雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ①

2019-07-27 06:00:00 | 読書案内

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 
              
 少年院からの手紙 ①
 
 練鑑ブルースと言う歌が流行った。練鑑とは東京少年鑑別所のことであり、
その所在地が東京の練馬にあったことから、通称「練鑑」といわれるようになった。

1959年頃これを題材にした歌が流行った。
多くの歌手がカバーしたが、
中でも藤圭子が唄う「ネリカンブルース」が人気を集めた。
しかし、非行少年を扱った内容ゆえか、替え歌の中には露骨な表現もあり
法務省は制作中止の要請を出し、発禁となった。

 作者不詳の楽曲で、もと歌は昭和12年頃の「可愛いス―ちゃん」という第二次大戦中の反戦歌
に「詞」が付けられ歌だつた。
ここでは藤圭子の「ネリカンブルース」の詞を紹介しながら、著者に寄せられた
少年院からの
手紙を紹介します。
 歌われている鑑別所と少年院は少し違いますので、関連図を示したので参考にしてください。


 

   
     曲がりくねった道だから
    ひねくれ根性で歩いてた
    俺も人の子人並みに
    過去もあります傷もある
            「ネリカンブルース」歌藤圭子 
    

扶桑社 2001年11月刊 第二刷  

   不幸にして道を踏み外し、非行少年というレッテルを貼られてしまう。
 支援の手が差し伸べられない孤独で、やりきれない。
 胸の中にわき上がってくる怒りを抑えるすべも知らない少年。
 背中を丸めて、思いきり拗(す)ねて見せるのも行き場のない彼らの生き方なのかもしれない。
    
    「生まなきゃよかった」
    親に、はむかった時に言われた一言。
    今でも心にひっかかっています。
                   (19歳)

 言ってはいけない一言が、どんなに少年を傷つけたか。
 小さい時にご主人と離婚し兄弟は中学の頃から非行に走った。
 兄はヤクザになった。
 弟の彼は中学卒業後、非行の限りを尽くす。
 シンナーに溺れ、一緒につるんだ仲間たちも去り、孤独地獄に堕ちていく。
 薬物にも手を付けた。
 そんなある日、
 「お前なんか生まなきゃよかった」
 言ってはいけない一言、
 聞いてはいけない一言が悲しい。

 彼はシンナー中毒で若い命を閉じた。
 19歳だった。

 行ってはいけない一言に著者の伊藤幸弘は言う。

 「どんなことがあっても、あなたは私の大切な子だ」……
 この言葉を子どもは待っているのです、と。
 

           閑話休題: 多くの歌手が「ネリカンブルース」をカバーした。
                その中の一人に平尾昌晃等と歌手活動をしていた
                山下敬二郎が唄うことになった。しかし、このレコードは
                発売禁止のお蔵入りになりました。
                B面は新人・水原弘の「黒い花びら」でした。
                会社は急遽この歌をA面にして
                水原弘のデビュー曲として発売しました。
                歌は大ヒットし、第一回レコード大賞を受賞し、
                水原は瞬く間にスターダムにのし上がりました。
                偶然が招いた運命ということでしょうか。
                                        (つづく)

         (読書案内№140)

 

        

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2019参院選 ④ 棄権という権利

2019-07-25 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

2019参院選 ④ 棄権という権利

  参院選が終わった。危惧した通り48.8%で、
 過去最低だった1995年の参院選・44.52%以来24年ぶりに50%を割ってしまった。
 特に18歳、19歳の投票率は31.33%で最低だった。
 19歳は最悪で、28.05%だった。
 若い人の投票率が低い。
 若い世代が高齢に達した時どんな社会が実現するのか、考えてみると恐ろしい。

 未来のために 選挙へ行こう

 棄権するということは、未来の希望を捨ててしまうということだ。

(朝日新聞7/21)
 美大出身者たちが三年前の参院選から始めた「Shall we 選挙?」のポスターの一つ。
著名人たちもSNS上で投票を呼び掛ける。
投票率の低さに危機感を持つ人たちが、運動を展開し始めている。

 「自分の一票じゃ何も変わらない」
 「誰がやっても同じ」
 という諦観が投票率を低くしている。
しかし、棄権をするということは、権利を捨てることだ。
我々の先達たちが、自由民権運動を経て勝ち取った血と汗の滲んだ選挙権なのだ。
投票権(選挙権)はあっても、「棄権」と言う権利はないのだ。

棄権をしてもおとがめはないが、ベルギーや豪州では罰金が科せられるそうです。
棄権を防ぐための究極の制度なのでしょうが、
権利を履行しないと罰金というのも何だか、強制されているようで嫌な感じがします。

棄権が増えれば(投票率が低ければ)どんなことが起きるのか。

強固な組織票を持つ政党や候補者が有利になり、
組織票を持つ組織の意向が政治に反映されやすくなってしまいます。
ということは、組織に属さない人々の意向が反映されにくくなってしまいます。

今の生活のことを考えてみれば、
種々の問題が浮かんできます。

「エネルギー問題」。危険な原発は暴れ出したら人間の知識や技術ではどうにもならないモンスターだ。
          黙っているわけにはいかないと思う。
「年金問題」「医療費」「介護保険」「消費増税」「教育」「子育て」等々、不安材料は沢山あります。
沈黙は無に等しい。
今の生活を少しでも良くしたい。将来の子どもたちに誇れるような社会を築いていきたい。

この思いを、投票という参政権に変えて履行することが
私たちの責務ではないか。 

 「憲法前文」を見てみよう。

  日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し

  (略)主権が国民に存することを宣言する。

  国政は国民の厳粛な信託によるものであって、
  その権力は国民の代表者がこれを行使し、国民がこれを享受する。

  50%を割る選挙で選ばれた国会が「正当に選挙された国会」といえるのか。
  50%を割る選挙で選ばれた代表者が「厳粛な信託」によって選ばれた人なのかどうか
  私たちは真剣に考えなければならない。
  
  「棄権」は単なる怠惰であり、
  「棄権」という権利はないのだから。

  (昨日の風 今日の風№102)       (2019.7.24記)





  



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2019参院選 ③ 投票に行こう

2019-07-21 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

 2019参院選 ③ 投票に行こう
       
    前回参院選の投票率は54.7%です。

   2人に一人が投票せず、20代では3人に2人が棄権しました。
   国民の代表と呼ばれる議会制民所主義が成立しなくなります。

   政治的無関心はやがてわが身に不利益をもたらします。
   自分が一票を投じて社会がどう変わるんだという「諦観」が、
   投票率を低くしているのでしょう。

    昔は地元から国会議員を出すことによって、道路が開通したり橋ができたり、
   トンネルができ新幹線の駅ができわかりやすい見返りがあった。
   だから皆真剣になって応援した。
   投票率も上がった。
   前近代的村社会の政治形態の出来事でした。


   国民が見返りという即効性を求める過ぎ、
   政治がポピュリズムに陥ってしまえば国の将来を見通すことはできなくなります。
   
   政治に関わる、投票するということは、
   一票を投じた一人一人が力を合わせて自分たちを取り巻く状況を変えていくということです。

   私たちは投票に行こうと、
   棄権しようとこの国の政治環境から抜け出すことはできません。

   だから、極論ですが、棄権するということは、
   自分の将来に、子供たちの未来に責任を持たないということになってしまいます。
   
   「自分はこんな人生を歩みたい」「こんな社会で生きたい」という希望は誰でも持っています。
   だからその希望の実現の一歩として、政治家や政党に一票を投じて欲しいのです。

   政治参加をせず、異議申し立てもしなければ、民主主義は成立しません。
   「政治家に将来を託す」という代表制民主主義では、
   政治家に自分の希望を丸投げするのではなく、
   試行錯誤をしながらこの社会を作っていく姿勢が必要だと私は思います。

   自分の投じた一票が当落を決定することはほとんどないでしょう。
   それでも私は一票を投じ、
   ささやかな、そして大切な一票を投じたい。

    (昨日の風 今日の風№101)  (2019.7.20記)

   

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2019参院選 ② 誰がどんなことを言ってるのか

2019-07-20 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

2019参院選 ② 誰がどんなことを言っているのか
   茨城選挙区(改選数2)候補者5人の13日から14日にかけての演説を選び、
       各候補の演説内容を調べ、主な訴えを参考に、
   だれに投票するのか考えてみた。(演説内容の記事は朝日新聞による)

   
    「 諸派」( NHKから国民を守る党)・〇中〇氏(新) 53歳
     党の名が示す通り主訴のほとんどがNHK批判に終わっている。
     NHK受信料批判 ………… 31%
     NHK集金人批判 ………… 30%
     NHK職員「高給」批判 … 16%
      なんと演説時間の77%をNHK批判で構成し、
      残り23%を党の紹介、放送法の改正、その他としている。
      あまりの政見の偏りにうんざりです。
      党として、国会議員候補として投票者に訴えるべきことはもっとあるはずと思います。

  「維新の会」・〇野〇氏(新) 70歳
     「三つのことを約束したい」。主訴となるべきことを公約として最初に打ち出している。
             東海大に再稼働反対   ………… 34%
      行財政改革の実績  ………… 27%
      消費税反対              …………   18% 
      行財政改革の中には、教育無償化を訴えています。これは、維新の会の公約でもあるが、
      大阪では私立高校の無償化を実現したとはいえ、全国規模で実施するための財政的裏付
      については触れていないので、いささか不安が残る。
      茨城県には、東海第二原発があり、再稼働について賛成派と反対派が議論を戦わせている。
      多くの候補者が原発問題を避けている現状では貴重な存在です。

  「立憲民主党」・〇沼〇(新) 33歳
      消費税反対  ………… 34%
      原発ゼロ施策 ………… 20% 
      安全保障   ………… 12%
       与党以外消費税反対を掲げている。だが本当に消費税を上げないでこの国の経済が
       成り立つのだろうか。上げないための財政的裏付ははどこにあるのだろう。
       基本的には原発ゼロに賛成ですが、「今すぐに」ということにいささか不安を感じます。
       エネルギー政策は、地球温暖化を抜きにして語ることはできない。
       他に「農業問題…9%」「年金問題…7%」など公約は盛りだくさんです。

 「共産党」・〇内〇久〇子氏(新) 69歳
       公約の3本柱は、東海第二原発の再稼働反対、消費増税反対、憲法改正反対反対です。
       共産党の公約を踏襲しています。
      消費税反対 ………… 29%
      年金問題  ………… 25%
      憲法改正反対………… 13%
       共産党の公約のベースにあるものは、「大企業への法人税の増税」
       「高額所得者への増税」などを挙げ、「財源確保はできる。大企業中心の政治から暮らし
       優先の政治に切り替えていく」を公約に挙げるが、説得力欠けるようである。

  「自民党」・〇月〇祐氏(現) 56歳
      唯一の現職候補です。
      演説内容についてはがっかりです。
      「働かないんだったら僕がいる意味なんてない」と大見えを切った割には内容は空っぽ。

     政治の在り方    ………… 23%
     政権実績・野党批判 ………… 21%
     意気込み      ………… 18%
      こんなことを聞くために聴衆が来たわけではない。
      自民党が掲げる憲法改正についても触れていない。
      「政治の在り方」や「野党批判」、「意気込み」など候補者だったら
      まして現役の議員経験者だったらもっというべきことがあるはず。
      56歳で現役議員の意気込みなんて聞いても、選ぶ基準にはなりません。
      いい歳して、「僕」という表現にも違和感を覚える。

  こうして各候補の演説内容を検討してみると、益々誰に一票を投じるか迷ってしまう。
  これというインパクトの強い演説内容が響いてこないのだ。
  私は自民党が好きだ。
  だがこの党には一票を投じない。
  この党のために野党に一票を投じたい。
  議席の多数をもって政権を獲得できるのだが、野党がその役割を十分に発揮できる
  議席を獲得しなければ、自民党の独裁的傾向は改められないからだ。

  この社会に生きている人間として、棄権はしない。
  それが社会の中で生きる人間の「政治参加」というささやかな意思表示なのだから。

  (昨日の風 今日の風№100)       ( 2019.7.19記)

 

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2019参院選 ① だれに投票したらいいのか

2019-07-19 09:07:35 | 昨日の風 今日の風

2019参院選 だれに投票したらいいのか
  
  
 議会制民主主義は数が問題だ。
   政策に多少の問題があっても、大概の問題は数で押し切ることができる。
   政策が大切なのではない、議席数の多いか少ないかが問題なのだ。
   パスカルはパンセの中で次のように言っている。
   
   「正義は力なり、力なきもの正義にあらず」

   社会すべての成り立ちが、
   パスカルの言う「力の原理」に基づいて動いているわけではないが、
   ある程度の真実を言い当てている。

   与党と野党の議席数は拮抗していたほうが、より多くの議論を尽くし
   政策に反映することができる。

   
   一票の価値は、貴重であると私は思っている。
   投票してもしなくても社会は変わらないというのは、大きな間違いだ。
   選挙権は私たち国民の権利であり、義務でもある。
   権利を放棄し、義務を行使しない人に、
   政府を批判する資格はないと、私は思っている。

   自分の選挙区にどんな人が立候補しているのか、
   その人たちがどんなことを政策に挙げているのかぐらいは
   あふれるほどの情報の中から集めることはできる。

   その上で、自分はどんな社会を望むのか、
   どんな生活をしたいのかという自分の思いに沿った候補者を選べばいい。
   
   一票の重みを軽くあしらうことは、
   自分の生き方をいい加減に考えるに等しいと私は思います。

   私たちはテロリストではない。
   一人の人間が一人の政治家を倒しても何も変わらない。

   国民一人一人の総意が、大きな力となって社会を変えていく可能性を託して、
   棄権をしないで、投票しよう。

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「本当の幸せ」 沖縄「慰霊の日」追悼式

2019-07-13 06:00:00 | 語り継ぐ戦争の証言

「本当の幸せ」沖縄「慰霊の日」
         少女の願いは、万民の願い
   

  
   青くきれいな海
  この海は
  どんな景色を見たのだろうか
  爆弾が何発も打ちこまれ
  ほのおで包まれた町
  そんな沖縄を見たのではないだろうか

  緑あふれる大地
  この大地は
  どんな声を聞いたのだろうか
  けたたましい爆音
  泣き叫ぶ幼子
  兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
  そんな沖縄を聞いたのだろうか

  青く澄みわたる空
  この空は
  どんなことを思ったのだろうか
  緑が消え町が消え希望の光を失った島
  体が震え心も震えた
  いくつもの尊い命が奪われたことを知り
  そんな沖縄に涙したのだろうか
      沖縄「慰霊祭の日」少女が願った「本当の幸せ」(朗読詩)     

 沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式で、
  糸満市立兼城小学校6年の山内玲奈さん(11)が朗読した詩「本当の幸せ」の前半です。 


 沖縄の青い海は どんな辛い景色を見たのだろう。
 この大地に どんな悲しみが刻まれたのだろう
 戦争の愚かさを 沖縄の空は嘆いたのだろうか。
 小学6年生の少女は、沖縄の海や大地や青く澄み渡る空に気持ちを感情移入して
 自分の生まれ育った島の悲して辛い過去を投影します。

 平成生まれの11歳の少女は、74年前にこの島が体験した悲惨な出来事を思いながら
 自分たちのしなければならないことを詠う。

 
  平成時代 私はこの世に生まれた
  青くきれいな海 緑あふれる大地
  青く澄みわたる空しか知らない私
  海や大地や空が七十四年前
    何を見て
      何を聞き
      何を思ったのか
      知らない世代が増えている
      体験したことはなくとも
      戦争の悲さんさを
      決して繰り返してはいけないことを
      伝え継いでいくことは
      今に生きる私たちの使命だ
      二度と悲しい涙を流さないために
      この島がこの国がこの世界が 
    幸せであるように

  「 二度と悲しい涙を流さないために」そして、この世界が幸せであるように、 私たちは沖縄の悲劇を伝えていかなければならない。
11歳の少女が「詩」に託した思いを疎かにしてはいけない。

 あれから四十七年が過ぎ、体験者が年々減っていく時の流れの中で、
「沖縄の悲劇」が風化していくようです。
特に本土に住む私たちにとっては、
「沖縄」を対岸の火事として、
傍観者の立場を取る人も少なくないようです。


6月23日がなぜ、沖縄の特別の日「慰霊の日」なのでしょう。

 沖縄戦における戦死者は住民や日米両軍合わせて20万人以上。
 この沖縄戦は太平洋戦争で唯一、
 一般住民が地上戦を体験したといいます。
 地獄のような戦場が展開されたのです。

 そのうちの約半数の9万4千人が一般人や子どもたちだったといわれています。
 この沖縄戦で、軍司令官牛島満中将と参謀長長勇中将が自決をしました。
 その日が昭和20年6月23日未明だと言われています。
 この日を、沖縄における日本軍の組織的戦闘が終結した日として、
 6月23日を「慰霊の日」として制定されました。



 紹介している詩「本当の幸せ」は、慰霊の日の追悼式で朗読されたものです。

       沖縄全戦没者追悼式が行われた場所は糸満の摩文仁の平和記念公園ですが、
       この地は先に紹介した2名の中将が自決した地区でもあります。

 この詩の最後は次のように結ばれています。

  
   お金持ちになることや
  
有名になることが 幸せではない
  
家族と友達と笑い合える毎日こそが
  
本当の幸せだ
  
未来に夢を持つことこそが
  
最高の幸せだ

  「命(ぬち)どぅ宝」
  
生きているから笑い合える
  
生きているから未来がある

   令和時代
    明日への希望を願う新しい時代が始まった
  
この幸せをいつまでも

   生きていることの幸せを
   本当の幸せだと
   11歳の少女は詠う。
    この幸せをいつまでも と。
 

 沖縄の悲劇。
 忘れてはなるまい。

 琉球王国の象徴であった国宝・首里城は、跡形も無く破壊された。

 ひめゆり学徒隊は、1945年3月23日に動員された。
 戦争が終わる5カ月前、民間人を動員しなければ戦も継続することができなかった。
 当時16歳であった女学生240名のうちで半分以上の136名が殺害・もしくは自決によって
 命を失った。

 敵につかまると女は強姦され、男は八つ裂きにして殺される」という在郷軍人会等の
 教えに、315人が集団自決に追いこまれた。

 戦争そのものが悲劇であり、地獄である。

 少女の詩は、命の大切さを
 「生きているから笑い合える」と詠っている。
 忘れてはならない戦争の悲劇を私たちは伝えていかなければならない。
 

※参考ブログ
(拙ブログでは、終戦記念日「白旗の少女」というタイトルで
たった一人で白旗を掲げて米軍に投降してきた少女の見た地獄の戦場を
3回に渡ってアップしています。  2017.8.17~18)
     

(語り継ぐ戦争の証言 №23)       (2019.7.12記)

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マドンナがやって来た

2019-07-04 20:30:51 | ことの葉散歩道

マドンナがやって来た
      そして消えた……

  
   雪のように溶けて行きたい
       
            マドンナが残した言葉


    古い記憶がよみがえってくる……   
    
    高校三年の三学期。
    凩の吹くとても寒い日
    彼女は県外から越してきて
    私たちの学校に転校してきた。
    後60日余りで卒業を迎えるという
    クラスの中で就職組と進学組がはっきり色分けされ、
    何となくせわしなく、落ち着きのない日が続く毎日だった。

    教師の横に控えめに、うつむき加減に立った彼女は、
    僕らの持っているガサツで、子どもっぽい雰囲気とはどこか違っていた。
    どこかに大人の匂いを漂わせていた。

    ガキ丸出しの私たちを
    胸の奥深いところで笑っているような
    それでいて
    私たちすべてを受け入れてしまうような優雅なまなざしが
    深い森の奥へと誘うような危険な匂いを漂わせていた。

    早熟な少女 というより
    硬い果実の中にひそむ成熟の匂いが
    僕ら悪ガキにとってある種の危険と
    近寄りがたい雰囲気を彼女は持っていた。

    父と二人暮らし。
    その男もめったに家に帰らない。
    職業不詳。
    これ以外のことは何ひとつ僕らには知らされなかった。

    近づく時間は充分にあったのに
    僕を含む悪ガキたちは
    遠くを見るような眼で彼女を眺め
    一向に近づこうとしなかった。

    そして卒業式を数日後に控えた
    春の兆しがチラホラ感じられる日
    僕らは彼女の突然の失踪を先生から知らされた。
    どんな事情があったのか僕らは知らなかった。
    卒業式の日
    彼女の座るべき席は空白のまま
    僕らの想いもまた白い闇のように虚ろだった。

    夢のように過ぎて行った
    マドンナへの想い。
    私たちは卒業し
    思い思いの行く先へ歩みだし、
    僕らの中から
    マドンナの記憶が消えていくのに
    そう長い時間は必要としなかった……

    夜中に目を覚ます。
    鮮明に浮かび上がるマドンナの記憶は
    捉えどころのない不確かなものだが
    闇のなかからかすかに漂ってくる危険な匂いは
    まぎれもなくあの時僕が感じた
    マドンナの匂いだった。

    彼女の残したものは
    危険な香りと
    卒業式の数日前に私の下駄箱に放置された本が一冊。
    そこに、彼女のメッセージがあった。

    「雪のように溶けて行きたい」
    
    以後、彼女の消息は知れず
    私は歳を取った。
    

    (ことの葉散歩道№47)    (2019.7.4記)

 

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留学生ビジネス 留学生を食い物にするな! (2)

2019-07-01 08:26:46 | 昨日の風 今日の風

留学生ビジネス
   留学生を食い物にするな! (2)

報道によれば、
東京福祉大学の留学生は5年間で15倍に膨らみ、約5千人におよぶ。
これは、全国で2番目に多い留学生の在籍者数だ。

5千人の在籍留学生の内、
所在不明者1610人の内の約7割が問題となっている「学部研究生」、
つまり、正規課程以外の学生だ。

 
 大学側は「行き場のない留学生を救済した」と釈明しているが、
冗談じゃない。
大学は慈善事業ではない。
人材育成の場であり、
これからの社会を担っていく若者を「教育」という枠組みの中で育てていく機関だ。


 「留学生救済の場」といいながら、人数に見合う事務職員が確保されてない。
教室の設備が整っていない、など教育環境は「救済」とは裏腹である。


なぜこんなことが起きてしまったのか。


 要は、定員のしばりを受けない抜け穴として「学部研究生」の増やし、
「留学生」という海外の若者を利用し、
経営難の穴埋めのための資金稼ぎをしているのだ。
教育ではなく「留学生ビジネス」といわれる所以だ。    

 文科省によると、同大は28年度以降、
それまで数十人程度だった学部研究生を一気に1千~2千人以上に増やしたが、
入学者選考で求められる日本語能力水準を大幅に下回る研究生が多数在籍していた。  
新学期から欠席し、そのまま所在不明になる研究生も多数いたという。(産経新聞)

 この不祥事は、大学側と留学生相互の利益を共有した点になる。
 大学は運営資金の獲得として、
 留学生は在留資格と労働確保というメリットがある。

 政府は08年に「日本を世界に開かれた国にする」として、
 20年までに国内の外人留学生を30万人に増やす計画を打ち出したが、
 目標の達成を優先するあまり、
 関係機関のチエックが甘くなった(朝日新聞)のではないかと懸念します。

 わが国では30万人の人が留学生の在留資格で働いている。
 その多くが第三次産業のサービス業などに就労しているが、
 若者たちの低賃金労働にも繋がっているという指摘もある。

 この留学生問題は、将来を担って立つ若者の芽を摘み、 
 「留学生ビジネス」の対象としてしか見ない日本社会の歪みでもある。

 若者が希望をもって将来のビジョンを描けない社会は、
 健全な社会とはいえず、
 やがて社会そのものが閉塞感の中で衰退してしまうことを
 私たちは一人ひとりが危機感を持って考えなければならない。

 (昨日の風 今日の風№98)   (2019.6.29記)

 

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