雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

能登半島地震 (13) 二次避難所から一次避難所へ戻る

2024-04-06 06:30:00 | ことばのちから

「やっぱり地元で…」戻る一次避難所 朝日新聞2024.03.06

ホテルなどの二次避難所から、
「一次避難所」に戻りたいと希望する被災者が増えている。(リード文より抜粋)


 能登半島地震の被災地では、一次避難所の小学校の空き教室や体育館、
公民館などに避難した人などのうち、高齢者や病気療養中の患者、
プライバシーに制限のある集団生活を送るのが難しい被災者を中心に、
二次避難所としてホテルなどの比較的生活環境の落ち着ける場所を、
希望者に提供してきた。しかし……

住めば都にはならなかった

 珠洲市のMさん(85歳)は、被災後金沢市の姉の元に身を寄せた。
しかし、2月末には一次避難所の小学校に戻ってしまった。

 「金沢は水もトイレも使えるし、あったかい寝床もあった。
 でも、知り合いも話し相手もいない。珠洲なら知った人ばかりだもの」

 珠洲市は人口減少により、過疎の進行が進む町である。
若い人たちは珠洲の町を出ていき、高齢者比率が高い町になってしまった。
でも、そのような街だからこそ、人と人とのつながりが深く、
近所づきあいの中に、助け合いの精神が色濃く残っている。
残った者同士、幼なじみの気心の知れた仲間たちの集まる地域だった。

 震災の被災者になり一次避難所に生活の場を移したが、
集団生活になじめず、金沢の姉の家に移った。
住み慣れた珠洲と違って、Mさんにとって見慣れぬ風景の街で暮らすことは、
一歩外に出れば、知らない人ばかりのご近所さんに、故郷珠洲の風景が思い出される。
「帰りたい。珠洲の街に」。
望郷の思いに耐えがたく、Mは故郷珠洲に帰ってきた。

 被災した家に住むことはできないから、
また一次避難所での集団生活が始まった。
ここの生活には、規則があり、気疲れもする。
だが、ここには震災で激変してしまった故郷の風景だが、
それでも生活の匂いがあり、この土地に根っこを下ろした安心感があった。

 避難所での朝食が終わると、傾いた自宅に戻り、
瓦礫の片付けや、畑の野菜の世話をする。
自宅は傾いてしまったけれど、やらなければならない仕事があり、
それが何より生活の張りになり、生きがい対策にもなる。

 「明日の自分もわからない。でも、わたしは珠洲にいたい」

珠洲市のTさん(69歳)は、親族のいる大阪府に避難した。
3月上旬には、大谷小中学校の体育館の一次避難所に戻ってきた。
自宅の荷物整理や罹災証明の再申請が目的だという。

「近所では家が倒壊し、亡くなった人もいた。
 そんな中で、大阪での不自由ない暮らしはうしろめたい」

珠洲市長
は、二次避難所から一次避難所へ戻ってくる被災者を、
「お戻りいただけるのはありがたい」
と収容人数に比較的余裕のある一次避難所への斡旋をしている。

石川県輪島市の場合
 震災から3カ月経過して、最も多い時で167ヵ所あった一次避難所は、今50ヵ所に減少している。
4月からは倒壊家屋などの公費解体の手続きが始まる。
 市職員の避難所への通しが付き、
解体作業に関連する職務に職員を配置する段階にきている。
「そこでまた一次避難所に人が増えると対応が必要になる。
戻りたいという人を受け入れたらきりがない。心苦しいが断るしかない」
(担当職員)
 対応職員の不足がまねく、苦渋の選択なのだろう。
だが、住み慣れた故郷の避難所に戻りたいという被災者を戻ってくるな、
と言わないまでも、対応職員が不足しているから一次避難所に戻るのはご遠慮願いたい、
という方針がよいのかどうか疑問は残る。

一次避難所になっているある公民館の現状
「輪島に戻りたい」
「家が倒れて、帰るところがない」
 いずれも、切実な問題だ。
 一次避難所から、二次避難所に移ったものの故郷から離れ、
 知らない人達の中で暮らすのに疲れ、故郷帰還の願望が高まる。
「家が倒れて、帰るところがない」という表現のなかにも、
二次避難所に移った生活がうまくいかなかったための
故郷願望の切実な願いがあるに違いない。

県はどう考えているか
 県の担当者は、「(二次避難から一次避難への逆流を)断る想定はしていなかった」
と想定外であったことを明かす。
一次避難の運営は各市町村の対応で、判断の統一は難しい。
従って、避難所の開設に期限などの決まりはなく、
仮設住宅の促進など支援を急ぐ必要があると、歯切れの悪い回答が返ってくる。

遠くの避難所、能登特有の地形
 県はいち早くホテルや旅館などを二次避難所として確保した。
能登半島の被災地では、
二次避難所とするみなし仮設として活用できる住宅が少ないという事情もあり、
二次避難所は県内の別の自治体や県外が採用された。
住み慣れた土地を離れ、見知らぬ人たちとの生活に疲れ、
望郷の念に駆られた人も少なくはない。
「一次避難所に戻るということを念頭に置いた避難、
生活再建の計画づくりを進めることが重要」(京都大学教授・矢守克也 防災心理学)
と指摘する。
 能登半島の復興は、日本の半島や離島などの地域づくりに関わる重要な課題を示している。
地震災害の教訓を、今後検討されるであろう「創造的復興プラン」に反映し、未来への教訓としたい。


            (ことばのちから№13)              (2024.4.5記)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




                     









 

 

被災の奥能登4市町、人口減に拍車 前年比3倍超
産経新聞2024.4.1

支援活動で福岡県から訪れ、「輪島朝市」付近で手を合わせる男性=1日午後1時53分、石川県輪島市(渡辺恭晃撮影)

市町別の減少数は珠洲市が227人で前年同時期(24人)の9・46倍に達した。輪島市336人(前年同時期150人)、能登町129人(同20人)、穴水町71人(同28人)だった。

2月の転出者数は珠洲市が115人で前年(11人)の10・45倍となった。輪島市は239人(前年132人)で、能登町79人(同15人)、穴水町55人(同16人)。県人口は前月比0・15%減の110万4587人。

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