雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「あの日、そしてこれから」 東日本大震災2011.3.11

2019-03-30 17:30:00 | 読書案内

読書案内「あの日、そしてこれから」
         東日本大震災2001.3.11
                     高橋邦典 ポフラ社 2013.11 第2刷
     
    

   
  「来年またお会いさせてください」
  2011年、こう言って震災の取材を切りあげ日本を発ったぼくは、
  2012年2月、ふたたび自身の故郷でもある宮城県にもどりました。
  残した言葉どおり、
  震災直後に取材・撮影した被災者の方がたに再開するためでした。
  女川、石巻、気仙沼、そして仙台。
  時には窓の外にちらつく雪を横目に、こたつに足をいれ、
  注がれたお茶を何ばいも飲みながら、彼らの話に耳をかたむけました。
  ……
                   高橋邦典 表紙カバー折り返しの言葉より                

  震災一年後に被災地を訪れ、一年前のあの日あの時、出会った人たちとの再会の記録
 を写真と文で構成した貴重な記録です。

  
  2019.3.11東日本大震災から8年目を迎えたこの日、
 新聞各社は忘れていたことを思い出したように、
 8年目の被災地の様子を取り上げていました。

  多くのメディアが取り上げていたのは、物理的な復興の現況報告ではなく、
 8年目を迎えても、未だに癒されることのない心の傷を取り上げたものが目立ちました。
 仮設住宅が閉鎖され、復興集合住宅で生活できるようになりましたが、
 地域の仲間たちと離れ離れになり、
 孤立していく高齢者の報道がなんとも切なく心を痛めました。

  かけがいのない人を喪い、自分だけが生き残ってしまった自責の念から
 いまだに解放されない人。
 家を失い、築きあげてきた生きてきた証を一瞬にして奪われてしまった喪失感を
 今も抱き続け、くじけそうになる自分を鼓舞している人。
 高台移転を余儀なくされ、元の場所があきらめきれない人。
 
  たくさんの哀しみと切なさを抱きながら、
 生活の再出発に向かって歩み始めている人の姿も印象的でした。

 「あの日」、そしてこれから
 この本で取り上げられた記事は、
 震災後1年を迎えた被災者の生々しい声を、ありのままに捉え
 痛んだ心を包み込むような優しさがあるように思います。
 そのいくつかを紹介します。 

 がれきの丘に雪がつもる。

 「がれきはぼくら人間の生活の『かけら』でもあった。
  それが片づけられてしまったいま、
  ぼくらがそこに住んでいた、
  という跡さえなくなってしまったようで、
  なんかさびしいですね」
    被災した一人の若者がぽつりと語った言葉を思いだした。


 「あの日」、津波警報を聞いた姉の寿恵さんと妹の雪枝さんは、高台にあるふみゑさんの家に避難してきた。しかし、姑のようすを見るために丘下にある家に戻った雪枝さんは、帰らぬ人となってしまった。それから何週間もふみゑさんは、ひょっとしたらでてくれるかも、と雪枝さんの携帯に電話をかけ続けていたという。
  「ごめんね、という気持ち。なんで引きとめなかったのかな、
  という思い、後悔は消えません」
  「もし、あの時いっしょに行ってればって、
   いつになっても後悔の堂々めぐりですよね。
   これは一生消えないと思う。
   あの世に行った時にも妹に
   『ごめんね、あの時一人で行かせてね』って言いたい気持ちだよね。
   大きな大きな穴ができたような気がするよね。
   これはうめられないよね。うまるものでもないしね」



   (名取市閖上(ゆりあげ)2012.3.11)

    丘の上から見える「元」住宅密集地はきれいさっぱり片付けられ、
      ただの平地になっていた。
    その丘の上につくられた供養塔に花をそなえ、
    祈りをささげる人たちの姿にレンズを向けながら、二時間ほど立っていた。

    三月とはいえ、
    ふきすさぶ風はまだまだ冬のものだ。
    露出したほおや耳たぶが、
    冷たさでじんじんと痛みだしてくる。


    (石巻門脇町2012.3.10)
    がれきの散乱していた土地が空地となり、避難所にあふれていた人びとの多くが仮設住宅におさまっ
   たことで、被災地は、表向き落ちついた様子を取りもどしつつあるように見えます。しかしその陰に
   は、まだまだいろいろな問題がひそんでいたのです。それは被災者のみなさんと話したことで初めてわ
   かったことでした。世間の記憶がうすれはじめているいまこそ、写真だけでは記録できない、彼らの
   (言葉)を伝えることの大切さをあらためて実感したのです。
                    
                                  「あとがき」からの抜粋        
   
       
   そして、あとがきの最後に高橋邦典氏は次のような言葉を記しています。

   この本に掲載させていただいた被災者の方がたの声は、地震の多いこの国の住人として、将来
 あなた自身の声になるかもしれません。他人事ではなく、明日はわが身に降りかかるかもしれない
 という思いをもって、その声に耳をかたむけていただければと思います。

 災害は決して他山の石や対岸の火事ではなく、この災難をしっかり受け止め、被災者の痛みを分かち合う共感の姿勢が問われているのではないかと思います。

  小学生でも難なく読めるよう、平易な文章と必要最小限度の漢字のみを使用した本書を
  ぜひ手に取って読んでいただければ幸いに思います。
   

    (2019.3.30記)      (読書案内№139)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書案内「鯖 SABA」  赤松利市著

2019-03-23 21:49:39 | 読書案内

   読書案内「鯖 SABA」赤松利市著
             徳間書房2018.7初版
 
       

社会のあぶれ者が住む孤島で何が起こるのか
    貧困と暴力の果てに……

   
  
      ……ぼくたち5人は、
  一間しかない小屋の、六畳足らずの、垢と汗の臭いが淀む
  部屋で枕を並べ、
  なすすべもなく湿った蒲団を被っている。
  窓のない小屋だった。
  石油ストーブの青い焔(ほのお)が揺れていた。
  ……小屋の外は猛烈な雪吹だった。
           
                    (冒頭の抜粋)

 

    第1回大藪春彦新人賞受賞者、捨身の初長編
    62歳、住所不定、無職。
       平成最後の大型新人。鮮烈なるデビュー! 
   圧倒的なリアリティー。新人にしてすでに熟練の味わいだ。たちまち物語にのめり込んだ。
                                        (今野敏氏)
  人の愚かさをじっくりとあぶりだす手腕に脱帽だ。遅咲きの新人、おそるべし。(馳星周氏)
   
 以上のような新聞広告のキャッチコピーと、作家の言葉に魅かれて読んでみた。
  キャッチコピーや本の装丁、タイトル等に魅かれて購入する場合も珍しくない。
  悪い癖だ。今回もこの癖が出てしまった。
    今回は、第一回大藪春彦賞受賞者 住所不定、無職という作者・赤松利市氏の経歴に魅かれた。

  大藪春彦氏は、早稲田大学在学中に「野獣死すべし」で鮮烈なデビューを飾った。
  今まで誰も書かなかったような、ハードボイルドタッチの小説はやがて主人公・伊達邦彦シリーズ
  として定着していくのだが、シリーズが進むにつれて荒唐無稽で、血と暴力の世界を描くように
  なり、鮮烈なデビュー作もマンネリズムにおちいった。

  「野獣死すべし」を中学生の時に読み、目的のためには手段も選ばず、
  殺人も平然とやってのけるヒーロー伊達邦彦の生き方に、
  共感を持って読んだことを60年も前のことなのに、
  今でも懐かしく読み返す小説の一つになっている。
  ダーティヒーロー伊達邦彦はカッコいい。
  世間知らずの少年には、このカッコ良さに憧れるところがあったのだろう。
  
  小説「鯖 SABA」は、その時のワクワクした期待感をまた再現してくれるのではないかと
  期待を持ってページを開いた。
  
   時代に取り残された漁師の一団。
  陸(おか)では生きられない彼らは、日本海に浮かぶ孤島に住み着く。
  冒頭の描写が彼らの小屋での非衛生極まりない生活の場だ。
  彼ら5人は天候が良ければ一本釣りの漁に出かけ、料亭「割烹恵」に魚を売って日銭を稼ぐ。
  六十半ばを過ぎた漁師二人は、船頭と年長者の小便臭い男。
  五十代の猟師二人は、鬱(うつ)で破滅願望のある男と怪力の持ち主で、無類の乱暴者。
  最後に残った一人は一番若く、35歳の貧相でそれ故に劣等感を持っている男・シンイチ。


  特定のヒーローもいない。
  ある種の群像劇だ。

  視野も狭く、閉鎖的な男たちの生活に女が絡んでくると話はややこしくなる。
  料亭「割烹恵」の女将。
  姐御肌だが、得体が知れない。男の影が散在する。
  時々姿を見せる元やくざの男。店の料理人・中貝がそれだ。
  この女将に色目を使っているのが船頭の大鋸権座(おおのこごんざ)だ。

  もう一人妖艶で頭の切れる実業家、中国人の女・アンジがいる。
  シンイチが密かに憧れを抱いている実業家の女だ。
  
  日銭を稼ぐ男たちに、明日につながる夢はない。
  陸に上がれば、場末の居酒屋で管をまき、憂さを晴らす日常だ。

  荒くれ者の生活にも彼らが培ってきた暗黙のルールがあり、
  辛うじて均衡を保っていたのだが、アンジが持ち込んだ漁業の事業化という企画に
  彼らの生活も大きく変わっていこうとしている。
  だがこれは彼らグループの崩壊を意味していた……

  殺人 邪魔な奴は排除 冷酷無比な殺人方法 人間の愚かさ 疑心暗鬼。
  ハードノワール(コテコテの暗黒小説)。  

  
「能力のないものは、淘汰される」
 お前も恵子も淘汰される。
 私は、自制の利かない人間と組む気はない」
 

  誰の台詞か、ネタバレになるので明かすことはできないが、
  貧困と暴力の果てに浮かび上がってくる淘汰=排除という背景が浮かび上がり
  物語は最終章を迎えるのだが、後味はよくない。
  歯切れの悪い終幕である。

  大藪春彦が描く「伊達邦彦シリーズ」は荒唐無稽だ。
  「鯖SABA」にもスカッと胸のすくハードノワールを期待したのだが残念。

    (2019.3.22)         (読書案内№138)

 
 
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映画「七つの会議」

2019-03-12 06:37:41 | 映画

映画「七つの会議」        
 
  友だちの奥さんが、
  「とてもいい映画だ。感動のあまり、2度も見てしまった」。
  そんなにいい映画なら観てみるか。
  正直、あまり期待もしていなかった。
      熾烈な出世競争とノルマ達成の重荷が
  人間を、組織を狂わしていく。
  そのことのみが強調されているようで、過去の作品の「下町ロケット」、
  「陸王」、「半沢直樹シリーズ」、

  映画も小説も、というよりは表現の世界では、
  見る人の感性が作品の良し悪しを決めてしまう。
  ある人にとって素晴らしい作品であっても、
  ある人にとっては全く心を動かされなかったということもしばしばあります。

  この映画は池井戸潤原作の同名小説を映画化されたものだ。池井戸氏の作品を
  列挙してみます。映画やドラマよりも登場人物が生き生きと描かれています。
  「下町ロケット」:
     多くの労働者が直面する難題を乗り越えていく物語は、多くの読者に活力と
     勇気を与えました。下町の経営者が四面楚歌の中で、自分の夢に向かって諦
     めずに進んで行く姿に共感を持ったのでしょう。

  「オレたちバブル入行組」:
           半沢直樹シリーズの第一作目。銀行の業務の中で理不尽な目にあい、
     上司に叩かれても立ち上がり正義を貫き通す半沢直樹の姿が多くの人を
            とりこにしたようです。
            特にドラマの中の台詞、
    「倍返しだ!!」は2013年の流行語大賞にも選ばれました。
      余談ですが、このセリフは原作では、ドラマのように多くは出てきません。
     ドラマや映画では、原作の中で描かれたある一定の事件に焦点を合わせ、
     その部分を拡大解釈してしまう傾向があり、細やかな人間関係や主人公の内
     面まで描くことができなくなるようです。
           
     「七つの会議」:

 「会社にとって必要な人間なんていません」
         「期待すれば裏切られる。その代わり、
           期待しなけりゃ裏切られることもない」
                       (万年係長・八角のセリフ)
  会社という組織の中で働くとは、どいうことなのか。
  苛烈な競争社会の中で、人も組織も疲弊しそれでも売り上げと言うノルマは
  金科玉条のように輝きつづける。ノルマを達成するための不正、捏造、改ざん、
  隠蔽。組織の中で育まれたこれらの不祥事を誰が始末し、健全な方向に舵を切
  るのか。現実の社会でも切実な問題です。

  池井戸氏の原作の映画やドラマが単純明快な観客や視聴者に受けの良い
  勧善懲悪の世界を強調するような傾向にあるのは残念です。
  原作の中では登場人物は厚みのある人間に描かれていますが、あらすじに
  あまり関係のないこういう部分はカットされてしまうのが残念です。
  是非、原作を読むことをお勧めします。
  
       (2019.3.11記)   
 (映画№18)

      
 

 






 

 

 

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「消えた小さな命」を詠う ふた親に愛という名をもらいしに……   

2019-03-07 21:15:42 | 人生を謳う



   ふた親に愛という名をもらいしに愛されなくて殺される子ら
                         
  …… (藤沢市) 藤村佐江子 朝日歌壇2019.2.24

   望まれて命は生まれ愛(ゆあ)ちゃんと心愛(みあ)ちゃんの名に「愛」の字がある  
                           
…… (観音寺市) 藤原俊則 朝日歌壇2019.2.24

   心愛ちゃんの妹にこの真実を伝える時が来るのだろうか
                            …
… (横浜市) 毛涯明子 朝日歌壇2019.2.24

   結愛(ゆあ)に心愛(みあ)どちらにもある愛の文字どちらにもない親からの愛
                         
  …… (神戸市) 安川修司 朝日歌壇2019.3.3
   少女ありき「心」と「愛」の名を持ちて心も愛も知らずに逝きぬ 
                            …… (水戸市) 阿部雅子 朝日歌壇2019.3.3
     名前に付けられた「愛」の文字が、これほど空しく哀しい響きを持って私たちの心を打った事は
     かってなかっただろう。
     今はどうか安らかに……と合掌する以外になす術がないのが、
     なんとも悔しく残念である。
     救えた命が、大人たちの勇気や決断のなさの前に、消え去ってしまった。
     勇気や決断の裏に自己保身という影がちらちらする。
     児童の健全な育成を担う職務の人たち、自分に課せられた職務の重さを認識してほしい。
     取り返しのつかないことを、私たち大人はしてしまったのだ。
     「……心も愛も知らずに逝きぬ」 阿部雅子さんの歌が哀しい。
   お父さん、お母さん、先生、世の中の大人のみなさまサヨウナラ心愛 
                           …… (近江八幡市) 寺下吉則 朝日歌壇2019.3.3
     こころが痛む。お別れの言葉にしてはあまりにも哀しい。
     助けてあげられなかった大人たちへの心愛ちゃんの心の叫びだ。
     「…どうして私は死ななければならなかったの…」
     こんな言葉を私たち大人は、無垢の児童に言わせてはいけない。
     絶対に。



     虐待に関する「110番通報」と理解してください。
     ① 相談や通報に関する秘密は守られます。
     ② 匿名でも結構です。
     ③ 「虐待」が疑われるようなことを見聞したら迷わず『189番』へ。
        間違った情報であっても、善意の情報である限り責めを負うことはありません。
       「見なかったこと」「聞かなかったこと」にはできません。







  オレンジリボンには「子ども虐待を防止する」というメッセージが込められ
         ています。
         ピンバッチを500円で購入し、虐待防止運動に参加することも私たちにで
         きることです。

         (2019.3.7)    (人生を謳う)
 

コメント (2)
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読書案内「曽根埼心中」 ストーリーで楽しむ文楽・歌舞伎物語4 令丈ヒロ子著

2019-03-04 08:30:00 | 読書案内

読書案内「曽根埼心中」
   ストーリーで楽しむ文楽・歌舞伎物語4 令丈ヒロ子著 鈴木淳子絵
                          2019.1初版 岩崎書店
     
 小学生~中学生向けに書かれた文楽(人形浄瑠璃)、歌舞伎などの江戸時代に風靡した町人文化の中で花開いた娯楽を分かりやすく紹介している。

    この世のなごり、夜もなごり、
   死にに行く身をたとふれば、
   あだしが原の道の霜、一足づゝに消えて行く、
   夢の夢こそあはれなれ、
   あれ数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、
   残る一つが今生の、鐘の響の聞き納め、寂滅為楽と響くなり。
            近松門左衛門 人形浄瑠璃「曾根崎心中」

  制約の多いこの世での二人の「愛」が成就しないなら、死んであの世で一緒になりましょう。
 二人そろっての死出の旅路を「道行」とか、「心中」と言われるようになったようです。
特に、近松門左衛門が元禄16(1703)年、
「曽根埼心中」という人形浄瑠璃が、
大変な人気を得たころから、
「道行」とか「心中」という現象が庶民の間でもてはやされたようです。
 徳川家康が関が原の戦いで勝利して、幕府をひらいて丁度100年、元禄16年は
元禄文化が頂点を極めたそんな時代に花開いた人形浄瑠璃、歌舞伎でした。

 雨あがり流深読み意訳
   この生きづらい世間で生きていけない2人にとっての道行は、この世の名残りであり、
   夜もまた最後の名残りの夜だ。死ににゆく2人は、ものに例えるとあだしが原の火葬場や
   墓地に続く寒い朝の淋しい道に降りた霜のように、一足踏むごとに消えていく儚い命だ。
   儚い夢の中で見る夢のように哀れである。あゝ今、明け方の鐘が、六つ鳴ってもう一つなれば、
   この世で聞く鐘の最後の鐘の音になる。その鐘の音が「寂滅為楽」と、徳兵衛・お初は死後の世界で
   ほんとうの安らぎが得られるのだ、と聞こえてくる。

  徳兵衛二十五歳、お初十九歳の命は、曽根埼天神の森に散っていく。
  徳兵衛はお初の白く細い喉に、「脇差するりとぬきはなし、ただ今ぞ」と、お初の喉をつき
  徳兵衛は剃刀で自分の喉を切る。

  七五調で謳われる義太夫の語りに、江戸庶民は惜しみない拍手を送ったそうです。
  ならぬ恋の成就を、永遠の愛に結晶させた哀れさと純粋さに江戸の庶民たちは
  感動したのでしょう。

    だれが言うともなく、曾根崎の森を吹きぬける風が音をたてるように、
  二人のことは人々に話が伝わった。二人の心中は、身分の上下を問わず、多くの人の心に残った。
  みんながこの二人のあの世での幸せを願ったので、きっと二人の成仏は疑いがないだろう。
  お初と徳兵衛は、恋の手本となったのだ…

  これは、小中学生向けの解説。
  本ブログでは、「曽根埼心中」に視点を置いて紹介しましたが、
  本書は、日本の伝統芸能として成就した人形浄瑠璃を、元禄16年の元禄文化の中で花開いた
  人形浄瑠璃(文楽)を優しく紹介した本で、作者・近松門左衛門の人物紹介なども優しく紹介しています。

  (2019.3.3記)    (読書案内№136)

 

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