雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

季節の物売り 江戸情緒 ④ 新しい年

2021-12-26 06:30:00 | 季節の香り

季節の物売り 江戸情緒 ④ 新しい年
  子供の頃の年末から新年にかけての風物詩は、凧あげや羽根突きでした。
  稲刈りの終わった田んぼなどが凧あげの場所でした。
  主流は奴だこや長方形の武者絵だこでした。
  
というよりも、これ以外の凧はなかったように思います。
  買ってきた凧に凧の足はついていないので、新聞紙を切って糊付けします。
  上空に高く舞いあがれば、風が強いのでしょうか、凧の尻尾(足ではなく、尻尾といってました)
  がちぎれ、凧はバランスを崩し、グルグル回って落下ししてしまいます。
  昭和20年代の凧の値段は、10円ぐらいと記憶しています。
  ちなみに、江戸の凧は16文でした。側いっぱいの値段16文が凧の値段でした。
  現代の凧は500~800円ぐらいしているようです。
  今では、装飾用の飾り凧が4~5000円ぐらいで売ってるようです。
  

 でした。

(凧の卸売り)                     (絵馬売り)

凧は11月半ばごろから売り出され、12月下旬から正月の20日ごろまでがよく売れたと言います。
 図の『凧の卸売り』は、生産者が、大きな渋紙張りの籠を天秤でかっぎ、

 寒風が吹くようになる頃に
 江戸の町の往来を問屋に納めに行く「振り売り」の姿がよく見られたようです。

 幕末頃には凧の問屋は七店あり、凧の種類も豊富にあったようです。
  極彩色の武者絵凧は寛政(1789年)頃には売り出されたようですが、
  高価だったために文化(1804年)ごろには、安価な凧が16文ぐらいで売られたようです。
  屋台の蕎麦一杯の値段でした。 

 

   (桜草売り)                      (武者絵だこ) 
元朝詣りに神社に行けば、おみくじで吉凶を占ったり、
縁起物のお札や破魔矢を購入する人が多くいます。
絵馬もその一つですが、
現代では絵馬に「合格祈願」、「家内安全」、「無病息災」等の願いごとを書いて奉納します。
元々、絵馬は、「神仏へ馬を献ずる」という意味があった。額に馬を書いて奉納し、
「代わりに神仏に願いごとをお願いする」というのが本来の意味のようです。
おおきな絵馬では、一件以上もある絵馬が奉納される場合があります。
これを「額絵馬」といい、拝殿の長押(なげし)には、
埃をかぶり、色あせた額絵馬を見ることができます。
たいていは、事業に成功した人等大願成就した人が奉納します。
また、権勢を誇示する手段とも考えられます。
 
江戸時代には、絵馬を専門に扱う「絵馬屋」が何軒もあったというから、
絵馬文化は、現代よりもはるかに大切な年中行事の一つだったのでしょう。
「振り売り」のほとんどは、絵馬屋おかかえの売り子で、
売り声は、「ゑまや、がくや
がくや」でした。

春になれば、
「エー桜草や桜草」と桜草売りが往来を歩きます。
「土焼きの小鉢に植え付けて、ふさふさと薄紅ゐの花なりしも、姿やさしく士女のめずるより買うこと多し」(江戸内府絵本風俗往来)とあるように、早春の人気商品でよく売れたようです。

 4回に渡り、江戸情緒豊かな「振り売り」を紹介しながら、
 少年時代の懐かしい想い出を書いてみました。
 まだまだたくさんの物売りがあります。
 今後は、風物詩として折に触れて紹介したいと思います。

(季節の香り№36)     (2012.12.25記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



  

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季節の物売り 江戸情緒 ③ 夜泣きそば

2021-12-19 06:30:00 | 季節の香り

季節の物売り 江戸情緒 ③ 夜泣きそば

  チャルメラの音が暗い夜の町を流れてくる。
  もうそろそろ子どもたちが床に入る時間だ。
  なんとも物悲しい音色が、記憶のヒダに刻まれ、
  今では全く聞かれなくなったチャルメラの音を懐かしく思う。

  20年近く前、熱海温泉に泊まった夜、宴会のどんちゃん騒ぎが終り
  それぞれの部屋に引き上げたころ、
  あのなつかしいチャルメラの音が聞こえた。
  私は飛び起き、海岸通りのただ一軒の屋台に飛び込んだ。
  懐かしい音と昔風の鶏がらスープの中華そばを、
  潮騒の音を聞きながら、フウフウ言いながら疲れた胃袋に流し込んだ。
  小さな焼きのり一枚と、薄く切ったナルト、シナチク、輪切りにしたゆで卵。
  シンプルな具とさっぱりしたスープが絶品だった。

  夜泣きそば 夜鷹そば
   
   
            (図1)                   (図2)
   江戸初期には、煮売り屋という商売があったようです。
   火を使って煮た食べ物を売る商売です。
   商売には店構えによって格があり、「店売り」といって店を構えて商売をする店、
   縁日など人の集まる場所に出かける「辻売り」で、
   現在では香具師がとりしきる「屋台」という形態で残っています。
   てんびん棒の両端に商品をのせ、街々を流して売り歩く、「振り売り」などがありました。
   「振り売り」はやがて、「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれるようになりました。
   文献によると、「振り売り」という商売の形態は、室町時代ごろからあったようですが
   本格的になったのは江戸時代になってからです。
   
    江戸に幕府を築いた徳川氏は、政権安定を計るために、親藩、譜代、外様を問わず参勤交代
   という制度のもと藩主とその妻を江戸に住まわせました。
   藩主の務めを支えるために、たくさんの家臣たちも江戸住まいを余儀なくされ、
   上屋敷、中屋敷、下屋敷に分散された広大な敷地の中に、
   藩主をはじめ江戸詰めと言われる家臣たちも、
   国もとから召集されますから江戸の人口は一気に増加します。
   こうして、大江戸八百八町といわれる都市が、形成されていきます。
   建築に携わるたくさんの職人たちも国もとから招かれます。
   インフラ整備もしなければなりません。
    しかし、何よりも必要なのは食糧であり、生活必需品でした。
         幕府が開かれ、人為的に多くの非生産階級の武士たちが増えてきました。
   たくさんの職人が流入し、商人たちも江戸の都に集まってきました。
   年季奉公もなければ、商売の開店資金もほんのわずかで済む「振り売り」は、
   日銭を稼ぐには格好の商売だったと思われます。
   特に、食糧に関する「振り売り」が、その走りと思います。
     
  (図3)                               (図4)        (図5)         (図6)

 こうした訳で、江戸時代以前から続いていた「振り売り」文化が、
 江戸時代に一気に花開いたのです。(図1、2)
 (この絵にはどちらにも犬が描かれています。おそらく、そばの匂いに
  腹をすかした犬たちが、おこぼれを求めてやって来たのではないでしょうか)
 しかし、二度この「振り売り」、特に火を使う「ソバ屋」などが
 禁止された時がありました。
 1661(寛文元)年には、御触書によると「夜泣きそば」や「夜鷹そば」類の商いが禁止されました。
  「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるほど、火事は頻繁に起こったようです。
  1657(明暦3)年の火事は江戸三代火事の一つで、「振袖火事」とも言われ、
  この時の死者は3万か
ら10万人の死者が出たようです。
  この時の火事で江戸城の天守閣が焼け落ち、以後天守閣は再建されなかった。
  この大火事の教訓を踏まえて、
  火を使用し夜に営業する「夜泣きそば」等の営業が禁止されました。
  火事の多い密集地帯の多く存在する江戸で禁止されたのも当然のことと思います。
 1686(貞享3)年の御触書では、火を持ち歩く一切の「振り売り」が禁止されています。
  1682(天和2)年の12月に起こった「八百屋お七の火事」は、
  800から3000人の犠牲者が出たと言われています。
  この火事の教訓としての御触書だったのでしょう。

 明治になると、車輪付きの効率の良い「引き売り」がでてきました。
 経済の発展と物流形態の発達は、徐々に江戸情緒の残る「振り売り」文化を
 駆逐し、昭和に入ると一部の「商い」を除いて、ほとんど姿を消していきます。
 一部残った「納豆売り」や「豆腐売り」も昭和20年代には姿を消していきます。

 暗くて、寒く、人通りの絶えた夜道での、「夜泣きそば」や「おでん屋」は、
 江戸庶民のささやかな楽しみの一つだったのでしょう。

 「時そば」の落語も、振り売りの売り声も遠い遠い昔のできごとになり、
 今はただ郷愁の中の思い出話になってしまったことがちょっと寂しい気がします。
     (季節の香り№35)       (2021.12.18記)
 


   

 

 

 

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季節の物売り 江戸情緒 ② お飾り売り

2021-12-13 06:30:00 | 季節の香り

季節の物売り 江戸情緒 ② お飾り売り

季節の物売り

「きんぎょぇ~きんぎょッ」金魚屋さんがくると、一斉に物売りの声に魅かれて外に飛び出す。
夏が来たことを教えてくれる金魚売の声だ。往来に面しているけれど、私の家は道路から少し引っ込んだところに立っており、間口も広かったので金魚売りはいつも私のうちの前に店を広げた。
 巾着のかたちをした金魚鉢は、縁を水色に染めてありその中で、数匹の金魚が泳いでいた。涼し気な鉢の中で泳ぐ金魚の器がほしかったが、兄弟5人の母子家庭で育つ私は、とうとうそのことを母に言えなかった思い出がある。風鈴売りは、色鮮やかな江戸風鈴をたくさん吊るして、賑やかにやってくる。売り声がなくても、風に乗って聞こえてくる音色ですぐにそれが来たことが分かる。チリンチリンと澄んだ音を流す、南部鉄でできた風鈴は値が張ったのだろうあまり売ってなかった記憶がある。飴細工屋も私の家の軒先を商いの場所とした。冬はこんにゃくの味噌おでん売りを懐かしく思い出す。リンゴ箱に炭火を起こした七輪を載せ、その脇にカメに入った甘く煮詰めたみそだれが入っていた。売り声はなく、そのみそだれの臭いで人が集まって来る。私たち悪ガキはこのおでん屋を「墓場おでん」と陰口をたたいた。味噌の入ったカメは、墓場の骨壺を利用していると誰かが云いはじめたのが由来である。豆腐売り、納豆売り、パン売りなど、子どもたちが眼を輝かすような物売りが来た。
 時代と共に、物売りの姿は消え、私の実家も亡くなり、私も歳をとった。
 江戸時代、日常生活に必要なほとんどすべてのものが、「ぼて振り」と言われたてんびん棒の両端に売り物を載せて歩く姿は、庶民の生活に密着していた。そんな物売りを紹介します。

お飾り売り
  師走になると何となくせわしくなるのは、今も江戸の昔も同じようです。
  大掃除をしたり、年賀状を書いたりしているうちに、大みそかを迎えることになります。
  百八つの煩悩を打払うように、江戸の町のお寺さんの除夜の鐘が響いてきます。
  一夜明ければ、正月の初詣りが季節の行事だったように思います。

  こうした行事も、
  都会のマンション暮らしや、
  自然から隔絶された都会の雑踏の中に行き交う人々にとっては、
  縁の薄いものになってしまっているようです。
  餅つきの風景は田舎でも見られなくなったし、
  年越しそばの風習も少しづつ姿を消しているようです。
  豪華なおせち料理が幅を利かしているようですが、
  これとて、若い人の家庭では縁の薄いものになっているようです。
  おせち料理そのものを今の若い人は好まないようです。

  年末に紅白歌合戦を見て、正月にはバラエティー番組を見るような
  なんとも情緒のない年末年始の風景です。
  私は、紅白よりも、その後の「ゆく年くる年」を
  各地の名刹の鐘の音を聞きながら、
  カウントダウンを迎えることを毎年の習いとしています。

  この時期の江戸では、お飾り売りや、飾り松売りなどが行きかい、
  年の瀬を賑やかにしていたようです。
    

  『お飾り売り』
  いなせなお兄さんのお飾り売りは人気があったようです。
  お飾り売りは、鳶職や仕事師(火事師・火消)等の一種の際物師(きわものし)たちの
  臨時の商いだったようです。毎年小屋掛けをする場所も決まっていて、
  いろいろと窮屈な仁義があったようです。
  (現在でも、屋台や出店は香具師(やし)が権利と責任を持っていて
  厳しい約束ごとがあるようです)。
  的屋(テキヤ)ともいい、やくざの親分などが仕切っているようです。
  門松や貸観葉植物などこの手の人たちが関わっている場合も多く、
  一昔前までは、頼みもしないのに商品を置いていき、
  有無を言わせず集金をしていたこともありました。

  粋でいなせなお兄さんが啖呵をきって忙しく立ち働く姿に人気があったのでしよう。
         紋々の半纏 飾り物を売り (柳多留) 
  12月25日ごろより辻々、河岸、空地などに松竹を並べ、
  または仮屋を建てしめ飾りの具、歯朶(しだ)、ゆずり葉、海老、かち栗などを商い、
  大みそかには夜通し市を立てたようです。(東都歳時記)
 
  
  江戸市中町ごとに消防の鳶のもの、辻々へ小屋をしつらえ、
  しめ飾りを商うこと二十日以後より大みそか夜半までにて、
  元朝には小屋の跡も止めずよく掃除も行きとどけり。(江戸府内絵本風俗往来)

  『飾り松売り』
  12月になると、門松の松だけを売る市が立ちました。
  また、近在の農民が松を担いで売りにも来ました。
  売り声は、「まつや まつや まつや 飾り松や 飾り松や」
  師走の江戸の町を飾り松を売り歩く声が聞こえると、
  年の瀬もいよいよ終わり近くになります。
  この松は、下総(千葉県北総地域)、常陸(茨城県南東部)などが生産地になっていたようで、
  現在でもこの地方では、飾り松用の生産農家が多くあります。

  現在では、こうした縁起物は門前や街の通りを借り受けたテキヤ(的屋)が
  仕切っています。江戸の物売りの姿は、商業や物流の発展に伴い、
  庶民の生活習慣の変遷の中で姿を消してしまいました。

      (季節の香り№34)     (2021.12.12記) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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季節の物売り 江戸情緒 ①

2021-12-09 06:30:00 | 季節の香り

季節の物売り 江戸情緒 ①   福寿草売り

季節の物売り

「きんぎょぇ~きんぎょッ」金魚屋さんがくると、一斉に物売りの声に魅かれて外に飛び出す。
夏が来たことを教えてくれる金魚売の声だ。往来に面しているけれど、私の家は道路から少し引っ込んだところに立っており、間口も広かったので金魚売りはいつも私のうちの前に店を広げた。
 巾着のかたちをした金魚鉢は、縁を水色に染めてありその中で、数匹の金魚が泳いでいた。涼し気な鉢の中で泳ぐ金魚の器がほしかったが、兄弟5人の母子家庭で育つ私は、とうとうそのことを母に言えなかった思い出がある。風鈴売りは、色鮮やかな江戸風鈴をたくさん吊るして、賑やかにやってくる。売り声がなくても、風に乗って聞こえてくる音色ですぐにそれが来たことが分かる。チリンチリンと澄んだ音を流す、南部鉄でできた風鈴は値が張ったのだろうあまり売ってなかった記憶がある。飴細工屋も私の家の軒先を商いの場所とした。冬はこんにゃくの味噌おでん売りを懐かしく思い出す。リンゴ箱に炭火を起こした七輪を載せ、その脇にカメに入った甘く煮詰めたみそだれが入っていた。売り声はなく、そのみそだれの臭いで人が集まって来る。私たち悪ガキはこのおでん屋を「墓場おでん」と陰口をたたいた。味噌の入ったカメは、墓場の骨壺を利用していると誰かが云いはじめたのが由来である。豆腐売り、納豆売り、パン売りなど、子どもたちが眼を輝かすような物売りが来た。
 時代と共に、物売りの姿は消え、私の実家も亡くなり、私も歳をとった。
 江戸時代、日常生活に必要なほとんどすべてのものが、「ぼて振り」と言われたてんびん棒の両端に売り物を載せて歩く姿は、庶民の生活に密着していた。そんな物売りを紹介します。

 

 (初夏の物売りの図)

 橋の上には薬売り、旗を持つ祈祷師(?)、或いはこの人も薬売りで、同業者同士が橋の上で出会い、互いに振り返ってみているのかもしれない。
初鰹売り、橋のたもとに花屋、その手前に乾物屋、画面左端にも物売りらしき人がいるが何を商っているのか不明。橋のたもと右側の家の軒下には「吊り忍」が下がっている。これも物売りから手に入れたのだろう。そのすぐ上には、買ったばかりの菖蒲をさげている人がいる。
 季節は初夏、汗ばむような午後の時間帯だろう。笠をかぶる人。扇を頭にかざし日差しを避ける人、菖蒲をさげた人も
 手拭いで額の汗をぬぐっている。庶民達が行きかう賑やかな往来を描いている。

福寿草売り

   

「福寿草売り12月25日 春に至る迄、梅福寿草などの盆花町に商ふ」(東都歳時記) 
 福寿草は、元旦草とも言い、歳末に福寿草売りから買って、正月の床の間を飾ったという。
 左の写真は女性の売り子さんが描かれている。女性の物売りが実在したのかどうかわからないが、
 当時、飾り絵として販売された絵も多く、特に人気のあった歌舞伎役者の売り姿の絵に人気があったようだ。
 左の絵が実際の福寿草売りの風俗画ではないかと思う。
 煙草入れを帯から抜いて、てんびん棒にかけ、一服している姿が現実感があって私は好きだ。

 40年も前、母の願いでよく神社仏閣いった。
 境内に並んだ出店を見てまわるのも参拝の楽しみだった。
 当時、よく福寿草を購入した。
 一芽、30円ぐらいだったと思う。数年続いた30円の売値も50円になり、どんどん値が上がった。
 現在では350~400円、当時の価格の約10倍もしている。
 あの時購入した福寿草は毎年、庭の陽だまりで元気に花を咲かせている。
 増えた分だけ、美しいと褒めてくれた人に分けてあげるので、
 年数の割には株は一向に大きくならない。
 母との想い出に繋がる懐かしい匂いのする初春の花である。

     (季節の香り№33)      (2012.12.8記)
 
  

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坂村真民の言葉(5) 念ずれば花開く

2021-12-02 06:30:00 | 読書案内

坂村真民の言葉(5) 念ずれば花開く

坂村真民について (坂村真民記念館 プロフィールから抜粋)
  20歳から短歌に精進するが、41歳で詩に転じ、個人詩誌『詩国』を発行し続けた。
  仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞受賞。
  一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。
  そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、
  癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。
  写真の本は「一日一言」と称し、真民が生きた日々の中で浮かんだ言葉の中から365を厳選、
  編集したものです。

                 
 月に一度、月初めに「真民さんの言葉」の中から気に入ったものを載せています。
 月に一度のことですが、今月はどんな言葉を選ぼうかと、
 「1日1言」を開いてページを繰るのも楽しいひと時です。

 以前、ブログ名「曲がり角の向こうに」の「のりさん」から、
 『念ずれば花ひらく』という言葉が好きですと、コメントを戴きました。
 私は、これまで「念ずれば花ひらく」が、真民さんの言葉であることを知りませんでした。
 そんな経緯がありまして、
 今月は『念ずれば花ひらく』を取り上げることにしました。

 『一心称名』
   念ずれば花ひらく
   念ずれば花ひらくと
   唱えればいいのです
   ただ一心に唱えればいいのです

   花が咲くとか
   咲かぬとか
   そんな心配はいりません
   
   どうかあなたの花を
   あなたの心田(しんでん)
   咲かせてください
   必ず花はひらきます

  ただただ一心に心に念じて、唱えれば花はひらくのです。
  真民さんは、誰にもわかりやすく、明快に箴言を文字に託します。

  花とは、私たちの心が抱く「希望」であり、「夢」であり、
  「願い」や「望み」のことなのでしょう。
  「一心に念じれば必ず花はひらきます」と真民さんは言います。

  二節目は真民さんらしく、修行僧のように厳しい言葉です。
  一切の雑念を払って、「咲くとか」「咲かぬとか」そんなことはどうでもいいのです。
  ただひたすらに念ずることが大切なのです、と言います。
  一途な心を持つことが必要なのですと読者を諭しています。
  別の項目では次のようにも言っています。

  「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
   一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない」
                         (いきいきと生きよの中の一節)
  人生の中で今日という日は、二度と訪れないかけがいのない一日だから、
  無駄にしてはいけないということなのでしょう。
  ゴールは終わりではなく、明日へ向けての出発点だということなのでしょう。
  真民さんの言動に横たわっているものは「一期一会
」の教えなのでしょう。

  
  私たちに厳しい言葉を投げかけた真民さんですが、
  第三節では、読者へ向けてのやさしいお願いに変わっていきます。
  「どうかお願いです」。一心に称名してあなた自身の花を、
  あなたの心田に咲かせてください、と。
  花は必ず開きますからと読者を暖かく励まします。
  
  『心田』という言葉も聞きなれない言葉です。
  「あらゆる荒廃は心の荒蕪(こうぶ)から起こる」と二宮金次郎は教えを残しています。
  荒蕪とは、草が生い茂って雑草が生えほうだいで、
  土地が手入れされずに荒れていることをいいます。
  荒れ果ててすさみ潤いがなくなっていくことをいいます。
  金次郎の時代、たび重なる飢饉などで農村は疲弊し、それに伴って人心も荒れ
  働く意欲を失い離村する農民もたくさん現れました。
  農村の荒廃は、人の心の『荒蕪』へと広がって行きます。
  荒廃に伴う人の心の『荒蕪』を解決するには、
  個々の人が持っている『心田』を耕せば、
  やがてすべてのものは豊かになっていくという教えは、
  今につながる教えのように思います。

  一人一人の心田に自分自身の花をさかせよう。
  そうすれば花は必ずひらくと真民さんは考えています。

  表題の『一心称名』は、
 「一心にただひたすらに祈りなさい」と私たちを示唆しているのでしょう。

                       ブックデーター
                           「坂村真民 一日一言 人生の詩、一念の言葉」
                             致知出版社 2006(平成18)年12月刊 第一刷
     (読書案内№183)      (2021.12.01記)

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