雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

エボラ出血熱 (5) ー西アフリカで流行ー

2014-12-31 12:42:13 | 昨日の風 今日の風

 エボラ出血熱(5)  西アフリカで流行

サイエンス・ノンフィクションの最後は次のような記述で終わる。

 『(せん滅作戦で今は無人となり)見捨てられたモンキーハウスの中で、エボラはこの中の部屋に出現しその本性をむき出しにし、飽食した末に、森林に退いていった。いつの日か、それはまた戻ってくるだろう』と。

 20年前に出版された「ホット・ゾーン」でリチャード・プレストンが予言したように、

今、西アフリカでは「エボラ出血熱」が発生、拡大、流行し、未だ終息を見ていない。

 ○ 米タイムス誌は10日、年末恒例の「今年の人」に、西アフリカで大流行が続くエボラ出血熱の治療などに携わった医療従事者ら「エボラ・ファイターズ(エボラと闘う人々)」を選んだ(写真)。

自らを感染の危険にさらしながらも忍耐強く取り組み、患者の命を救い、感染の拡大を阻止することに寄与したことを評価した。

 ○ WHO(世界保健機構)発表(12/26)

  西アフリカ3か国(シエラレオネ、リベリア、ギニア)のエボラ出血熱感染者は19,695人、内死者7,518人となった。なお世界全体では、マリで6人、米国で1人、ナイジェリアで8人が死亡するなど少なくとも7,708人が死亡していると伝えている。

 アフリカのエボラ川流域で発生したエボラウイルスの宿主がなんであるか究明されていないが、熱帯雨林に生息するコウモリが媒介すると言われている。バイオセーフティーレベル4に属するエボラウイルスであるが、献身的な人々による治療薬や治療法の確立により2015年に流行は収束するとするとの見通しもあるようです。    
       (昨日の風 今日の風№14)              

 (おわり) 2014.12.30

 

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エボラ出血熱 (4) ー戦いを挑んだ人々ー

2014-12-24 22:00:00 | 昨日の風 今日の風

エボラ出血熱(4) ―戦いを挑んだ勇敢な人々―

 

 1989年10月、軍の上層部には衝撃が走った。

 当時、『このエボラウイルスは空気感染する可能性もささやかれていた。エボラが、サルから人間界に飛び火したらどうなるのか。直ちに陸軍伝染病医学研究所を主体とするバイオハザード(微生物災害)・スワット・チームが編成され、情報は封印され、機密保持体制の下、エボラの制圧作戦が開始された』。

 モンキーハウスに収容している数トンに及ぶサルは、次々に赤い目をして感染の表情を呈し、虚ろな表情で檻の隅にうずくまっている。ハウスの中は汚物にまみれ、異臭が漂い、死の匂いで充満していた。不安や恐怖と戦い、劣悪な環境の中で、感染の危険に晒されながら、サルたちに強力な麻酔注射をし、心臓を取り出し、血液を採取し、肉の塊となった死骸を秘密裏に処理していく。

 夫婦でこのせん滅作戦に参加した陸軍中佐(後に大佐に昇進)夫妻、ウイルス学者、ウイルスハンターたちの自己犠牲を顧みない勇気ある行動に深い感激を覚える。

 『ホット・ゾーン』の中で活躍する者は、完全密封された「宇宙服」と呼ばれる防御服に身を包んで行動した。

 現在でもこのウイルスのワクチンは存在せず、確たる治療法もない。

 その飛び抜けた危険性ゆえに、微生物の危険度を示す国際的な危険度において、最高に危険な「レベル4」に分類されている。この分類法によれば、あのエイズでさえも「レベル2」でしかない。

 人類の英知と勇気が、アメリカの人間への感染を阻止した。サイエンス・フィクションの最後は次のような記述で終わる。

 『(せん滅作戦で今は無人となり)見捨てられたモンキーハウスの中で、エボラはこの中の部屋に出現しその本性をむき出しにし、飽食した末に、森林に退いていった。いつの日か、それはまた戻ってくるだろう』。

 20年前に出版された「ホット・ゾーン」でリチャード・プレストンが予言したように、今、西アフリカでは「エボラ出血熱」が発現し、未だ終息を見ていない。
        (昨日の風 今日の風№13)

2014.12.23記 (つづく)

            

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読書紹介「暴雪圏」佐々木譲著 新潮文庫2011刊

2014-12-21 23:34:32 | 読書案内

  今日の天気予報では北海道はじめ日本海側でここ数日、「暴風雪・大雪」が予測され、警戒が必要と注意を呼び掛けているようです。この、爆弾低気圧の影響で、死傷者が出ていると報道は伝えています。雪国生まれの人でなければ、雪と風が混然となって襲ってくる時の不安は理解できないのでしょう。車は動かず、視界も遮られ、やがて寒きと恐怖が襲ってくる。

 除雪車も動かない、パトカーも救急車も出動できない最悪の気象条件の中で、事件は進行し、孤独な駐在警官が事件と対峙する。数年前に読んだ小説「暴雪圏」の内容が思い出される。

 暴雪圏」

 冒頭から読者を捉えて離さない。

季節外れの風と雪が北海道東部の釧路地方の寒村を襲う。

三月彼岸の頃に襲来する嵐は、

『厳寒期とは違い、湿った重い雪が大地に吹き荒れる』。

幹線道路の交通は完全にマヒし、途絶してしまう。

北海道東部・釧路方面志茂別(しもべつ)駐在所の駐在員川久保篤は

一本の電話を受ける。

「赤っぽい上着が、雪の下から出ている」。

住民からの通報である。

事故か、事件か雪と風が強くなる中、

吹きだまりの深い雪の中を現場に到着した川久保が目にしたものは、

一部白骨化した女の変死体。

全ての始まりである。

 

 同時刻ごろ組長の家に強盗に入り、組長夫人を射殺し逃亡する二人の男。

会社の金庫から2000万円を奪い逃走する会社員は、がんの宣告を受け余命いくばくもない。

義父の魔手から逃げてきた少女・美幸。

不倫関係を清算するために家を飛び出した明美。

 5人の人物が錯綜し、荒れ狂う「暴雪」の中を一点に向かって移動していく。

  刻々と激しさを増す雪と風、湿った雪が凍りつき、道路は白い闇の中で封鎖される。

 

 それぞれが抱えた心の闇は深く、

一刻も早くこの町を抜け出したいと思うが、

これを阻止するように猛吹雪がこの町を呑み込んでいき、

吹きだまりに寄せ集められるように、

町はずれの小さなペンションに吸い寄せられていく。

 

 錯綜する情報の中、本庁からの応援は来ない、

孤立無援の駐在の警察官・川久保篤は

暴雪、暴風の中をどのように事件と向きあい、

警察官としての使命を果たすのか……

 

          暴雪、暴風の描写が臨場感にあふれ、

          一気に小説の世界にとらわれてしまう。

         北海道生まれの、北海道在住の作家にしか書けない小説です。

         警察官・川久保篤の孤独と責任感に共感し、

         ノンストップで読ませてしまう。

         刑事ではなく、警察官の視点で描かれるところに、

         一味違う警察小説になっている。

        駐在警官・川久保篤シリーズの二作目にあたり、

        前作は「制服警官」。

    ほかに「警官の血」

    (親子三代にわたる警官がテーマ)などもお勧めの作品。

     私の好みとしていずれの作品も少し内容が暗いところが難点です。でも、読む価値は十分にあります。

                                     (2011.12.18のブログより転載) 

 

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映画「フューリー」なぜ今戦争映画なのか

2014-12-11 23:05:07 | 映画と小説

映画「フューリー」なぜ今戦争映画なのか

キャッチコピー 1945年4月…………たった5人で、300人のドイツ軍に挑んだ男たち

        「理想は平和だが、歴史は残酷だ」

主演、ブラッド・ピット。

 映画は、第二次世界大戦末期、戦車を駆使してナチスドイツ軍に立ち向かう5人の兵士たちの過酷な戦争の一場面を描く。ハリウッド映画得意の男性路線戦争アクション映画そのものである。

 1945年4月。第二次世界大戦末期、たった一台の戦車でナチス・ドイツ軍の兵士300人と死闘を繰り広げた、アメリカ兵士5人の姿を描いた映画「フューリー」。上映時間135分は音響効果と共に、臨場感にあふれ一気に結末へと運んでくれる。

 欠員補充で18歳の新兵ノーマンが加わり、5人となったが、「フューリー」と名付けられた戦車に乗って、ドイツ前線、ナチ政権の最後の抵抗が展開される戦場に進行していく。

 主演のブラット・ピツトが存在感あふれる演技で、観客を惹きつけていく。また、異人種多民族国家のアメリカらしく、この映画でも、メキシコ系アメリカ人、敬虔なクリスチャンなど個性的なキャラクターの設定が物語の奥行きを深くしている。

 また、人を殺すこと(殺るか殺られるかの戦場では、日常の出来事なのだが)新兵ノーマンは、人を殺すことを頑なに拒否するのだが、時を経るにしたがい、「兵士」として変貌し、何の躊躇もなくドイツ兵に照準を合わせていく過程が、私には不気味に思えた。

 「極限状況に生きる人間の逞しさ」という見方もできるが、「戦争が人間を変えてしまう」という見方もできる。ベトナム戦争で多くのアメリカ兵が、精神的疾患にかかり、社会的問題になったことも記憶に新しい。   

   映画「ランボー たった一人の戦場」。主演・シルベスター・スタローンがべトナム帰還兵として描かれるが、戦場の英雄が、アメリカ社会で生きて行けず、次第に社会から孤立していく様を描いている。これなども、「戦争が人間を変えてしまう」例えとして見ることができる。

 戦車が壊れ、300人のドイツ兵が迫ってくる。この状況下でも「退却」を考えず、5人の兵士に向かってただひたすら敵に向かって戦いを命じる小隊長はまさに「ウォーダディー」(「戦争のプロフェショナル」という意味か)という異名にふさわしい。壊れて動かない戦車・「フューリー」を盾に戦いが開始され、映画は最終章を迎える。結果は見てのお楽しみ。

 全編、火薬の爆発とすざましい銃器の発射音。泥だらけの兵隊。ドイツ兵の死体をキャタビラで踏み潰していく戦車。爆裂で穴が開き、雨の中、泥濘と化した前線でブルトーザーが泥と死体を穴のなかに押し込んでいく。命乞いする捕虜となったドイツ兵の背中に打ち込まれる銃弾。炎に包まれ絶叫する兵士。道端に吊るされた戦争拒否者の死体、戦争が決して国と国だけの戦いではなく、一般人まで巻き込んでしまう愚かしい行為であることをさりげなく訴えているのだろう。戦車はそのような風景のなかを淡々と走っていく。

 血と汗と暴力にあふれた映画たが、多くの戦争アクション映画と異なり、不思議と「嫌悪感」や「違和感」がなかったのは、底流に流れている、「生きるとは」、「戦争とは」というもう一つのテーマがあるからだろう。

 タイトルでもあり、小隊長・ウォーダディー率いる戦車の名前でもある「フューリー」とは、「激しい怒り」という意味らしいが、敵兵に対する怒りなのか、過酷な戦争に対する怒りなのか。映画は意思表示していない。

 帰れるかどうかわからない戦場で、任務を全うすることに全力を尽くし、生き抜こうとする兵士たち。それが、極限状況にいる兵士たちにとって、最も正直で誠実な生き方なのでしょう。戦場でたくましく生きるとは、そういうことなんだと、映画は観客に語りかけているのだろうか。

 それにしても、なぜ今戦争映画なのか                   

                                                                                                                                (終)

       2014.12.11記

 

 

 

 

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哀歌 翔よ!!(10) 一年が過ぎたね

2014-12-09 14:56:53 | 翔の哀歌

 一年が過ぎたね

翔よ

 君が彼岸へ旅立ってから、一年の時が流れたのですね。

 あの日から、とても辛く、哀しい毎日が今も続いています。

 まるで時が止まってしまったように……。

 君のご両親や竹内の祖父母、茨城の私たちは

 片時も、君のことを忘れたことはありません。

 

 君が優しく慈しんだ、妹たちの机の上には、

君のこぼれるような笑顔の写真が飾ってあります。

妹の樹や優歩、あろ花たちがいつまでも君のことを忘れないようにと、

君が愛してやまなかった優しいご両親の、

君への思いやりを感じることができます。

 

 君が可愛がっていた義行はまだ小さくて、

君がいなくなったことを理解できないと思いますが、

もっと大きくなった時に、ご両親や妹たちから君のことを聞いて、

「ぼくには優しいお兄ちゃんがいたんだ」と、

笑顔のこぼれる写真や学友たちが持ってきてくれた写真を見ながら、

「優しいお兄ちゃん」のことを思い浮かべることでしょう。

 

 翔よ、

君の妹弟たちは元気に、君のように優しく、素直に

そして、明るく確実に成長していますよ。

ご両親や私たちには、このことが何よりも救いになります。

 

しかし、大切な君を喪った哀しみは大きく、

大きく開いた心の傷は、なかなか回復しません。

回復するには、まだまだたくさんの時間が必要です。

昨日も今日も、そして明日も……ずーっと続いていく悲しみかもしれません。

 

翔よ、

君のことは、忘れないよ

 

翔よ、

もう少し時間をください。

私たちは、きっと元気になれるから

「旅人になりたい」といった君は今、

天空を飛「翔」し、豊かな翼を広げながら、

昼も夜も、

君が生まれ育った安曇野の街を、

憧れだった北アルプスの山並みの上空を舞っているに違いない。

 

君の家の周りには、薪ストーブ用の薪が、積み重なっているよね。

君は今、その天空から君が育った家を眺めているのでしょうか。

君には見えるはずです。

あの赤々と燃え、家中をほんのりと暖かくする薪ストーブの火が。

もっと近づいてごらん。

君が焚いていた薪を、君がいなくなった今は

君のお父さんや、お母さんが焚いている。

 

君を喪った哀しみに耐えながら薪を焚くたびに、

君の在りし日の元気な姿を思い出しながら、

君のご両親は「最愛の翔」を喪った哀しみをひとつひとつ食べながら、

明日は、今日よりは少しだけ元気になりたいと、

心のなかで哀しみと戦っているのです。

 

翔よ、

だから、もう少し時間が欲しいのです。

いつの日か、君が羽ばたく天空に向かって

「おおーい、翔太郎よ、ここまで元気になれたよ」と、

物言わぬ君に語りかけられる日が来ることを誓います。

                         合 掌

                     2014128日 翔の命日の日に

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エボラ出血熱 (3) ーアメリカに侵入ー

2014-12-04 16:00:00 | 昨日の風 今日の風

エボラ出血熱(3) アメリカに侵入―

 このおぞましいウイルスは何処から来たのか。

アフリカの熱帯雨林の奥深くで密かに増殖し、動物の体内に侵入し人間社会に恐怖をまき散らす。

感染源は?感染媒体は? 再びサイエンス・ノンフィクション「ホット・ゾーン」の記述を見てみよう。

 アフリカの熱帯雨林のなかからウイルスに感染した患者の悲惨な症状を描き、1976年のエボラと人類の出会いを経て、

舞台は最初の出会いから13年後の1989年のアメリカへ移る。

 バージニア州レストン霊長類検閲所。

熱帯各地からアメリカに輸入されてきたサルが全米各地に輸送される前に1カ月とどめ置かれる検閲所・モンキーハウスだ。

 ここで、大量のサルが死んだ。

死因究明は検閲所の獣医には荷の重すぎる仕事だった。

依頼を受け、最初に死亡したサルから抽出した血清のサンプルを分析したのは、アメリカ陸軍伝染病医学研究所実験技師だった。

電子顕微鏡に映し出されたウイルス。それは最も凶暴で致死率が50~90%にも及ぶエボラ・ザイールだった。

信じられない光景だった。

西アフリカで発生したエボラウイルスが、アメリカに侵入してきたのだ。

 いずれのサルも、それぞれの檻のなかで体を丸めていた。

鼻は血に染まり、薄く開いた眼は充血し、瞳孔も開いている。

いずれのサルも無表情で、苦痛や苦悩の色はつゆほども示していない。

顔の結合組織(筋肉)がウイルスに破壊されてしまったため、顔全体がかすかに歪んでいた。

表情をコントロールする脳の部位が破壊されたことも、奇妙な表情の一つだった。

仮面のような顔、赤い目、血まみれの鼻はサルと人間とを問わず、

エボラウイルスに感染したすべての霊長類に現れる古典的な症状である。

 ただぼんやりと虚空を眺めているものもいた。

その顔は仮面のよぅに硬直し、体中の穴から血が流れていた。

血は檻の下の金属の受け皿にも落下していた……ポタッ、ポタッ、ポタッ。

                       (「ホット・ゾーン」より抜粋)

アメリカ・バージニア州で発生した、サルの大量死が、エボラウイルスに起因するものだという、

このバイオハザード(微生物災害)に対しサル皆殺し作戦が密かに開始される。                 

                                        2014.12.04 (つづく)

 

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