う武器さえ失い、あるのは「ものの賦」としての
 意地と、玉砕という美名のもとで命を代償に、子どもが巨人に闘いを挑むような
 無謀で勝ち目のない戦だった。
 
 この島で、二万人以上の将兵たちが
 文字通り孤立無援の「死守」を強いられた。

 累々と横たわる仲間たちの死体
 埋葬する余裕も術もない
 死体には真っ黒になるほどハエが群がり、数日中に白骨化していく
 死臭の漂う戦場で、屍の下に身を隠し、死体の腹を裂いて取り出した内臓を
 自分の体に巻きつけ、カムフラージュし、米兵が近づくのを待って、銃剣で刺し殺す。
 目を覆いたくなる肉弾戦の惨状が淡々と描かれる。
 だがこうした戦略も、前進する米軍の火炎放射器によって焼き殺され、
 遺体は真っ黒く炭化するほど高熱の火炎を浴びせられ、
 日本軍はなす術をなくしていく。

 日本軍の兵力(陸・海軍合わせて):20,933人→戦死者19,900人
                    →捕 虜 1,031人
 アメリカ軍兵力(陸・海軍合わせて)110,000人→戦死者6821人
 火力兵器に関しては日本軍1に対してアメリカ軍3,500といわれている。

 圧倒的多数のアメリカ軍を相手に、
 援軍のない孤立無援の中で「玉砕」を敢行せざるを得なかった悲惨さと無念さが
 ひしひしと伝わってくる。

 著者はあとがきで次のように述べてこの「魂の記録」を結んでいる。

 『硫黄島で戦死された方々の遺体のうち、少なくとも一万二千体は、島内のかつて米軍基地、
 今は海上自衛隊基地である飛行場の下の地下壕に眠っておられる。…(略)…

 不幸にして乱世もきわまる時期に、燃えるように熱い地下陣地で命を絶たれ、
 肉弾戦で死力を尽くして亡くなられた英霊に、万斛(ばんこく)の涙と感謝を
 捧げるものである』と。

                       文春文庫 2008年12月 第一刷
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢花火

2010-08-28 11:16:48 | 季節の香り
 午後七時
 大会開始の時間である
 対岸の東の空に
 合図の花火が威勢よく打ちあげられる

 夏の夜空に
 西の空の一番星がひとつ薄暮の中にキラリと光る

 川面を渡って
 葦原(あしはら)の葉をさやさやとなびかせ
 土手を這いあがってくる晩夏の夜風は
 どこかに秋の匂いを感じさせる

 長い経済不況と雇用不安を反映してか
 今年のテーマは
 「夜空に輝く 祈願のひかり」である

 「幸せになりたい、幸せでありたい」と誰もが願う

 幸せというささやかな希望を乗せた観衆の願いを
 花火師は夜空にむかって打ち上げる

 それぞれの思いを込めて
 夜空に散華する大輪のひかりの華は
 人の心をとらえて離さない

 会場の雑踏から遠く離れ
 花火の合間の静寂を縫って
 秋の訪れを告げる虫たちの演奏が
 夜のしじまの中を流れていく
 
 星も 月も 花火も
 自然という舞台の中で
 夏の終わりの祭典を彩る
 小道具になって
 夜は静かに帳(とばり)を厚くしていく
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の死

2010-08-20 22:19:30 | つれづれ日記
 母は80歳で他界した。
 痛風で、歩くのが困難になり、
 寝たきりで過ごすことが多くなり、
 入退院を何度も繰り返したのちの、他界であった。

 その時、私には母を失った喪失感はあまりなく、
 むしろ、私が3歳のころに他界した父のもとに
 やっと、母はみまかうことができたのだという思いと、
 母を送ることができたのだという安堵感が私にはありました。



 臨終の時が近づき、手足をなでてやる私の手に伝わってきたのは、
 母の体温が、手や足の先から徐々に消えていき、
 つめたくなっていく母のわずかなぬくもり。

 葬儀の日は、なぜかホッとするような安堵感にとらわれ、
 母を送ることができました。

 老化が進み、病と闘う母の姿は、いじらしく、いとおしく感じられ、
 「寂しい、寂しい」という母の手を握り締めながら、
 「おふくろ、いままで十分頑張ってきたのだから、もう頑張らなくてもいいよ。
 親爺がそこまで迎えに来ているから、早く行ってやれよ」

 これが、母にたいする私の精一杯の愛情の示し方だったと、今でも思っている。

 当時、上記のような私の言葉に、「何ということを言うのだ」と、
 兄弟たちに随分と叱責されたものです。

 いつまでも、たとえ一分、一秒でも長生きしてほしい。
 子どもとしては当然の感情だと思います。

 しかし、私はそうした願いの中に「生きている者のエゴ」を感じるのです。

 臥している者に、「生を全うするだけのエネルギー」が残っているのかどうか。
 「生きるエネルギー」を使い果たし、命のともしびが、今まさに消えようとするときに
 「お母さん、頑張って」とは、私には言えなかったのです。

 むしろ、死の不安や恐怖をいかにすれば、軽くすることができるのかという
 精神的なサポートこそが必要なのではないだろうか。

 こういう視点の延長線上に、ターミナルケアの考え方が存在するのではないかと思います。

 人生の最期のひと時を、病院のベットの上で、最新の医療機器に囲まれ、
 親しい人に「ありがとう」のひとことも言い残せないで、
 命の終焉を迎えるなんて、私には耐えられない。

 遺される者の「エゴ」も改めなければならないことですが、
 医療行為もまた、
 物理的な延命措置だけの「終末」治療は改善しなければならないと思います。

 このことがなければ、「命の重さ」と「医の倫理」がバランスよく保たれた豊かな「人生の終わり」は、
 実現しないと思います。

         (最近母を亡くした友人へのメールをブログ用に編集しました)

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の一日

2010-08-13 11:07:42 | つれづれ日記
 暑い日が幾日も続き 少しイライラした気分が残ります

 朝5時、目が覚める
 起床するには早すぎるし
 起きてみても何もすることがない

 昨夜、就寝前に読んでいた本の続きを読み始める

 6時10分ごろ起床

 すぐに畑に行き
 トマト、ナス、キューリ、ゴーヤなどの収穫をする
 この間、家内はブルーベリー、ラズベリーの収穫をする

 6時30分ごろ、掃除機にて居間、台所、玄関フロアーを掃除
 6時50分朝食
 7時20分2歳2か月になる孫が来る

 夏の一日の始まりである

 14時から16時近くまで読書
 (この時間は孫の昼寝の時間で、日中の唯一私の自由時間)
 孫をプールに入れて
 16時30分ごろ愛犬の散歩に90分

 夕食後パソコンにむかい
 10時~11時就寝 
 眠くなるまで読書

 基本的な夏の一日である
 夜は熱帯夜で、つい夜更かしをしてしまうが
 読書の量が増えるので それはそれで喜んでいる節があります
 ちなみに今は、「名をこそ惜しめ 硫黄島魂の記録」津本陽著を読んでいます

              (知人へのはがきを、ブログ用に編集して記載)


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残暑の朝顔

2010-08-11 15:41:48 | 季節の香り
 今日も暑くなりそうな 残暑の中を
 
 セミしぐれが 降ってきます

 朝露をいっぱいあびた

 朝顔が

 涼しげに あるかなしかの

 風に ゆれています


       今年も我が家の庭の片隅に、ひっそり咲いてくれた朝顔に
       感謝。例年鉢に植えたり、軒下に植えて日よけにしたりするのですが、
       今年は、まったくの放任。庭の隅にこぼれた種が芽を出し、
       けなげに咲いてくれたことに感謝です。

         (残暑見舞いのはがきをブログ用に編集して記載)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「さまよう刃」を観て② 被害者遺族の感情

2010-08-06 22:46:33 | 映画
 犯人の所在を知らせる一本の電話が長峰重樹に復讐という殺意を抱かせる契機となる。

 ……忍び込んだ犯人の留守宅で長峰は見てはならないものを見てしまった。
 最愛の娘が二人の若者に凌辱されているビデオテープ。

 この時、失意の日々を送る長峰に犯人への殺意が芽生えたとしても、
 それを責めることは誰にもできない。

 帰宅した犯人の腹に刃物をつきたてる長峰の憎しみと悲しみの慟哭を、抑制された演技で
 俳優寺尾聡は演じてみせる。

 被害者遺族が殺人犯となった一瞬である。
 
 殺人犯となりながら、もう一人の犯人を追う長峰。

 その長峰を追う警察。

 舞台は犯人の逃げた冬の長野。
 残雪の残るペンションが散在する山林へと移る。

 娘を愛した父親が
 殺された娘にしてやれることは
 犯人を殺すことだと
 そのことがいかに虚しい行為であるかを知りながら
 娘を殺した犯人を追いつめる長峰の悲しみがせつない
                          (つづく)

(友人・知人へのはがきを、ブログ用に編集して記載しました)
      

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「さまよう刃」を観て ① 被害者遺族の感情

2010-08-02 22:35:48 | 映画
 数年前に妻を病気で亡くし、中学生の娘と暮らす初老の父親・長峰重樹(寺尾聡)。
 ささやかな幸せを育み、娘・絵摩の成長だけを楽しみに生きてきた長峰。

 どこにでもある小市民の生活が、ある日突然、暴力的に破壊されてしまう。

 凌辱され、無残な死体となって発見された絵摩。

 二人の未成年によって、何ものにも代えがたい愛娘の命を奪われた長峰は、
 深い悲しみと、怒りの矛先を少年法で保護される犯人に向け、
 失われた命の代償をその命をもって償わせるべく、

 犯人追跡の旅に出る。

     ※ 「少年犯罪」では少年法によって加害者保護が行なわれており、
       現行法では、刑事処分で起訴することはできるが、最高刑は無期懲役で
       死刑はない。(ただし、年長少年・18~19歳の少年の死刑は認められている)
     
       被害者への情報公開:公開の規定はない。ただし2000.11.28の法改正で、被害者や遺族の希望により、
       審判の結果を通知できることになった。
       また、殺人、傷害、窃盗などの被害者からの審判記録のコピーや閲覧の申し立てに対して、
       家裁の決定確定前でも少年育成への影響などを考慮しながら、これを認める、こととなった。


      一方、失意のどん底に落とされた被害者遺族には
     法律で保護されるべき規定はない。
      少年法の矛盾を被害者遺族側からみてこれでいいのかという問いを投げかける      
     映画でもありました。
                                     (つづく)
 

               (友人・知人へのハガキを一部改訂して記載)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする