雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

新型コロナウイルス(2) 余波

2020-03-30 15:34:10 | 昨日の風 今日の風

新型コロナウイルス 余波
  三月はほとんどの施設が、新型コロナウイルス感染予防対策で閉鎖に追い込まれてしまった。
  例えば、図書館、公民館、福祉センター、生涯学習センター等々すべてが閉鎖されてしまったので
  週5日程度あった講座がすべて中止か延期になってしまった。
  ボランティアで通っていた保育園も外来者は訪問禁止になってしまった。
  週一回の割りで通っていたが、突然の出入り中止である。
  こんな時であるから、仕方のないことであるが、
  10年以上も続けていた『「いっしょに読もう」の演出が、保護者及び外来者の出入を禁止します』の
  貼り紙一枚で処理されてしまったことに少しの憤りと失望を感じています。
  所詮私の行っていることは、張り紙一枚でかたずけてしまうほど軽いものだったったのかと
  経営者側の配慮の足りない言葉足らずの扱いに、残念な思いもしています。

       二件の電話があった。
  長年続けている歴史勉強会と読書会の責任者からの電話である。
  最初に3月の講座中止のお詫びと、「4月になれば……」と楽しみにしていたのだが、
  コロナウイルスの状況は一向に好転せず、
  一ヵ月閉講していたのだからそれでいいというものでもなく、
  感染と拡大を防ぐためには、
  私たち一人ひとりがそのためにしなければならないことを
  確実に守っていくことが大切ではないかと、
  3月に続いて4月も閉講する旨を丁寧に説明された。
  反対する理由もなく、こころよく承諾。

  ここのところ、体調も良くなく、せっかく余った時間は読書三昧に当てることも
  結構よい機会ではないかと、家の中にこもることにした。

     (昨日の風 今日の風№107)         (2020.3.30記)

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75年前の今日 東京下町大空襲

2020-03-10 22:09:35 | 語り継ぐ戦争の証言

 75年前の今日 東京下町大空襲

 

1945年(昭和20年)3月9日の夕刻、
マリアナの米軍基地を飛び立ったB29爆撃機は、
3月10日午前0時8分東京上空に現れました。

その数334機。

500ポンド(225㌕)の焼夷弾24個を搭載したB29爆撃機が
低空飛行で東京の街を襲いました。

 この無差別爆撃は、たった2時間で終了しました。
ご承知のように、東京の街は阿鼻叫喚
の地獄となったことを、
私たちは映画や文学
作品、絵画等で知ることができます

たった2時間ですよ。
空を覆うような334機の重爆撃機B29が、東京の下町を襲いました。
竹ヤリで敵兵を倒す訓練が何の役にも立たなかったことを、
隣組同士が協力して消火のためのバケツリレーを繰り返し
日本人としての結束を高め、
戦意高揚を計る消火活動も何の役にも立たなかったことを人々は知らされた。

逃げ場を失い、公園の空地に被災者が集まる。
焼け焦げ息もできないほどの猛火につつまれ、
多くの人が川へ向かって避難した。
避難路は逃げる人々で溢れ、その背中に猛火が襲いかかり、
業火につつまれ、あらゆるものを焼き尽くし、
火の通り道になった。
公園も川も空地も行き場を失った獣のように猛進する炎で充満し、
多くの人々が焼死した。
 
 3月10日の東京大空襲の被害が具体的にどのくらいのものだったのか
数字で示してみましょう。
 
一つでも多くの焼夷弾を積み込むために

4基の機関銃をすべて取り外してあったそうです。
その上、空中衝突を避けるために、
編隊を組まずに高度8500㍍以下の低空飛行で東京上空に現れたといわれています。
空襲の犠牲者は、
死者83,793名
負傷者40,918名
傷者合計124,711名
戦災家屋268,000戸。
   小さな地方の市が一つ消えてなくなってもまだ足りないぐらいの大きな被害です。
   3月10日は陸軍記念日で、334機のB29はまさにこの日を狙い、首都東京を襲ったのです。
   この時落とされた「焼夷弾」は、
 
 親爆弾に子爆弾19発が2段に、計38発が組込まれ、空中で分解して落下する。
    1機のB―29が1520発の子爆弾を投下した。爆発の威力は少ないが、燃焼力があり、水では消化できない。

   この時使用された爆弾は「M69焼夷弾」といわれる爆弾で、
  紙と木で出来た日本の家屋を効率よく燃焼させるにはどんな爆弾が良いのか。
  こうして「消えない火災」を引き起こすように兵器研究者が作りあげたのが「M69焼夷弾」でした。
  B29爆撃機から投下されたM69焼夷弾は上空約700㍍で分解し、屋根を突き破り中に落下する。
  爆弾一つひとつの爆発力は小さいが、散らばった無数の子爆弾が室内で爆発する。
  きわめて高温で燃えるゼリー状のガソリンを入れた爆弾の炸裂です。
  火の付いた油脂が壁や床にへばりついて燃え、水をかけても消えにくかったといいます。

  投下にあたっては、単に首都東京というだけでなく、
  住宅密集地や商業地などなるべくたくさんの被害を与えるような場所で、
  庶民に最も多くの壊滅的な被害を与えられるような場所が選ばれたようです。
  しかも、爆弾の数が少なければ消火され、被害の拡大が望めなくなるから、
  B29 334機の大編隊の攻撃が必要だったのです。

  つまり、無差別爆弾攻撃は目標を灰燼に帰し、
  壊滅的な打撃を与えるための練り尽くされた作戦だったのです。
  戦勝国としての傲慢さが今でも拭うことができない最近のアメリカです。 

  制空権を喪った国の当然と言えば当然の結果だったのではないでしょうか。
  冷静に戦局を判断する理性を欠いた軍部の考えは、
  「本土決戦」。本気で考えていたのでしょうか。。


 無差別に投下された焼夷弾はあまりにも非人道的ということで、
   1983年、「特定通常兵器使用禁止制限条約」により使用禁止されました。

   こんな爆弾を作り非戦闘員を無差別に攻撃し、
   核爆弾を広島、長崎に落とした非人道的行為について、
   その責任有無について、何ら問われていないのは、
   戦勝国とは言えおかしな話です。

 東京下町大空襲を体験した庶民の声の聞き書き掲載します。
   …熱くて川に大勢の人が飛び込んで死にました。炎がものすごく、水面をはうようにきたので、ほとんどの人は炎
   にあぶられて死んだそうです。消防車はひっくり返って焼けていたり、馬がところどころに死んでいたそうで
   す。(父や祖父母の話)

   …ほとんどの川には、死んだ人が重なるように浮かんでいたそうです。(名前の分からない)人は大きな穴をほって
   みんないっしょにうめられたそうです。…(お母さんは)戦争とは幸福をうばうもの、戦争とはしてはならない、
   やってはいけないものといっていました。(お母さんの話)

   爆げきのしかたは、さいしょにまわりから爆げきし、それから、なかをじゅうたん爆げきした。…そのために、人
   びとはにげ場をうしない、十万人ぐらいの人がなくなった。(父の話)

            …「もうすぎてしまったことはしょうがない」と、一言いってしまえばそれまでだ。でもそれでは「どろ人形」
   (焼死体)になった人たちはどうなるか。戦争はおたがいの国が、自分の方だけをよくすることばかり考え、相手の
   ことなど考えないから起こるのだと思う。(父から聞いた話に小学生の少女が考えた)

   …戦争なんてなんていやなことです。人と人とがいがみあい、ころしあう。…同じ地球の人間なんだから、みんな
   で手をつなぎあっていかなくてはなりません。
   世界を一つにする日も、もうすぐ、そこにきているのかもしれません。(小学男子)
                     掲載した手記は「新版 町は火の海 父・母から聞いた戦争体験記」
                     あゆみ出版 1985年3月刊 編者・東京都教職員組合江東支部による
                     ものです。

           あれから75年が過ぎました。
   私たちは、「世界を一つにする日」を作ることができたでしようか。
   「否」と即答できるほどに現実世界は、
   一発触発の危険と不安に満ちた世界であることに私は忸怩(じくじ)たる思いに己の
   無力さを嘆かざるを得ない。

   今日は、大切な一日です。
   忘れてはならない、「東京下町大空襲」を、新型コロナウイルスに陰にかくれ
   メディアにも関心の薄い75年前の悲しいできごとですが、そう遠くない時間の
   中で先人が体験したことを決して忘れてはいけないと思うのです。

            文中色字でしめしたものは、拙ブログ2018.8.22付、
            「墜ちたB29米兵を助けた日本人 」① 東京大空襲の夜 冒頭から引用

   (語り継ぐ戦争の証言№24)     (2020.3.10記)

   
 


 

 

 

 

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新型コロナウイルス すでにこの国が、そして世界が病んでおり、

2020-03-08 18:17:08 | 昨日の風 今日の風

新型コロナウイルス
    すでにこの国が、そして世界が病んでおり、

   急激に崩壊へと向かいつつあることを肌で感じている……。

   知っている。感じている。

   それでいて、それを知らないふりをして日々を送っている。

         …… …… …… ……  


     明日のことは考えない。

   考えるのが耐えられないからだ。

   いま現に進行しつつある事態を、直視するのが不快だからである。

   明日を想像するのが恐ろしく、不安だからである。

   しかし、私たちはいつまでも目を閉じているわけにはいかない。

   事実は事実として受け止めるしかない
     
                       五木寛之著 下山の思想
                        
                     
ブックデーター
: 幻冬舎 2012.1 第五刷
                     読書案内「下山の思想」過去ブログ2019.04.20で紹介。
                     その時の引用文を再掲しました。

  私たちの社会は隣人同士が互いに気遣いながら、「社会」という共同体を構成している。
 しかし、多種多様の考え方を持った人間が自由競争の歯車を回転させれば、それぞれが持つ
 歯車の大きさや重さや性能によって成果が異なってくるのは必然のことだ。
 生きていく過程で様々な格差が生まれてくるのも仕方のないことなのかもしれない。

  住みよい社会の実現は、誰もが望む普遍的希望なのでしょう。
 経済格差、教育格差、労働格差等々富める者と貧しき者の格差をできるだけなくそうと
 政治は模索し与野党は議論を尽くす。
 だが、ひとたび社会の均衡が崩れてしまうと、私たちの社会は、
 脆く、脆弱な部分をさらけ出してしまう。
 「誰もが望む普遍的希望」が内包する「隣人同士の気遣い」という
 最低限の規範(モラル)
の均衡が崩れ、
 「自分さえ良ければ」というエゴ(我欲)が出て来るからだろう。
 質の悪いエゴは、根底にある「自分さえ良ければ」という
行為に気づかずに、
 平然と行ってしまうことだ。
 
 
あの東日本災害の被災地においてさえ、無人の家に押し入り、
窃盗を働く輩がいたことを私たちは覚えている。
規律正しく、自制心を失わないと言われている日本人にして、この始末である。
これ幸いと、暴動に発展し、器物破損で混乱に拍車をかけてしまい、
挙句の果ては店内の商品を窃盗するようなことは現代のわが国では発生しない。
 

(ウイルス粒子表面が太陽の光冠(コロナ)に似ているところからこの名が付けられたと言います)
新型コロナウイルス騒動に関するもう少し身近な例を挙げれば、
マスクやトイレットペーパの買い占め、そして転売。
オークションでは、法外な値段で取引が成立している。
ある種の人々にとってこれらの製品は、どうしても手に入れたい必需品なのでしょう。
「おカネさえ出せば、手に入れられる」と単純に考えるから、
「私さえ良ければ…」という考えが根底にあるから、
自分のために、家族のために無理をしても、
或いはスーパーのレジに何度も並んで購入するから、
品不足に拍車がかかる。
こうなると、メイカーや販売店が、
「在庫は有りますから、大丈夫です」と説明しても、
我勝ちに、という群集心理に負けてしまう。
悪循環が始まり、社会不安に拍車がかかり、
最低限の規範の均衡が崩れて行ってしまう。
デマが流れる。
振り回される人々がいる。

私たちは、関東大震災による社会不安の中で起きた、特定の外国人を殺傷してしまった
悲しい事件を忘れてはならない。
 大正12年(1923年)、わずか97年前の出来事である。
関東地方を襲った地震により、壊滅的な打撃を受けた社会は、
人心を不安に陥れ、社会秩序は乱れ、それを煽るようにデマが飛び交った。
厳戒令が布かれ、内務省は各地の警察署に、治安維持に最善を尽くすことを指示した。
内務省下達には次のような一文があったという。
「混乱に乗じた○○人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」。
この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、
特定の外国人殺傷事件へと発展していくのであった。

 「○○人が井戸に毒を入れ、日本人毒殺を計っている」。
 デマに踊らされた民衆は自警団を組織し、○○人と思しき外国人を捉え、
 多くの犠牲者を出した事件である。

 教訓として残る戒めは、情報を鵜呑みにしない。
 デマに踊らされない。

 だが、社会的不安が起こるたびに、デマや買占めなどが起こり、
 或いは、何処に「船から降りた人」がいるから、近寄るななどという
 差別ともとれるような噂が流れている。
 
 平和で秩序の保たれたように見える社会がいかに脆いものかを、
 しかも、社会的変動は往々にして弱者に対して風当たりが強いことを
 私たちは自覚しなければならない。

 昨年12月29日。
 中国・武漢市海鮮卸売場で広がった原因不明の肺炎患者7人が悪夢の始まりだった。
 「最初はそれほど特殊なケースとは思わなかった」(張院長)。
 だが、一般的な肺炎とは異なり患者がたんを伴わない空ぜきが多く見受けられ、
 従来の肺炎では重篤患者にみられる呼吸困難が多く見られたという。

 患者は増え続け、「これはただ事ではない」と「我々は嵐のど真ん中にいる」。
 自覚した時にには、時すでに遅し。
 
医療物資の不足。医師不足。医療機関不足。
1月23日。武漢封鎖外部との交通遮断。
情報隠蔽、改ざんがパンデミックを導き、
いかに脆い社会であるかを露呈した新型コロナウイルスである。

 交通網が発達し、情報が飛び交う社会への警鐘と捉えたい。
 その上で、事実は事実として、一人一人が受け止め、
 世界の危機に対処しなければならないと思う。
           
       (昨日の風 今日の風№106) (2020.3.8記)


 








 




 








 

 

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