雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

パラリンピック⑦ 忘れ得ぬ選手たち④

2021-11-29 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

パラリンピック⑦ 忘れ得ぬ選手たち④    
   挫折からの出発
   大矢勇気(東京パラ出場時・39歳)
       東京パラリンピック陸上男子100メートル車いすのクラス(T52)。
              Tはtrack(トラック)のT、52は障害の程度を表し51から57のクラス分けがあります。
       数字が小さいほど重い障害になります。従って大矢勇気さんは、〈トラック競技の重度の
       クラス〉ということになります。

   

  最初の試練は、中学三年の時。
  脳腫瘍に襲われ、治療の結果高次脳機能障害が後遺症として残った。
  競輪選手になる夢は、ドクターストップであきらめざるを得なかった。
  落ち込む勇気に、兄3人と勇気を育てたシングルマザーの母の言葉。
  「他のスポーツもある。人生はこれからやで」
  この言葉に励まされ、彼は定時制高校に進学。
  兄と工事現場で働き、家計を助けた。

  1年も経たないうちに第2の試練が彼を襲う。
       ビルの解体工事をしていたとき、仕事中に8階から転落。
  脊髄を損傷、1カ月意識のない状態が続き、下半身が動かなくなると宣告され、
  家族みんなが泣いた。
  
車いす生活を余儀なくされる。
  両手指にも機能障害が残った。
  高校1年、16歳の冬は第2の試練の冬でもあった。
「人生が終わった」
  考えることは自殺することばかりだった彼が車いす陸上を始めるようになったのは、
  作業所の同僚からの進めからだった。
  練習には母が毎回付き添ってくれた。

  8年後、日常用の車いすで全国障害者スポーツ大会に出場しました。
  競技用の車いすに乗るほかの選手にあっという間に置き去りにされて最下位に終わり、
  負けず嫌いの心に火がつきました。

  第三の試練。
  2009年、母の体調に異変が起きた。
  末期の肺がんが母を襲った。
  彼は練習を止め、入退院を繰り返す母の看病に付き添った。
  2011年7月10日、最愛の母が亡くなった。
  この日は、ロンドン・パラリンピックの選考会だったが、
  彼は母の側を離れず、選考会は棄権した。
  亡くなる数日前、母は兄に弟・勇気への言葉を託した。
「勇気を世界へ連れていって」
  母の最期の言葉になった。
  
  母亡きあと兄弟たちの二人三脚が続き、
  3度目の挑戦で東京大会の代表に選ばれた。
  初めてのパラリンピックの舞台、陸上男子100メートル車いすのクラスT52
の決勝に出場。
  スタートから勢いよく飛び出してトップを争うレース展開。
  彼の持ち味を生かせる場面だ。
  トップを走る。
  だがレース中盤、アメリカのレイモンド・マーティン選手に抜れた。
  目指した金は取れなかったが、世界のひのき舞台に立ったのだ。
  「お母さん ありがとう。そして、彼を支え続けて来た兄たちにありがとう」
  
  たびかさなる挫折を乗り越えて、
  大矢勇気が勝ち取った銀のメダルは、
  金に劣らず素晴らしい輝きを放っていた。

(昨日の風 今日の風№130)        (2021.11.28記)

 
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パラリンピック⑥ 忘れ得ぬ選手たち③

2021-11-23 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

パラリンピック⑥ 忘れ得ぬ選手たち③
  

   (パラサポWEBより引用)              (常陽リビングニュースより引用)
          
   (ブラインドサッカー 佐々木ロベルト泉・背番号3)
   佐々木ロベルト泉 (43歳) 
     ブラジル・サンパウロ出身の日系三世 茨城県牛久市在住 

  長野県出身の両親を持つ日系2世の父親と、
  ポルトガルからブラジルに移住してきた母親のもとに生まれた。
  16歳の時、グアバやマンゴー、アボカドを栽培する農園を営む父が脳梗塞で倒れ亡くなった。
  
「お母さんとお姉ちゃん、妹の面倒を見てくれ」、父の最後の願いだった。
  18歳、1997年2月仕事を求めて祖父母の故郷日本へ。
  家計を助けるために来日。
  工場などで働き、母に仕送りを続けていた。

  2006年、来日10年目の秋に夜勤に向かう途中、
  交通事故で心臓を損傷し生死をさまよった。
  心臓に2カ所穴が開き顔面骨折する重傷を負い、
  長い昏睡(こんすい)から目覚めたのは16日後だった。
  そこに待っていたのは信じられない現実だった。
  視界は真っ暗で何も見えない。
  一体何が起きたのか。
  逡巡するロベルトに過酷な現実を妹が知らせた。
  心臓の手術が優先されたため目の手術は間に合わず、
  炎症を起こした両目の眼球は摘出するしか選択肢が残されていなかった。
       「あなたはもう見えない。眼球がないの」
  「人生、終わった。涙が出た」
  しかし、たった5分で思い直した。
  「神様は命を助けてくれた。意味があるはずだ」(朝日新聞より引用)
  
   
  天性の陽気さと、人生に対する積極性がロベルトを次のステップに向かわせた。
  事故から1年後の07年夏には富士山登頂に成功するほどの回復ぶりを見せた。
  「日本で一番高い山に登ったんだから、この先どんな困難も乗り越えられる」と自信につなげた。
  小さなステップを越える、その繰り返しが小さな自信につながっていく。
  光を失ってから3年後の2009年、筑波技術大学に入学。
  同時に5人制サッカー(ブラインドサッカー)を始めた。
  試合中の対人との衝突の怖さはしばらく続いたが、
  幼少期のサッカーの楽しかったことなど思い出し、着実に成果を上げていった。
  2014年、日本国籍を取得、同時に東京パラリンピックの日本代表に選ばれる。
  「父さんの死や事故から人生は1秒で終るとわかった。だから目の前のことを100%頑張る」

  初めて出場したパラリンピックで日本代表チームは1次リーグを1勝2敗、
  順位決定戦でスペインを破り5位入賞。
  メダルには届かなかったが
最高の舞台で家族のような仲間と戦えたことは素晴らしい経験だった」と振り返る。
 多くのパラアスリート達が競技の成績もさることながら、
 「素晴らしい経験」、「連帯」、「共生」、「信頼」等の体験を大切にし、
 さらなるアスリートの道を究めようと進んで行こうとする姿勢は素晴らしい。
 「大変なことがあっても、次はいいことがある」と言うその裏には、
 絶対にあきらめない強い意志と、くじけずに生きていこうとする一途な思いがある。

    参加競技の戦績を人生の貴重な体験として、
 次へのステップを踏んでくパラアスリートの姿に声援を送る。

             5人制サッカー(ブラインドサッカー)について』
              ゴールキーパー以外はアイマスクを着けてプレーする。監督やキーパーの声を頼りに音
                 が鳴るボールをゴールに運ぶ。音や声が失われた視覚の代わりとなるから
チーム内の密
                 なコミュニケーションや信頼関係が大切。「仲間を信じてこの場所、この瞬間に一緒に
                 プレーできることが一番の魅力」とロベルトは言う。

    (昨日の風 今日の風№129)  (2021.11.22記)

 

 

 

 

 

 

 



 

 

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クレイジーでいこう。

2021-11-12 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

クレイジーでいこう。
  2021.10.26の朝日新聞朝刊の広告に、紙面一面+1/4の大きな広告が掲載された。
 表題のタイトルの大きな広告だ。
 物品の販売を目的とする広告
でもなく、特定会社のイメージ広告でもない。

 よく見ると画面の下に社名らしき英文字が三つ横並びに印字されている。
 これを見てもどんな団体なのか見当がつかない。
 【クレイジーでいこう。】と大きく印字されたその横に、gocrazy-project.comの文字が見える。
    QRコードもあり、調べてみると
 GoCRAZY Projectは、
 FRACTA、Whole Earth Foundation、Menlo Park Coffeeが連盟となってスタートした
「世の中をもっとよくするクレイジーな人やアイデアを応援する」プロジェクトです、とある。
 つまり、上記の三つの団体が起こした、社会活動であり、文面は「世の中をもっとよくする」
 ための啓蒙広告である。
 興味を引く内容なので以下に紹介します。

皆と同じで安心している自分を許していないか。
それは、意志じゃなく、傍観だ。 そのフィルターをはずそう。
心地よいバブルから抜け出そう。
意見を表明する。
嫌われる勇気を持つ。
賛同も反発もある。
それでも、本当を言わないことを恥ずかしいと思ってみると、
ちゃんと怒ることが、カッコ悪いことだとは思わなくなる。
スルーすることが、安心だと思わないこと。
同調することが、安全だと思わないこと。
世界をつまらなくて苦しくするのは自分だし、
おもしろくてやさしくするのも自分だ。
それが、クレイジーで行くということ。
それは、つながっていくということ。
分断を嫌おう。
集まろう。
好機はきっと増える。
クレイジーで行こう。
その先に見えるのは、大きく世界を変える何かだ。
その先にあるのは、
あなたの思いとテクノロジーが変えていく、次の世界の入口なのだから。

 これを読んで、「うん、そうだよな」と肯定するのはいいのだが、
 「ちょつと待てよ」としばし躊躇する。

 この世の中、生きていくのをつまらなくするのも、楽しくするのも
 そして、おもしろくて、やさしくするのも自分だ。
 なるほど、しっかりと自分の足で立ち、両目を開いて
 自分の眼で見ることの少なくなった社会に私たちは生きている。
 ワイドショーで聞いた知識を切り売りする似非評論家のコメントを
 さも、自分の考えのように錯覚してしまう現実がある。
 「受け売り」をしているのに、自分の意見のように錯覚してしまう現実がある。
 
テレビドラマ「ドクターX」を思い出した。

 ドクターXに学ぶ

  天才的な腕を持ちながら組織に属さず、病院を渡り歩くさすらいの女外科医。群れを嫌い、
 権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器である。
 職場で孤立し孤立無援の境地に立たされても、
 誰かが手を差しのべ、
 「たたき上げのスキル」に裏打ちされた自信が
 「私、失敗しないので」という台詞を彼女に言わせる。
 自由気ままに生きていく彼女を理解する仲間たちもいる。
 私生活では雀卓を囲んで馬鹿騒ぎをしたり、
 食べたいものを大口を開けて食べる行儀の悪い彼女を認めてしまう仲間もいる。

 文面にあるようなことをすれば、
 それは「クレイジー」な生き方になってしまう社会の在り方が問題なのかもしれない。 

   ドラマの中で作られたバーチャルヒロインとはいえ、
 権威と策謀の渦巻く白い巨塔の中で、
 群れから離れ、正しいことは正しいと正義を貫く大門未知子に共感を覚える。

 「私、失敗しないので」と自信に満ちた言葉を投げつける。
 「いたしません」と、理にかなわない指示を平然と断り、
 「時間ですので」と、平然と定時に退勤してしまう。
 嫌われることを怖れずに、胸のすくような啖呵を切る。
 ピンヒールの靴音高く、風を巻き起こすように病院の廊下を闊歩し、
 白衣をひるがえして歩く姿に、
 視聴者は自分たちの胸のうちでくすぶる薄汚れたしがらみの中で、
 生きていかざるを得ない自分の代弁者のように行動できる大門未知子に、
 無意識のうちに拍手している自分に気づく。

 一人ひとりが「クレイジーでいこう」と行動を起こせば、好機は必ず訪れ、
 その先に見えてくるのは、「次の世界の入口」なのだと、GoCRAZY Projectは
 啓蒙の言葉を広告という形で意思表示しているのだろう。

 大門未知子のように、華々しい活躍はできないけれど、
 せめて自分の生き方に、
 豊かな感性と優しさだけは忘れないように生きていければいいと思う。

   (昨日の風 今日の風№128)    (2021.11.11記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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パラリンピック⑤ 忘れ得ぬ選手たち②

2021-11-09 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

パラリンピック⑤ 忘れ得ぬ選手たち②
     スメエ・ボヤジ(18歳
)  競泳  トルコ

(写真・朝日新聞)
イルカのように泳ぐ
  2003年トルコに生まれた。
  生まれつき両腕がなく、股関節が脱臼していた。
  推測で申し訳ないが、おそらくこの状態がボヤジにとって普通の状態なのだろう。
  両腕がないことをコンプレックスにしなかったボヤジの積極性が
  今日のボヤジを作って来たのだろう。
  そのために必要だった天性の明るさと、
  好奇心の旺盛さが今のボヤジを形作ったのだろう。
  おそらく両親のバックアップもあったのでしょう。

五歳のころ、水族館で魚を見て泳ぐことに興味を抱いた。
魚は腕がないのに泳げて、すごいと思った。

  母親に背中を押され、リハビリを兼ねての水泳を始め、以来はまっているという。

  そして、2020東京パラリンピック
  8月25日、200㍍自由形で7位を獲得。
  続く26日、競泳女子100㍍自由形(運動機能障害S5)予選。
  イルカのように体を動かしながら水の中を進んで行く。
  水泳というよりも、
  人魚が力強く泳ぐようにボヤジは、
  水の中で肢体を流線形つくり若鮎のように水に乗る。
  全力で泳ぐボヤジ。
  しかし、勝負は勝負だ。技術を伴った力と力のせめぎ合いだ。
  予選落ち。

  水泳だけではない、ボヤジの興味の範囲は可能性を求めて、
  足を使って料理を作り、糸と針で服を縫うことも出来る。
  もちろんミシンを使うことも出来る。
  水彩画の技法で絵の具を水に浮かべて模様を作る『墨流し』は、
  個展を開くほどの腕前。

 できないことなんてない。私たちができることを、その力を見せつけてやろう

 次のパラリンピックに向けて、ボヤジは果敢に挑戦を続ける。
 ボヤジにとって、『生きること』そのものが挑戦なのだから。
  (昨日の風 今日の風№126)     (2021.11.8記)

 

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坂村真民の言葉(4) 悲しみを知っている人は…

2021-11-03 06:30:00 | 読書案内

坂村真民の言葉(4) 悲しみを知っている人は

坂村真民について (坂村真民記念館 プロフィールから抜粋)
  20歳から短歌に精進するが、41歳で詩に転じ、個人詩誌『詩国』を発行し続けた。
  仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞受賞。
  一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。
  そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、
  癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。
  写真の本は「一日一言」と称し、真民が生きた日々の中で浮かんだ言葉の中から365を厳選、
  編集したものです。

 

『悲嬉』
  悲しいことは
  風と共に 
  消えてゆけ

  嬉しいことは 
  潮(うしお)のように
  響かせよ

     この人の詞には、澄んだ響きがある。
     透き通った視線が真っ直ぐに、 見つめる対象を捉えて離さない。
     揺らぎのない自信の裏に、確固とした信念が培われている。
     胸のうちに湧いてきた思いを、言葉で飾るのではなく、
     夜明けに見た夢を忘れないように心に刻むように、
     胸の中の想いを詞に置き換えていく。
     胸の中に吹く風にのように、
     通りすぎる旅人のように、
     静かに風の音を聞けば、悲しみは通りすぎていくと詠う。
     そして、嬉しい思いは、胸を開いて力いっぱい吐き出して、
     嬉びを欲しい人に解放しようと詠っているように聞こえる。
     もう一つ、次のような詞も心に響きます。

 『ものを思えば』
   つきつめて
   ものを思えば
   みなかなし
   されど
   このかなしさのなかにこそ
   花も咲くなれ
   匂うなれ
   人の心も通うなれ
      人を寄せ付けぬような厳しさを、心の内に持つ真民さんだが、
      こんなにやさしい慈愛の目を持った真民さんにも、心ひかれます。
      「つきつめて ものを思えば みなかなし」という詞のなかに、
      生きることの真理や人生哲学があるように思います。
      やさしい羊水のあふれる母の胎内から、光のあふれる世界に出てきた時から
      たくさんの出会いを経験することになる。
      歓迎される出会いばかりではない。
      避けて通りたいような出会いでも、
      行かざるを得ない出会いを選択しなければならない時もあります。
      橋の向こうに見え隠れする悲しみが見えているのに、
      渡らなければ先に進めない橋を行く場合もあります。
      出会いの行き着くところは、別れです。
      真民さんはそう思いながらも、
      かなしさの中だからこそ、
      花の美しさを、匂いの豊かさを
      敏感に受け止め、人とひとの心のつながりが、
      素晴らしいものになると言っているのでしょう。

                        ックデーター
                      「坂村真民 一日一言 人生の詩、一念の言葉」
                        致知出版社 2006(平成18)年12月刊 第一刷

 (読書案内№182)        (2021.11.2記)

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