雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

告知について ③ターミナルケア

2023-11-21 06:30:00 | ことの葉散歩道

告知について ③ターミナルケア
 見捨てられた患者
「好きなものを何でも食べていいよ」と、
 食べられない患者に向かって無責任な言葉を主治医は投げかけ、
 さらに
「いつ外泊してもいいよ」と追い打ちをかける。
  担当医が言った言葉を私は兄から聞いた。
  食事がのどを通らないことも、外泊できるような症状ではないことも、
  担当医は十分に承知しているはずだ。
  気休めや見せかけだけの優しさで患者に接するべきではないと私は思う。
  そうした担当医の言葉に、
  「もう治らないから、好きなことをしていいよ」ということかと兄は私に言う。

 「がんの告知はしない」、「延命治療はしない」と、最初のインフォームドコンセントの時に同意書に書き、ターミナルケアをお願いした。
だが、あまりにもおそまっなケアだった。
 患者の意向や家族の意向も考慮されない、
心の通わない義務的な医療行為が展開されるだけだった。
「無理な延命治療を行わずに人間らしく最期を迎えることを支えるための医療ケア」がターミナルケアの基本である。
 栄養剤の投与や痛みの緩和を目的としたモルヒネの投与など、
最低限の施術は行われたものの、担当医の不適切な言葉かけなどがあり、
精神的なケアについては、専門職も配備されておらず皆無に近い状態だった。
というよりも、一般の総合病院の外科病棟ではターミナルケアは無理なのかもしれない。

 ステージ4の末期患者には、緩和ケアを主体とした、
ターミナルケアの専門病棟を併設した病院を選ぶことが肝要かと思う。

 生きることへの執念を強く持ち、努力を続けたが、末期癌は進行し、
やがて兄はベットから降りることもできなくなった。
細くなった手足、一回りも二回りも小さくなった体。
眼孔は落ちくぼみ、顔色もよくない。
誰の眼にも命の終焉が近いことを予測できるような状態だ。

 呼吸が荒くなり、家族の話しかけに応えられるような状況は過ぎている。
ナースセンターへのコールボタンを押す。
この時すでに心電図モニターは、不規則に小さな波型が移されていた。
駆け付けた看護婦は、モニターを見て「静かに見守ってください」と言うのみで、
担当医は来ない。
今まさに命の灯が消えようとするときに、担当医の姿もなく、
私たちはただ命の日の消えていくのをなす術もなく見守らざるを得ないくやしさ。
モニターが反応しなくなって、再びナースコルで呼ばれた看護婦は、
心肺停止しても、しばらくは心臓は動いていますから、と事務的な対応を崩さない。

 臨終の場に、医師も立ち会わず、医師が病室に現れたのは、
完全にもにたーが反応しなくなってかだった。
延命治療を望まないということはこういうことなのかと、
死んでいくものにとって、残された家族にとって余りにも冷たい対応だった。
 20数年前は、告知するかしないかは重大な問題だった。
「がん」は不治の病であり、告知を受けることによって、
生きる希望をなくしてしまう人も少なくはなかった。
 「同意書」は時として、患者側と医師側にトラブルがあった時の医師の
切り札として利用される手段でもあった。
インフォームドコンセントの趣旨は、
患者と医師が対等な関係でインフォームド(説明)を受け、
患者がそれをコンセント(同意)するという、医療の分野から起きた啓蒙運動だったが、
患者が自分の決意を固めるために、セカンド・オピニオンを受けたいという意思表示をすると、
私の言うことが信じられないのかと、機嫌を損ねる医者が多くいた。

 告知について、ある医師の言葉を紹介する。
  辛い事実を伝えるのは、その人がその人らしく生きるため。病気に負けないで少しでも幸せになってもらいたいから。「告知」なんて冷たい響きのある言葉は、そろそろ死語にしたい。「病気の説明」で充分だ。ショックなく、少しでも希望を持ってもらえるように、できれば、隠し事のないように伝えたい。辛いことを伝えるときには、いつでも、どんな時でも、あなたの命に寄り添いますよという思いを込めていたい。

 長い時間待たされて、三分間の診療で終わってしまう、
あるいは、機械漬けの延命治療が実施される現在の医療体制では、
「医は仁術」と言われる言葉の、医療従事者の情(仁)の部分がかすんでしまい、
最先端の医療技術を駆使くする術の部分が肥大化していく。
これは患者にとって決して喜ばしいことではないと思う。

 20数年前に、インフォームドコンセントや告知の問題がもう少し理解されていれば、
兄は「末期癌」と闘うような生きることへの空しい努力などせずに、
人生の「来し方行く末」を考えながら、
心穏やかに自分の人生を閉じることができたのではないかと思う。
                              (終)

(ことの葉散歩道№51)    (2023.11.20記)
  

 

 

 

 


 


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告知について ② 生きるための努力

2023-11-13 06:30:00 | ことの葉散歩道

告知について   ② 生きるための努力
     この家族は、「告知すること」から逃げている。
「生きる希望をなくし、命を縮めててしまう」ような状況が訪れたとき
自分たちに負わされる負担とストレスを恐れている。
私はそう思った。

 告知をしないまま、「食道に腫瘍ができているから、それを取り除くための治療」を始める。
腫瘍のできた場所は手術できない場所なので、
放射線照射により腫瘍を取り除く施術という偽りの説明に兄は納得し、
闘病生活に入った。

癌はリンパ節から全身に広がり、もう手の施しようがないことを兄は知らない。

 何としても、病を克服し家に帰りたい。
放射線治療のために食事は喉が通らず、
と云うよりも食道にできた癌が食べ物の通過を難しくしている。
廊下の手すりを伝いながら、やっとの思いで食堂に辿りつき、
ほんのわずかな食事の量を嚥下することができず、
流動食に近いものを2時間もかけてやっと食することができる。
    
 食事は咀嚼(そしゃく)や、嚥下能力を低下させないための便宜的なものに違いない。
いつも点滴の装置をぶら下げているそれには、
栄養剤や痛みを抑えるモルヒネが処方されているのを兄は知らない。
 
当然のことながら、配膳から2時間も経過した食堂には誰もいない。
付け放しになっている食堂のテレビに背を向けて座る
もともとやせ型で、更に肉が落ちてしまった兄の姿はとても痛々しい。

 
 掌で握りつぶすことができる程度の量の流動食に近いような食事も
完食できずに器に残された食事は、
色あせ、冷えてトロミをつけた輝きさえなく、
下膳されれば残飯のバケツの中に捨てられる運命を待つ悲しい存在だ。


 
生への強い欲求がありありとうかがえる兄の入院生活で、
見ている私が辛くなるような、闘病生活だった。

 
「好きなものを何でも食べていいよ」と、
食べられない患者に向かって無責任な言葉を主治医は投げかけ、
さらに
「いつ外泊してもいいよ」と追い打ちをかける。
                          (つづく)
 (ことの葉散歩№50)           (2023.11.12記)

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告知について… ① 余命宣告

2023-11-07 06:30:00 | ことの葉散歩道

告知について… 余命宣告

 辛い事実(告知)を伝えるのは、その人がその人らしく生きるため。
病気に負けないで少しでも幸せになってもらいたいから。
「告知」なんて冷たい響きのある言葉は、そろそろ死語にしたい。
「病気の説明」で充分だ。
ショックなく、少しでも希望を持ってもらえるように、
できれば、隠し事のないように伝えたい。

辛いことを伝えるときは、
いつでも、
どんなときでも、
あなたの命に寄りそいますよという思いをこめていたい。

                    ※ それでも やっぱり がんばらない 鎌田 實著より 
                               集英社文庫 2008.6 第2刷刊 P45
 20年以上も前の話になる。
まだ、現役で務めているとき、18歳離れている兄を癌でなくした。
通勤の道筋にあった病院に、勤めが終わるとほとんど毎日、兄の病室を訪ねた。
兄は若い時から胃腸が弱く、胃の三分の二を摘出した。
その兄が、体調を崩し二年近くを経過した。
兄には妻と未婚の一人娘がいたが、
家族のすゝめも聞かず、医者の診断を受けなかった。
かなり症状が悪化したと思われる時期、小さな町医者にかかり、
私が予想した通り、町医者の診断は、「異常が認められない」という診断だった。
その診断に安心したかのように、「そのうちよくなるよ」という兄の行状に、
「異常が認められない」ということが、健康であるという証拠にはならない、
と私の知り合いの医者を紹介した。
結果は大きな病院への紹介と、診察予約を翌日に取り付けていただいた。

 翌日の診察で即検査入院の措置が取られた。
食道癌の診断が下され、しかもリンパ節への移転もあり、
ステージ4(末期癌)の診断が下された。

 私は兄嫁から、「本人への告知」をどうするか相談を受けた。
当然のことながら、私は、告知すべきだと主張したが、兄の家族は反対した。
理由は「癌だと知らされたら、主人は生きる希望をなくし、命を縮めてしまうから」
というものだった。
 しかし、癌告知をしなければ、今後の治療方法にも支障をきたし、思うような治療もできない。
これが、担当医の見解であった。
それでも、「癌告知はしないで欲しい」という兄の家族の意向に
私は反対することはできなかった。

  一方で、告知をした結果、自暴自棄になり、あるいは意気消沈して、
「生きる希望をなくし、命を縮めててしまう」ような状況が訪れたとしても、
その時こそ、家族二人が余命いくばくもない人を、夫として、父として生を全うできるように、
力を尽くして支えることができるのが家族ではないか。

ケアカンファレンスの時も、
担当医は、「告知するかしないか」の、二者択一を迫り、
担当医としての見解やアドバイスをせず、
患者を除いた私たち三人に「イエスかノー」の回答を迫るのみだった。
私たちに結論を急がせたあげく、「延命治療」はどうするのかと
患者がまだ元気でいるうちに、私たちに最後の決断まで要求してくる。

 告知の是非を迫られ、その結論が下せない段階で、
「延命治療」をどうするのかという担当医の結論を要求する性急さに、
私は担当医の医師としての姿勢に疑問を抱いた。
 どんなに医療技術に優れていても、
人間的な温かみの感じられない医師は医師として、
「患者に寄り添う」という最も大切な姿勢に欠けているのではないかと私は思う。
医療に携わる者と患者の関係は、どんな場合でも対等でなければならない。

 余命宣告をしなければならないステージ4の末期がん患者の家族に、
「告知」の問題を何の説明もないまま、
丸投げしてしまうような医師に命を託さなければならない患者や、
その家族の不安は大きな負担となってのしかかる。
                                  (つづく)

(ことの葉散歩道№49)            (2023.11.06記)





 

 



 

 

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